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帯分数は遠いけど  作者: 天そば
第三章 迷走する仮分数
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迷走する仮分数 2

     3



 土曜日の学校は人が少ない。授業があるのは三年の進学クラスだけで、そのクラスは三年一組から三組までの三クラスしかないから当然だ。学校内に人気がないということは廊下にも人気がないということで、普段騒がしい場所に人っ子一人いないというのはそれはそれで気味が悪く、お世辞にも新しいとは言えない校舎も相まって、ますます『何かでそう』な感じを引き立てていた。そんなわけなので、土曜は必要以上に教室から外に出たくないというのが今年の四月から一貫したおれの主張である。


 ――しかし今、おれは廊下にいる。トイレに行きたいわけでも、次の時間が移動教室だからでもない。ならなぜかというと。


 一時間目の数学は自習だった。担当の諸口(もろぐち)が部活の大会で不在だったのだ。よっしゃラッキーと思ったのもつかの間、当然のように用意された課題プリントに出鼻をくじかれ、さらにはその束ねられたプリントたちの一番上に置いてあった伝言の書かれた紙を見て一気に奈落の底に落とされた。いわく、


『この課題は、出席番号12番の者が集めて職員室にある先生の机に置いておくこと』


 ほとんどの高校は、アイウエオ順で出席番号を決める。浜子柴高校もその例に漏れず、出席番号は男女ごちゃまぜのアイウエオ順だ。そしておれは『桜井』だから、結構前のほうの番号を貰っている。何番かといえば、そう、十二だ。


 諸口は、今日が十二日だから出席番号十二のやつを指名したのだ。なんだってこんな日に課題があるんだ。せめてもうひとりア行かカ行のやつがいれば……。とかどうしようもないことを思いつつ、おれはプリントの束を抱えながら廊下を歩く。職員室までがまた、結構長いのだ。


「桜井くん」


 後ろからそんな声をかけられた。振り返ってみると、おれと同じくプリントを手に持った女子生徒。フジエモンこと、飯塚藤江である。


「桜井くんたちも、(つじ)の授業あったの?」

「いや、諸口だよ。数学の」


 どうやら、諸口だけでなく現文の辻も今日は休みらしい。そういえば、このふたりは卓球部の顧問と副顧問だったな。

 話しかけられたからには並んで歩かないといけないのだろうと、おれは立ち止まる。やがて追いついた飯塚とともに歩き出した。


「お互い運がないわね。あんま教室から出たくないっていうのにこれだもん」

「ああ」


 飯塚も土曜は教室から出たくないのか。同じ考えを持っていたということで、なんだか親近感が湧いた。


「ところで、桜井くんは何番なの?」

「十二だけど」

「そうよね。普通、今日は十二日だから十二番に持っていかせるよね」


 苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「あたしたちのとこにあったメモにはね、こう書いてあったの。『今日は12日なので、12番、とみせかけて、出席番号1番の生徒が集めて職員室まで持ってくるように』。何このフェイント! むかつくんだけど!」


 憤懣やる方ないというように、語気を上げ眉根を寄せる。


「確かに、普通に指名されるよりいやだな。フェイントいれられるって」

「でしょ! 口で言うならまだしも、文章でフェイントいれるところがまたむかつくのよ。何よ、『とみせかけて』って!」


 まったくあの先生はいつもいつも、とか何とか言って、しばらく全身で怒りを表現していた飯塚だが、渡り廊下を半分ほど進んだとき、突然思い出したように、


「あ! ねえ、そう言えば、桜井くんてさ」

「なんだ?」


 急に話が変わるな、と思いつつ尋ねる。


「駅の近くのハンバーガー屋で、双子のお姉さんが働いてるでしょ?」


 内心、う、と思う。

 今朝のことは、しばらくして反省した。姉貴に悪気がないことは分かっている。単に場をつなげようと小学校時代の部活の話をしただけで、他意はなかったのも理解している。しかし、おれはその頃の話をされるのは駄目なのだ。だからつい、ああいう行動を取ってしまった。悪いことしたな、とは思う。


 今、その姉貴の話をされるとどうしても今朝のことを思い出すので避けたかったのだが、飯塚にそう言うわけにもいかない。渡り廊下を抜けて、特別教室棟の、おれたちのほかに誰もいない廊下で話は続いていく。


「由奈もあっちでバイトしてるからさ、前に行ったことあるんだ。そしたら、すごい大きい人がいて、びっくりして。後で由奈に訊いてみたら、その人、桜井くんのお姉さんって言うから、またびっくり」

「全然似てないだろ?」

「うん。体型も顔も。本当に双子?」


 何度されたか分からない質問だ。自分でも疑ったことがままある。


「本当に双子だよ。誕生日も一緒」

「そっか。桜井くんのお姉さん、すごいいい人だったよ」

「何かサービスでもされたのか?」


 二階へと階段を下りながら問う。話をしているせいだろう、おれも飯塚も、自然と歩くペースが遅くなっていた。


「そんな単純な話じゃないよ。先月の半ばぐらいに、学校帰りに寄ったんだけどね。そのときいた、二十台中半ぐらいの女のふたり連れが揉めててさ。最初らへんは、何かあったんだろうなーって感じで見てたんだけど、段々エスカレートしていって。気がついたら、お互い立ち上がって、今にも殴り合いが始まりそうだったのよね。ヤバ、と思ったときに、桜井くんのお姉さんがやってきて」


 おれはここで、話の顛末が予想できた。先月、姉貴が頬を腫らしてバイトから帰ってきた日があったはずだ。理由を訊いても詳しくは話さなかったが、そういうことか。


「一方の女の人が、もう一方の人を、何て言うか……、挑発してね。それで我慢できなくなったみたいで、挑発されたほうが思いっきりパンチを繰り出したの。でもその瞬間、お姉さんが『落ち着いてください、お客様』って割り込んできて、それで、ね……」


 飯塚は、自分の拳と頬を使って、その場面をスローモーションで再現した。


「めっちゃ痛そうだったな。でも、すごいのはその後。よろめいたのを由奈が支えようとしたんだけど、大丈夫って言って自分で立ち直って、で、ぽかーんとしてる女たちにね、こう言ったんだ。『お客様、お飲み物をこぼしてしまって申し訳ございません。すぐに変わりのものを持ってまいります』って。それも、笑顔で。お姉さんがよろめいたときに、テーブルのオレンジジュースがこぼれたんだけど、普通、そのタイミングでそんなこと言えないよね」


 その場面を想像してみる。口論がヒートアップした末に冷静さを失って相手を挑発し、それに乗せられて手を出し(しかも女性同士とはいえ、グーなところが恐ろしい)、それを仲裁に入った年下の店員がまともに受けてしまう。沸騰した頭が急速冷凍され、どうしよう、と焦っていると、その店員が顔を上げて一言。


 ――お飲み物をこぼしてしまって、申し訳ございません。


 そんなことがあったら…………。


「お姉さんが代わりのオレンジを持ってきたときには、そのふたり組みも冷静になってて、本当にすいませんって謝ってたよ。その後しばらくしてこそこそお店から出てった。すごいよね。喧嘩の仲裁に入るだけでもできる人はあんまいないのに、更にその後笑顔で対応できちゃうんだもん。お姉さん、流石にそれからはもう表には出てこなかったけど、大丈夫だった?」

「しばらく頬は腫れてたな」

「うわ、まじ!? お父さんとか、心配してなかった?」


 その日はちょうどふたりそろって出張から帰ってくる日だった。久しぶりの我が家に帰ってきた父さんと母さんは、片頬だけおたふく風邪にかかってしまったかのような姉貴を見て、産卵中の鮭の顔になっていた。


「ああ。しばらく見ないうちに暴力を振るう彼氏でもできたのかって勘違いしてたよ」


 おれは騒がしいリビングから早々に抜け出して、部屋に戻ったが。


「しばらく見ないうちって?」

「うちの親、出張が多いんだ」

「ええ! そうなんだ。へえぇ…」


 そんなに珍しいことでもないと思うが、飯塚は予想以上の反応を見せた。しげしげとおれの顔を眺め、


「ね、それってさ……、寂しくないの?」


 そんなことを訊かれたのは初めてだった。父さんと母さんが仕事の鬼となって年の半分以上をビジネスホテルで寝泊りするようになったのはおれが高校に上がってからで、周りのやつらは大抵、それを聞くとうらやましがった。


「高三にもなって、親が家にいないからって寂しがったりしない」

「そっか。あたしは、家に帰ってお父さんとお母さんがちゃんと揃っていてくれるとうれしいんだけど、……まあ、そっちのほうが少数派か」


 ふんふんと頷く飯塚。

 おれは、あるいはこれも男女の違いだろうか、と思った。親がいないのを寂しく思うか、うれしく思うか。


 気がついたら、もう職員室に着いていた。諸口の机を探し、書類やら数学の本やらで地肌が見えなくなっているそこにプリントを無造作に置く。これで見つからないと言われても、おれに罪はないだろう。

 職員室から退室し、ふたたびおれたち以外人のいない廊下を歩くと、飯塚がまた話し始めた。


「ねえ、桜井くんは大変じゃない?」

「何が?」

「あんなに完璧なお姉さんがいて。由奈から、ソフトも上手いし勉強もできるって聞いた。そんな人がお姉さんだったら、比較されないかなって。双子だから特にさ」

「いやべつに」


 と、おれは心の中で嘲笑を浮かべながら答える。


「差がありすぎてもうどうでもいいや、って感じになってる」

「へえ、そんなもんなんだ」


 軽い口調で納得した。

 突き当りを左に折れる。そうして左手に出てきた階段の前で、飯塚は足を止めた。購買に行くらしい。この階段を下りると渡り廊下が渡れなくなるので、おれたちはそこで別れた。


 ひとりで教室に向かいながら、おれは、飯塚との会話を思い出していた。話を聞いている途中、何か、あれ? と思うことがあったのだが、それが何なのかいまいち分からない。おれは何が気になっているんだろうとは思いつつも、しばらく歩くうちに段々と考えるのが面倒になってきた。まあいいや、きっと何かの気のせいだろう。


 しかし、渡り廊下を渡り、廊下を歩き、階段を下り、教室に入る直前。突如として、おれの頭に花火のような閃きが舞い降り、その疑問は、はっきりとした形になった。なってしまった。


 その瞬間、おれの足はピタリと動きを止めた。


 先ほど、飯塚はこう言った。女のふたり組みの口論がエスカレートし、今にも殴り合いが始まりそうになったとき…、落ち着いてください、と言って、姉貴がそこに割り込んだのだと。




 ――なぜ、あいつはそんなことをしたのだ?


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