3.イカのワタ焼き
今回も二人は飲んでいます。
メグミが酔っ払わないと話が進まないので、ご愛嬌ということで。
「遅かったわね、ヴィンス。もう先に始めてるわよ。今日は灰色だっけ?」
初めて神殿を訪れたあの日から六回目の夜、メグミはもうすっかり慣れた様子で、焚き火を囲んで俺を待っていた。
以前持ってきた彼女の世界でいう『エイヒレ』を炙り、先に飲みはじめている。
初めて会った日から、ちょうど一月程度。
週に一度以上のペースで飲んでいるのだから、普通に名前で呼び合うくらいには親しくなっていた。
「ああ、メグミが見せてくれた通り、緑はネクセレン山の山頂にあった。」
俺がそう報告すると、メグミは安心したように微笑んだ。
彼女の力は安定している。
だから、このまま上手くいけば、この騒動は全て収束に向かうだろう。
緑の種が見つかったと報告した時、父上はやっと安堵したようにその眉間を緩めた。
その一方で、父上にとって大事なのは、やはり嫡出だけだったのだなと思い知りもした。
しかし、灰色の種はそう簡単にはいかないだろうことを俺は知っていた。
それをメグミに気取らせてはならない。
事の重大さを知れば、メグミは力を発揮できなくなってしまうかもしれない。
幸いなことに、メグミは七つの種を『願いを叶える種』だと思っている。
それにかけられた『願い』が何かも知らずに。
彼女の力が最大限に引き出されるのは、気に入ったつまみと共に気持ちよく酒を飲んでいる時。
だから、絶対に気づかせてはならないのだと肝に銘じる。
「それはそうと、今日は先日話していたロベニアを持って来てみたのだが、どうだろう。こちらでは、あまり食べない物なのだが。」
彼女好みの辛口の酒と、前回話題になったロベニア(向こうの世界では『イカ』というらしい)を差し出す。
「おおっ!これは、まさしくイカ!これですよ!この世界でもお目にかかれるなんて!」
メグミは俺からすると、少々グロテスクなそのロベニアが入った皿を喜んで掲げ持った。
彼女曰く、酒のつまみに最高なのだそうだ。
「でも、このままなのか……。ちょっと、私、さばけないんだよな。これ、どうしよう。」
ロベニアを前に、戸惑っている彼女の姿に、少し笑みが漏れる。
「ロベニアのさばき方なら、市場の人間に聞いてきたから、俺がやってみよう。」
メグミは、向こうの世界でいう『ジョシリョク』なるもの(魔力のように生まれつき備わっているものらしい)がないそうで、料理などは苦手なのだと常に言っていた。
包丁すら、ほとんど握ったことがないのだという。
「ごめんなさいね。聖女の中には作った料理で全ての男の胃袋を鷲掴みにしていく通称『胃袋の聖女』って呼ばれている子もいるのに、私は全くダメなんだよね。元の世界にはコンビニっていう便利なものがあるから、それでも生きていけたのよ。」
「ああ、今、騎士団の方で問題になっている聖女殿のことか。王立騎士団と近衛騎士団の団長同士が彼女を巡って、決闘したとか。兄上がそのことで頭を痛めていたな。」
「でも、彼女悪い子じゃないのよ。魔性系ではなく、いわゆる無自覚癒し系っていうか、狙いもしないで男たちの胃袋と心を鷲掴みにしていく感じなのよね。でも、その後、結局両方の団長と結婚することになったらしいわよ。先週、聖女子会でそう報告してたから。」
「ああ、そのようだな。しかし、それを聞いた副団長たちが自分たちもと言い出して、それでまた揉めているらしい。彼女の作った料理は、もう金輪際外に出さないようにと近々通達があるはずだ。」
「あー、だからなのか。さっき、彼女が作った『もつ煮込み』を持ち出そうとしたら、神官長に全力で止められたんだよね。」
「なっ!他にはないだろうな!俺は、あんな中に入るのは絶対にゴメンだぞ!」
俺が焦ってそう言うと、メグミは声を立てて笑った。
「大丈夫よ。今日も、相変わらずの女子力ゼロな食べ物しかないから安心して!」
今日のつまみは、いつものように焼き枝豆、もろきゅう、エイヒレ、冷やしトマト、串刺し肉(『ヤキトリ』と言うらしい)などだ。
「いや、これで十分だ。」
俺が笑うと、メグミも嬉しそうに笑った。
「それにしても、この世界は重婚OKなのね。両方と結婚するって聞いた時には、さすがにびっくりしたんだけど。」
「王族や貴族は複数妻を持つのが普通だな。まあ、一妻多夫は珍しいかもしれないが、なくはない。特に、聖女は特別な存在だから、歴代の聖女の中には複数の夫を持った者もいるはずだ。」
「そっか。ヴィンスは八男って言ってたものね。お母さん一人で八人はないか。ヴィンスは今、奥さん何人いるの?複数いたら大変じゃない?」
メグミの質問に、思わず手を止める。
彼女はこの世界のことを知らないのだなと改めて驚く。
「いや、俺にはいない。複数妻を持てるのは通常嫡男だけだ。結婚できるのも、だいたい三男くらいまでだな。俺のように下の順位の王子は、良くて男子がいない貴族に婿養子に出されるかだな。他国へ人質に出されることも多いから、妻など持てないんだ。」
俺がそう答えると、メグミは何故か悲しそうに眉を顰めた。
「えー、それって、ちょっと酷くない?生まれた順番で結婚できるできないが決まるなんて。」
俺には当たり前のこと過ぎて、酷いとか悔しいと思ったことすらないのだが、メグミが顔を顰める様子が妙に新鮮に思えた。
「母上は正式な側室でもないし、王子として認められているだけいい方だな。まあ、俺の場合は母上が魔女だということもあって魔力が強いから、父上が外に出したくなかったのだと思うが。」
王子として認められているのは俺を含めて十一人。姫は九人いるが、実際にはその倍はいると言われている。
父上にとって、子供とは政治的な駒でしかない。
八男であっても、王子という肩書きを与えられているだけ、自分はかなり恵まれている方だと言えるのだが、どうやらメグミの世界では違うようだ。
まだ、納得いかないようで顔を顰めているメグミに何か明るい話題を提供しなければと焦る。
「絶対にできないわけではないぞ。何か大きな手柄を立てて、国に認められれば、爵位をもらって結婚することができる。今度、七番目の兄が大規模な魔獣討伐を成功させて爵位を授かり、結婚するしな。」
「ああ、筆頭聖女に選ばれた『光の聖女』ちゃんとね。あの子は力も強いし、本当に『the 聖女』って感じよね。頑張り屋さんで、とってもいい子なのよ!しかし、優秀な者だけが遺伝子を残せるか……。耳が痛い話だな。」
明るい話題を提供したつもりだったが、またメグミは神妙な顔つきに戻ってしまった。
何か話題を変えなくてはと思いつつ、ロベニアを開き、そのワタの捨てようとした時、
「だめ!捨てちゃダメ!それが美味しいんだから!」
メグミが叫んだ。
「こ、これも食べるのか?」
思わずギョッとして答える。
ロベニアを食べる習慣がある地方出身だという老人には、ワタは臭みがあるから捨てるように言われたのだが。
「だめよ!これに味噌とか酒を入れて、焼くの!ちょっと『薬味ちゃん』に生姜とネギもらってくるから、ちょっと待ってて。」
メグミがまたよく分からない単語を言った。
『チャン』がつくのは、大概人の名前だったはずだ。
「『ヤクミチャン』?とは、また何か聖女の名前か?」
「そう!この世界に存在しない野菜とかを召喚する能力がある聖女がいるのよ。生態系乱しそうだけど、そこはチートだから心配しなくていいって神官長が言ってたわ。薬味を入れると、一挙に美味しくなるから、ちょっと待っててね!」
そう言って、メグミは神殿の中へ走って行った。
メグミと一緒に召喚された聖女達は、皆この神殿に住んでいるのだが、同じ国から来たらしく、とても仲がいいようだ。
戻ってきたメグミは小鍋に移したロベニアのワタに、ミソといくつかの調味料を混ぜ、さらにその『ヤクミ』とやらを混ぜて、焚火の上へ置いた。
はっきり言って、見た目が悪い。食べ物には見えない。
メグミが元いた世界の食べ物は本当に奥が深いなと思いつつも、少し不安に思う。
「で、さばいたこっちはどうするんだ?焼くのか?」
「ええ、開いて、そのまま網に乗せて。あと、足はこっちに入れるからちょうだい。」
メグミに言われた通り、細く切ったロベニアを焼き網の乗せて、焼いてみる。
丸まってくるのが面白い。
「醤油を垂らすと美味しいわよ。」
メグミが豪快に『ショウユ』をかけた。
ジュっという音と共に、辺りに香ばしい香りが広がる。
メグミたちの国の代表的な調味料らしい『ショウユ』は、本当に食材を美味しくしてくれる。
俺はこの数週間で、すっかりその『ショウユ』の虜となっていたので、抵抗はない。
口に入れてみると、それは独特な歯応えがある食べ物だった。
「これは、また美味しいな。歯応えがいい。」
「でしょ?日本じゃ、つまみと言ったら『炙ったイカ』ですよ!せっかくだから、こっちも食べてみてよ。『イカのワタ焼き』っていう食べ物なんだけど、イカのワタがいい味出してて最高なのよ!」
そう言いながら、メグミが差し出したものを恐る恐るつまんでみる。
こう言っては何だが、生ゴミのように見えなくもない。
思い切って、口の中に入れてみると、それは少し苦味があり、それでいて濃厚なバターソースのような味がした。
「う、うまいな!」
「でしょー?もう、これで日本酒があれば完璧なのに!」
「『ニホンシュ』というのは、確か、メグミの国の酒だったか。」
「そうなの!私がこの世界に来て以来、ずっと飲みたいと願っているのが日本酒なの!この世界の酒とは違って、なんていうのかしら、独特の風味があって、美味しいのよ。あー、正月用に奮発して買った『純米大吟醸研ぎ二割三分』を飲まずに死んだことが悔やまれる!!こっちの世界に持って来れたら、ヴィンスにも飲ませてあげられるのに!」
そう言いながら、メグミは今日も辛口の酒をカップで飲み干した。
相変わらず飲みっぷりがいい。
「例の『検索の聖女』に聞いてみたらどうだ?作り方さえ分かれば、こちらでも再現できるんじゃないのか?」
「もうとっくに聞いてみたわよ!でも、日本酒は素人が簡単に作れるようなものじゃないから、さすがにスマホレシピには載ってないみたい。長年の経験と勘で作り出す杜氏の技は、チートも通用しないってことね。」
そう言って、メグミは残念そうに肩を落として見せた。
「確か、米を使った酒だったな。今度、他国にないか調べてみよう。」
俺の言葉に、メグミは嬉しそうに目を輝かした。
二人で焚火の前に座り、ゆっくりと酒を酌み交わす。
一月ほど季節が過ぎたせいか、夜は冷えるようになってきており、焚き火の温かさが心地よい。
「それにしても、今日の石は灰色なのよね。普通の石ってこと?」
「いや、違うな。灰色と呼ばれているが、実際にはブルーグレーのような色だ。」
「ブルーグレーの石ね。なんか、それだけ他とは違うの?」
メグミの問いに、一瞬ギクリとする。
「何故だ。」
「なんか、ヴィンスが今日は少し緊張しているような気がして。」
「、、、種が撒かれてから、もう一月経つからな。そろそろ芽吹くものがあるかもしれない。」
俺がそう答えると、メグミは首をかしげた。
「そうかしら?この種を撒いた人は、本当に芽吹かせる気があったのかしらね。これまで見つけた種は、全部発芽には向かないようなところにばかりあったじゃない。」
メグミの言うとおり、これまで見つかった種はどれも発芽には適さない場所にあった。
ガーゴイルの口の中、船の甲板の上、廃屋の暖炉の灰の中、砂漠地帯の岩の上、そして、国で一番標高が高い雪山の頂上。
偶然にしては出来すぎている。
けれど……。
「まあ、そうなんだが……、今回は違うかもしれない。」
俺は、灰色だけは明確な意思を持って撒かれたことを知っていた。
特別な願いがかけられた、特別な色。
「そうなのね……。そういえば、見つけた種はどうするの?全部集めてから呪文を唱えるとか、そういう感じ?」
「いや、種は見つけ次第、処分する。芽が出てはいけないのでな。」
「処分って、どうやるの?」
「ただ、普通に火で燃やす。そうすれば……『願い』は叶う。」
「お焚き上げか。こういう概念は世界が変わっても同じなのね。」
「そうかもしれないな。火には全てを浄化する力がある。誰にでもできる、一番簡単な魔術と言えるだろう。」
「やっぱり、ヴィンスの言った通り、灰色の種は今までとは少し違う場所みたいね。」
突然、メグミがそう言った。
「どこだ?」
「ほら、見て。なんか、すっごいギリギリのところにあるわよ。」
最後の種も、こうして無事に見つかった。
◇◇◇
「結婚か……。」
ヴィンスが帰った後、私は一人残って、お酒をすすっていた。
イカワタは結構煮詰まってしまったけれど、その苦味でまた酒が進む。
熱燗飲みたいなと考えながら、私は自分には縁がなかった『結婚』というものに思いを馳せた。
いつの頃からだろう。
親がそのことに全く触れてこなくなったのは。
弟が結婚するときには何か言われた気もするけど、初孫が生まれてから、両親の関心はすっかりそちらに向かい、最近では何も聞かれなくなっていた。
たまに電話が来ても、基本は孫自慢ばかりだったし。
たぶん、もう私のプライベートになんて興味がなくなっていたんだろう。
職場でも、コンプライアンス的な問題もあって、この手の話題はタブーとされているから、結婚っていう話題自体久しぶりかもしれないなと思ってみる。
「夫が二人ってすごいよね……。」
二人どころか、さらに追加されそうだという聖女の顔を思い浮かべ、どうやって夫婦生活するんだろうとか下世話なことを考えそうになって、頭を振った。
この世界に召喚された子は、みんな社畜だったという割に、料理やお菓子作りが趣味だったりするから不思議だ。
その例の聖女は『私も社畜だったんで基本はコンビニ飯でした。料理は、たまに早く帰れた時とかに冷蔵庫にあるものでパパっと作ったりしてたくらいですよ。』と言っていたけれど、私の冷蔵庫の中身……、ビール、水、実家から送られてきた梅干しくらいしか入ってた記憶がない。
平日は連日終電、週末は起きたら夕方だったってこともあったなと、改めて自分の生活のやばさを思い出す。
それを考えると、今の生活は朝の祈りの時間が決まってることもあって、すごい規則正しい。
「……もっと健康のことを真剣に考えなくちゃ。せっかく召喚してもらったのに、また突然死したら女神様に申し訳ない。」
カップに残った酒を飲み干し、私は明日からもう少しお酒を控えようと心に誓った。
「明日から」って言っている時点で、メグミは全く酒を控える気がないような・・・。
今回は、私の酒のつまみの好みがものすごく反映されてしまいました。
昔、旅先で食べた超新鮮なイカの丸焼きは忘れられない美味しさでした。
苦くなったワタをつまみに、ちびちびと飲むのが、またいいんですよね。
さて次回は、つまみではなく「魔女の林檎酒」です。
いよいよ物語が佳境に入ります。