第九話 運命の再来
最終話です。
宿泊学習も今日で最終日。
俺達は各自荷物をまとめたあと、宿の駐車場に集合していた。
最初は好きな人とグループが組めない制約があり、不満の声で耐えなかったこの行事。
だが最終日を迎えると、手のひらを返したかのように評価が変わっていた。
「今日で終わりか~……」
「なんかあっという間だったね」
「もっとみんなと楽しみたいー!」
楽しい時間はあっという間。だからこそ、もっとみんなと過ごしたいという不満の声。
この不満の声は行事の目的である親睦を深めるという意味では成果が出ていると捉えられる。
それもそうか。
同じチームで競技に取り組み、共に食卓を囲み、部屋で雑談を交わす。
どれも親睦を深めるには効果的な内容だ。普通にこなしていけば成果は出るはず。
俺みたいに親睦を深めることに一ミリも興味を持たず、ただ仕方なくイベントをこなしていくだけの人にはその目的は達成し辛いことだろう。いや、達成する気がないから達成するつもりもないと言うべきか。
なにはともあれ、各グループで整列しているこの段階でほとんどの人が楽しそうに盛り上がっているのだから、先生達もそれを見て喜ばしく感じていることだと思う。
「ではこれより、宿泊学習最後の行事に進みたいと思います!」
主任が一歩前に進み、説明を始める。
「これから行うのは各グループによる自由行動です。お土産を買いに行ったり、観光しに行ったりと好きに行動してもらってかまいません」
義務教育で生活を縛られ続けてきた学生にとって、自由行動という言葉はなんとも言いがた良い響きがあるものだ。その証拠に生徒ひとりひとりのテンションが上がりつつある。
「ただし条件があります! ひとつ目は必ずグループで行動すること。ふたつ目は14時までにここへ戻ってくること」
現在の時刻は8時30分。つまり5時間30分の自由行動が設けられているわけか。
「以上のふたつが条件です。他に質問のあるかたはいますでしょうか?」
特に複雑な条件ではなかったため、誰も質問することはない。
「いないようなので、いまから自由行動を開始したいと思います。どこに向かうのかはグループで話し合って決めるように。以上!」
説明を終えると、各グループが話し合いで賑わい始める。
「さて、僕たちもどこへ向かおうか」
「そうですね。スマホで調べた限りですと、宿の出入り口を左に向かえば寺や神社などの世界遺産。右に向かえば飲食店やお土産などが豊富な繁華街となるそうですね。どちらも到着まで徒歩30分ほどです」
「30分も歩くのか!?」
「スマホにはそう表示されていますね」
「……おいおい。普通に歩くよりバスとか使って向かったほうがいいんじゃないか?」
「この辺だとバス停はないです」
「なにぃ!? じゃあ歩く以外に方法はないってことか!?」
「そうなりますね」
恐らくはそれを見越しての自由行動。この宿を選んだのも、自由行動の時間が比較的多めに設けられているのも、全ては親睦を深めるきっかけを作りやすくするため。
「……くっ、ならやむをえんな。選択はふたつにひとつ。ここは多数決で決めるのはどうだ?」
「僕はかまわないですけど」
一緒に聞いていたグループのメンバーにチラッと視線を向ける。
「俺はどっちでも」
「同じく」
男子ふたりに続き、アレクサンダーが答える。
「ミーは世界遺産に一票だねェ」
ここまでどちらでもいい流れであったがここで断ち切られた。
「同じ世界遺産として、是非一度拝んでみたい」
ちょっとなに言ってるか分からないが、とりあえず世界遺産を見たいということだけは伝わった。
「僕は繁華街に一票だ」
メガネをクイッと上げながら呟いたのは影山。
「普通に腹が減っている」
それはただ飯を食いたいだけじゃないのか……? まぁ確かに、朝ごはんは食べていないから腹が減っているのは共感できる。
この自由行動で各グループ食事を済ませろということか。
「世界遺産側のルートで途中コンビニがありますね」
地図を開いたスマホを影山に見せる。
「バッカモーン!! ここまで来てなぜコンビニで済ませないといけない!? どうせ食べるならここでしか食べられない物を食べるべきだろ!」
なぜ波平の口調で怒りをあらわにする必要があるのかはさておき、その気持ちは理解できる。
「オー、なにを言うミスター影山。コンビニの商品だって十分デリシャスじゃないかァ。それじゃあダメなのかいィ?」
「ああ、ダメだ! 僕はここでしか食べられない繁華街に一票! 揺るぐことはない!」
世界遺産と繁華街の譲らぬ戦いが密かに勃発しているなか、他のいくつかのグループは意見が一致したのか宿の出入り口へと向かって行く。
このままじゃ俺達のグループだけ出遅れてしまう。なによりこのまま話し合いだけで時間を潰してしまうのが非常にもったいない。
「あら、あなた達。まだ決まってないの?」
どうしたらいいのか困っていると、横から桜坂に声を掛けられる。後ろには当然澪などの同じグループのメンバーもいた。
「はい。見ての通り」
アレクサンダーと影山の対峙している姿を手で誘導。
「そう。大変ね」
「他人事だと思って……。そういう桜坂さんは決まったのですか?」
「ええ。私達は世界遺産を見ることにしたわ」
「!!」
俺達の会話を盗み聞きしていた影山が瞬時にこちらへと反応。
「最初はお腹空いているから繁華街に行こうかって意見も出たんだけど、途中にあるコンビニで済ませようってなったわ」
「へー、団結力があっていいですね。こっちなんて」
「桜坂さん奇遇ですね! 僕も世界遺産に興味があるんですよ!」
「えっ、そ、そう……!」
俺と桜坂の間に強引に割り込んできた影山は、目をキラキラと輝かせている。お前繁華街側だったろうに。
「はい! もはや桜坂さんが世界遺産みたいなものですが、是非僕もご同行させてください!」
(おいおい。なにを勝手に話進めちゃってんの?)
「私は構わないけれど……。みんなは?」
「アタシはいいよ」
なぜかこちらをチラッと見てきた澪。他の女子もOKと頷いてくれた。
「ミーも賛成だねェ。男だけよりもビューティフルガールズがいたほうがより楽しめるってものさァ」
男が内心思っていることを代弁してくれたかのように語るアレクサンダー。心なしか、他の男子ふたりも内心嬉しそうに頬が緩んでいる。この流れはもう決まりだな。
「では、せっかくですので一緒に回りましょうか」
「ええ。そうしましょう。人数は多いほうが盛り上がるしね」
なんやかんやで、俺達は自由行動を共にすることになった。
昨日から同じになることが多い俺達のグループ。
これもまた、なにかの縁なのだろうか。なんだかもどかしい。
「よしっ! それでは行くぞ貴様達! 僕に、いや、僕と桜坂さんに付いて来るがいい!!」
青空に向かってガッツポーズを掲げる影山の姿は、まさしくリーダーに相応しい熱量が感じ取れた。
(テンション高いな……。そんなに桜坂と一緒になれたことが嬉しいのか)
……きっと、1年前の俺だったらあそこまではいかなくとも、あれぐらいの勢いに近い喜びは感じられたのだろうな。
でも、いまはなにも感じない。それは桜坂も同じ気持ちのはず。
なのに、この違和感はなんだ?
どうしてわざわざ俺なんかがいるグループと連むような真似をしてくる?
(全く理解できん……)
まぁ、一緒に回るとはいえ隣に並ぶ必要はない。
わざと桜坂のいる位置から遠い位置へと移動すればいいだけのこと。
こんなことを考えている時点で自由行動が自由行動じゃなくなっている窮屈さも感じるが、致し方ない。
できるならば、俺だけ単独行動を取らせて頂きたいものだ。
★
競技に続き自由行動も一緒となった俺達の男女グループは、世界遺産ルートに決まったため、宿を出た左側へと進んで行く。
桜坂と影山が先頭を切って歩くこと20分。影山はなぜか最後尾を歩いていた俺の元へやって来た。
「ぜぇ、ぜぇ……よぉ、九条……っ」
「めちゃくちゃ息切れしているじゃないですか。どうしました? 酸欠ですか?」
「……フッ。な~に、お前がひとり寂しそうに歩いているから仕方なく来てやったのさ」
「そうでしたか。では失礼します」
俺は影山を置いて先に向かう。
「ちょ、まっ! おい九条ッ!!」
手を伸ばし、俺を引き戻そうとしてきた影山がかわいそうに見えてしまい、仕方なく戻る。
「……なんですか?」
「ここの道、かなり急じゃないか!?」
「あ~、まぁそうですね」
見た感じ20度ってところか。
「こんなの登り続けていたら……死ぬぞ!?」
「死にません。ていうか、影山さんの体力が無さ過ぎるだけでは?」
「うっ!」
「図星ですか……」
両膝に手を置き、息を整える影山。
「おーい、大丈夫~?」
俺の前を歩いていた澪もこちらへと向かう。
「もしかして、脱水症状?」
「いや、この心臓破りの坂に体力を奪われただけのようだ」
「大丈夫? 先生呼ぼっか?」
「いいや大丈夫! 気にしないでくれ!」
スマホを取り出そうとする澪に影山が手で制す。
先生を呼びたくないのはそこまでする状態ではないというのもあるのだろうが、一番の理由は桜坂にダサい姿を見せたくないってところか。
さっき最後尾の俺に近付いて来たのもそういう理由で表面を繕っていたに違いない。そのことを桜坂にも伝えて。
「澪、ひとまずみんなと先に行っててくれ。俺と影山はあとから合流する」
「え、でも先生からグループで行動するようにって……」
「あれは別々に行動するのがダメなのであって、先で待機している分なら問題ないはずだ。別々で行動するわけじゃないし、それにあと10分そこらで着くはずだしな」
「分かった。みんなにはそう伝えておくね」
「ありがとう」
澪はみんなの元へ駆け足で坂を登って行く。その姿を見た影山は驚きに満ちていた。
「あの女……化け物かッ!?」
「影山さんの体力が無さ過ぎるだけなのでご安心を」
「ううぅ!」
さっきから傷ついている反応を見せるあたり自覚はあるようだな。
「それにしても、影山さんがそこまで体力が無いなんて思わなかったです」
「……運動は、昔から得意ではないな」
それは二人三脚でも感じたこと。あのやけに異常な腿上げ。通称モモ神は運動が得意でない証拠。
「体育の成績はいつも2ばっかりだし、持久走も決まって最下位……。運動なんてこの世から消えてしまえばいい」
「そこまで言いますか。てか生物としての終わりですよ、それ」
「だってそうだろぉ!? 体力テストや運動会なんてあんなの晒し行事じゃん!! 恥を掻かせたいだけじゃん!! もはや学校からのいじめじゃん!!」
「ちょっ、落ち着いてください!」
俺の肩を強く揺さぶる影山。その力には過去の苦い思い出が込められていそうだった。
「学校の体育なんて、運動ができる奴を輝かせるだけのクソイベだと思わないか!? 僕のように運動ができない奴は所詮、そいつらをより輝かせるための脇役でしかない……」
そこまで饒舌になるということは、それだけ過去に辛い想いをしてきたのだろう。
なんだか影山に同情心のようなものが芽生え、話を聞いてあげたい気持ちにさせられる。
「でも、お前には分からないか。運動できそうだもんな」
なにを根拠に言っているのだろうと思ったが、温泉での一件によるものか。
あのときアレクサンダーにボディを褒められた俺とは対照的に、影山はキツイ指摘の言葉を浴びせられた。
運動が苦手の影山にとって、体への指摘はさぞ効いたことだろう。
あのときアレクサンダーに噛み付くような勢いを見せたのは過去の記憶がそうさせたのか。
「そんなことないですよ」
「嘘つけぇ! あんなに体を鍛えている奴が苦手なわけなかろう!」
体が鍛えられているのと運動が苦手なことに相関関係があるのか疑問なところではあるが、運動自体は苦手ではない。
「まぁ俺のことはいいじゃないですか。桜坂さんは運動が苦手な男子をダサいと思ってないし、運動ができることが彼氏の条件とも言ってませんでしたよ?」
「……ちょっと待て。なんでお前がそんなことを知っている?」
「あ」
影山への同情心が拭えず、思わず流れで言ってしまった。
たった1年間の付き合いとは言え、桜坂のアホが移ったか?
「お前、やっぱり桜坂さんとなにかあるだろう!」
「なにが、とは?」
「例えば中学三年生のとき、なにか深い関係があったりとか!」
「……深い関係」
桜坂のやつ、昨日影山になにか言いやがったな!?
さっきの俺みたいにポロっと口にしてしまったか。それとも限られた材料の中で影山自身が導き出したか。
中学三年生、深い関係。
これらをピンポイントで聞いてくるということは、桜坂が口にしたとしか考えられない。
このふたつの判断材料があるだけで、俺達の関係の真相に辿り着くのも時間の問題。
もういっそのこと正直に明かすか。それとも抵抗して嘘を貫き通すか。
「……そうですね。ないと言えば嘘になります」
「ッ!!」
『ただの腐れ縁よ』
影山はなにか思い当たる節を思い出したようだ。
「やはり、なにか関係があるんだな……!?」
「……はい」
「この際だから言わせてもらう。僕はお前と桜坂さんが入学式の日にふたりで写真を撮ったところを目撃したと一度伝えたよな?」
「そうですね。トイレで初めて会ったときですよね」
「ああ。あのときお前は、桜坂とはただのクラスメイトで恋人ではないと言った。それも覚えているか?」
「はい」
桜坂に関係することなら、俺の脳が嫌でも記憶に残そうとするからな。
「僕いま、お前達の関係を謎だと感じている。深い関係があり、ただのクラスメイト、そして恋人ではない。なのにふたりで恋人のように写真を撮る。こんな支離滅裂の関係をどう説明する!?」
「そんなこと言われましても……」
元はと言えば、全部桜坂が原因でこのような状況に陥っている。
俺は学校生活をひとりで優雅に過ごすはずだった。学校の時間を全て自己研鑽に励むつもりだった。
だがあいつがそれを妨害するかのように、執拗に絡んでくるんだ。
あいつが俺に絡んで来なければ、周りから関係性について詮索されることもなかったはずなんだ。
いまのこの状況を呼び起こしたのも、全部あいつが原因。
俺がポロっと言ってしまった部分もあるが、それはそのような話題を振られる状況を作り出した桜坂に原因がある。
元恋人関係だという事実を隠したいのであれば、いくらでも誤魔化せる方法はあったはず。
それを天然桜がポロっと口にしたのが全ての元凶の始まり。それを起点にどんどん話を展開させていった結果、いまに至っている。
だから影山の主張にはとても共感ができる部分がある。
そんな支離滅裂な関係を作り上げた桜坂に、俺としても是非お話を伺いたいものだ。
「僕から言えることはなにもありません。聞きたいことがあるなら桜坂さんに聞いてください」
そのときだった。
登って来た道のほうから、耳を塞がりたくなるほどのバイク音が鳴り響く。
地面まで響くような騒音に、俺と影山はとっさに両耳を抑える。
「うるせーッ!! なんだ一体!? 暴走族か!?」
(この音、昨日の夜に聞いた音と似ているな……)
妙に胸騒ぎがする。
「!!」
遠くからこちらへと向かって来るのは、影山の予想通り暴走族。
そこには10台ほどの大型二輪車に乗った集団が。
荷台の辺りには日の丸が描かれた旗を飾り付けているバイクもあり、服装は短ランに長ランが目立つ。
さらには大多数が胸元を全開にして服を着こなしているワイルドな乗りこなし。
バイクで当たる風が爽快で気持ちいのか知らないが、明らかに道路交通法違反なので褒められたことじゃない。
「んん? おいっ、見つけたぞ!!」
先頭を走っていた族のリーダーと思われる男性が、後ろを走る仲間に大声で叫ぶ。
すると、なぜか俺達の前で停止し始めた。まるで獲物を捕らえた猛獣かのように、ドリフトをかましながら俺達を覆い囲んだ。
近くで聴くと、より一層バイクのエンジン音が耳に響く。改造しているからか知らないが、エンジン音が心臓部分にも響くほどにうるさい。
「よぉ。俺のこと覚えているか?」
「あなたは……」
俺に威嚇するかのように一歩詰め寄って来たのは族のリーダー格。
そいつは以前、クラス会に乱入してきた北高の男。
––––––鬼塚だった。
堅いがよく、強面なその姿だけでオーラが凄まじいのに、ばつ印の入った丸刈りによっていかつい雰囲気がより一層引き立っている。
普通の人なら恐怖に怯えて尻餅ついて逃げ出すことだろう。
「ククッ。どうやらその感じだと、ちゃんと覚えているようだな」
「もちろんですよ」
みんなの楽しみをぶち壊した連中の顔を忘れるわけがない。
「なんだ、今日は栞ちゃんと一緒じゃないのか?」
「答える義理はありません」
「ククッ。そう警戒するなよ。ただ聞いただけじゃねぇか」
「……」
「それともなんだ? いくらフラれたとはいえ、やっぱ栞ちゃんのことがいまも好きなのか? 元彼の九条ちゃんよぉ」
「……九条、お前……やっぱり付き合っていたのか……!? 桜坂さんとっ!」
鬼塚の余計な挑発を聞いて、影山も合点が付いてしまったようだ。
だが俺は答えない。
いまは鬼塚の行動に目を見張らないとなにをされるか分からない。
「ほら、お友達が聞いているぜ? 答えてやれよ」
「そんなの学校に帰ってからでも答えますよ」
「帰ったら、ねぇ?」
意味深にニヤリと口角をあげ始める鬼塚。
悪人にぴったりなほどに悪い顔をしている。
「もし帰さねぇと言ったら……どうする?」
それを合図に、他の族の連中がバイクから降り、一歩二歩と詰め寄って来た。
その足音にビクッと怯んでしまった影山は、慌ててスマホを取り出す。
「お、お前達! それ以上ふざけると先生を呼ぶぞ!?」
「いいぜ? やってみな?」
先生を呼ぶという脅しをかけたみたものの、逆に脅される立場になってしまった影山。
本当に電話をかけていいのか。もし電話をかけたらなにかされるんじゃないか。
そんな恐怖心から来る迷いが、影山の判断を鈍らせる。
「影山さん」
「な、なんだよ!?」
「電話はしなくていいです」
「ぅあ、え?」
「そのスマホには、あなたの大切な人の連絡先が入っているでしょ?」
昨日影山は桜坂を呼び出し、連絡先を交換しに行った。
ならそのスマホの危険が犯される行為は避けたほうがいい。
この距離……。こいつらはすでに間合いに入っている。
「九条……」
なんだか惚れたような顔を見せる影山。
「いや、桜坂さんとは連絡先交換しなかったぞ?」
「えっ? あれなんで? 昨日交換しに行ったんじゃないんですか?」
「色々あってな。交換するのはもう少し先にすることにした」
「あ、そうだったんですね……」
てっきり連絡先を交換したものかと思っていたから、さっきのセリフが恥ずかしくなってきた。
なにがあったのか知らないが、影山がそう判断したのなら俺から言うことはなにもない。
「いいのか~? 大好きな先生を助けに呼ばなくて」
「どうせ呼ぼうとしてもあなた達がそうさせない。そうでしょう?」
「ククッ。さぁどうだが」
曖昧な時点でその線もあるって言っているようなもの。
「でも安心してください。こっちは鼻から先生を呼ぶつもりはありません」
「前に会ったときから思っていたことだが、相変わらず虚勢を張るのだけは上手だな、オメェ」
「虚勢? これが虚勢に見えたのならあなたの目は節穴ですね」
「あ?」
「先生を呼ぶほどのレベルじゃないってことですよ」
「バカッお前! なに言って……!」
「あなた達程度なら、僕ひとりで十分だ」
「……ククッ、クククッ……ダァーハッハッハッッ!! こいつぁおもしれぇ! 俺達相手にひとりで勝つつもりかよ!?」
「お前みたいなヒョロヒョロな奴が俺達に勝てるわけねぇだろ!! 雑魚がァァッ!」
「鬼塚さん、ここは俺にやらせてくださいませんか? こんな奴相手に鬼塚さんが手を汚す必要はありません!」
「おお、いいぜ。なら練習相手になってもらえ」
俺の前にスッと横から現れたのは鬼塚と比べてひとまわり小さい男。
それでも堅いがいいことには変わりなく、シュッとした体からはちゃんとみっちり鍛え上げられているのが感じ取れる。
「北高では毎年新入生だけで喧嘩を競い合うイベントがあってなぁ。こいつはその中でも10位の実力者だ。100人中な」
(北高一年生の10位……)
「お前みたいなただの一般人には少々酷だが、舐め腐った態度を取った罰だ。しっかり制裁を受けてもらうぞ」
「へへっ。悪いな小僧。ちょっとばかし、痛い目を味わってもらうぜ!」
ポキポキと指を鳴らし始めると、握り拳を作る。
そしてその拳を振りかざして来るモーションへと入った。
「オラァッ!!」
俺はその拳を片手で受け止め、勢いを静止。
パシッと乾いた音が俺達を中心に鳴り響く。
「なっ!?」
「これが10位の実力ですか」
掴んだ拳を引き、溝に膝蹴りをかます。
その怯んだ隙に、顔を目掛けて拳を放った。
「ブッばあああ!!」
鬼塚に返すように10位をふっ飛ばして返す。
予想もしていなかったできごとに、この場にいる全員が驚きに満ちて場が静まり返っていた。
「一応加減はしておきました。鼻の骨が折れたりしたら慰謝料が大変なことになりますからね。ま、そんな法律にすがるような弱虫だとは思いませんが」
「九条……お前……っ!」
「影山さん、せっかくなので見ていてください。桜坂さんの隣に立つことが、どういうことなのかを」
俺は背中越しでそう伝える。影山から返事はなかったが、ひとまずイエスだという認識で捉える。
どのみちこの状況じゃ、否が応でも俺の姿を見ることになるしな。
「僕からひとつ提案があります」
地面に仰向けで倒れているのを心配そうに見つめている族らが、一斉に俺のほうへと顔を向ける。
「鬼塚さん、あなたが相手してください」
「……んだと?」
「恐らくこの中で一番強いのはあなたでしょ? そんなあなたを倒せば他のものとは戦うまでもない。どうでしょう。効率がいいと思いませんか?」
「ハッ! たかが10位を倒したぐらいで調子に乗ってんじゃねぇぞ雑魚がァッ!」
「雑魚かどうかは戦ってから決めてください」
鬼の形相を浮かべる鬼塚。名前にぴったりな強面だな。
相手が拳を構え始めたのでこちらも構える。
どうやら俺の意見を受け入れてくれたようだ。
お互い戦闘態勢に入り、ピリピリとした緊張な空気が漂い始める。
近づくことも、声を掛けることも許されない王者の領域。
実力が伴ったものしか踏み入れることができないリングに、ギャラリー達は自ずとふたりから距離を遠のけて傍観するしかない。
「お前、やっぱ肝が据わってるな」
「それはどうも」
「どうやら俺の見る目は正しいらしい」
「なんでもいいですから、早くかかってきてください」
「ほざけッ!!」
最初に動き出したのは鬼塚。勢いよく助走をつけたその走りと握り拳。
単純な殴りのモーション。
俺はその拳を容易く捉える。
「っ!?」
「……さすがですね。10位とは比較にならないほどの強さだ」
拳を受け止めた掌は、じんじんと火傷を負ったように熱い。受け止めた衝撃の痛みが肩まで伝わって来る。
「オメェこそ、俺の拳を真っ向から受け止めた奴なんて初めてだぜ」
お互い後方へと下がり、距離を置く。
いまの一連は挨拶がわり。ここからが本番だ。
とはいえ、周りに人が多くて動きづらいな。
できるなら周りを巻き込みない。ふたりだけにして欲しいところだが。
「おいテメェら、邪魔だからどっか行ってろ」
鬼塚が俺から目を逸らさずに言い出す。
「は、はいっ! 行くぞお前ら!」
族の2位と思われる男が仕切り出し、うるさいバイク音を鳴らしたあと、先へと進んで行った。
鬼塚が不在の以上、そいつが仕切ることになるのは当然のこと。
「影山さん、あなたも先にみんなと合流してください」
「だめだ!! なにを言っている!? お前ひとりで太刀打ちできるような相手じゃないだろ!?」
「できるから言っているんです。早く行ってください。あと、このことは内密にお願いします」
水陵高校の生徒が北高の生徒と喧嘩しているなんて知ったら、生徒指導や親の呼び出しなど面倒事が起こる。
「……いいや、やっぱりだめだ! ここは早く先生を呼んで」
スマホを取り出した影山の手を、俺は強く握りしめる。
「行けっているのが分からねぇのか?」
「ッッ!?」
「返事は?」
「は、はいぃ……っ!」
腰を抜かし、足腰から崩れるように尻餅をついてしまった影山。俺はそんな影山の手を引いて起き上がらせ、みんなの元へ無理やり行かせた。
それでいい。戦えない奴がこの場にいても、足手まといにしかならないからな。
「すみませんね。お時間を取らせてしまって」
「別にかまわねぇよ。だが聞き捨てならねぇことを聞いてしまったなぁ。ひとりで俺に太刀打ちできるとか……お前正気か?」
「どうでしょう。そればかりはやってみないと分からないのが正直な感想です」
「ククッ。その割には、負ける気など微塵も思っていなそうだがな。目がそう語っているぜ」
「虚勢を張っているだけかもしれません」
「……ハッ、ムカつく野郎だな。そのヘラヘラとした態度を二度と取れなくしてやるぜ」
鬼塚が顔の前に拳を持っていき、ボクシングの構えを取り始める。リズム良くステップも取り、素人から見ても経験者だと思わせられるほどに動きが様になっている。
拳も異様にゴツゴツしており、所々にかさぶたが剥がれ落ちたような跡も見受けられる。
「ククッ。気になるか? この傷跡が」
俺の心を読み透かしたように鬼塚は口を開く。
「これは、いままで殴り殺した」
「興味ないです」
「……あん?」
「あの、いい加減来るなら来るで早くしてもらっていいですか。人を待たせるのは好きじゃありませんので」
こうしている間にも、他のみんなは先で待っている。俺のせいでみんなの自由行動の時間を奪わせるわけにはいかない。
「はっ、そうかよッ!!」
目を剥き出し噛みつく勢いで襲いかかって来る鬼塚。しかしフォームは一切崩さない冷静さは保たれている。
俺との間合いを一気に詰め、右フックが飛んでくる。
「!」
俺は腰を下げ、かわす。
すかさず低姿勢のまま腹部分を狙った殴りへと入る。
「ッ!!」
見事に喰らわせることに成功。だが思った以上に、手応えはなかった。
「一撃で仕留めるはずが……硬いな」
「ヘッ。筋肉には自信があるんでな」
本来なら内蔵部分まで到達するはずの殴りが、想像以上に硬い腹筋により到達できなかった。
なんなら、殴ったこちらの拳がダメージを負っているようだ。
「どうやら口先だけの男じゃなかったようですね。見直しました」
「テメェこそ、中々いい動きをするじゃねぇか。なにか習っている動きだ」
「なにも習っていませんよ」
「つまんねぇ嘘をつくんじゃねぇ。俺には分かんだよ」
(経験則によるものか)
「そして、お前には悲しいお知らせだ」
ニヤリと不適な笑みを浮かべる。
「お前は俺には勝てねぇ」
「……」
「俺の攻撃を受け止め、一撃を喰らわせたことは褒めてやる。だがそこまでだ」
拳を喰らった自分の腹にトントンと親指を当てる。
「お前の攻撃は貧弱すぎる」
「……」
「喧嘩において最も大事なのは『力』だ。どんなに攻撃を受け止めようとも、相手に喰らわせようとも、力が貧弱すぎては相手を屈服させることはできない」
「確かにそうですね」
自分の攻撃力が相手の防御力より劣れば、ダメージが通らないのと同じ原理。
「お前の力では俺に届かない。勝負あったな、九条」
勝利を確信した鬼塚は、フィナーレと言わんばかりに首をコキコキと鳴らす。
「大層な口を開くもんだから、期待してみればこの程度か。興醒めだ」
「……」
「んじゃ、お望み通りすぐに終わらせてやるから、歯ァ食いしばれよ?」
「ハァ~~……」
俺は思わず、大きなため息をついてしまう。
「なんだ、びびって深呼吸か? 安心しろ。一発で済ませてやるから……オラァアアッ!!」
鬼塚がとどめと言わんばかりの渾身の拳を振りかざす。
「残念です。鬼塚さん」
俺はその拳をするりとかわし。
「あなたでは、俺には勝てない」
鬼塚の顔面に、渾身の拳をぶっ放した。
「ブッッッ!!」
吹っ飛ぶ鬼塚。受け身を取らずに這いつくばる姿から見て、気を失っているようだ。
本当は心が折れるまで相手をしてやりたいところだが、時間が限られている。
だからここは、すぐに終わらせるためにも急所を狙わせてもらった。
どんなに体を鍛え上げようとも、急所は鍛え上げることはできない。
そのことを鬼塚が理解していたのかは知らないが、今回の勝負は、負けは負けだ。
この敗戦をきっかけに今後俺に絡んで来ることは避けて欲しいところだな。
「わ~おっ♡」
下り坂の方から聞こえてきた感銘の声と拍手音。
振り向けばそこには、薄桃色の髪をしたツインテールの女性がいた。
俺と同じ学校の制服を着ており、見た限り彼女以外に人はいない。他のメンバーとはぐれてしまったのだろうか。
「すごいね! まさかあの鬼塚をひとりで倒しちゃうなんて」
「……君は?」
「音無姫花。見ての通り、同じ高校の1年生だよ。よろしくねー!」
「はい、よろしくお願いします……」
にぱーっと花が咲いたように無邪気で可愛らしい笑顔を見せる彼女だが、俺は直感でどこか不気味にも感じた。
「他の人は?」
「あー、気付いたらはぐれちゃった♡」
てへっと拳を頭に当て、うっかりと言わんばかりの天然女子を魅せる。
「それなら早く連絡した方がいいですよ。みんな心配しているだろうし」
「嫌ッ!!」
「なんで!?」
「だってみんな、姫から距離を置いている感じなんだもん。それなら姫はいないほうがいいと思わない?」
「……もしかして、わざと単独行動を?」
「ピンポーン!」
「……さっきはぐれたとか言っていなかったか?」
「あー、あれはそういう設定!」
「はぁ……」
つまりグループと一緒にいるのが嫌で、はぐれたという設定で単独行動をしているというわけか。
「なにがあったのか知りませんけど、やっぱり単独行動はまずいんじゃないですか? 一応グループで行動するよう言われていますし、先生に連絡されたりでもしたらそれこそ面倒なことになりかねませんよ?」
「それはないんじゃない? だってみんなだって姫がいないほうが好都合なわけだし」
「いや、それは分かりませんが」
俺はグループ内でなにがあったのか一ミリも知らない。
お互いがどう思っているのかも、予想も検討もしようがない。
俺がいま言えることは、学校のルールを違反している彼女に注意を促すことぐらいだ。
「でもさー、君だって姫と同じでひとりじゃん?」
「いや、僕はこの坂を登ったところで待ち合わせしているから、ギリセーフだと思う」
「な~んだ。単独行動しているわけじゃないんだ」
「それは、はい」
「君が姫と同じく単独行動していたなら一緒にデートしてあげても良かったんだけどなぁ」
「ご期待に添えず、申し訳ございません」
「あははっ! なにその丁寧な口調~。まるでビジネスマンじゃん!」
「あはは……」
「んじゃ、姫は先に行くね~」
俺に笑顔で手を振り、スキップしながら先に進んでいく彼女はまさに自由奔放。
ルールに縛られないその軽はずみな行動は、ちょっとだけ羨ましがっている自分がいた。
それと同時に、いま一番避けたい人物のようにも感じた。
「……うっ……」
地べたで横になっている鬼塚が唸り声をあげる。
俺は音無から鬼塚へと意識を変え、気を張る。
「目が覚めたようですね」
鬼塚は体を重たそうに起き上がらせ、俺と向き合う。
「ふぅ~。どうやら少し、寝ちまったようだな」
俺に殴られ意識が吹っ飛んだのが正しい解釈のはずだが。
まだ余裕そうな笑みを浮かべる鬼塚は、どうやらその事実を認めない方向らしい。
「さて、仕切り直しといこうか」
「もうやめましょう。今回はあなたの負けです」
「ククッ。なに勝手に勝敗を決めてんだよ。喧嘩ってのは、最後まで立っているほうが勝ちなんだぜ? まだ決着はついていねぇ」
「強がりはよしてください。僕の攻撃をかわせないあなたでは僕に勝つことはできません」
「ハッ! わざと喰らってやったのに随分と調子に乗っているようだなぁオイ!」
あの顔面の攻撃をわざと喰らっていたということに一瞬動揺するが、負け惜しみにも聞こえるのですぐに収まる。
「テメェのパンチの威力は認めてやる。だがもう喰らうことはねぇ。なぜだか分かるな?」
「…………」
「さぁ、今度は本気で殺り合おうぜ? 九条ッ!!」
「サンダーキィィィィィィッッック!!」
「!?」
突如、横から猛烈な飛び蹴りが鬼塚に炸裂。
ガードが少しだけ遅れた鬼塚は蹴りの勢いに耐えきれず、そのまま3メートルほど吹っ飛ばされた。
「あなたは……」
「だ、誰だテメェ!」
「世界で一番美しい男……アレクサンダー・ウィリアム! ナイストゥミートゥ! ミスターおにぎり」
決め台詞と共に、金髪オールバックの形を整えるアレクサダンー。
その登場の仕方はまるでヒーローみたいだ。
シュッとした顔立ちに毛穴ひとつない滑らかで美しい肌は、本当に世界で一番美しい男だと錯覚してしまうほどに説得力を感じられる。
鬼塚をおにぎりと呼んだのは頭の形から連想したのか。
名前の『おに』とも共通しているため、偶然だろうけど高得点を差し上げたい。
「アレクサンダーさん、どうしてここに?」
「ミスター影山から聞いたのさ。ユーがチンピラに絡まれているってね」
影山の奴、上手く表現を変えて伝えてくれたようだな。
それならこの状況も誤魔化すことができる。
「他のみんなは?」
「いまこっちに向かっているさァ。ミーはいち早くユーをヘルプするために、みんなを置いて先に到着したまで」
鬼塚に炸裂した飛び蹴りの勢いからして、それだけ全力疾走で来てくれたのだろう。
坂の上からはまだみんなの姿は見えない。
「ありがとうございます。おかげで助かりましたよ」
本当は助けなど必要なかったが、ここは装ったほうが良さそうだな。
「そうかいィ? 不思議とそんな風には感じないんだがねェ。もしかして、ミーの手助けは不要だったかな?」
「そんなことないですよ。本当に助かってます」
「ふむ。まぁそういうことにしておこうかねェ」
なにかを察しているような口ぶり。
俺が表面上繕っている嘘など通じていないのか。
「ごちゃごちゃとうるせぇぞ、ナルシスト野郎……ッ!」
鬼塚が鬼の形相でアレクサンダーを睨み付ける。
「これからいいところなんだ。邪魔すんならテメェもぶっ殺すぞ!」
「オー、随分と汚い言葉を使うじゃないかァ。美しさの欠けらもない」
鬼塚の気迫迫る言動にも全く動じない。
普通の人なら泣きながら逃げて行く所だが、普段の涼しげな顔を崩さず余裕のスマイルを浮かべているあたりさすがとしか言いようがない。
どうやら肉体だけではなく、精神までも強靭のようだ。
「キメェんだよ、男のくせしやがって。なにが美しいだ。俺に顔面怪我させられたくなけりゃあとっとと失せなッ!」
「おや? 聞き捨てならないねェ。美しさに性別は関係ない。むしろ清潔感があるほうが良いに決まっている。それに、ミスターおにぎりがミーに怪我を負わせるだって? ノーノーノー♪ もっと己を見つめ直してから言うんだねェ」
「テメェ……殺すッ!!」
「ふふっ。きたまえよ」
「待ちなさい!!」
「「「!」」」
坂の上から聞こえてくる女性の叫び声。
俺は顔を見なくともその声の正体が誰だかすぐに分かった。
「桜坂……」
「オー、ミス桜坂。ようやく来たようだねェ」
桜坂の他にも自由行動を共にした他のメンバーも一緒だった。
ただひとりを除いて……。
「ちょっとあなた達、なにしているの!? 喧嘩はダメよ!?」
朝比奈先生が後ろからずいっと現れ、俺達の間に割り込んでくる。
「んだオメェ……。こいつらのセンコーか?」
「そうよ! 教師として、これ以上騒ぎを起こすなら許さないよ!?」
スマホを取り出した朝比奈先生の画面には、110番が表示されている。
「ハッ。呼びたければ勝手に呼べよ。悪いのは先に手を出してきたそいつなんだからよ」
「えっ?」
「は?」
まさかの全ての原因を俺に押し付けてきた鬼塚。
「……本当なの? 九条くん」
「いえ違います。先に手を出してきたのは彼です。僕はその正当防衛として一撃を喰らわせたに過ぎません」
「それにしても、これはちょっとやり過ぎだよなぁ」
鬼塚は殴られた腹と頬、さらに顔を見るようアピール。
どれも見るからに赤く腫れており、痛々しさを感じさせる。
「あれは九条くんがやったの……?」
「……はい」
「そう……」
朝比奈先生が困ったように首をひねる。
両者の食い違いはあれど、俺達の殴り合いを最初から最後まで見ていたものはいないため、立証することはできない。
分かることがあるとすれば、俺が鬼塚を殴ったという事実だけ。
その点だけを見れば俺が悪い様に感じられることは確かだろう。
世の中は傷を負った側が守られるようにできている。
「分かりました。とりあえずこの件は不問にしたいと思います」
「おいおい、さっきの威勢はどうしたんだよ。警察を呼ぶんじゃなかったのかぁ? なんなら俺が呼んでやってもいいんだぜ?」
「っ。……この度は、うちの生徒が申し訳ございませんでした……」
「朝比奈先生!?」
鬼塚に深々と頭を下げ謝罪の言葉を告げる朝比奈先生。
まるで部下を庇う上司。いや、子供の代わりに責任を全て負う親のように見えた。
「へっ。なら口止め料として諭吉10枚で手を打ってやるぜ? センコー」
「なにか勘違いしているようだけど、あなたにも負い目があることを忘れないでね?」
「チッ」
「さ、これでおしまい。この件は一旦私が預かるわ。みんなは自由行動の続きを。あなたはどうするの?」
「……興醒めだ」
鬼塚が大型バイクに身を乗り出す。
相変わらず爆音でうるさいエンジン音を鳴らし、ブオンブオンとバブを周辺に鳴り響かせる。
「また会おうぜ、九条。そしてナルシスト野郎」
それだけ言い残し、鬼塚は物凄いスピードでこの場を去って行った。
その反動によるものか。この場はあまりにもしらけて不気味な余韻だけが残されていた。
「……終わった、ようだな」
ここに来てから一言も発していなかった影山が、ほっとしたような声をあげる。
「ていうかなにあいつ……! 感じ悪!」
みーちゃんも言い出せなかった不満をあらわにし始めた。
他のメンバーも漫画に出てきそうな族を見て不安そうに話をしている。どうやら恐怖で体が支配され気持ちを共感せずにはいられないでいるようだ。
「みんな、申し訳ございません。僕のせいでご迷惑をおかけしまして……」
俺はみんなに頭を下げる。
本音を言ってしまえば全部鬼塚が執拗に絡んで来たのが原因だ。でもいまはそんなことを言うのは野暮というもの。
そしてどんな理由があれ、俺のせいでみんなを巻き込んでしまった事実は消えない。
世の中は本当に理不尽だ。
そんな卑屈を内心で思っていると、誰かが俺の両肩をポンっと優しく乗せてきた。
頭を上げればそこには、朝比奈先生が柔和な笑みを浮かべていて。。
「九条くんがそんなに謝る必要はないよ。影山くんから事情は聞いているから」
「……でも僕、先生に頭を下げさせるような真似まで」
「あれは穏便に済ませるために、ああするしかなかったの。変に抵抗したらなにをしてくるか分からないじゃない?」
生徒指導室のときも、そんなこと言っていたな。これが大人の対応なんだと。
「とにかく無事でよかった。生徒になにかあったら学校側の責任になっちゃうからさ」
苦笑を浮かべながら話す朝比奈先生。
そうだ。例え俺と鬼塚、ふたりだけの問題だとしても、学校という組織に所属している以上は、生徒に問題が起きればそれは学校側の責任になってしまうんだ。
どんなに個人の問題だとしても、大人は子供を守る義務がある。
俺はそんな当たり前のことを忘れかけていた。いや、忘れていた。
個人間で起きた問題は全て個人で責任を負えばいいと思っていたからだろう。でも俺は所詮子供。
成人未満である以上、義務教育から卒業できていない以上、俺ひとりで責任を負うことなんてできるはずがないのだ。
(まだまだガキだな……)
勉強と運動が人よりちょっとできて、読書から膨大な知識を得たぐらいで自惚れていたのかもしれない。
表面上はできる大人を繕っても、中身はいままでと変わらずただのガキのままだった。
このままじゃいけない……。このままじゃ社会に通用する大人にはなれない。なにより父さんに失望させられてしまう……っ。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
ここで小さく手を上げ、声を出したのは桜坂。
その突然の言い出しにこの場にいる全員が自ずと桜坂へ視線が集まる。
「どうしてあなたはいつも敬語なの?」
なにを言い出すかと思えば素朴な内容。
だが俺にとってそれは頭に鈍器な物で殴られたような衝撃を感じた。
「先生に敬語を使うなら分かるわ。でも私たちにまで敬語を使う必要はないんじゃないかしら? だってタメなんだし」
桜坂の言うことはごもっともだ。俺は誰彼構わず……いや、澪以外の人には敬語で話していた。そのことに違和感や疑問を持つのは至極当然のことだと思う。
だが、なぜいまそれを言う?
わざわざこんな場面で聞く内容ではない。
俺個人のことなど、前みたいに教室でふたりきりのときに話せばいいことだろう!
なんで関係のない人がいる中でそのような質問を……!? 意味が分からない!
「あ、それ私も思ってた」
「うん、実はウチも」
「言われてみれば確かに、九条いつも敬語だよな」
「もしかしてコミュ障だったり? ほら、よくそれでタメ語で話せない人もいるじゃん?」
いつの間にか場は俺の詮索へと移り変ろうとしていた。
別にコミュ障という理由で敬語を使っているわけじゃない。それに自分がコミュ障だなんて思ったこともない。
確かに初めは会話が上手く続かないことに悩んだ時期もあったが、そこは本に書かれていたことを実践してそれなりに会話を弾ませることはできるようになったような程度。
「ま、まぁまぁ。僕のことなんてどうでもいいじゃないですか。それより自由行動の時間がなくなっちゃいますから、早く行きま」
「以前付き合っていたときはそんなことなかったのに。一体どういうつもり?」
「ちょ、お前っ!」
「え、付き合ってた……?」
「嘘ぉ!? 九条くんと桜坂さんが!?」
「「……はああああああああああああああああ!?」」
当然、俺達の事実を知ったものは驚かずにはいられない。
飛び出るほどに見開いた目は俺と桜坂を交互に確認する。
俺みたいなパッとしない男が華のある桜坂と釣り合っていないことを受け入れられていないかのように。
「待ってください!!」
「どうしたのかしら?」
「……どうしたのじゃありませんよ。むしろこっちが聞きたいぐらいです」
クラス会の打ち上げや露天風呂のときだって、桜坂は俺達が元恋人関係であることを隠しがっていた。
それをいまさらになって、しかも自らこんな公開処刑じみた真似は理解に苦しむ。
いまからでも間に合う。ドジっ子アピールでもドッキリでもなんでもいいから、ただちに発言を撤回して欲しいくれ!
「別に、なにも特別なことを聞いていないでしょ? いままでタメ語だったのに急に敬語で話すようになったら疑問を持つのは当然のことよ」
ごもっとも……。だが俺の主張したいところはそこじゃない。
「つうか九条、否定しないってことは付き合っていたのは本当ってことかよ!?」
「…………本当、です」
「マジかよ!!」
桜坂単体が相手ならばまだしも、他の人がいるこの状況じゃ下手に誤魔化すのは返って怪しまれるだけ。
今後詮索される可能性を考えたら、いっそのこと正直に白状してしまったほうがいい。
例え巧み上手な嘘をついて欺くことに成功したとしても、桜坂本人の監視があるようじゃすぐに指摘されるのがオチ。
まるで嘘発見器を用いられながら尋問される容疑者の感覚だ。
「九条……貴様ッ」
ここまで発言を口にしなかった影山がようやく俺に牙を向ける。
「あのとき、やはり嘘をついていたんだな!?」
あのときというのは、初めてトイレで出くわしたときだろう。
あれは自分の気持ちにも嘘をついていたから鮮明に覚えている。
影山にどんな関係だと聞かれ、俺はただのクラスメイトと答えた。
そんな見え見えの嘘に、影山はどこか勘づいていた部分があったのかもしれないな。
「すみませんでした……」
「ふん、別に構わん。それより早く桜坂さんの質問に答えてやったらどうだ?」
質問責めを利用してスルーを考えていたが、影山の指摘によって再び逃げ場を失う。
俺VSその他のメンバーであるこの状況。
殴り合いならまだしも、議論になるとさすがに骨が折れる。
元々口数が少ないキャラを演じてきたから余計にだ。まさかここで自分の首を締めることになろうとは……。
「確かに、桜坂さんの言う通りです。こうして俺が敬語を使っているのは、事情があるからです」
「事情?」
今まで『僕』だった一人称をいつもの『俺』に変えてしまった。桜坂はそれをいち早く気付く。
それが起点となり、躍起になってしまった俺は続ける。
「桜坂、中学時代に俺達は別れた。そのとき、俺がなんて言ったのか覚えているか?」
もうどうにでもなれ。俺はかぶっていた仮面を外し、赤裸々に話す覚悟を決めた。
「……もちろん。覚えているわ。恋愛に興味がなくなったって」
「そうだ。あのとき俺はそう別れを告げた」
思い出したくない過去を掘り返し、俺と桜坂はしんみりとした気持ちにさせられる。
他の人達は開いた口が塞がらずに黙って傍観しているが、内心ツッコミたい気持ちで仕方がないことだろう。
それでも続きが気になるからか、割り込んで会話の妨げをするような真似はして来なかった。
「でもあれは……俺の本心ではないんだ」
「えっ?」
「あのとき……そう言うしかなかった」
「…………どういうこと?」
「……端的に言うと、お父さんの都合によるものだ」
家庭のことを他人に話すのはモラル的にどうかと思う。なんにせよ、これから話すことは桜坂の家庭にも関係しているから。
本来ならお互いの合意の上で話す内容。
だがこの状況を勝手に作り出したのは桜坂だ。
どんなに恥ずかしい想いをしようとも、俺の知ったことじゃない。
ここまで来たら仕返しも込めて全てを話してやろうじゃないか。
「桜坂、お前の家庭は母子家庭だったな」
「ええ……」
中学時代に付き合っていたとき、家にお邪魔したことがあった。
そのとき両親が不在だったものだから流れで聞いてみたら、桜坂の家は母子家庭らしい。
そのとき桜坂の母親は仕事に出かけていたらしく会うことはなかったのだが、それでも母子家庭とは思えない豪邸に住んでいる衝撃はいまも覚えている。
洋風のお城のような内装に暖炉やシャンデリアが桜坂の家には備え付けられていたのだから。
「母親がなぜ父親と離婚したのか……理由を聞いたことないだろ?」
もし聞いているのなら、俺と付き合うはずがない。
「ええ……聞いてないわ」
(やはりな)
胸の前で不安そうに手をギュッと握る桜坂を見て、俺は覚悟を決めた。
「ならこの際だから言わせてもらう。桜坂の両親が離婚したのは俺の両親が関わっているからだ」
「––––––え」
虚を突かれた桜坂は惚ける。他のみんなも目が飛び出るほど驚きに満ちていたが、叫びたい気持ちをグッと堪えているようだった。
「俺の母親は……桜坂の父親と不倫をしていたんだ」
「……う、嘘でしょ?」
「嘘でこんなこと言うものか」
「……知らなかったわ」
桜坂は母親から本当になにも聞かされていないようだな。
だが無理もない。実の子供に不倫の話をわざわざする必要はないと思うから。
俺がその事実を知っているのは単なる興味本位で、お父さんに聞いたらそう聞かされただけのこと。
嘘で言ったわけじゃない。そのときのお父さんの目は、覚悟に満ちていた。
赤裸々に話す自分に対して、そして受け止める覚悟はできているのかという子供に対する問い。
もしあんな真剣な顔で嘘を言っていたのなら、お父さんは役者として生きていけると思う。
「でも、それを知っていてあなたは私と付き合ってくれたのよね? なのに、どうしてあんなことを……」
「全ては、お父さんの命令だ……」
「!」
「当時、机の上に俺と桜坂のふたりで撮ったプリクラを置いていた。それをお父さんに見られて、別れるよう言われたんだ」
プリクラには記念日をハートマークで囲んだデコレーションと、それぞれの名前を記載していたからお父さんはすぐに勘付いたのだろう。
桜坂栞。
それが不倫相手の名字かつ、実の娘であることを。
そして俺達が付き合っていることも。
「ちょ、ちょっと待って! どうしてあなたの父親が私のことを知っているのよ!?」
「お父さんに桜坂の家を教えたからだ」
「あ……」
不倫相手の家ぐらい鮮明に覚えているはずだ。そこまで古い記憶でもないし、なにより思い出しくない記憶ほどよく覚えているもの。
まるで頑固な油汚れのように。
「勝手に教えてごめん。まさかあんなことを言われるなんて思わなかったから……」
「いえ、いいのよ……。あなたが悪いわけじゃないし」
悪いのは、そのような原因を作った互いの親。
子供はそんな親の犠牲者になっているだけに過ぎない。
だからといって、逆らう真似はできない。
仮に俺と桜坂が恋人として付き合い続けたとして、結婚という大きなイベントを控えることになる。
そうなったとき、親に紹介して結婚の了承を頂かないといけない。
そうなれば遅かれ早かれ、桜坂の存在はお父さんに知られることになる。
だからいまのこの状況は、定められていた運命とも言えないだろうか。
親が結婚に対して反対を、ましてや付き合うことすら許さないと頑なに考えを変えようとしなかった場合。
俺達が辿り着く先は、きっとひとつしかない。
だから俺は中学の卒業式に、別れを切り出すことを言ってしまった。
これ以上、互いに苦しまないためにも。
「ハハハッ! 全く、非常にナンセンスな話だねェ」
重たい空気のなか、場違いのように高らかな笑い声をあげたのはアレクサンダー。
全員から謎の物体を見るかのような目で見つめられても、決して動じることはない。
その理由のひとつに、その鋭い視線は俺だけを捉えているからだろう。
「ユーのことはそれなりに評価をしていたんだがねェ。どうやらミーの見込み違いだったかな?」
「……なにが言いたいんです?」
「単純に、ユーがしたことは紳士としてあるまじき行為だということさァ」
「……つまり、俺が悪いと?」
「その通りだ」
「聞き捨てなりませんね。俺のなにが悪いんです?」
「分からないかい? ユーはいまもミス桜坂のことが好きなんだろう?」
「……それは」
「親の顔色を気にして自分の気持ちに嘘をつく。挙げ句の果てにはガールフレンドにまで嘘をつくなんて……どう見てもユーが悪いじゃないか」
「……そうするしかなかった」
「本当にそうかねぇ。話だけを聞いているとユーはただ親の言いなりになっているだけにしか見えないんだが」
「……せ」
「この際だからはっきり言おう。自分に嘘をつく奴は虚しい人生を送る。いまのユーみたいにね」
「うるせぇって言ってんだ!」
気付けばもう……俺はアレクサンダーに向かって襲いかかっていた。
「……やれやれ。醜い争いはしたくないんだがねェ」
アレクサンダーは気合いを入れるかのごどく、一度髪全体をオールバックに仕上げる。
「でも丁度いい。ユーとは少し手合わせしたいと思っていたからねェ」
俺はスピードを乗せた殴りを溝部分に放つ。
「見せてもらうか」
パシッと俺の拳を鷲掴みにして受け止めるアレクサンダーの表情は、随分と涼し気だ。
「!」
余裕でいるがゆえ、隙が生じる。
俺はアレクサンダーの軸足を払い、バランスを崩す。
「おっ?」
「ふん」
完全に倒すことはできなかったが、ぐらつかせることはできた。
脇腹がガラ空き状態に。
今度こそ、殴りを入れようとする。
「!」
「残念だったねェ」
体勢を崩しながらもやや強引に手を伸ばして俺の拳を受け止めた。
これまでの経験上、いまの攻撃は通っているはずなのに……。
「素晴らしい柔軟性ですね」
「オー、サンキュウー」
一度自分の体勢を整えるためにもアレクサンダーから距離を置く。
(さすが……鍛えているだけあるな)
(ふふっ。さすがはミスター九条。ミーが見込んだ男だけのことはある)
「ちょっと!! なにやっているのあなた達! やめなさいッ!」
桜坂からの叫び声は俺達の左耳から右耳へと筒抜ける。
「おいこら九条ッ! 貴様、桜坂さんがやめろと言っているだろ!」
「ならお前が止めてみろ」
「っ!」
そうだ。お前ごときでは俺は止められない。
「ミスター影山、それに他のガールズもここは下がりたまえ。ミスター九条に太刀打ちできるのはミーだけだ」
「そ、そんなこと言っている場合じゃないでしょ!?」
「そうだよ! せーくんも急にどうしたの!? やめなよ!?」
戦いに参加しないものは黙ってもらいたいものだ。
「続きを始めようか。アレクサンダー」
「フッ。いいだろう。来たまえ」
互いに睨み合い、戦闘体勢に入る。
そんな緊張感が漂う空気のなか、ひとりだけ俺達の間にズカズカと入り込む女性が。
「……桜坂、なんの用だ。ここに来たらあぶな」
パシッ!。
乾いた音が空全体に響く。
……容赦なく俺の前まで歩み寄ってきたかと思えば、急に俺の頬をぶっ叩いてきやがった……。
まさかぶたれると思っていなかったので、俺の心中は混乱していて落ち着かない。
「これは、みんなの分」
そう言うと、今度は反対の頬をぶっ叩いてきた。
「そしてこれは、私の分よ」
先ほどと同じ痛みが俺を襲う。
味わったことのないヒリヒリとした感覚。火傷を負ったように熱くなる肌。
鏡を見たら赤く腫れていることは間違いない。
「ッ……!」
「ごめん、アレクサンダーさん。ここは私に任せてくれないかしら?」
桜坂は振り向くことなく、後ろにいるアレクサンダーに告げる。
「いいのかい?」
「ええ。これは私達の問題。これ以上みんなに迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「そうかい。でも確かに、ミーが出る幕じゃなさそうだねェ」
そう言うと、アレクサンダーは俺と桜坂を除く全員と向き合う。
「では、ミー達は先に自由行動を再開するとしようか。時間も大分消費してしまったしねェ」
「ちょっと! ふたりはどうするの!?」
「心配ないさァ。それに、ここはふたりだけにさせておいたほうがいいだろう」
いま起きている問題は桜坂と九条のふたりによるもの。なら関係のないものは去ったほうがいい。
ふたりだけのほうが、お互いに腹を割って話しやすい。
そのことについては澪だけではなく、他のメンバーも察しているようだった。
「……そう、だね」
不安そうな、または心配そうな目で俺達を見つめる澪。
なにか言いたそうに口を半開きしたが、すぐに閉ざされる。
「じゃあ、行こっか」
「まぁ、なにかあればスマホで連絡をして合流すればいいさァ」
先陣を斬るように進む澪とアレクサンダー。
「ん? どうした、影山」
「……いや」
影山はやたらと俺達のことを凝視していたが、同じグループの男子に声をかけられ何事もなかったかのようにみんなのあとを追って行った。
俺のせいで自由行動の時間を奪ってしまい、みんなに土下座して謝罪したい気持ちでいっぱいだったが、いまはそれどころではない。
目の前で握り拳を作り、上目遣いながらも俺を睨む桜坂は再び手を出して来そうなほどに不満をあらわにしていた。
「もう一発いい?」
「……勘弁してください」
「次敬語使ったらやるわね?」
「あ……」
これまでの癖で敬語を使っていたが、もう使う必要はないな。
「その敬語も、なにか関係しているのよね?」
「……ああ」
「教えてくれる?」
「桜さんと距離を置くため」
「そんなところだと思ったわ。あと、さん付けもやめて」
「……分かった」
「これで、あなたの仮面は全て外れたかしら?」
「どうだろう。もし出てきたら、そのときは指摘してくれ」
「分かったわ。そのときは遠慮なくぶつわね」
「ちょっと? 誰もぶつまで許可をした覚えはありませんよ?」
「ふふっ。冗談よ」
「冗談に聞こえないから怖い」
いつの間にかたわいのない話をしていることに懐かしさを覚える。
それはつい最近のことでもあるのに、不思議だ。
「でも、そうね。ここまで散々私に迷惑をかけた罰は受けてもらおうかしら」
「え、なにそれ怖い……」
「内容は、私と一緒に生活を送ること」
「え、それって同居……」
「バーカ。なに言っているの? 学校生活に決まっているじゃない」
「あ、そうですよね……。すみません」
ペシっと、赤ちゃんのような強さで俺の頬を叩いてきた。
「敬語」
「……すみま……ごめん。まだ癖が抜けないみたいで……」
「仕方ないわね。ちょっとずつでいいから、その敬語は直しなさいよ?」
「分かり……分かった。ちゃんと直す」
「よろしい。敬語を使うたびに1ビンタだからそのつもりで」
「さっき冗談だと言ったやつはどこの桜坂栞だったかな?」
「さあ」
「お前だお前」
かつては、こんなくだらないやり取りもしていたな。
心が温まるような感覚……。俺はこんなに幸せなことも手放そうとしていたのか。
「……桜坂」
「ん? なにかしら?」
「そのっ、なんだ…………ありがとう」
「……ふふっ。どういたしまして」
柔和な笑みで微笑み合う。
子供のように無邪気で、けどお嬢様のような気品がどこかあって。
なんでもひとりでこなしてしまいそうな知的さもあったが、蓋を開けてみればそれは全く真逆で。電車の乗り方も分からないほどに世間知らずで、そのギャップに萌えて恋心が芽生えたんだよな。庇護欲が刺激されたとも言える。
「さ、みんなの元へ行きましょうか」
みんなが進んで行ったほうへ歩き始める桜坂。
「桜坂っ!」
徐々に遠ざかっていく桜坂の背中に、俺は呼びかける。
「なにかしら?」
桜坂は振り返ることなく、背を向けたまま返事をする。
「……入学式に撮った桜の木のこと、覚えているか?」
「ええ、もちろん。だって私が誘ったことだし」
「俺は疑問だった。なんで桜坂があんなジンクスを知ったうえで、俺を誘ったのか」
「……」
「その答えを、教えてくれないか?」
自分でも意地悪な質問だと思った。
その答えが相手にとって良い悪いどちらの返答だろうと、言うこと自体に覚悟が問われるからだ。
テキトーにそれっぽいことを言って誤魔化すことも可能だろうが、俺には分かる。
いまこの場の空気は、そんな曖昧な返答が許されない真剣なものへと変わっているから。
「そんなの、決まっているじゃない」
くるりと、軽やかに体を翻す桜坂。
動きに釣られ、わずかに浮いたスカートは華やかさを演出し、ドラマのワンシーンのように見えた。
「あなたのことが、忘れられなかったからよ」
桜坂は、『それ』をはっきりとは言わなかった。
都合の良いほうに解釈できてしまう意地悪な返答。まるで仕返しをしてきたみたいだ。
その真相を問いただしたいところではあるが、これでお互い様。逆にこれ以上の質問はカウンターを喰らいかねない。
俺は喉奥で詰まったセリフをグッと堪え、飲み込んだ。
「……そっか」
もし……もしもう一度だけチャンスが訪れるならば。なんて思ってしまうのは傲慢だろうか。
自分の都合で別れを切り出しておいて、もう一度よりを戻そうなんて男として失格なのは分かっている。
この話を誰が聞いても、紳士の欠けらもないと感じることだろう。アレクサンダーの指摘通りだ。
俺は最低で、クズな人間。
なのに、そんな俺のことを……まだ忘れられない、見捨てないでいてくれる人がいるのに、俺はなにをやっているんだ……っ!
もう後悔なんてしたくない。自分の気持ちに嘘をつきたくない。例えそれが尊敬する親の命令だとしても。
いまの俺のすべきこと……。それは––––––。
「桜坂、ありがとう。俺はなにもかも間違っていた」
「……なにか、分かったのね」
「ああ。俺は親の都合を優先するあまり、自分の気持ちに蓋をしていた。だからちゃんと、話し合って見るよ」
次は、桜坂とも。
「そう。頑張って。私には応援することしかできないけど」
「いいや、桜坂は十分過ぎるぐらい俺に気づきを与えてくれた。本当に、ありがとう」
「どういたしまして」
「じゃあひとまず、みんなと合流しようか」
「待って!」
「?」
スマホを取り出そうとした俺の手を、桜坂がばっと掴み静止させる。
「……いっそのこと、ふたりで回らない?」
「…………怒られても知らないぞ?」
「大丈夫。そのときはあなたのせいにするから」
「大丈夫とは(哲学)」
「もちろん、あなたが嫌だというなら、無理強いはしないけど……」
「……分かった。シナリオとしては、連絡するのを忘れていた、でいいな?」
「ええ、それでいいわ。なにか追求されてもあなたが対処して?」
「分かってるよ。いままでもそんな感じだったしな」
桜坂のサポートを常々していたからもはやそれが当たり前になってしまっている。
「じゃあ、行くか」
「ええ」
ふたりでプチ制服デートする俺達の頭には、もう誰かに連絡するなんて意識は消えていた。
★
14時には全員のグループが現地に戻り、スムーズに帰りの準備が進んだ。
結局俺達のプチ制服デートは同じグループのメンバーから連絡が入り、無視することもできず、断念しながらすぐに返事を返した。
自分達の都合でメンバーに迷惑をかけるわけにはいかないという罪悪感が湧き上がったのと、やはり後々先生に連絡が入るのが一番面倒になると思ったこと。
流れで始まったプチ制服デートについて考え改め、結果20分で幕を下ろすことになった。
くすぶった想いに桜坂は、入学式にふたりで写真を撮った校舎内の桜の木に集まるよう提案された。
詳しい内容は聞かされていない。
宿から学校に到着するなり、桜坂はひとりで帰る素振りを見せ即座にひとりで桜の木の方面へと向かう。
ひとりで向かったのは俺と一緒に目撃され変な勘ぐりをされないためか。
きっとそうだろうと事情を察した俺は、みんなが帰路に立ったタイミングで、トイレに向かうていで遅れて校舎方面へと向かう。一度トイレに入り、そのあとに桜の木に向かう算段だ。
途中誰かの人影がいないかも確認。
前回は影山がこっそりと目撃していたという事実があったからな。用心する必要はある。
(誰もいない、か)
影山はどこか暗い顔をしながら学校の門を抜けて行ったから恐らくいないはず。
俺に気づかれないようこっそり引き返すという線も考えられるが、可能性の話をし出したらキリがないので、現状目線で人影の様子はないということでよしとしよう。
桜の木に向かうと、すでに桜坂の姿はあった。
いまは桜などとっくに散っており、青葉へと変わって別の景色のように感じる。
「お待たせ。話ってなんだ?」
俺は早速本題へと切り出す。
こうして話している間に誰かに目撃される可能性だってある。密会している姿はできるだけ避けたい。
「ねぇ、この桜の木のジンクスって本当だと思う?」
桜坂は桜の幹の部分を優しく撫でながらそんなことを言う。
「……というと?」
「普通恋人同士が一度別れたら関わらなくなるのが普通じゃない? でも私達はそれがない」
いや、それは少し違う。俺はまた別の理由ではあったが桜坂から距離を置こうと不器用ながらもしていた。
けど桜坂は俺から離れる様子もなく、執拗に絡んで来た。幸か不幸か、それが俺達の関係を繋ぎ止める要因になっている。
「もしこのジンクスが本当なら……私達は、またやり直すことができるのかしらね」
桜坂の寂しく伏せるその瞳を見て、俺は思わず心が痛む。
どう返答したらいいのか分からない。かけてやる言葉が見つからない。
ことの発端は全て俺にある。ここで土下座をして謝罪の言葉を述べるのが筋なのかもしれないが、それもまた違う気がする。
「……いまの俺に、桜坂の隣に立つ資格はない」
「いま、は?」
「……いや、ごめん! 違うよな……。いまとかじゃなくて、もう二度と俺には」
「いいえ、あるわ」
「!」
情けなく垂れ下がっている俺の手を、桜坂は包み込むように握ってきた。人肌の温もりが、俺の心に安らぎを与えてくれる。
「あなたはさっき、自分の立場をちゃんと理解していた。受け止めていた。自分の過ちと向き合うことは、そう簡単にできることじゃない」
「桜坂……」
「だから私はあなたを待つわ。あなたが自分自身の気持ちと向き合い、また私の隣に戻って来てくれることを」
「…………ありがとうっ」
蓋をして包み込んでいた想いが込み上がってくる。それと共に、瞳が潤う。
そんなみっともない姿を見られたくなくて、俺は目にゴミが入ったと嘘をつき、指で擦った。
「次、ここで会える日を楽しみにしているわね」
満足そうにそう言うと、桜坂は俺を通り過ぎる。
「……今日は、一緒じゃなくていいのか?」
「いいのよ。あなたもひとりになりたい気分だろうし。それに、私だってたまにはひとりで帰りたいときもあるのよ」
「そっか。なんかごめん。気使わせちゃって……」
「いいって言っているでしょ? それじゃあ、また学校でね。––––––征士郎」
そう言って、桜坂は本当にひとりで帰路に立つ。
俺は不覚ながらも、桜坂に抱いている気持ちを改めて再認識した。そして心の中で強く誓った。
桜坂の隣に再び並べるよう、立ち上がろうと。
振り返り様にちょっとだけ見えた桜坂の笑みは、そんな俺を期待しているに違いない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!