◇◇◇2-③鉄を叩く鎚◇◇◇
「リノでは不手際な事であったな・・・」
金色の左目が冷たく光った。
「申し訳ございません。有力商人が総督邸に集まっていたこともあり、警備が集中しておりました。市街の被害規模は当初の目論みと差違はございませぬが・・・」
「言い訳をするでない!リノの有力商人が総督邸に集まることを事前に承知しておればわざわざ市街に手下を散らばす必要もなかったであろうが!全滅するともバンジャマンの息の根を止めることが叶ったやも知れぬ!」
金色の左目に憤怒の炎が揺れていた。
「申し訳ございません・・・巫女様、代わりと言ってはなんですが、レアンドルめの息の根を止める機会がめぐって参りました・・・」
「・・・どう言うことだ?」
「はい、王弟アベルがレアンドルと共にダレツへ向かうようです。その詳細は調査中ですが、ダレツ国内にてこの2名が命を落とせばブランシュはダレツと戦争状態となるやも知れませぬ。刺客の一団を送り込みたく思いまする。」
「ベベリスク、その方自らその刺客を率いよ。失敗したなら帰るに及ばず・・・」
「・・・巫女様・・・」
「その方の代わりなどいくらでもおる。使えぬものは要らぬ。努々努力を怠らぬことだ・・・」
ベベリスクと呼ばれた男は、方膝をつき頭を垂れた。
しかし、その目は憎悪と忿怒のどす黒い炎を宿していた。
金色の左目を持つ少女が居なくなると、ベベリスクの周囲に三つの影が浮き出した。
「司教様・・・」
ベベリスクは司教と呼ばれた。
「図に乗りおって小娘が・・・」
「司教様、お声が・・・」
「分かっておる。」
「ガレア教を揺るぎなく結束させるには、胸くそ悪かろうともあの『左目』が必要じゃ・・・今しばらくは辛抱よ・・・」
ベベリスクは三つの影に指示を与え、自らも部屋を出た。
部屋を出る直前、ベベリスクは祭壇を振り返った。
そこには、二匹の蛇が絡み合い輪を描く、巨大な紋章が岩に刻まれていた。
王都北東に聳えるネトア山脈、標高は3400メートルを越える。
その中腹から黒い一団がダレツ方面に山越えを敢行した。
過去、ダレツとの幾度もの戦乱においてさえ、両国はこの山を越えて攻めようとはしなかった。
それほどの急峻である。
黒い一団はその無謀な挑戦を成功させた。
しかしその代償は大きく、百人程の一団がダレツに降り立った時には、たった15人になっていた。
◇◇◇
「その紋章が刻まれていたと言うのか?」
「はい、父上。」
オーレリアンはバンジャマンの私室にいた。
「北海条約締結のためにガレア島開発に赴いた時に見た巨大な蛇の紋章に間違い有りません。あんなもの・・・見間違う訳が無い・・・」
「ガレア教の紋章に他なるまい。つまりユニオン・ガレアはまだ存在すると言うことだ。」
「この度の大火も奴等の仕業、父上や有力商人を暗殺しリノを壊滅させる狙いであったのでしょうか?」
「おそらくの・・・」
「とすると、プーリーとサボワールも危ないのでは?」
オーレリアンはレアンドルとヴァレリー、二人の兄の安否を気遣った。
「奴等に多発的に騒動を起こす人数が居るとは思えぬが、注意は促すべきじゃろう・・・そういえばレアンドルはアベルと共にダレツへ向かっているのではなかったか?」
「はい、既にダレツ国内に入ったかと思いますが・・・もしダレツ国内にて兄上達に何かあればダレツとの紛争が再燃するやも知れませぬ!」
「オーレリアン、直ぐ様50騎程の騎馬を率いてサボワールへ向かうのじゃ!軽装でよい!後でもう50騎後を追わせる!サボワールからエルゲンベルト国王宛に親書を届けよ。返書がなくても2日後にダレツ国内に20騎程で入国しレアンドルに追い付け!直ぐに親書を認める!急ぎ準備せよ!」
オーレリアンは直ぐ様騎馬兵50騎を選りすぐり、バンジャマンの親書を持ってサボワールへ走った。
途中三度馬を乗り潰す者もあったが、オーレリアンの乗馬トネールノワール号は少し息を乱した程度で走りきった。
幼い頃からバンジャマンに乗馬術を叩き込まれたオーレリアンの乗馬術と、南ブランシュ随一の名馬と言われるトネールノワール号であったからこその騎行であったろう。
「開門せよ!開門!」
オーレリアンはサボワール城の大門前で叫んだ。
オーレリアンに付き従っていたのは、たった三騎であった。
城門を守る守備兵はオーレリアンの顔を知らなかった。
三日三晩走り続けたオーレリアン達は、砂埃に汚れ、到底王族とは見えなかった。
たまたま巡回で大門近くに来ていたエバリストが何事かと駆け付けてきた。
「おお、エバリストではないか!」
「誰だ!サボワール総督代理を呼び捨てにする奴は!」
エバリストはまさかオーレリアンとは思わず、無礼者を引っ捕らえてくれようと腕を撫しながら大門脇の小口から出てきた。
「そこな騎馬者!降りて膝ま付き謝罪するなら許してやるぞ!」
エバリストは槍を右手に仁王立ちした。
「馬鹿者がぁ!」
オーレリアンが大音声で怒鳴り付けた。
一瞬エバリストは怯んだ。
「叔父の顔を見忘れたかっ!」
恐る恐る近づきオーレリアンの顔を見た。
「オ、オ、オーレリアン叔父上!」
エバリストはその場に腰が砕けたように座り込んだ。
「この慮外者が!相変わらず猪武者か!」
馬上のオーレリアンは、レアンドル、ヴァレリーといった傑出した兄王の存在のせいで目立たなかったが、二人の兄王を助け、騒動の絶えなかったリノを、バンジャマンと共に平定した人物であった。
「レアンドル、ヴァレリーに何かあればオーレリアンがいる!」と言われ続けた。
そのオーレリアンの一喝にエバリストは立ち上がることが出来なかった。
「通るぞ!まずは風呂だ!エバリスト!後から47騎やって来る。門は開けたままにせよ!」
大門が開き、オーレリアンは馬を進めながら指示した。
「あ・・・叔父上!叔父上!」
エバリストがオーレリアンの後を膝が砕けながら追いかけた。
エバリストはオーレリアンが浴室から出てくるのを直立不動で待っていた。
(やっちまった!よりによってオーレリアン叔父上が来るなんて!何と言ってお許しいただこうか・・・そもそも叔父上はなにしに来たのだ?いやいやそんなことよりも・・・)
エバリストの思考は堂々巡りを繰り広げていた。
ガチャッとドアノブのなる音が、とてつもなく大きな音に思えてエバリストは飛び上がった。
浴室から出てきたオーレリアンは横目に一瞥をくれて総督公室へ入っていった。
(怒ってる怒ってる怒ってる・・・)
エバリストは生きた心地がしなかった。
父親であるレアンドルは恐いが優しい。
叔父ヴァレリーはとても優しく面白い。
そして叔父オーレリアンは兎に角恐い。
レアンドルとヴァレリーは自分の未熟さを受け入れ導いてくれる。
しかし、オーレリアンは未熟さを叩き直そうとする。
その迫力にエバリストは実力の半分も力を出せないでいた。
「その心の弱さがサボワール・ダンドリュー家を滅ぼすぞ!」
レアンドルの前でも大っぴらに叱られたものだった。
「エバリスト!何をしておる!早く来い!」
「は、はい‼」
総督公室から呼ぶ声に、エバリストはバタバタと無駄に大きな足音をさせて公室に入っていった。
「ダレツの地図を持て。」
エバリストが部屋に入るなりオーレリアンが言った。
叱られることを覚悟していたエバリストは一瞬ポカンとした。
「何をしておる、ダレツの地図だ。」
「はい、ただいま!」
部屋にはオーレリアンのほか、オーレリアンの腹心デュドネとマリユスも既に身を清め集まっていた。
オーレリアンは地図を受けとるとサボワールからダレツ首都バンまでの道と、北西に延びる山脈の稜線を確認した。
「マリユス!4名を選りすぐりバンへ向かえ!レアンドル閣下に追い付けるか?」
「はい、レアンドル閣下は4日先行しておりますが、2日で追い付いて見せます。」
「馬鹿な・・・」
思わずエバリストは呟いた。
バンまでは通常7日かかる行程である。
6日掛けた道程を2日で走ると言うのは有り得ない。
「よし!行け!」
オーレリアンはエバリストを一瞥しマリユスを送り出した。
「無理だと思うか?エバリスト。」
オーレリアンは地図を睨みながらエバリストに問うた。
「叔父上、どんな駿馬でもさすがに2日では届きますまい?」
「外を見てみろ。」
オーレリアンに促されエバリストは窓から外を見た。
続々と騎馬兵が到着していた。
その中に裸馬が何頭もいた。
マリユス他3名は自身の乗馬以外に1頭の馬を並走させ出発するところだった。
「叔父上!あれは何ですか?マリユス殿達はそれぞれもう一頭馬を引いております!」
「馬を潰さぬために二頭を交互に乗り使う。マリユスが編み出した長距離走法だ。」
「なんと!」
エバリストはその実戦的な馬術に度肝を抜かれた。
「エバリスト、座れ。」
オーレリアンに促されエバリストは席についた。
オーレリアンは地図から目を離さない。
「レアンドル兄上とアベルの命が危ない。」
「なんと!どういう事ですか?‼」
オーレリアンは顔を上げ話し出した。
「先日、リノが大火に見舞われた。放火が原因だ。犯行はガレア島から流れ出た者達の末裔、ユニオン・ガレアと言われた者達の仕業と思われる。この者たちは蛇神を信仰する教団となり、
ブランシュ建国時代に教団を潰された恨みからの犯行と推測した。とすれば、リノにおいて父上を狙った流れでレアンドル兄上やヴァレリー兄上をも標的としている可能性がある。そしてレアンドル兄上はダレツへ向かっている。ダレツ国内で騒ぎを起こせば、最悪ブランシュとダレツは戦争状態となるやも知れぬ。杞憂であればそれで良し、しかし備えるに如かずだ。」
「ならば、私もダレツへ・・・」
「ならぬ!そなたはレアンドル兄上の、サボワール総督の代理である。兄上不在の間、サボワールに騒ぎが起こらぬようしっかり守り固めよ!」
オーレリアンは取り乱すエバリストを一喝した。
「エバリスト、大丈夫だ、兄上であれば多少の困難は平気で乗り越える。そなたはレアンドル兄上の長男だ。堂々と胸を張って、兄上を信じて待て。私も間もなくダレツへ向かう。しかしそれはレアンドル兄上が心配だからではない。私が治めるリノを焼いた輩に死ぬほどの後悔をさせるためだ。」
オーレリアンの諭すような声音はエバリストの両頬を濡らした。
「叔父上、私は何をすれば良いでしょうか?ご指示願います。」
エバリストは涙を拭おうともせず、オーレリアンに指示を仰いだ。
涙に濡れた目の奥で光る決意の色に、オーレリアンは『自分にも息子があれば・・・』そう思わずにはいられなかった。
「よろしい。エバリスト、よく聞け。犯罪者がダレツへ潜入しようとすれば、ここサボワールを通るのが一番早い。先ずは国境の出入りを厳しく監視せよ。」
「はい!」
「次にサボワールを通らぬとすれば、南回りの道があるが、かなりの遠回りになる。犯行を企てるものがそんなに時間を無駄にするとは思えぬ。」
「そうするとネトア山脈越えでしょうか?」
なかなか良いところを突く。オーレリアンはそう思った。
「これが国家間の軍事行動なら有り得ない。何故なら戦の前にどれ程の損害を被るか分からぬからだ。しかし、小規模の人数を送り込めれば良いのであれば、半減覚悟で決行する価値はあるやも知れぬ。もちろん全滅の可能性もある。そこは狂信者共の事、常識は通じぬと思った方がよい。」
「では、サボワールから山脈沿いに兵を派遣いたしまする。叔父上がリノを立たれたのは三日前でしたか?」
「そうだ。」
「ならば、同時多発的に計画されたものでなければ、まだ山脈越えの途中やも知れませぬ。部隊を五隊編成し、こことここ、更にここから先を捜索させまする。」
地図を指し示しながら話すエバリストにオーレリアンは頼もしさを感じずにはいられなかった。
「エバリスト、相変わらずの泣き虫かと思ったら逞しくなったじゃないか。」
オーレリアンは、つい嬉しくなり笑顔を見せた。
「叔父上、見くびっていただいては困ります。先ほどは少々取り乱しましたが、私は元国王レアンドルの息子です。このくらいの事は当たり前です。」
「泣き虫が言うようになった。」
「御言葉ながら叔父上、ロドルフ陛下でさえオーレリアン叔父上が一番恐いと言っておられました。我々甥にとって、叔父上は鉄を叩く鎚のような存在です。その厳しさと優しさは身に染みております。」
オーレリアンは鼻の奥がキナ臭くなるのを感じ、慌てて地図に視線を落とした。
「ならばエバリスト、早速部隊を編成せよ。ただし、エバリスト自ら出動してはならない。我々は2日後にダレツ領に入る。それからマルティナ様にお目にかかりたい、願いたいことがある。」
マルティナはレアンドルの妃である。
レアンドルがサボワールに着任し、ダレツとの国交回復を成した後、ダレツ国王エルゲンベルトの姉のマルティナとの婚儀が成立した。
マルティナは、非常に美しい娘であったが、輪をかけて気性が激しく、ダレツのヴィクトリーヌとブランシュ国内では専らの噂だった。
当初結婚に難色を示していたが、レアンドルの譲位のいきさつを聞き、会って話を聞くうちにレアンドルに嫁ぐ決心を固めた。
「オーレリアン殿!久方振りじゃ!」
「マルティナ様、お元気なご様子安堵いたしました。」
「ますます良い男振りじゃの。閣下にも見習ってほしいものじゃ。」
「お戯れを。」
マルティナは嫁いできた当初こそ猫を被っていたが、ある日ヴィクトリーヌと話すうちに激昂し、女だてらに決闘騒ぎを起こした。
最終的には取っ組み合いの末、ヴィクトリーヌとは胸襟を相照らす仲となった。
笑っていたのはバンジャマンとレアンドルだけで、あとのものは右往左往のドタバタであった。
オーレリアンもこの義理の姉には一目おいていた。
「義姉上、お願いがあります。」
「なんじゃ?申してみよ。」
オーレリアンはレアンドルの身に危機が及んでいることを説明した。
「まあ、なんじゃな。うちの旦那様なら大丈夫じゃが義弟殿の立場もわかる。一筆認めれば良いのであろう?」
なんと鋭いお人か!オーレリアンは内心舌を巻いた。
「待っておれ、直ぐに用意する。規模は100人程か?」
「そ、その通りでございます・・・」
「うむ、ところで妾からも頼みがある。」
「はい?」
「他でもないエバリストの事だ。しばらくの間リノで鍛え直してもらえぬか?」
「それはもちろんお預かりいたしますが・・・」
「義弟殿も感じておらぬか?あの者ガサツでいかぬ。旦那様も厳しくしておるのだが、本人が思うほど妾には厳しいとは思えぬのじゃ。義弟殿ならばあの者の性根を叩き直してくれよう?」
マルティナは艶やかに微笑みながら言った言葉だが、その厳しい愛情にオーレリアンは心のそこから敬意を払わずにはいられなかった。
「畏まりました。ご期待に添えるよう叩き直してくれましょう。」
オーレリアンも精一杯笑顔を作りながら請け負った。
「では、半時ほど待つが良い。書状を認めてまいる。」
そう言ってマルティナは部屋を出た。
あの兄にしてこの妃。
何故上手く噛み合っているのか、いや、それだけ兄レアンドルの度量が大きいのか?
我が兄ながら、まだまだ自分には計り知れない一面を持っているのか?
三賢候と呼ばれるブランシュきっての賢人に例えられる兄である。
オーレリアン自身、自分の未熟さを痛感せずにはいられなかった。