第7部分 月刊メー
第7部分 月刊メー
今日はなんとなく落ち着かない。帰りには絶対本屋に寄らなくちゃ… まだ昼休みに入ったばかりの時刻だが、なんとなく朝からそわそわしてたらしい。
見かねたユカさんが
「ラクさん、今日は良いことあったんですか?」
と声を掛けてきたほどだ。
ここは休憩室に向かう廊下で、今周囲に人影はない。
「あ、いや… わかりましたか… 今日は実は待ちかねた日でしてね」
「あら、デートですか、いいですね」
やばいな…
その声と態度に険を感じる。
「いえ… あ、そうだ。突然ですが、今日帰りにデートしませんか」
咄嗟の機転で、小声ながら思い切り勇気を出して誘ってみた。
「あら、お邪魔はしたくないから…」
つと、給湯室に行きかけるのを
「ぜひユカさんに付き合ってほしいんです。今日本屋に行くもんで、な」
「本屋さん… ですか?」
数瞬おいて足を止め、振り返った顔からは、まるで拭き取ったかのようにとげとげしさが消えていた。
「はい… 本屋です」
「本屋… でも、なんで私が?」
「ちょっとね… ある本を買うので、それを見てもらってですね、ユカさんの意見を伺いたいんです」
「アタシの… 意見ですか?」
「はい… やはりユカさんの意見を聞きたいんですよ。ね、お願いします。本当は一度読んで考えてから相談しようと思ったんですが… やっぱ一緒に行っていただく方が良いと思って… お願いします」
片手拝みにウインクも付けて頼んでみた。
「ええ、でも…」
「それに、それがユカさんを誘う口実になるから、ということです。もちろん夕食も…と思ったけど、突然過ぎて迷惑ならこの次に」
「はい、いいえ… その返事今じゃなきゃだめですか?」
「ぜんぜん。ノープロブレムです」
「アタシ、明日なら大丈夫なの。今日は母がワクチン打つはずだから」
「あ、あ、構いませんよ。私が今日じっくり読んでおきます。明日は一緒に食事しながらアバウトを話しますから、意見を利かせてください。それで良いですか?」
「ええ、わかったわ。あすはそれじゃ、例の洋食のところに連れてってくださる?」
「with pleasure、喜んで。六時半に予約入れときます」
「やった、ラクさんゴチっ!、一食浮くわ」
振り返りもせず、鼻歌まじりにドアを開けて行ってしまった。
おい… 私は利用されてるだけなんだろうか?
いや、デートのお誘いに気安くノルのは、彼女のプライドにとっては今ひとつシャクに触ることなのかも知れない。
前回のデートから10日ほど開いてしまったからなあ… 私は反省していた。例の「制御台風」構想のために、二日に一度は泊まり込みでコンピュータ150台ほどを並列で計算させるシステムとプログラムを作っていて、ユカさんとの2回目のデートが伸び伸びになっていたのである。このことはユカさんも知っているはずだが、次回を提案してこない私の対して不信感とかフラれた感を持っていたのかも知れない。
そのうえでのアノ行動なら納得がいく。ある程度目鼻がついた今日は、早めに上がって買ってくるアノ本を読むことにしよう。
実のところ、博士の米国行きは実現していない。飛行機の予約を取った翌日、何を思ったのか例の北のバカ殿どのが大陸間弾道花火を打ち上げ、世情が騒然としたからである。ロフテッド軌道で発射されたその花火は、あろうことか、わが国のEEZ内に落下したのである。さらに欧州では某国が戦の準備を進めているとのニュースが流れ、国務長官も博士のホラ話に付き合う時間を確保できるはずもなかった。博士はしかし、別段機嫌を損ねた様子もなく、台風発生とその後の進路を決める要素の確率計算を
「ここはひとつ頼むぞ、ラクどん」
と私に任せると、
「ワシはな、バカ殿に食わせて効くような精神安定剤の開発を始めるから」
と、よくわからない文献をひたすら読み続ける毎日が始まったのだった。
一度だけ、博士が防衛省に行くからと外出したときにこっそりその資料を覗いてみたことがある。海産動物、陸上植物、毒物の本… ぎょうぎょうしくわざわざカバーまで掛けてあった「論文集」だと思ったものが、開けてみたら「月刊メー」であったのには、まさに度肝…というか、毒気を抜かれた思いであった。
なぜかと言えば… 「メー」というその雑誌はその筋では超有名なオカルト誌だったからだ。おそらくオカルト誌としてはシェアNo.1、もしかして独禁法に触れてしまうのではないかと思うくらいその筋のファンには愛読者… いや、むしろ「信奉者」ともいうべき方が多いのだ。
サイエンティストの最たる博士が「メー」を愛読とか…
「ふふ、笑えんな…」
そう笑いながら私はその「メー」を一息に読みきってしまったものだ。
「ああ、久しぶりだったな」
腱鞘炎気味の腕と腰の痛みを気にしながら元通りに本を返し、なんとなく疚しい想いから醒めてホッとできた。
かつて自分も愛読者だったのだ。
ここ数年忘れるともなく記憶から消えていた雑誌だった。まるで年末大掃除のときに見つけたウン十年前の新聞を読んだ気分だ。
やば… もうお昼じゃん。
ふと我に返って雑誌を閉じるときに、ふと目に入ったのが来月の特集である。
「総力特集 「天使か悪魔か、禁断の“能力”を持つ人々」 ~それはUFOの生体実験の痕跡か~
あああ…
白状しよう。
私もサイエンティストを自認するくせに、こういう宣伝文句には弱い。そういう意味では博士と同じ穴のムジナ、全く… 苦笑いしかできないじゃないか。
どうせインチキか与太話なんだけど…
好奇心と関心が強い分だけ、サイエンティストはこのテの話に弱い。わかっているくせに… そう自嘲しながらも早速本屋に電話して「月間メー」を予約した。
あれから10日ほど、私は文字通り寝食を忘れる勢いで準備とプログラミングに没頭していた。いまから高性能な巨大コンピュータを作る時間的余裕はない。だから既存のPC150台を使って天気予報のような確率計算をさせるのである。この資金と労力を仮想通貨のマイニングに使えたら、きっと大金持ちになれたはずだが… それもいまとなっては繰り言に過ぎない。
PC12台を一組にして同一の初期条件を与え、台風の発生から予想進路、そして消滅に至るまでを演算させる。これを12組のPC群にそれぞれ独立に並列計算させるのである。カオスの事象ゆえ、当然いろいろな異なる結果が出るので、これに統計処理を加えて確率的に可能性が多い予想を導くのである。このために144台のPCを動かすことになる。他に指令用および指揮用のPCを4組に1台付け、のこりの3台は故障の際に瞬時にバックアップする予備機とする。PCの買い付けと条件交渉、仮設小屋の設置、電源と空調の確保、全体のコントロールを行うメインコントローラーとサーバーの設置…
やることは山ほどあったのだ。その中で楽しみに待ち続けたのが今日、雑誌の発売日だったのだ。
「そっか、ユカさんごめんね。待たせちゃったかもね」
そう呟いてから歩き出す。休憩室には弁当屋が届けてくれた昼食があった。容器を手に取り蓋を開けるとかすかな蒸気が立ち上り、出汁と醤油の臭いが鼻腔を擽った。
「いただきます」
いつもの習慣で誰にともなく感謝を述べ、箸をとって玉子焼きをはさんだ。ユカさんからの好意が確信できたようで、玉子焼きからだし汁が口内にじわじわ沁み出すように、全身に喜びが込み上げてきた。
ところで… 私が執着を持って読みたかったのは「磁石人間」の項目である。
「メー」の説くところ、人間にも特殊能力が宿ることがあるという。いわく霊が見える、いわく病が見える、いわく過去が見える、いわく将来を予言できる、いわく透視能力がある、いわく動植物と会話できる、いわくテレパシーができる、いわく念動力がある、いわく宇宙人と交信できる、いわくタイムトラベルができる… えっマジってものから、絶対出まかせのデタラメだろってものまでじつにさまざまだ。
それぞれ言いたい事や疑問に思うことはあるけど、言い出せば切りもないことも確かだから無念だが割愛しておく。
さて、磁石人間とはどんなものか。それが分からないから読んでみたいのだが…
なぜ磁石人間に興味があるのか… それを話した方が速いかも知れない。まず磁力の作用について触れておこう。
鉄やコバルトは強磁性体で、磁石を近づけると磁性を帯び、他の磁性体とは引き合ったり離れよう(斥力)としたりする。しかし金属ならすべてが強磁性体というワケではない。現に銅でできた10円玉やアルミニウムでできた1円が磁石に付くことはない。
だからと言って磁力と無関係というワケではない。ここが実に不思議なところなのだ。原理は同じだが、アルミニウムの例を2つ挙げてみよう。
水に浮かべた1円玉を、手を触れずに動かすことができる。わたしにも、あなたにもできる。きれいに洗った1円玉は水に浮かべることができる。そっと水に載せるだけで、だれにでもできる。どうしても難しければ、和紙に1円玉を載せて水に浮かべれば良い、やがて和紙に水が沁みて沈み、周りの水を押しのけるようにして「表面張力によって」1円玉が浮いて残っていることだろう。この1円玉に強力なネオジム磁石数個を繋げたものを近づけると、1円玉はまるで「磁石に追われて逃げるように」動くのである。
アルミの直系1cmくらいの細い管があれば、こちらの実験も試していただきたい。単3か、単4の乾電池の両端にネオジム磁石をくっ付けてこの管の中を落下させるのだ。すると通常の落下よりもずっと遅く落ちて来る。どちら実験も、何度やっても、摩訶不思議としか言いようのない現象である。科学を知らない人が見たら神だ奇跡だと言い出すこと請け合いである。
こうした性質はアルミニウムだけには限らない。蛇口からすーっと一筋垂れ続ける糸のような水。この落ちる水の糸の近くに磁石を近づけてみると… 真下に落ちる水の軌道が曲がるのである。磁力は磁性体、非磁性体を問わず何らかの作用を与えるのである。
以上の3つの話には共通点がある、それは導電性の物質が相対的に動いているという点である。難点は水だが、何らかのイオンが溶けていれば導電性を持つし、ミクロの眼でみるなら水分子は「極性分子」であって、1つの水分子の中の酸素原子近くがδ(デルタ)―(マイナス)の、水素原子近くの部分がδ+(プラス)の部分を持つため、磁力の作用を受けやすい素地は持っているのである。
磁力線はN極から出てS極に向かう。地球も一種の磁石であり、北極近辺がS極、南極近辺がN極の性質を持っている。だから方位磁石が成立するし、有害な太陽風や宇宙線から地表をガードする役割も果たしてくれている。オーロラの発生も地球を覆う磁場と大いに関係がある事象である。ハトなどの鳥は磁力線を感じて帰巣に利用したり、渡りのコースを学習したりするとも言われている。また微細なバクテリアにも、その単純なはずの細胞の一部に連なった磁鉄鉱の粒子を保持して何らかの用途に立てている種類があるらしいことが示唆されている。
これらの事実を考え併せると… 単なるオカルト話とは言い切れない「何らかの可能性」を感じないだろうか。少なくとも私は… 大いに感じてしまったのだ。