◇◇◇2-①総督の晩餐◇◇◇
ブランシュ王国南部の主要都市『リノ』は、ブランシュ屈指の海洋貿易都市である。
元々小さな漁村であったが、外洋に繋がる深い入り江が幾つもあり、海洋貿易を営む商人が拠点とするようになって繁栄してきた。
半面、南方大陸の国家からの略奪行為の標的となったり、一時的に海賊の拠点となるなど、治安上の問題を抱え続けた地域でもあった。
しかし、バンジャマンが南方総督としてリノを統括するようになってから、海賊はほぼ殲滅され、海軍の編成と海岸線の一部要塞化を図ったことにより、南方大陸からの略奪行為もほぼ無くなった。
5年前、バンジャマンは70歳を迎えたのを機に三男のオーレリアンに南方総督を譲った。
ロドルフにとって叔父にあたるオーレリアンは、バンジャマンが王位をレアンドルに譲り、リノへ赴く際に同行していた。
バンジャマンと共に南方平定を成し遂げた功労者である。
また、槍の名手としても数々の戦闘に於いて武勲を上げてきた。
戦場での勇猛さとは裏腹に自ら包丁を握り料理をすることを好む。
その腕前は、王宮の料理長も舌を巻くほどで、事有る度に知人縁者を招いて腕前を披露し、『総督の晩餐』または『リノパーティー』と呼ばれるそのパーティーは、リノ及びリノ近隣の諸侯・有力者は、その席へ呼ばれることを誉れとしていた。
その日もオーレリアンは、10人程の海洋貿易を生業とする有力商人を招いて晩餐を開いていた。
「総督閣下、今夜の料理も中々の腕前で御座いますなぁ!この仔羊は何度食べても食べ飽きませぬ。」
「フェルナンド、しかしこの仔羊はまだまだなのだ。王都に有る角笛亭の仔羊には遠く及ばぬ。」
オーレリアンが招く者は、権力者に取り入ろうとする姑息な者はいない。
むしろオーレリアンに対してはくちさがない者達ばかりであった。
このあたり、オーレリアンに限らずレアンドルもヴァレリーも媚び諂う者を嫌うのは、バンジャマンの訓育の賜物であろう。
「一度、その角笛亭の仔羊を食してみたいもので御座いますな。しかし、それを食べてしまったら、我々は閣下の料理に興味が無くなってしまうかも知れませぬな、あ、これは言い過ぎましたかな!」
笑い声が沸く。皆遠慮がない。
「フェルナンドよ、確かに角笛亭の仔羊はブランシュ一美味い。されどオーレリアンの仔羊も比肩とっておらぬぞ、もっとも、角笛亭より高価な食材と高価な設備、珍しき香辛料を揃えておるでな、不味くする方が難しかろうなぁ。」
そう言って笑ったのはバンジャマンの妃、オーレリアンの母親カロリーヌである。
「母后様、なかなかに手厳しゅう御座いますな。」
フェルナンドがガハハハと大声で笑う。
皆も遠慮せず笑う。
バンジャマンもカロリーヌも大きな口を開けて笑う。
南方領リノは、笑い声の絶えない街であった。
食事も終わり、簡単なつまみとヴァンで話の花が咲いていた。
「このヴァンはな、ヴィクトリーヌが贈ってくれたものじゃ、美味かろう?」
バンジャマンが甘口のヴァンブランが入ったグラスを弄びながら言った。
「はい、老公様、ヴィクトリーヌ様ももう立派な大農園主の奥方様ですなぁ。」
州令のパトリシオが相づちをうった。
「しかし、もっと冷して飲んだら更に美味かろうな。」
そう言ってバンジャマンはオーレリアンを見た。
その視線を受けてオーレリアンは話し出した。
「実は今日ここに集まってもらった皆に話がある。皆はリノの有力商人だ。海洋貿易都市であるリノの有力者と言うことは、ブランシュ国内に於いても比肩するものはない実力者と言うことだ。」
「閣下、なにやら怖い話で御座いますかな?」
そういったフェルナンドの目にはやり手商人の光が宿っていた。
「百戦錬磨のそなたたちに駆け引きはするまい。もし、もしもだが、この温暖な南方リノに大量の氷を運べるとしたらどうなると思う?」
「魚が売れまする。」
商人のアラリコが即答した。
「と言うと?」
「はい、大量の氷が手に入れば魚の鮮度を保てます。流通が大きく変わるでしょう。」
「つまり、リノで取れた魚が最北のプーリーでも売れるということだな?」
「更に冷涼なプーリーならば、魚の加工場も作れましょう。仕事も増えまする。」
流れるようなアラリコの話にオーレリアンは舌を巻いた。
「しかしながら、どの様な手段を取ろうとも、輸送にはコストが掛かります。せっかく運んでも輸送費が膨大であれば売り物になりません。そこのところを解決できなければ『絵の中のパン』のごときです。」
アラリコの話は手厳しかった。
しかし、非常に現実的であり的確だった。
オーレリアンはバンジャマンを見て同意を求めた。
国家機密に関わる部分を話さなければ、この商人たちを味方に付けることは困難に思えたからだ。
オーレリアンは、商人達から、新技術の開発と実行に当たっての資金提供を受けたかった。
そのためには、機密の公開が不可欠と判断したのだった。
「ここに国王陛下からの書状がある。
書いてあることは国家機密に該当する内容だ。しかし、その機密を実現し、運用するにあたっては、国だけの力、考えではどれ程の年月、費用が掛かるか想像もつかない。」
オーレリアンは一呼吸間を置いて続けた。
「それを話す前に皆には決して他に漏らすことの無いよう誓約して欲しい。」
商人達は右手拳でテーブルを2度叩いた。
誓約の証であった。
「ありがとう。では話そう。
機密というのは、輸送手段に関する新技術だ。詳細な内容については私もまだ理解しきれていない。
要約すると、火を炊き水を沸かし、その沸いた水が蒸気という気体つまり湯気だな、これを窯に閉じ込めることで圧力を作る。
その圧力を利用して車を回すというものだ。つまり、牛馬に頼っていた荷物の牽引を、蒸気車でとって変わろうと言うことらしい。」
さすが海洋貿易都市リノの有力者である。
オーレリアンの抽象的な説明でさえも各々の頭のなかで再構築し、一瞬で理解した。
更には、その新技術が自分たちにどれだけの利益をもたらすか計算式が成り立っていた。
「閣下、一度専門の方から話を聞かなければなりませぬが、要するに我々はその新技術開発と実現のための資金提供を求められていると理解してよろしいのでしょうか?」
フェルナンドが他の商人達を見渡しながら言った。
オーレリアンは商人達の理解力の正確さ素早さに改めて舌を巻いた。
これだからこそ海洋貿易という危険な方法で諸外国と商いを行えるのだろうと思った。
いや、このリノの有力商人達だけではない。国中の商人、農民、国民が力強いからこそブランシュはある。
オーレリアンはそう思い知らされた。
「その通りだ。」
オーレリアンの言葉に一拍間を置いてアラリコが話し出した。
「二つ条件が御座います。お聞き入れいただければ、他の方々はいざ知らず私はご協力致しましょう。」
「言ってくれ。」
オーレリアンが促した。
「はい、第一に最初の運用は、如何な形であれリノから王都にかけての道にて行われること。第二に、新技術成功の暁には、その技術を船の動力として応用させていただける御約束を頂戴すること。」
おおっ!と一同がどよめいた。
「なるほど、仮に陸路にての運用が実現に手間取っても、新技術が完成していれば、それを応用して新しい船が出来る!まだ未知のものだが、風に頼らず航行出来る船が出来ればその利益は計り知れない・・・」
フェルナンドが呟いた。
「私もアラリコ殿の案に乗りましょう。まだリスクは大きいが、ここは賭けに出るべきだ!皆さんいかがですか?」
商人達は口々に賛意を示した。
「こちらも一つだけ条件がある。」
黙って成り行きを見守っていたバンジャマンが口を開いた。
一同が、バンジャマンに注目した。
「新技術の船への転用、良かろう。リノが更なる利益をブランシュにもたらしてくれよう。
されど船への転用はまず海軍にて行う。
もちろん、軍船の新造、修繕にはそなたたちに発注しよう。
しかし、そなたたちの船が作れるのは、軍船5隻を整えてからじゃ。
軍船で実験出来るのじゃから、そなたたちの失敗のリスクも減るであろう?」
商人達はじっと目をつぶり聞き入った。
「私は宜しゅう御座います。」
アラリコが同意すると、他の商人も口々に同意を示した。
「宜しい。では、ブランシュの発展、リノの発展、そしてよく冷えたヴァンを飲めるようにするため乾杯しようではないか!」
皆口々に乾杯を唱え、温くなったヴァンを飲み干した。
そして各々新技術による夢を語りだした。
オーレリアンはこの計画が成功することを確信した。
その夜、リノの街は大火にみまわれた。
一夜明け、ようやく火は下火になった。
リノの街はその1/3を消失していた。
総督邸に有力者が集まっていたため、指導的立場の人的損害は少なかったが、フェルナンド他数人の屋敷は全焼してしまった。
明らかに有力者を狙った連続放火事件であった。総督邸に於いても被害は免れなかったが、警戒に当たっていたものがいち早く消火活動を開始したためその被害は微細なものだった。
そして、放火犯の一人が捕らえられたが、舌を噛み自殺した。
「この者か?まだ少年ではないか・・・」
オーレリアンが呟いた。
「閣下、これを見てください、何かの紋章のようですが・・・」
少年の右肩甲骨のあたりに焼き印があった。
その焼き印は、二匹の蛇が絡み合い輪を描くものだった。
「こ、これは・・・」
オーレリアンの記憶のなかでも、一二を争う不快な記憶が蘇った。
この世のものとは思えないほど巨大な大蛇。
ガレア島の大蛇。
オーレリアンはバンジャマンの元へ向かった。