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帯分数は遠いけど  作者: 天そば
第三章 迷走する仮分数
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迷走する仮分数 1

   1



《土曜日》



 今日日(きょうび)珍しいことでもないが、浜子柴高校三年生の進学クラスには、土曜も通学義務がある。といっても、平日と違って授業は午前中で終わるので普段よりはだいぶ気が楽だ。進学校化を図る現校長が赴任してきた二年前からできた制度なのでまだ歴史は浅いが、我が子をいい大学に行かせたい親たちからは上々の評価を賜っているらしい。


 ――まあそんなわけなので。


 今日もおれは柄にもない早起きをして、姉貴とともに朝食をとっていた。(今日も、といっても昨日は起きられなかったのだが)。

 姉貴は本物の進学校に通っているため、部活を引退してからは当然のように土曜授業がある。大学に合格したから免除、とはいかないようだ。センターも強制で受けなければいけないらしい。


 姉貴は制服の上からカーディガンをはおり、更にその上から、普段なら着ないはずのジャージも着ている。別にいつもより寒いわけでもない、というかここ最近では一番暑いぐらいなのに、どうしたことかと疑問に思っていると、コーヒーカップから口を離し、ふう、と息をはいた。


「土曜日に授業があるとさ、何か、小学生の頃思い出さない? ほら、三年生ぐらいまでは、土曜日も学校だったじゃない」


 ああ。確かに、ゆとり教育が始まるまではそうだったな。


「まあ、ちょっと懐かしいではある」

「だよね。わたし、完全週休二日になったの、ちょっと寂しかったんだ。土曜日の学校って午前中で終わるから気が楽だったし、そのおかげで不思議と授業も楽しく感じてさ。土曜日の学校が、一番楽しかったな」


 おれは午前中だけ授業するぐらいなら丸々休みにしろよ面倒くせえというタイプだったので、また正反対なものだ。もっとも、おれたち姉弟が何かの冗談のように何もかも真逆なのは、今に始まったことではないが。


「それにさ、部活も、土曜日が一番楽しかったんじゃない?」


 嬉しそうに笑いながら、同意を求めてきた。おれは内心、そこに話が飛ぶのか、と思った。少し、食べるペースを上げる。


「べつに、土曜だからって普段と違うわけじゃなかったと思うが」

「全然違ったって! ほら、授業終わったら大急ぎで学校車に乗って、練習試合に行ったりさ。相手がウチに来るときは、お弁当食べてすぐグラウンド整備とかして。学校終わってから練習試合ができるってだけで、何か嬉しかったじゃん」


 じゃん、と言われても。こっちはそう思っていなかったんだが。

 おれが黙っているのに構わず、姉貴はそのまま楽しそうに話を続ける。


「あの頃、懐かしいね。今思うと、小学校の頃って、男女混じって部活してたんだよね。それってなんか、すごく貴重な時間だったんだなあって、今になって思うよ。ねえ、もう一回やってみたくない?」


 もうごめんだよ、とは、思っただけで言わなかった。

 おれは時間があるときぐらいはゆっくり食べようと意識的に抑えていたペースを、普段どおりに戻す。さっさと食べ終わりたい、という気持ちはだんだんと強くなっていっていた。


「……今考えるとさ、あのときポジション変えたのは、よかったなあと思うよ。わたし、そのままピッチャー続けてたら、たぶん……」


 もう限界だ。茶碗にはまだ米が残っているが、おれはそこで箸を止めた。


「ごちそうさん」

「あれ、終わり? 今日はあんまり食べてないね」


 無視して、台所に向かう。流しの上には今日もサンドイッチがあった。


「ね、実」


 おれに続いて台所に入ってきた姉貴が、申し訳なさそうに胸の前で手を合わせる。


「ごめん、わたし、何か怒らせるようなこと言った?」


 おれは怒ってはいない。ただ、その場にいたくなかったから早めに切り上げただけだ。だが、ここで姉貴に言わなければならないこと、言うべきことはあった。


「べつに、怒ってないけど。でもおれ、これからは普段どおりに起きる。もう早起きは無理」


 それだけ言うと、目を大きく見開いた姉貴の横を通り抜け、台所から出て行った。


「早くしないと、遅刻するんじゃねえか?」


 通り際にそんな言葉を投げつけた自分を、我ながら嫌なやつだと思う。



     2



「ミヤって、きほん単純だよね」


 朝初めて会う人にはおはようと言うものである、というわたしの持論をぶち破り、マチは会うなりそう言ってきた。


「おはよう、ユキ、マチ。で、どうしてそう思うの?」

「どうって……」


 隣のユキと顔を見合わせる。しばらくのあいだ、街で突然アメリカ人に道を尋ねられたかのような顔で見つめあった後、再びわたしに顔を向け、ふたりで声を揃えた。


「「とにかく分かりやすい」」


 何が、とは言わなかった。予想はついていたから、というか、いささかの自覚はあったからだ。

 駅に向かって並んで歩き出しながら、わたしは訊く。


「わたし、負のオーラみたいなの出してた?」


 顔と顔を何かで繋がれているみたいにふたり同時に頷いて、


「わたしは悲しいことがありましたよーって、全身でアピールしてる」

「声も、いつもよりだいぶ低いわね」

「まじかい……」


 あ、ほんとだ。声低い。ついでに、テンションも低い。


「料理に失敗でもした? それなら、落ち込まなくてもいいわ。あたしも昨日、ゆで卵を作ろうとして卵を殻のついたまま揚げたら大変なことになったから。それに比べたら、可愛いものよ」


 なぜか胸を張って誇らしげにそう宣言する。

 そもそもなぜ、『ゆで』卵なのに油で揚げるという発想が出てきたのかが謎なんだけど。ゆでろよ……。


「ミヤ、ミノくんとなにかあったでしょー?」


 ユキの突っ込みどころ満載の話とは違い、マチはしっかり的を射てきた。うん、とわたしは頷く。


「何か、怒らせちゃったみたい…。わたし、知らないうちに無神経なこと言っちゃたのかな…」

「なんの話をしてたの?」

「小学校の頃の話。あの頃は男女一緒に部活してたね、とか」

「べつに、それぐらいなら普通だと思うんだけどなあ…。ほかになにか言わなかった?」


 他に言ったこと? うーん……。

 行く手が赤信号にさえぎられたので、立ち止まってじっくり考える。けど、立ち止まったことで、気づいてしまった。


「今日、寒くない?」


 そうなのだ。なんだかいつもより、身にしみる寒さがある。家の中でもそう感じたけど、外に出たら相当だ。


「え? きょう、最近ではあったかいほうじゃない?」


 マチが不思議そうに小首を傾げながらそう返してきた。あれ? ユキはともかく、寒がりのマチなら絶対同意してくると思ったんだけど…。

 信号が青に変わり、歩き出す。一度自覚した寒さは歩きだしてもつきまとってきた。


「ミヤ、ちゃんと朝ご飯は食べた? エネルギーの不足は、体温の低下を招くのよ」


 ちゃんと食べたよ、と返そうと思ったけど、そういえば今朝はいつもより食欲がでなかったな、と思い出す。――とは言っても、普段食べる量がお世辞にも少な目とは言えないので、それでもしっかり食べた部類に入るんだろうけど……。


「一応、ちゃんと必要な栄養はとったよ」

「そう? じゃあ、負のオーラと一緒に体温も放出したのね」


 そうかも、と思ってしまうわたしである。


「でさー、結局、ミヤには心当たりがないんだよね? ミノくんが怒ってる理由」

「うん、まあ…」

「じゃー、ほうっとけばいいよ。次に会ったときも、いつもどーりの態度でいいよ。あたしもさ、きょうだいゲンカした後は、そーしてるんだ。こんなの、いちいち気にしてたら大変だよ。ミノくんも、眠たかったとかそーゆー理由だよ、怒ったの。だいじょーぶ、心配しなくても、気づいたらもとにもどってるから」


 にこにこ笑って、何でもないことだよ、こんなの、とアドバイスをくれるマチが、普段より大きく見える。身体は小さいけれど、マチはこれでも立派な高校三年生で、そして、わたしよりもきょうだいの多い家庭で育ったのだ。その言葉には、経験に裏付けされた説得力があった。


 それで幾分か気が楽になったわたしは、意図して大き目の声を出した。


「分かった! そうする。ありがとうね、マチ。それから、ユキも」


 いえいえ、と笑顔で首を振るマチと目元を少しゆるませながら頷くユキに、びしっとピースサインを出して見せる。

 マチの言うとおりだ。同じ家で暮らす以上は、こういったことは毎日のようにあるはずだ。実際、小さい頃はよくあったじゃないか。むしろ、わたしたちが最近没交流だったから起こりえなかっただけで、このいさかいは、まあ、大げさに言えば復縁の印だと思えばいい。


 ……けど、まあ、次に会ったらそれとなく優しくしようかな、とは思う。せめてものお詫びの印として。

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