1.小夜と茜(1)
昭和四十六年。人々の暮らしがどんどん豊かになっていった時代。だがそれは都会の話。テレビすらろくに普及していないこの村には何の関係もなかった。小夜の家にも無論テレビなどなく、村長の家で見た時はいったいどんな仕掛けになっているのだろうと驚いたものだ。
その日の夜半、シゲ婆の言うとおり雨が降り出した。轟々と音を立て降り続ける雨。屋根が崩れ落ちてくるんじゃないかという恐怖で小夜はなかなか寝付かれなかった。朝になっても雨は止む気配がなく「こんなんじゃ作物がやられちまう」と父は不機嫌そうに唸っている。こういう時は静かにしているに限る。小夜や大人しく宿題をして過ごした。午後になっても雨は止まない。村全体が溶けてしまいそうだ。
夕方になり母が食事の支度を始めた頃、外からバシャバシャと雨の中を走る足音が聞こえてきた。何だろうと思っているとギシギシと建付けの悪い玄関戸を開く音がする。こんな田舎で家の戸に鍵を掛ける習慣などあるはずもなく、皆用事がある時は勝手に入ってくる。
「いやぁ、ずいぶん濡れちまったよ」
やってきたのは二軒隣に住んでいる老婆で名を美津という。美津は傘を畳み、犬のように頭をぶるぶると振り水滴を落とした。おかげで玄関は水浸しだ。
「はいはい、どうしたんですかいこんな雨の中。やだねぇ、水浸しじゃない」
母は軽く眉を顰めて美津を見るが当の本人は全く気にする様子もない。
「いやぁ、すごい雨だねぇ。まったくイヤんなるよ」
そう言って手に持っていたタオルで服についた水滴を拭いていた。
「で、何かあったのかいお美津さん?」
「いやね、この雨で国道にでっかい岩が落ちてきて車が何台か立ち往生しちまってんのさ」
「へぇ、そりゃまた気の毒なこったねぇ」
まるで他人事の母を見て美津は苦笑する。
「そうなんだよ。それで村長がね」
村長という言葉を聞いた途端母が眉間に皺を寄せた。村長の伍平という男はすぐ厄介事に首を突っ込みたがるという悪癖の持ち主だ。
「またろくでもないこと言い出したのかい?」
「いや、まぁろくでもないことってわけでもないんよ。今回は人助けさね。この村には宿なんかねぇからさ、車に乗ってた連中を家で休ませてやってほしいって」
そういうことなら、と母は頷いた。
(外の人が来る?!)
大人たちの話をこっそり聞いていた小夜は途端に心躍らせた。この閉鎖的な村に外から人がやってくるなんてことは滅多にない。
(どんな人が来るんだろ、どんな話をしてくれるんだろ?)
本当は母のところに走って行って詳しく話を聞きたかったがそんなことをしようものなら「子供が大人の話に口を出すんじゃないよっ」と怒鳴られるのが関の山だ。小夜は黙って客人の訪れを待つことにした。