第八話 綾瀬澪の心配
20時57分。みーちゃんと待ち合わせをしていた1階限界前に到着する。
ガラス張りから外のベンチでひとり座っている金髪の女の子を発見。
「……みーちゃんか」
普段はツーサイドアップの髪型に仕上がっているのだが、いまは髪を結んでおらず真っ直ぐに下ろしている状態だった。
人は髪型を変えるだけで印象が別人のように変わるというのは本当だな。
「お待たせ」
ボーッと何かを眺めていたみーちゃん。うっすらと口角を上げて、俺のほうを見てきた。
「ん、待ってた」
「ごめん。そんなに待たせちゃったか?」
「ううん、冗談。アタシもいま来たばっかり」
「そうか。隣、座ってもいいか?」
「うん」
許可をもらったところで隣にゆっくりと座る。隣から石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
おそらく旅館の物だと思われるが、それでも女の子から漂ってくるというだけでやましい気持ちにさせられる。これが男の定めか。
それを援護するかのようにそよ風がイタズラをする。だがそんな風も居心地のいい気温と合わさって気持ちが良かった。
「月、綺麗だな」
雲ひとつ無い夜空には満月とまではいかなくとも、満月に近い月が照らされている。
「……それって、どっちの意味?」
「え? どっちって?」
「……知らないならいいや」
「そっか」
とぼけて正解だったな。どっちを答えても気まずくなりそうな道でしかない。
「せーくん、イメージ変わったよね。それもかなり」
「そうかな?」
昔と比べて髪型はほぼ変わっていないと思うんだが。変わったといえば背が大きくなったぐらいだろう。
「変わったよ。なんか別人みたい」
「別人って……。それは褒めているのか?」
「うーん、どっちかというと褒めてる」
「褒めてない部分もあるのか……」
幼馴染みとはいえ、女性にマイナス点を指摘されるのはやはりショックだな。
「初めてせーくんを見たとき、最初誰?って思った」
「確かに、そんな顔をしていたな」
「そしたらママがせーくんだって言うからさ。ホントあのときはびびった」
「はははっ。まぁ10年ぶりに再会したら、そりゃあびびるよな」
「昔はさ……よく家で一緒に遊んでたよね」
「あのときはみーちゃんのお母さんがやや強引に誘ってきたのもあったからだけどな」
その人がいまは担任だなんて、人生は本当に分からないものだ。
「下の名前」
みーちゃんが少しだけ語気を強める。
「え?」
「いまはみーちゃんじゃなくて、澪でしょ?」
「そうだったね……。ごめん、み……澪……っ」
「……んっ」
恋人みたいなやり取りとりにくっすぐったいような感覚を覚える。
顔から火が出るほど恥ずかしい。いますぐこの場から立ち去りたい。
チラッと横目で澪を見る。
澪は過度に緊張しているかのように体をギュッと縮こませており、頬は真っ赤に染まっていた。
そんなに恥ずかしいなら呼び慣れているみーちゃんでいいんじゃないの?と思ったが、そもそもみーちゃん呼びを変えてくれって頼んだのは俺だし、下の名前で呼ぶことを承諾したのも俺だった。いまさら撤回するのもどうかと思ったため、ここは慣れるまでの我慢だ。
「あの、さっ……!」
「ん?」
「今度……また一緒に遊ばないっ!?」
「……ああ、そうだな。時間が空いていればいいぞ」
「……ありがとう」
一瞬だけ呆けた澪は、しゅんっと少しだけ寂しそうな横顔を見せる。
ダイレクトには伝えず、遠回しに柔らかく断りを入れたつもりだったんだがな。澪には通じなかったか。
幼い頃はどちらかの誘いがあれば積極的に遊ぶようにしていたからな。その名残りが言葉に隠された違和感に気付くトリガーになったのだろう。
いまの俺は本当に別人かもしれない。
「時間が空いていれば……かぁ。そんなに忙しいの?」
「んまぁ、それなりに」
「ふ〜ん?」
実際はそんなことはない。時間を空けようと思えば空けられる。社会人ならまだしも、たかが学生の俺だ。時間が空いていないなんて嘘だ。そんな嘘はすぐに見破られると分かっていたのに、俺はなぜ言葉を濁すような真似をしてしまったんだ。
「なにかあった?」
「えっ?」
「いや別に? ただなにか悩みでも抱えているのかなぁって」
「悩みか……。特にないな」
「そ。それならいいんだけど」
毛先をくるくるといじりながらの疑惑の眼差し。
澪は完全に勘付いている。俺が嘘をついていることも。悩みを抱えていることも。
「じゃあさ」
澪が上着のポケットからスマホを取り出す。
「とりあえず、連絡先交換しよっ? 今後連絡が取りやすいようにさ」
「ああ、いいぞ」
俺もスマホを取り出して、澪の連絡先であるQRコードを読み取る。友達を追加し、『よろしく』の一言だけを送信した。
「ありがとう」
「うん、こちらこそ」
話の区切りが良い。そろそろ切り上げるか。
「せーくんが桜坂さんの連絡先を知っていたときはびびったな〜」
「!」
桜坂の名前が挙げられ、腰を上げようとしていた俺の動きがピタッと止まる。なにごともなかったかのように再びベンチに腰を下ろした。
「桜坂さんと仲がいいんだ?」
「そうでもない。ただ中学が同じなだけでいまは友達って感じだな」
澪は俺と桜坂が付き合っていることは知っている。ならここは、できるだけその話題に触れないでもらうために言葉を濁す必要があるだろう。恋人という直接な表現は隠して。
「桜坂さん、中学でめっちゃモテたんじゃない?」
「それはもう凄かったぞ? やっぱり話題の美少女だからな。まるでスターだった」
「やっぱりね。そんな感じするなぁ」
しみじみと嘆息なセリフを吐く。
「澪だって、結構モテたんじゃないのか?」
澪だって桜坂に劣らず可愛い容姿をしている。
「何人か告ってきた男子はいた。でも全部断った」
「あまりタイプじゃなかったのか」
「それもあるね。みんな本気の恋愛というより、体目的って感じが見え見えだったし」
「そういうのって、やっぱり女子は分かるものなのか?」
「なんとなくね。本人は気付いていないんだろうけど、目線が胸にチラついていたり、鼻の下が伸びていたりしているんだよね。あと、目を見れば分かる」
「……なるほど」
体目的で女性と付き合いたいなど微塵も思ったことはないが、よく観察されていることは男として肝に銘じて置くとしよう。
「でも、一番の理由は別にある」
「別?」
「せーくんは知らなくても大丈夫だよ。もう叶ったことだし」
叶ったということは、なにか心に決めていた願いがあったということか?
幼馴染みとして気になるところではあるが、人の恋心に深く踏み入れるわけにはいかない。
「そっか」
俺にできることは澪の恋が叶うことを祈るだけだ。
「……せーくんはさ、やっぱり桜坂さんみたいな女性がタイプ?」
ドキッと心臓が跳ね上がる。
いよいよ切り上げかと油断していたからか。それとも触れて欲しくない話題に踏み込んできたからか。
「ど、どうした急に?」
「そのっ、なんていうか……気になっただけ……」
なんの意図で聞いているのか読めない。
そんなことを聞いて一体どうするのか。
それに澪は、俺と桜坂が付き合っていた事実を知っているじゃないか。
「俺は……」
ここでタイプじゃないといえば嘘がバレる。だからといって、ここで素直にタイプだと答えるのも詮索されそうで危険だ。
「まぁ、タイプじゃないと言えば嘘になるな」
思考をフル回転させ、なんとか導き出した答え。
結局、曖昧でありきたりな返答になってしまった。
沈黙のなか、すぐに返答しないことに焦りを感じてしまったせいか。
「そもそも、タイプじゃない人を見つけるのが難しいんじゃないか?」
話の対象を俺から外すため、せめての抵抗。
「そうだね。タイプじゃないって言ったら逆に怪しいって感じる」
「好きな人の前では好きじゃないアピールをするアレに似ているな」
「あ、それ良い例え」
意気投合し、思わず笑みが溢れる。
「せーくんといると、なんか落ち着く」
「幼馴染み、だからかな?」
「うーん、どうだろう。多分それだけじゃないと思う」
「というと?」
「内緒っ」
ベーと舌を出し、意地悪な顔を向けてくる。
不思議だ。ムカつくというより可愛い。
「気になるな〜」
とはいえ、本人が内緒にするのなら俺もこれ以上追求することは失礼にあたる。
澪が自分の口から言いたくなるまで待つしかない。
「教えてあげてもいいよ?」
「えっ、いいのか?」
「その代わり、教えて」
「教えてって、なにを?」
「どうして他の人には敬語を使ってるの?」
「っ……!」
「正直、いまのせーくんには違和感がある。自分でもそれがよく分からなかった。でも気付いたの。それはせーくんがみんなに敬語を使っていることなんだなって」
それは以前、桜坂も指摘してきたこと。
タメなのに敬語を使っているという違和感。当然だが俺の学年同士の会話で敬語を使って話している人は見たことがない。
つまり敬語を使って話しているのは俺のみで、その違和感はより鮮明に感じることだろう。
澪がその違和感に気付けたのは俺同じチームメイトでお喋りをしていたとき。
「やっぱり、タメで敬語は違和感か?」
「そりゃあそうでしょ。相手がお偉いさんならまだしも、アタシ達は普通の学生で同学年。敬語を使われるのはやっぱり違和感あるよ」
「もし澪のクラスにも同じような人がいたら接したいと思うか?」
「えっ? いやアタシは……ちょっと無理かな。なんかわざと距離を置いているような感じがして。あ、でもせーくんは違うから! そこだけは誤解しないでね!?」
「いや、大丈夫だ。むしろありがたい」
「え……?」
「俺が敬語を使っているのは、そうやって人と距離を置くためにある」
「……距離を置く?」
「ああ」
「……なんで、そんなことをする必要があるの?」
「家庭の事情ってやつだ。だからわざとそうしている」
澪には10年ぶりの再会というのもあって気が緩んでしまい、タメ口で話してしまったのは失態だった。
ここまで来たら急に敬語で話すのは変だ。そこは幼馴染みとして譲歩するという形で無理やり納得させることにした。父さんには申し訳ないが……。
「え、ちょっと待って!? じゃあなんでアタシにはタメ口なの!?」
「それは澪が特別だからだ」
「!!」
幼馴染みとして。唯一タメ口で話せる相手として。俺の事情を理解し、相談にも乗ってくれる相手をひとり用意しておくのはメンタルの安定にも繋がる。
澪には、そんなサポート役として身近にいてもらいたい。
「と、特別って……そんな、アタシ……っ!」
トマトのようにみるみる顔を真っ赤に染めていく澪。夜の空気で冷えた両手を頬に当て、少しでも熱を抑えようとしている。
「で、でもさ! せーくんはいいの? それで……」
「いい、っていうのは人と距離を置くことに対してか?」
「それもあるけど……なんかこう、学生を満喫するっていうか、青春を謳歌するというか……」
「いまの俺にとって学生生活は自己研鑽に励む貴重な時間なんだ。だからそんなことで時間を無駄にしたくはない」
「…………そっか。すごいね、せーくんは」
「そんなことはない」
「アタシはさ、テキトーな女だから。結果なんて平均以上出せばあとはなんだっていいって思っちゃう」
「むしろ平均以上を出し続けるなんてすごいと思うけどな」
「ううん。せーくんのいまのセリフを聞いて、なんか自分が情けなく感じちゃった」
「ごめん。そういう意味で言ったわけじゃないんだ。ただ俺がそうしたいだけの話であって、澪には澪なりの人生観に従えばいいと思う」
「うん。でもね、せーくん」
さっきまでと違い、細くて弱々しい声。
「アタシはちょっと、心配かな……」
月の光にかき消されてしまうような、儚い笑み。
なんだか、心がキュッと締め付けられるような感覚が。
「澪……」
なにが言いたいのか。心の中に突如として現れた疑問のモヤを解消したいがために、脅してでもその正体を探りたい欲に駆られる。
すると、宿の出入り口付近にある駐車場から、夜中の心地良さをぶち壊すバイク音が轟く。
「なんだ……!?」
音の出先に目を向ける。そこには10台ほどの大型二輪車に乗った人物がいることにシルエットで分かった。中には荷台の辺りに旗を飾り付けているバイクもある。
暗がりで遠く、顔まではハッキリと見えない。
見えるのは短ランに長ラン。中には学校の制服っぽい人もいる。
大多数が胸元を全開にして着こなしていることから、恐らく暴走族。
この宿に因縁があるのか。さっきから耳障りなバブ音を鳴らし続け、まるで威嚇しているかのよう。
「あーもううっさッ!! せーくん、早く中へ入ろう!?」
「ああ、そうだな」
なんだかよく分からないが、騒ぎは起こさないでくれよ?