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帯分数は遠いけど  作者: 天そば
第二章 アサコちゃんとぬいぐるみ
13/36

アサコちゃんとぬいぐるみ 6

   8



 見張り中の刑事や探偵は、新聞に目を落としていたり絵を描いていたりと、他のことをしている風を装いながらもターゲットから目を離さないものだ、と昔観たドラマで言っていた。至極当然のことだが、要は見張りの対象者や周囲の第三者たちに、この人は見張りをしているなと勘付かれないようなカモフラージュを施すことが大切なのだ。


 その点を考慮するに、橘は刑事にも探偵にも向いていないらしい。教室に入るなり視線を感じて目を向けてみると、その先にはおれを凝視する橘一樹の姿。いつ来るだろうかとずっと入口を見張っていたらしいのがばればれだ。


 しかし、近づいてきたおれに、やあ、今日は寒いねえ、なんて、いかにも昨日依頼したアサコちゃん捜しなんか気にしていませんよという変にクールぶった態度をとらず、


「どうだった?」


 と、単刀直入に本題に入るところが清々しくて好感が持てる。

 惜しむらくは、おれがしなければならないのが残念な報告だということだ。


「いなかったよ」


 やはりというか何というか、橘は目に見えて脱力する。若干の申し訳なさは感じるが、事実なので仕方がない。謝ろうにも謝れないのだ。

 代わりに、今思いついた質問をしてみる。


「でも、月野宮と浜子柴以外にも、この辺には高校があるだろ? そこはあたったのか?」


 頷いて、


「うん。中学の同級生にお願いして、ここら辺のは一通り捜してもらった。でも見つからなくて、きみたちに頼んだんだ。月校と浜校には、同じ中学の友だちがいなかったから」


 なるほど。そしておれの浜小柴がだめだったから、残りは正則の月野宮だけだ。果たして、どうだったのだろうか。


 橘は、受験の合格発表でも待っているかのようにそわそわと落ち着きなくドアに視線をやり、正則が入ってくるのを待っている。授業が始まるまであと五分ちょっとだ。そう慌てなくても、じきに来るだろう――と思った瞬間、すっと細身の長身男が入ってきた。正則だ。


「藤原、どうだった?」


 おれのときと同じく、一片の前置きもない橘の質問。正則は残念そうに首を振った。


「いなかったよ。朝子って名前の子はいたんだけど、この辺に住んでるわけじゃなかったし、あおい壮なんて聞いたこともないって言ってた」


 先ほどのおれの報告で、橘は身体中から力が抜けたが、今回はそれどころでなく、魂まで一緒にどこかへ飛んでいってしまった。漫画なら、背景が真っ黒になっただろう。

 正則の報告を聞くなりがくりと身体中の力が抜け、負のオーラを撒き散らしながらそのままうな垂れてしまった。


 おれは何か言葉をかけようとは思ったものの、一体何を言えばここまで失意のどん底に叩き込まれた人間の気を楽にできるのか分からず、バカみたいにただ唇を半開きにして座っていた。

 しかし、正則はそうではなかった。始めから用意していたのだろう、力強く首を振ったかと思うと、こう言ってみせたのだ。


「いや、落ち込むのはまだ早い」


 ゆるゆると橘が顔を上げる。


「アサコちゃんは俺たちと同い年だけど、同じ学年とは限らない。留学、あるいは病気とかで、留年してるって可能性もあるだろ? 俺、今日は同学年しか捜してない。実は?」


 いや、とかぶりを振る。そんなこと、考えもしなかった。


「じゃあ、明日捜そう。橘も、もしまだ二年生に当たってないんなら」


 どうやら橘もおれと同様、アサコちゃん留年説には思い当たらなかったらしい。こくこくと規則正しく何度か頷き、その後少し心配するようにおれたちの顔を見て、おずおずと尋ねた。


「でも、大丈夫? 面倒じゃない?」

「大丈夫だよ。俺も実も、部活の後輩がいるんだから。なあ?」

「まあな」


 おれがそう答えると、ありがとう、とまだ全回復とはいえないまでも先ほどよりはだいぶ元気の出た様子で頭を下げた。ついで、ちらりと壁掛け時計を見ると、


「じゃあ、ぼく、一コマめは授業ないから、またあとでね。本当に、どうもありがとう!」


 とのたまい、教室を出ていった。おれは唖然とする。


「あいつ、授業ないのにわざわざここでおれたちを待ってたのか……?」

「らしいね。すごいな」


 そんなに気になってたのか、あいつ。おれなら絶対、家に帰って授業時間に間に合うぎりぎりまでだらだらしている。他の時間に授業があるんなら、そのときにおれたちに話を訊けばいいのに。

 今更ながら、橘の意志の強さというか、想いの深さを実感する。


「ピュア、かあ……」


 不意に、正則が呟いた。


「橘のことか?」

「ああ。今日な、昼休みに都さんに橘の話をしたら、そう言ってた」

「言ったのか、お前!?」


 そんなあっさり、人の初恋エピソードを?


「ちゃんと名前は伏せたよ。でさ、その友だち、ピュアだねって言うんだよ。そうなんだよな。あいつ、めちゃくちゃ一途だ」

「まあ、そうだろうが」

「だからさ、こっちもできる限り協力したくなるんだよな。ピュア、というか、一生懸命なやつの特権だな。周りの人間が、応援したくてしょうがなくなるんだよ。そういう気分にさせるんだ」


 一生懸命なやつの特権か……。確かに、それはあるのかもしれない。一生懸命になれるというのはそれだけですごいことだと、短いなりの人生でおれも学んできた。このおれ自身、何かに専心したことがあるかと問われれば、逆立ちしたってイエスとは言えない。


 しかし、それとは別にして、だ。


「お前、ひとつ下にアサコちゃんがいると思うか?」


 正則の言った、残された可能性。溺れる者は藁をも掴むというが、それはおれには限りなく頼りない、掴んだ瞬間はらりと崩れてしまいそうな儚い藁に思えた。


「…かなり厳しいだろうってことは承知の上だよ。でも、可能性がゼロじゃないんなら捜すべきだろ?」


 まあな、と短い相槌。


 おれの学校にも留学制度はあるが、期間は二週間、せいぜいが一ヶ月だ。留年するほど長くはない。加えて大きな怪我をしたり単位を落としたりして留年したやつの話なんて聞いたこともない。俺の情報網がカバーする範囲がごくごく一部だとしても、そんなニュースがあれば耳に入るだろう。ほぼ確実に浜子柴の二年生にアサコちゃんはいないと言い切れる。しかし、あくまでもそれは『ほぼ』であって、絶対確実ではない。正則はその『ほぼ』がカバーしきれなかった部分、重箱の隅にすがってでも、アサコちゃんを捜そうと言っているのだ。


 初恋の人に一生懸命な、橘のために。


 時計の針がかちりと動き、一コマ目の開始時間となる。それと同時に鳴ったチャイムの音にまぎれて、正則の呟きが聞こえてきた。


「もしも本当にアサコちゃんを捜し出せたら、橘はどんな顔をするんだろうな」


 それはひとりごとに近いもので、返事を求めてはいない。それが分かっていたので、おれはただ何も言わず、講師が立った教壇に目を向ける。

 しかし、頭の中では今の正則の呟きに答えを返していた。


 きっと、今まで見たことのないほど、満面の笑顔を浮かべるんだろうさ。もしかしたら、涙が頬を伝っているかもしれない。そしてその後、おれや正則、協力してくれた人たちに、本当にありがとうと、何度も頭を下げることだろう。


 そこまで深い中ではなかったはずの橘なのに、その光景が容易に想像できてしまう。そして意外なことに、それをおかしいとは思わず、むしろ当たり前だと思うおれがいた。あいつなら、間違いなくこうするだろうと確信を持って言える。


 ――しかしなぜだろう。直後に、もしおれが橘だったらどう反応するだろうかと考えると、おれの頭はまったく何の光景も思い浮かべてはくれなかったのだ。





   9


 日曜日にわざわざ学校に行く人は稀で、もしそんな人に遭遇したらわたしは、というか誰でも、驚くのは当然だと言える。

 せっかくの休みに、もったいない! あんた、何してんの!?

 こんにちはー、と裏口から入ってきたわたしを見て、中井さんが開口一番に言った、


「あれ? 今日、休みじゃなかったの?」


 という言葉には、確かにそういうニュアンスが含まれていた。

 そうなんです、中井さん。これには聞くも涙語るも涙の重大なワケが…。ということではもちろんなく。


「この本、由奈に返しに来たんです。もう来てますか?」


 鞄から例の本を取り出す。ユキから由奈への返却を頼まれた、あの本である。これ以上先延ばしにするのはよくない。

 中井さんは肩をすくめて、呆れたような笑みを浮かべた。


「わざわざそのために? どうせまた近いうちにシフト一緒になるっていうのに、真面目ねえ」


 ま、あんたらしいけどさ、と付け加えた後、中指を振った。


「でも、残念。松野なら、まだ来てないよ」

「う……、そうですか。ありがとうございます。中井さんは、もう上がりなんですね」


 中井さんは、タートルネックセーターにジーパン姿で、手には鞄まで提げている。今日は大学が午前中で終わる日で、その分バイトも早くからだったんだろう。


「そ。久しぶりにプライベートタイムが取れるってわけ」

「へえ。プライベートタイムって、もしかして合コンとかですか?」


 わたしの頭の中には、大学生=合コンという方程式がある。また、中井さんは美人だけど、意外なことに彼氏はいないらしいので、そういうことから自然に出た質問だった。


「桜井、高校のあいだはそう思うのも分かるけど、暇さえあれば合コンってわけじゃないよ、大学生は。あたしは今日、家に帰ってレポートの作成」


 額に手をやり、はー、と大げさなため息。そしてわたしを横目で見やって、にやりと不敵な笑み。


「あんたも大学生になれば分かるよ。この、レポートの恐怖を……」

「ま、まじですか…」


 できれば遠慮願いたいけど、無理だろうなあ。わたしの頭の中で、大学生=合コンの項目が削除され、新しく大学生=レポートの項目が作成された。

 がちゃり、と音を立てて、裏口のドアが開く。由奈だ。


「こんにちはー。お、ふたりして、立ち話ですか?」


 わたしたちを見て、にこりと屈託のない笑顔を向けてくる。中井さんはいや、と首を振り、


「桜井には今、大学生とはなんたるかを伝授しててね。ちょうどよかったわ、松野。あんたも春から女子大生でしょう? 一緒に教えたげる。ふふふ、とんでもないのよ。レポートの量とか、字の汚い教授とか、試験の難しさとか」


 由奈が苦笑いを浮かべる。これは確実に、女子大生の実態からだんだんと中井さんの愚痴にシフトしていく流れだ。それを避けるためだろう、やや強引に話題のチェンジを図った。


「いや、それよりさっき、店長が変な顔しながら入口の掃除してたんですけど、どうしたんですかね? 何か、箒で掃きながら辺りを見回して、何か探してるようにも見えましたし」


 まったく何の脈絡もなく飛んだ話だけど、わたしは、あれ? と思った。

 店長が変な顔をしながら入口を掃除していた? それも、何かを探すような素振りで。それって、まさか昨日の……。


「ああ。松野は昨日休みだったから知らないのか。桜井は知ってる?」


 中井さんが、痺れた足をつつかれたような苦々しい顔を浮かべて訊く。わたしは頷き、


「ぬいぐるみと裁縫道具と、それからCDですよね?」

「そ。それで、今日も同じようなことがあったわけ」


 驚くわたしのそばで、由奈は頭にクエスチョンマーク。そりゃそうなるかと、わたしはとりあえず昨日の出来事を説明した。それを聞いた由奈は、へえ、と一度頷き、中井さんに目をやった。


「じゃあ、アヤコさん、今日は何があったんですか? 同じようなことって?」


 アヤコさんとは、中井さんの名前である。由奈いわく、中学校のころにナカイというあまり性格のよろしくない先生がいたので、中井さんを苗字では呼びたくないんだとか。どうしてもその先生のイメージがちらつくらしい。

 中井さんが答える。


「今日はね、頭がちぎれたクマのぬいぐるみと裁縫セットは同じだったんだけど、CDじゃなくてU字ロックだったのよ」


 ユ、U字ロック!? そんな、あまり聞きなれない言葉とこんなところで対面するとは。


「わけ分かんないでしょ? 店長も、流石に気味悪がってさ。だからたぶん、掃除しながら他に何か落ちてないかって探してたんだと思う。もしかしたら明日も同じようなことがないだろうかって心配してたし」

「店長も大変ですね。でもホント、何がしたいんだか。……全然見当もつかないです。都は?」


 ちらり、とわたしを見て訊いてくる。


「はっきりとは分からないけど、全然ってほどでもないかな」


 つい、わたしはそう言ってしまっていた。


「うそ!? 桜井、あんた、何か意味が分かるの?」


 ずい、と中井さんが詰め寄ってくる。しまったと思いながら、わたしはしどろもどろに、


「いや、あの。たぶん、そうかな? ぐらいの感じでして…。はっきりとは言えないです」

「そう? でも、分かったらあたしと、あと店長にも教えてね」


 少し残念そうに言って、中井さんは引き下がった。しかし、その瞳の奥には明らかに解明を望んでいる色がある。


「じゃあ、私はもうそろそろ時間なので」


 由奈が更衣室のドアに手を掛ける。笑顔でそれを見送るわたし。今日わたしは休みだけど、頑張ってね、由奈。応援してるわ。――って、ちょっと待った!


「由奈、ごめん、ちょっと。これ、ユキが」


 危うく本来の目的を忘れるところだった。これで今日もまた忘れたら大間抜けもいいところだ。何のためにわざわざ休日にバイト先に来たのか分からなくなる。

 由奈はわたしが掲げた例の本を見ると、あ、と言ってから、受け取った。


「あ、これか。ありがと。幸乃、長くかかったねー」

「まあ、マイペースだから」


 頭にものすごく、がつくほどの。

 由奈は笑顔でその本を鞄にしまう。わたしは改めて手を振り、またねと告げた。

 これで、今日の目標達成。やっとすっきりした。長らく延長していたレンタルDVDをようやく返却してきたときのような心境。


 あたしたちも帰るとしますか、という中井さんの言葉の後、ふたりで裏口から外に出た。

 バイトが終わる頃にはとっくに太陽が沈んで夜の闇に染まった道を、まだ明るいうちに行くというのは新鮮だと思う。けれど、今のわたしには普段との些細な違いを楽しむ余裕はなかった。


 中井さんと並んで歩き出してから、いや、それよりも少し前から、わたしは心の中で決意を固めていた。


「あの、中井さん」

「ん?」


 中井さんが見上げてくる。わたしは確認のつもりで改めて尋ねた。


「店長は、ここ二日の『ぬいぐるみ放置事件』を、気味悪がってるんですよね?」

「そりゃあね。こんな事件なら、普通そうなるでしょう」

「中井さんは? 気味が悪いですか?」

「……まあね。そんなに迷惑がかかってるわけじゃないけど、まったく何がしたいのか分からないから、気味は悪いわ」


 わたしは自分の口元が微かに笑うのが分かった。中井さんも、店長もこの事件を気味悪がっている。なら、十分だ。


「桜井、あんた、何笑ってるの?」


 怪訝そうな中井さんの声。わたしは慌てて、すいません、と笑いをうち消した。

 もうすぐで十字路に出る。駅に行くには右に曲がるのだけど、中井さんは家がこの辺りにあって、そこに行くには左に曲がらなければいけない。短いけれど、そこでお別れと相成る。

 その前に、言っておこう。わたしはそう思った。


「中井さん」

「何?」

「わたし、もう大学は合格しました。めちゃくちゃ暇ってわけでもないけど、時間はあるほうです」


 中井さんがふたたび、何言ってんだこいつ、という顔をした。


「ですから、わたしに任せてください」

「だから、何を? ――ってまさか、あんた」


 わたしが次に継ぐ言葉が分かった中井さんは、目を大きくして、穴が開くほどわたしを見つめた。はい、とわたしは頷く。


 この二日間、お店の前に置きざられていた、ぬいぐるみとその他の品々。単なる嫌がらせではないと思う。それがしたいんなら、頭のとれたぬいぐるみだけで効果はてきめんだ。なのにどういうわけか犯人は色々とオプションをつけている。これらにはきっと、何らかの意味があるはずだ。

 犯人は、なぜこんなことをしたのか。置いていかれた物たちには、どんな意味があるのか。そして、犯人はいったいどんな人物なのか。それが分からないから、店長や中井さん、それにきっと、その他大勢の従業員は、得体の知れない気味悪さにおののいている。


 なら、話は簡単だ。わたしには時間がある。幸いにして、大学からの課題も届いていない。だから、これは当然の帰結だ。


「お店の皆が安心して仕事ができるように、この事件の謎を――わたしが解いてみせます」

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