1.小夜と茜(2)
「いやぁ、助かりしまた。一時はどうなることかと思いましたよ」
それからほどなくして小夜の家にやって来たのは狸の置物みたいな太った中年男と河童のように痩せぎすの老人だった。二人は親子で法事のため田舎に向かう途中今回の土砂災害で立ち往生をくらったのだという。都会のキラキラとした話を聞こうと心待ちにしていた小夜はがっかりした。
(綺麗なお姉さんとか、かっこいい男の人とかだったらよかったのに)
その晩、二人は小夜の家に泊まることになり夜にはささやかな宴が開かれた。一晩厄介になるのだから、と男たちが差し出した謝礼は十分なものだったらしく両親は喜んでご馳走を振舞ったのだ。
(つまんない)
二人の客は村の男たちと何ら変わりなかった。酒を飲み大声で笑い、調子っ外れな歌をがなり立てる。当然子供たちは早く寝ちまいな、と部屋から追い出された。
(何よ、子供だからっていつも仲間外れにして)
兄や姉は早々に寝息を立て始めたが小夜はどうしても眠ることができず裏口からそっと表に出た。いつの間にか雨はすっかり上がり見上げれば満天の星。ぼうっと夜空を眺めていると突然「おや?」と声をかけられ飛び上がった。
「すまない、すまない、驚かせちまったかな。ちょいと酔いを覚まそうと思ってね」
振り向くとそこには年老いた方の客人が立っていた。真っ赤な顔をして小夜を見下ろしている。
「こんな夜更けにどうしたんだい? ああ、おじちゃんたちがうるさくて眠れなかったのか。すまないね」
小夜は「別に」と首を横に振る。すると彼は空を見上げて言った。
「ああ、こりゃすごい星だ。都会じゃお目にかかれないねぇ」
都会、という言葉が小夜を惹きつける。
「ねぇ、都会ってどんなとこなの?」
老人の皺だらけの顔を見上げて聞いた。
「ん? お嬢ちゃんは都会に興味があるのかい?」
「うん。こんなとこつまんない。なぁんにもないし。小夜も都会に行きたい。都会に行ってかわいいお洋服を着ておいしいものを食べるの」
ふぉふぉふぉ、と老人は笑い首を横に振る。
「都会なんてそんなにいいもんじゃないよ。ここの方がずっといい。空気も綺麗だし心が落ち着く。うん、ずっといいよ」
しみじみと言う老人に小夜は頬を膨らませ「ちっともよくない」と抗議した。
(茜ちゃんもよくそんなこと言ってる。みんなおかしいんだ)
茜ちゃんというのは夏休みに入って香月の家に遊びに来ている同い年の女の子だ。あの家の孫らしいが都心に住んでおり、彼女の着ているものは垢抜けていて如何にも都会の少女という雰囲気を漂わせている。そんな彼女に小夜は憧憬と嫉妬を抱いていた。だから仲良くしつつも時折意地悪をしてしまう。それでも茜は同年代の小夜と遊ぶのを楽しみにしているようで嫌な顔ひとつしなかったし、小夜は小夜でその激しい気性から村でも浮いた存在だったので自然と二人は一緒に行動することが多くなっていた。茜はよく「街に戻るの嫌だな、ずっとここがいい」なんて言っている。小夜には全く理解できなかった。
「こんなとこがいいなんておかしいよ。私は早く出て行きたい」
「ほぉ。ではここから出てどこへ行くんだい?」
老人は夜空を見上げながら小夜に尋ねる。
「どこって……。ここじゃないとこならどこでもいい。ねぇ、都会の話をしてよ」
「都会の話、か。そうさねぇ」
老人はしばし考え込むような仕草をした後「化物どもが住むところ、かな」と呟いた。
「化物?」
小夜が眉を顰めると老人は笑う。
「都会は人が多い。もちろん良い人もたくさんいるが悪いヤツも多いんだ。毎日いろんな事件が起こる。子供が攫われたり、大きな事故が起きたり。それでもお前さんは行きたいと思うかい? 都会に巣くう化物が怖いとは思わないかい?」
いつの間にか老人はじっと小夜を見つめていた。ここらに街灯などあるはずもなく家から漏れ出る明かり以外二人を照らすのは煌々と光る月と夜空に輝く星々のみ。薄明りにぼんやりと浮かび上がる老人の顔は何だか妖怪じみて見えた。
「私、化物なんて怖くないもん。それに、ここらにだって化物はいるんだ。妖ってやつが」
「へぇ、妖かい。まぁ確かにこんな山深くになら妙なものがいてもおかしくはないかもしれんのぉ」
「でね、妖たちはお祭りをするの。妖たちの妖祭り。ああ、行ってみたいなぁ」
老人は薄く笑いながら首を傾げる。
「妖どもの祭に行きたいとな。お嬢ちゃんみたいな人間の子供がそんなとこに行ったら取って食われちまうぞぉ」
小夜はキッと老人を睨み付け「そんなことないもん」と首を横に振った。
「都会に行けないなら私、妖の仲間にしてもらうんだ。そこで毎日お祭りして過ごすの」
「妖たちのお祭りかぁ。そんなものが本当にあったら楽しいだろうねぇ」
「あるよ、だって手鞠歌にも出てくるし」
懐疑的な老人を見上げ小夜はこの土地に伝わる手鞠歌を小さな声で歌い始めた。老人はその瞳に不思議な光を浮かべ小夜の歌に耳を傾けている。
星降る夜に耳澄ます
聞こえてくるよ、お囃子が
あれは祭りだ、妖祭り
妖どものお祭りだ
祭りの明かりが見えてくる
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いつ、むぅ、なな……
歌が終わると老人は満足気に何度も頷いた。
「上手い、上手い」
小夜は頬を紅潮させてまくしたてる。
「うん、私やっぱり妖を探しに行く。で、妖の仲間にしてもらうんだ」
老人は黙って小夜のおかっぱ頭を見下ろしていたかと思うと急に興味を失かったように「さぁそろそろ寝よう」と家の中に入っていった。小夜も仕方なくその後に続く。
翌朝、子供たちだけでなくいつもは早起きの両親までもが珍しく遅く起きた。母が慌てて客間を覗くが客人たちの姿はもうない。
「あらやだ。寝てる間に出ていっちまったよ。ほらお父さん起きて」
寝ぼけまなこで母が父を揺り起こす。
「おお、もうお天道さんがあんな高いじゃねぇか。ちと昨日は飲み過ぎたかな」
ちゃぶ台の上には昨日飲んだ酒の瓶が転がっている。煙のように消えてしまった昨日の二人組。母が首を傾げる。
「急にひゅるりと消えちまって。なんか狸か狐にでも化かされたみたいだねぇ」
確かに妖怪じみた二人組だった。だが彼らが置いていった謝礼の紙幣が葉っぱに変わることもなく「ま、先を急いでたんだろ」という父の言葉で家族は日常を取り戻した。