序章④『影』
序章の最後になります。
ロドルフが帰還して二日後の夜、ロドルフは一人ヴァレリーを訪ねた。
「父上、お話が御座います。」
ヴァレリーは無言で椅子を指し示した。
ヴァレリーは感じていた。
ロドルフは、帰還してからずっと何かを伝えたがっていると。
だから敢えて誘拐犯や、拐われてからの2年間について何も聞かなかった。
もう少し後になるだろうと思っていたのだが、二日後にロドルフはやって来た。
「ロドルフ、話を聞く前に預けた短剣を見せてくれるか?」
ヴァレリーに促され、ロドルフは短剣を渡した。
ヴァレリーは短剣を鞘から抜き放ち、刀身をじっと見つめた。
「生半可な2年間ではなかったようだな。」
刃こぼれが激しく、血脂で曇る刀身を見詰めると、ため息にも似た、絞り出すよな声になった。
どれ程心配をかけたのだろうか?
ロドルフは心から詫びたくなった。
そう思うとロドルフの双眸から涙が溢れ出た。
「ち、父上・・・ご心配を・・・」
自分で思ったよりも声にならなかった。
「よい、そなたが悪いわけではない。さあ、話を聞こうか⁉」
ヴァレリーは努めて明るくロドルフを促した。
「はい・・・」
そう言って鼻をすすり上げ、ロドルフは大きく息を継いだ。
「先ずは父上に会っていただきたい者がおります。」
「?」
深夜、国王に謁見するなど、いくらヴァレリーが形式に拘らなくとも有り得ることではなかった。
それだけに、ロドルフの言い様は常ならざるものだった。
「誰かを会わせたいなら明日の話か?」
「いえ、内密にお会いいただきたいのです。よろしいですか?」
ヴァレリーは訝しんだが、ロドルフの目は、真っ直ぐにヴァレリーを見詰め、曇りが無かった。
その息子の目を信じられないわけがなかった。
「いいだろう。」
ヴァレリーはそう答えた。
「ありがとうございます、父上。しかしその者は父上とは面識があるはずです。」
「そうなのか?ならば早く呼ぶが良い。」
「もう来ております。」
ヴァレリーは背後を振り返った。
腰の剣を抜こうとしたが、深夜の私室だったため、帯剣していなかった。
こめかみに一筋の汗が流れた。
王宮の、それも国王の私室に誰にも気付かれる事なく忍び込み、百戦錬磨のヴァレリーにさえ気付かれずに背後を取るなどあり得ないことだった。
ヴァレリーは喉の乾きを覚えた。
「父上、ご心配には及びません。この者は父上も存じよりのジェレミアです。」
「ジェレミア?」
「はい。」
「キミヤスの従僕だったあのジェレミアなのか?」
ジェレミアは答えない。
代わりにロドルフが答えた。
「はい、そのジェレミアです。そして、2年前、私を拐ったのもこのジェレミアなのです。」
稲妻が轟くような衝撃だった。
ヴァレリーは反射的に壁に掛けてあった剣を取り、抜剣してジェレミアに突き付けた。
それでもジェレミアは微動だにしない。
ロドルフも落ち着いた様子でそれを見ている。
「ジェレミアは、父上に討たれるならば本望だと申しております。ヴァルハラへは行けまいが、何とかキミヤス殿に会って詫びを言いたいと。」
「な、なにを・・・キミヤスが許すと思うかっ!」
ジェレミアはおもむろに顔を上げた。
その頬には涙が伝っていた。
「御叱りになられるでしょう・・・二度と顔を見せるなと言われるでしょう・・・しかし、しかしロドルフ殿下が殿下の為に働けと言ってくだされました・・・そうすればキミヤス様もいくらかは・・・」
ヴァレリー自身、ジェレミアには負い目があった。
キミヤスから幼かったジェレミアを託されたにも関わらず、ジェレミアが出奔するのを防げなかったのだ。
一連の経緯から思えば、幼かったジェレミアがヴァレリーを恨んだことは想像に難くない。
しかし、腹心であり、友とさえ思ったキミヤスの死は、当時のヴァレリーを喪失させていた。
ジェレミアに突き付けた剣先が震えた。
「父上、私はこの2年間、ジェレミアと共に過ごして参りました。当初はロジリアへ売られる予定であったようですが、キミヤス殿の剣がジェレミアの目を覚まし、私を救ってくれました。
これはキミヤス殿がジェレミアにチャンスを与えたのではないでしょうか?」
「チャンス?」
「はい。志半ばで亡くなったキミヤス殿が、キミヤス殿の代わりにジェレミアを遣わしたのではないのでしょうか?」
「そ、そのようなことが・・・」
「キミヤス殿の代わりにジェレミアを遣わすためのジェレミアの出奔であり、私の誘拐であったと私は理解することに致しました。」
ヴァレリーはまじまじとまだ10歳の次男を見つめた。
「「なんという事を考えるのか⁉これが10歳の子供の考えることか⁉」」
ヴァレリーは内心舌を巻いた。
フウッ、と息を継いでヴァレリーは剣を下ろした。
「ロドルフ、本気なのだな?」
「はい、この2年の間、私はジェレミアと共に死線を潜り抜けてきました。
その間、ジェレミアは臣下として見事に任を果たしました。
本当はもう少し早く帰れたのですが、折角なので私の武術修行の為に少し遠回りしてきたのです。」
「な・・・」
「ジェレミアの覚悟は見ました。行動も見ました。幼少期のキミヤス殿との話も聞きました。幼ければ父上を逆恨みしたことでしょう。
その上で私はジェレミアを護衛として、ブランシュ王国としてではなく、ロドルフ・ダンドリュー個人として従者と致したくお願いもうしあげます。」
ロドルフはそう言って頭を下げた。
ヴァレリーは全てを飲み込むかのように目をつぶり、顎を上げ唾を飲み込んだ。
ヴァレリーの喉仏が大きく上下した。
「良かろう・・・」
「父上!」
「ただし!」
ヴァレリーは、カッと目を見開きジェレミアを睨んだ。
「ただし!ロドルフの命が尽きようとするときは、その命をもってロドルフを守れ!」
そう言ってヴァレリーは剣の腹をジェレミアの肩に乗せた。
騎士を任命するときの儀式であった。
「承りました・・・」
床に涙がこぼれ落ちた。
ロドルフが初めて臣下にした男は、王家の守護神キミヤス・ダテの従僕であり、ロドルフを拐った誘拐犯であり、暗殺者の過去をもつ男であった。
そしてその男ジェレミアは、生涯ロドルフの影としてロドルフを守り続ける事になる。