(後日談)アップルワイン
感想を書いてくださった方にニッカのアップルワインを教えていただきまして、早速飲んでみたのですが、とても美味しかったです。
その感動を形にしたくて、思わず一話書いてしまいました。
登場人物は、メグミとエルヴィラだけです。
エルヴィラが持ってきた『魔女印の赤子布団』のおかげで、あかりちゃんが久しぶりだという安らかな眠りについた頃、私はまた焚火の前にいた。
今日は、エルヴィラと二人だ。
薪を準備し、この世界では魔力がない人くらいしか使わないという火打ち石で火をつける。
魔法も確かに便利だが、私はこうやって火をつけるのも嫌いじゃない。
元の世界でもそうだったけれど、私は根っからのアナログ人間なんだろう。
「向こうの世界ではそうやって火をつけるのね。見ていて楽しいわ。」
横に座ったエルヴィラが、私の手元に見入っている。
何事にも不器用な私だが、火打ち石で火をつけることだけは、子供の頃、アウトドア好きの父親に仕込まれたので今でもできる。
これが、何故かこちらの世界の人たちには好評で、最近では私があえて点火して見せるようになっていた。
とても不本意ではあるが、この火が巷で『聖火』として持て囃されるようにもなっている。
個人的には、リレーとか始まりそうなそのネーミングが気に入らないのだけれど。
「向こうの世界にだって、もっと便利なものがあったわよ。こうやって火をつけるのは、何ていうか不便を楽しむ?みたいな、そんな感じよ。」
子供の時は、ライターがあるのに敢えて火打ち石で火をつける父のことを理解できなかったけれど、今なら少し分かる。
こうやって火をつけると、火がとても有難いものなんだってことが実感できるような気がする。
「へー、面白いわね。不便が楽しいなんて。でも、メグミがそうやって火をつけるのを見ていると、その気持ちも分からなくはないわ。私もやってみようかしら。」
その美しい紅眼を輝かせて見ているエルヴィラの姿に、やはり姉弟なんだなと少し破顔する。
「ヴィンスと同じこと言うのね。でも、魔法が使える人間には意外と難しいらしいわよ。どうしても魔法を使っちゃうって。」
ほぐした麻紐の中で大切に育てた種火が一気に燃え広がったら、消さないよう慎重に落ち葉と小枝を重ねた焚き火台に移す。
小枝が作り出す炎が、無事に薪へと燃え広がれば成功だ。
この緊張感も、また焚火の楽しさなんだろう。
火が安定して来たのを見計らって、お酒の準備をする。
今日は夕食を済ませた後なので、エルヴィラが持って来てくれたアップルワインをシンプルにロックで飲むことにする。
つまみもナッツ類とチーズという最小限のものにした。
たまにはこんな夜もいい。
「今日はありがとう。あかりちゃん、本当に喜んでたわ。エルヴィラが許してくれてるのが分かったのも嬉しかったんだと思う。」
元の世界で地下アイドルをやっていたというあかりちゃんは、見た目の割には苦労人で、幼い異父弟を育てるシングルマザーの母親を支えるためにずっと頑張ってきた子だ。
イケメンに弱いのは母親譲りとのことだが、『これからはこの子のために頑張ります!』と力強く宣言していたし、もう大丈夫だろう。
保育士免許だけでなく幼児教育のディプロマまで持つ有紗ちゃんは、教育のプロフェッショナルだし、エリク元王子のところで一人で育児をするよりは、ここに戻って来た方が安心だろうとも思う。
「いいのよ、大したことじゃないし。私も彼女と話せて良かったわ。なんていうのかしら、夢から醒めたっていうか、改めてエリクのことを客観的に考えられたわ。今となってみれば、なんであんなのに引っかかったのか不思議なレベルよね。」
エルヴィラがグラスを傾けて、中の氷をカランと鳴らす。
焚火を見つめて微笑むその横顔は、相変わらず彫刻のように美しい。
「エルヴィラがそう思えるんだったら良かった。」
エルヴィラと同じようにグラスの中で琥珀色の液体を揺らす。
口をつければ、ほのかな林檎の薫りと共に樽の風味が鼻腔をくすぐる。
「そういえば、いつ結婚するのよ。私、早くメグミのドレスの予約をしたいんだけど。今年のコレクションもなかなかの出来なの。いくつかピックアップしてあるから、安心して!」
エルヴィラの問いかけに、思わず目を逸らす。
今、私はヴィンスからのプロポーズの応えを先延ばしにしていた。
気持ちを受け入れたものの、その先のことなんて全く考えていなかったのだが、ヴィンスは思ったよりもせっかちで、すぐにでも結婚するつもりだったらしい。
「いや・・・なんていうか、そこまで急がなくてもいいんじゃないかなと思って。」
「何言ってるのよ。こういうのは勢いが大事なのよ。それに、ヴィンスは身内の私が言うのもなんだけど、なかなかのいい男よ。馬鹿がつくほどの真面目だし、王子という肩書きに甘んじることなく魔術師としてやっていけるだけの実力もあるし、何が不満だって言うのよ。」
いやいや、全く不満はないんですけども、結婚となると色々考えることはあるわけで。
「分かってるわよ。私には過ぎた話だって。でも、結婚となると色々考えちゃうじゃない。向こうはまだ三十にもなってないのに、私はもうすぐ四十だよ。それに、ヴィンスの今のテンションがいつまで続くかも分かんないし。」
「メグミって、本当にそういうところ後ろ向きよね。まだ、前の男のこと引きずってるの?えーっと、確かメグミの方が先に出世したのが気に入らず、若い女と結婚したんだっけ?」
「あーーー、もうその話、忘れて!それは関係ないから!」
いつかの飲み会で口を滑らせたことを悔やむ。
まあ、よくある話だ。
私は新卒で入社した会社の同期と付き合っていたのだが、私は与えられた仕事をこなすうち、いつの間にか仕事が楽しくなって、それなりに出世してしまった。
けれど、逆に彼の方は伸び悩んでしまってギクシャクしているうちに、後輩のゆるふわ女子に取られてしまったのだ。
『恵は一人でも大丈夫だろ。』
これもまたよくあるセリフ。
けれど、そう言われて、確かにそうだなと納得してしまう自分もいた。
私には仕事がある。
誰かに頼らなくても、私は生きていける。
思えば、元の世界でも私はピンチヒッターだったなと思い出す。
私は新卒でコールセンター部門に配属されたのだが、入社5年目の時、当時、マネージャーをしていた女性の先輩が切迫早産で緊急入院することになってしまい、彼女が入院している間だけという条件で、その穴を埋めることになったのだ。
まだ経験も知識も何もかも足りなかったけれど、正社員のスタッフが少なかったこともあり、白羽の矢が立ったのだ。
そこからは、もう必死だった。
自分よりもベテランのパートさんや大学生アルバイトのみんなに助けてもらいつつ、突然開いてしまった大穴を埋めるのに必死だった。
最初はハードクレームへの対応がうまくできず、マネージャー代理という肩書きをもらっているにも関わらず、ベテランパート社員に電話を代わってもらったこともあった。
大学生アルバイトが同時に休む試験期間のシフト調整や、インフルエンザが流行する季節の対応、いつもいつも必死だった。
短期だったはずの仕事は、先輩がそのまま産休、育休へ入ったことで延長された。
先輩が戻ってくるまでと自分に言い聞かせているうちに二年が経ち、気付けば私の肩書きから『代理』の二文字は消えていた。
同期では、一番の異例の出世だった。
上司は、私がマネージャー代理に就任してから顧客満足度、応答率が上がり、逆に離職率は下がったことなどを評価したと言っていた。
でも、それは私の実力なんかじゃなく、私があんまりにも頼りなかったから、パートさんやバイトの皆が頑張ってくれただけなんだけど。
そして、その時は来た。
今でも覚えている。
確か、同期の結婚式の帰り道だったと思う。
急に二人きりになって、そういえばこんな風にゆっくり話せるのは久しぶりだななんて思って、私は馬鹿みたいに浮かれていたのだ。
『好きな人ができた。』
駅へと向かう道すがら、彼はさらっとそう告げた。
聞けば、彼の部署に配属された新卒の女の子だという。
『恵は一人でも大丈夫だろ。なんたって、同期で一番の出世頭だしな。うちの部長も褒めてたよ。この前、恵がまとめた公式サイトの改善要望がすごい的を射ていたって。恵の指摘通りにしたら、一挙に売上が伸びたってさ。お前も見習って、もっと顧客目線を持てって言われたよ。』
当時、私はコールセンター部門の待遇改善に取り組んでいた。
コールセンター部門をただのクレーム処理係からもっと意味のあるものへ発展させ、いつも大変なクレーム対応に当たってくれている仲間のモチベーションを上げたいと思っていた。
だから、パート・アルバイトなどの雇用形態を問わず、みんなから改善要望を集め、それをレポートにまとめていたのだ。
けれど、それが入社以来ずっと企画畑で頑張っていた彼のプライドを傷つけたのだろう。
それにレポート作成のため毎日深夜まで残業しており、ずっと彼に会う時間さえ取れていなかったんだから、無理もない。
彼が仕事を辞めて、その彼女と家業を継ぐために田舎へ帰ると知ったのは、その数ヶ月後だった。
挨拶回りに来た彼女のお腹がずいぶん大きいような気がしたけど、それよりも目の前の仕事をこなすのに忙しかった。
忙しくしていれば、いろんなことが気にならなかった。
私たちが付き合っていたことを知っている人たちが流す噂話に耳を傾ける余裕もなかった。
そして、同期が次々と結婚して、部下の結婚式でするスピーチもすっかり板について来た頃、私は悟ったのだ。
違う道を選んだんだって。
「うまく言えないけど、そっちの道に行くのは予定してなかったから道の先がわからないっていうか、進み方が分からないっていうか。まったりと温泉でも浸かりに行こうと思って家を出たのに、ディズニーランドに着いちゃったくらいの場違い感がすごいのよ。」
「ディ・・・ランド?なにそれ?」
「ディズニーランドっていうのは元の世界にあった『リア充』っていう、幸せな私を世界中に見てほしいみたいな人たちがこぞって行く場所で、疲れ切った三十路すぎの社畜が行ったら瀕死の重症を負うところよ。まあ、危険だから、ここ十数年近寄ったこともないけど。」
「ふーん、幸せな人たちが行くところね。でも一人じゃなく、ヴィンスと行くんだから問題なくない?」
エルヴィラの言葉に、脳内でヴィンスがディズニーランドにいる光景を思い浮かべた。
確かにヴィンスと行くディズニーランドだったら、それなりに楽しいかもしれない。
ヴィンスは何事も楽しむ性格だから、きっとあのキラキラした空間にも即馴染むだろうし、むしろパレードの台の上で手を振っていたって違和感ないだろう。
っていうか、リアル王子なんだから、すごく絵になるに違いない。
さすがにカチューシャは付けないだろうけど・・・いや、イケメンだから何しても許される?
なんて色々想像を巡らせていたら、自分の口元が緩みそうになっていることに気づき、慌てて意味もなくグラスをくるくると回す。
琥珀色の液体が、焚火の炎を受けて揺らめいている。
本当は分かっている。
いい歳して、浮かれてしまう自分が怖いのだ。
もう自分の人生に、恋愛は関係ないと思ってた。
だから、ヴィンスの直球な愛情表現に戸惑ってしまうし、浮き足立ってしまう自分が恥ずかしいのだ。
氷が溶けてきたアップルワインを一気飲みする。
紅眼の魔女一の酒好きとして知られているエルザさん自慢のその酒は、日本の梅酒にも似た味わいがある。
ブランデー樽で熟成されたというだけあって、ブランデーのような香りはするが、アルコール度数はそれほど高くない。
けれど、今日は無理矢理にでも酔いたくなる。
「浮かれていいんじゃないの?結婚ってそういうもんでしょ?」
「でも、もうこの歳だよ!浮かれて結婚なんて、恥ずかしくってできないよ!それに、聖女の立場を利用して、若いイケメン王子を誑かしたって世間様に思われてるんじゃないかと思うと・・・。」
私がそこまで言葉を紡ぐと、エルヴィラは手に持っていたナッツを放り投げて器用に口でキャッチし、呆れたようにため息を落とした。
「世間様って誰よ。結局、自分を幸せにできるのは自分だけなのよ。前から思ってたけど、メグミはもっと自分の欲望に忠実になった方がいいわ。人も魔女も、いつかは必ず死ぬのよ。大魔女樣はよく言うわ。やらずに後悔するより、やって後悔する方がいいって。私もそう思う。結婚するチャンスなんて、人生でそう何度も巡ってくるわけじゃないのよ。失敗したっていいじゃない!男と別れたからって死ぬわけじゃないんだから!」
エルヴィラの言葉が妙に心に沁みた。
そういえば、今の私にはうるさく言ってくるような人は誰もいないんだったなと思い出す。
元の世界だったら、『若い男に騙されてる』とか『いい年してみっともない』なんて言って来そうな人の顔が何人か思い浮かぶけれど、ここは異世界。
そんな人たちの声は耳に入ってこないのだ。
「そうだ!恥ずかしいんだったら、一緒にウェディングドレス着てあげるわよ。ちょうど、今年のコレクションに気に入ったドレスがあるの。なんで今まで思い付かなかったのかしら。それなら、メグミが浮かれてても目立たないでしょ?」
一瞬元の世界に心を飛ばしていた私の耳に飛び込んできたのは、エルヴィラのそんなとんでもない提案だった。
いやいや、そしたら主役がどっちか分からないじゃない!と言いかけて、目立ちたくないから、むしろその方がいいんだろうかなどと思い悩んでいるうちに、その夜は更けていった。
そんなエルヴィラの強力な後押しを受けて、私がヴィンスのプロポーズを受け入れたのはその数日後のこと。
ちなみに、プロポーズを承諾した直後、私はその余韻を楽しむ間もなく、エルヴィラに拉致られてドレスショップの採寸台の上にいた。
そこからは流れるようなスピードで全てが進み、いつかの生誕祭のごとく、気づけば結婚式当日を迎えていたのだった。
余談になるが、あれだけ約束したにも関わらず、エルヴィラは結婚式当日、ウェディングドレスを着なかった。
柄にもなく恥ずかしそうに目を伏せたエルヴィラが、『やっぱり本番で着ようと思って』と、まるで林檎のように頬を赤らめたのはまた別の話で。
アップルワインは、食後にロックで飲むのが気に入っています。
他にもオススメのお酒があれば教えてほしいです!
特に、熱燗にオススメの日本酒募集中です!ぬる燗派です。