◇◇◇1-③小麦焼失事件◇◇◇
三日後、クレストフが深夜になってからロドルフを訪れた。
「夜分に申し訳ありません。至急お耳に入れたいことがございまして。」
「かまわぬ、申してみよ。」
ロドルフは既に寝室にいたが、執務室でクレストフの話を聞いた。
「例の買い占めの件ですが。」
「何か分かったか?」
「昨年南部で買い占めが有ったことはご存知でしょうか?」
「うむ、知っている。」
「その買い占めが有った後に農家の共同貯蔵庫が火事にあい、豊作であったにも関わらず小麦の相場が高騰しているのです。」
「・・・・・・」
「大量に買い占めた商人は巨額の利益を得たと言うのです。」
「臭いな。」
「はい、そして今年の王都近郊での買い占めの動き、何やら去年の一件と酷似しております。」
「分かった。引き続き探ってくれ。それから、何人か憲兵を農民に紛れ込ませて小麦貯蔵庫の警戒を強化するように。」
「はっ、畏まりました。」
クレストフが去るとロドルフは、誰にともなく呟いた。
「聞いたな。」
「はっ。」
ロドルフの至近に方膝をついた影があった。
「良し、行け。」
音もなく影は消えた。
翌朝。
「陛下ぁ~」
ガストンの声が宮廷に響いていた。
◆◆◆◆◆
数日後、ロドルフの姿は穀倉地帯にあった。
農民に混じり、小麦の収穫作業に汗を流していた。
「王様ぁ、疲れませぬかぁ~」
「大丈夫だ!体を動かすのは気持ち良いな!」
「あははは、毎日やってみなされ、うんざりしてきますで。」
「だが、こんなにもたわわに実った小麦を見ると元気も出るだろう!」
「そりゃ間違いねえなぁ!」
笑い声が絶えなかった。
「陛下、見慣れぬ者が数人紛れ込んでいます。」
ロドルフの後ろで作業していた男がロドルフにだけ聞こえるように話しかけてきた。
「何処だ?」
「貯蔵庫の辺りです。畑のなかにもいます。」
「分かった。」
「おおいっ!爺さん!一服しようか?今日は旨い菓子を持ってきたぞ!」
ロドルフは休憩を呼び掛け、農民を集めた。
農民に菓子を振る舞うと、ロドルフは集まった農民の中に、怪しげな人物が消えているのを確認した。
「クレストフ、バルトロ、散開して貯蔵庫を目指せ。」
ロドルフは指示を与えると、自らはまっすぐ貯蔵庫を目指して走り始めた。
途中、農民に紛れ込ませていた憲兵と合流し、貯蔵庫の手前100m程の所に身を潜めた。
右側にはクレストフが、左側にはバルトロがそれぞれ十数人の憲兵を従えて待機した。
貯蔵庫では、数人の男が働いているように見えた。
しかし、明らかに農作業とは言えない動きをしていた。
その中の一人にロドルフは注視した。
明らかに軍人の挙動だった。
「ジェレミア、何故軍人がいる?私の配下か?」
「いえ、おそらく傭兵か貴族の私兵であろうと思われます。」
「そうか、ならば行くか!」
ロドルフは立ちあがり、貯蔵庫の男たちに声をかけた。
「ご苦労、向こうで菓子でも食わぬか?」
突然声をかけられた男たちは振り向き様身構えた。
「見慣れぬ顔だな。」
ロドルフが何気ない足取りで近付いた。
「我々は人手が足りぬと言われて手伝いに来たものです。」
警戒心を隠しきれずにリーダー格の男が答えた。
「ほう、世の中から戦が無くなると、傭兵も畑仕事をするか、けっこうなことだ。」
言い終わらぬうちに男たちは隠し持っていた剣を抜いた。
「どうやら収穫の手伝いと言うわけでは無さそうだな。」
ロドルフは言うなり近くの男と間合いを積めた。
降り下ろされた剣を躱し様、当て身を食らわせた。
クレストフとバルトロも左右から挟撃の形をとり次々に男たちを倒していった。
頭目格の男が貯蔵庫の奥へ走ったのが見えた。
ロドルフとジェレミアが後を追ったが、「パンッ!」と何かが弾ける音とともに煙が立ち上った。
「火だ!」
反射的にロドルフは近くにあった水桶を煙の立った方向に投げつけた。
立ち上る煙の中から男が飛び出してきた。
追いかけようとするジェレミアやバルトロをロドルフは制した。
「火を消すのが先だ!小麦を守れ!」
立ち上る煙を見て農民が集まってきた。
「あああっ小麦がぁ!」
悲鳴を上げる農民にロドルフは消火の指示を出した。
「慌てるな!水だ!水を掛けろ!運び出せる小麦は運び出せ!クレストフ!運び出しの指揮を取れ!バルトロ!消火の指揮を取れ!無理はするな!」
「陛下、油が飛び散り火の回りが早うございます。」
「分かった!とにかく運び出せる小麦を運び出せ!急げ!」
ロドルフが先頭になり、水で火の拡散を押さえつつ小麦の運び出しに注力した。
一時間後、ようやく火は収まったが、貯蔵庫の小麦の1/3が焼失した。
「すまぬ、我々がついていながら小麦を焼いてしまった。」
ロドルフが農民達に頭を下げた。
「お、王様ぁ、頭をあげてくださいまし、王様方がいなけりゃぁ全部燃やされていたと思いますに。」
「いや、油断であった。この事故についてはしっかり保証をする。クレストフ、損害の程度を後程報告せよ。」
「はっ、畏まりました。」
貯蔵庫はすっかり焼け落ちてしまった。
しかし、消火よりも小麦の運び出しを優先したため、火災の程度にも関わらず損害は少なかった。
運び出せた小麦は王城の倉庫に仮置きすることとなり、城からの応援の馬車で遅滞なく運び込まれた。
翌日、ロドルフのもとに各地から同様の火災事故が報告された。
被害の程度は様々であったが、中には収穫した小麦が全焼するという事案もあった。
ロドルフは被害の調査と対策に追われた。
「カミーユ、父上、伯父上それからじい様の所へ使いを出せ。
今回の事件でかなりの小麦が焼失した。
各地の余剰を調査して可能な限り王都へ送って頂けるよう手配せよ。」
「畏まりました。」
「それから父上には、今後の小麦を主体とした備蓄施設についてプーリーにて建設を考えていることも合わせてお知らせせよ。」
「畏まりました。
では、プーリーには、アベル様とデメトリオを派遣いたしましょう。
アベル様にはヴァレリー様の代理を、デメトリオには建設計画の実務を担当させましょう。」
「よかろう。早急に行動に移せ。」
ロドルフの元には入れ替り立ち替り報告が寄せられた。
そのような最中、ジェレミアが放火犯に関する報告を持ってきた。
「陛下、放火した男たちについてはまだ調査中ですが、小麦を買い占めていた者達について幾つか分かったことがございます。」
「話してみよ。」
「はい、南西部ブルデアの商人でかなり手広く商いをしているエーリッキ・ヤルヴェラという者が買い占めの元締めのようです。」
「名前からするとロジリア北方出身のようだが?」
「はい、しかし、この者は祖父の代にブランシュへ移民としてやって来たようで、本人はブランシュ生まれのようです。」
「いくら手広く商いをして金があろうと、一商人がこれ程の悪事を企図し、実行出来るものか?」
「いえ、さすがにそれは無理かと思います。」
「ならば黒幕は別にいると?」
「はっきりとは申し上げられませんが、エーリッキが富を得て、得をする者が居たとすれば、その者にも疑いが生じましょう。またはもっと政治的な理由を持つ者の仕業かもしれません。」
ロドルフは少し考え、ジェレミアに指示を与えると、自らも執務室を出た。