1.小夜と茜(5)
小夜が妖と共に森の奥へと消える少し前のこと。茜もまた何となく寝付けぬまま布団の中で何度も寝返りを打っていた。喉が渇いたので台所に行きコップに水を注いで一気に飲み干す。都会で飲む水よりもずっと美味しく感じた。祖母の部屋にまだ明かりが燈っているのを見て「お祖母ちゃん?」と声をかけ襖を開ける。
「まぁだ起きてたのかい」
祖母は繕い物をしていた手を止め咎めるような視線を孫娘に向けた。
「うん、なんか眠れなくて」
茜はそう言って祖母の前に座り込む。
「こらこら、子供がこんな時間まで起きてちゃダメでしょ。お義父さんが迎えに来るまでいい子にしてないと」
(お義父さんが迎えに来る)
この言葉に茜は顔を引き攣らせる。茜の父は二年前に亡くなった。今の父は本当の父ではない。
――茜はきっと将来別嬪さんになるぞ。女の子は髪が命って言うからな。これを使いなさい。
父は亡くなる直前、そう言って小学生になったばかりの茜に柘植の櫛をプレゼントしてくれた。茜にとっての宝物。昼間小夜に奪われてしまったあの櫛。
(やっぱり小夜ちゃんに返してもらおう)
茜は小夜に大切な宝物を渡してしまったことをひどく後悔していた。俯く茜に祖母は怪訝そうな視線を送る。
「ほら、何やってんの。ははぁ、家が恋しくなったんだね。大丈夫だよ、お義父さん来週には迎えに来るから」
「私、帰りたくないな」
ぽつりとそう漏らす孫娘に祖母は吐き捨てるように言った。
「何言ってんの。冗談じゃないよ。こっちは年寄りひとり、あんたの面倒をみるのだって大変なんだから。ったく美紀には困ったもんだよ。前の亭主は体が悪くてすぐにおっちんじまうし。新しい男ができたらできたで厄介払いとばかりに子供を押し付けて」
美紀というのは祖母の娘で茜の母親だ。父が亡くなってすぐに再婚すると言い出した母。それを聞いた時は耳を疑った。両親の仲があまりよくないことに薄々勘付いてはいたが。
「でもお義父さんは……」
そこから先は言えなかった。
(ヘンな目で私のこと見るの。たまに体を触ってきたり)
祖母は「さっさと寝なさい」と言い再び繕い物を始める。嫌なことを忘れようと茜は無理矢理話題を変えた。
「ねぇお祖母ちゃん、山で妖のお祭りがあるって本当? 小夜ちゃんがね、そこに行って妖の仲間にしてもらうんだって言うの」
すると祖母は繕い物の手を止め再び茜の顔を見た。
「小夜ちゃんって中山さん家の小夜ちゃんかい? あの子も困ったもんだねぇ」
祖母は小馬鹿にしたように笑う。
「あんなのただの作り話よね? 手鞠唄に出てくるだけの……」
「さあね。昔はこの辺りでも神隠しに遭う子供が結構いたらしいから、妖怪どもに食われちまったのもいたかもねぇ」
青ざめる茜を見て祖母は意地悪な笑みを浮かべる。
「そうそう、あの手鞠歌には子供たちは知らない続きがあんだよ」
「続き?」
祖母は繕い物をしながらしゃがれた声で歌い出す。手鞠歌を最後まで聞き終わった茜は顔色を失った。「ほら、もう寝な」と言われふらふらと立ち上がり寝室に向かう。
(明日小夜ちゃんに教えてあげなくちゃ。妖祭りなんかに行っちゃダメって)
眠りに落ちる寸前、山の奥からお囃子の音が聞こえたような気がした。