夏休み、二人のささやかな冒険と奇跡
2018.5.18 誤字脱字修正 表現、文章修正
ここは都心から少し離れた、山や畑に囲まれた農村。
鉄道も山を越えた所に小さな駅が在るだけで、バスも1日片手で数える程度しか走っていない。
夜は街灯もなく、遅くなると真っ暗になってしまう畦道。店らしい店も無く、家々も畑を隔てて建っている為、暗がりにポツリポツリとあるだけ。
そんな農村の畦道を1人呑気に歩く志恩の姿があった。
「都心からでも少し足を延ばすとこういう田舎ってあるんだなぁ」
今日、志恩が1人でこんな遠くまで足を伸ばしているのには訳がある。それは、人がいない場所で魔法の練習をする為だ。山間の方まで更に歩くと、人の気配は全く感じなくなる。志恩は周りに誰もいない事を確認すると、呪文の詠唱を始めるのであった。
暫く魔法の実験をしていた志恩が一休みしていると、遠くの方で人が叫んでいる声のようなものが聞こえた。
志恩は少し気になり、声の出所を確認しようと声のする方へゆっくりと近付いて行った。
そして、遠くの声を聞くために魔法を唱えた。
『エクステンションセンシス』【五感拡張】
すると、遠くの方でエンジン音とそれに混ざって子供の声が聞こえる。
ーーなんか、やめろとか言ってるなぁ。
声のする方向へ更に近付いてみると、木々の合間に河原が見えて来て、その付近で工事をするトラック等が見えてきた。
川の周りの木をブルドーザーが倒しながら走り周り、ショベルカーで根っ子や岩を掘り返しているのが見え、走るブルドーザーの前で小さな少年が両手を広げ、止めようとしていた。
ーー危ない!
その時、その少年に向かい大きな木が倒れかけ、ブルドーザーは木を押しながら前進している。
『プロテクトドーム』[防壁]
『ストーンウォール』[石の壁作成]
『ライトワープ』[至近距離移動]
志恩は連続で魔法を唱える。
少年目掛けて倒れて込んだ木は、少年の手前で何かにぶつかったように少年を避けて倒れ、前進するブルドーザーの正面には突然石の壁が行く手を阻みその足を止めた。
そして少年の傍らに、志恩の姿が…
頭を抱え、踞っている少年の肩をポンッと志恩は叩き、話し掛けた。
「大丈夫かい?こんなところに居たら危ないよ」
「えっ」
少年はゆっくりと目を開き上を覗き、志恩の顔をじっと見つめ、呟いた。
「お兄さんは誰?」
「通りすがりの正義の味方‥かな」
頭をかきながら、ちょっと照れ臭そうに志恩は答えた。
すると少年は志恩の顔を見詰め、声を強く懇願するのだった。
「正義の味方なら助けてよ」
志恩は少年の突然口から出た言葉に驚き悩んだ。
「何から助ければいいの?」
「この悪い奴等からだよ。ママの大事な樹を守るの」
少年の指差す方向には、他の木々とは一目で違いが分かる立派な樹が1本立っていた。
ーーあれかな?
しかし少年のわがままで、土木業者の邪魔をする訳にはいかない。彼らは仕事として行動しているのだろうから。
「こいつら悪い奴等で、いけないことするためにここに来たって言ってたもん」
「え?」少年の言葉に志恩は「誰が言ってたの?」と聞く。
すると少年は「病院の先生」と答えた。
それが本当なら止めさせても問題ないんたろうが、子供の言うことなので志恩は悩み。結果、今日のところは帰ってもらうだけにして、ちょっと調べてみる事にした。
志恩は工事現場の責任者らしき人物をみつけ、魔法の力で操り、今日は仕事を中止にして引き揚げるように仕向けた。
志恩が何か動きを見せると、工事をしていた人達が作業を止め帰っていく。その行動に驚き、少年が喜ぶ。
「お兄ちゃん凄いね、奴等逃げて行っちゃったよ」
志恩は首を振り。
「いや、明日にはまた戻ってくるよ」
「えぇーー。やっつけたんじゃないの?」
「悪い奴等かどうかは、まだお兄ちゃん分からないからさ、急に来てやっつけちゃうのも不味いでしょ?」
「そんなことないよ」
「まぁ取り敢えず今日のところはこれでいいでしょ。それと俺の名前は志恩って言うんだ、君の名前は?」
「将太!安住将太6歳だよ」
志恩は将太の頭に手を置き、しゃがんで将太の目線に並ぶと「将太か良い名前だな。ところで将太のお父さんかお母さんは近くにいないのかい?」と聞いた。
「お父さんはいない。お母さんがあそこで悪い病気と戦ってるの」
そう言って指差す先を見てみると、保養所のような建物が川の対岸に見える。
志恩は川向こうから視線を将太に戻し「将太、俺に君のお母さんを紹介してくれないかな?」と聞くと、将太は直ぐに「いいよ、ついてきて」と志恩の手を引っ張り川向こうの建物へと向かって行った。
その建物は静かで清潔感のある場所で、微かに消毒液の匂いがした。
近くに居た白衣の人に話を聞いてみると、ここは病気で重度の患者を診ている病院だった。
将太に連れられ、母親の病室に志恩は向う。そこには、ベッドをリクライニングして座る女性の姿があり、化粧はしておらず優しい顔で髪を後ろにひとつ束ね、病院着を纏っていた。
将太はその女性の元へと駆け寄り、声をかける。
「お母さん」
将太の声で母親は振り返り、将太を見た後、入り口に立つ志恩の姿に気付いた。
「将太おかえり、あら、そちらの男の子は?」
志恩は軽く会釈をしてから、女性の元へと近付いた。
「始めまして甲斐志恩って言います。将太君が工事現場に居て危なかったので、お連れしました」
それを聞き、将太の母親は驚いた顔をして将太に顔を向ける。
「こらっ。またあそこへ行っていたのね。危ないから駄目だって言ったでしょ」
そして志恩に軽く頭を下げて「すいませんワザワザ連れてきてもらって」と申し訳なさそうにする。
志恩は手を顔の前で素早く振りながら。
「いえ、通り掛かっただけですから」
将太の母親は疲れた表情になり、将太に話始めた。
「もうあそこへは行かないでね」
「やだよ、工事を止めさせてお母さんの樹を守るんだ」
「こら、言うこと聞きなさい」
「やだやだやだ」
話が今一つ掴めない志恩は、二人の話に割って入った。
「あの~、お話し中すいません」
「はい。あっ、ごめんなさいね」
「いえ。それより、あの樹って何かあるんですか?それにあの工事って、何を工事してるんでしょうか?差し支えなければ、聞かせてもらえませんか?」
将太の母親は少し考えてから、志恩に頷くと、少し苦笑いをしてから語りだした。
「ちょっとお恥ずかしい話なんですが、昔この子が産まれる前、主人と出会った場所なんです。主人はここの近くの村で医師をしておりまして、自然が好きで良くこの山を散策していました。私は街で生活をしていたのですが、人に裏切られ付き合っていた人にも裏切られ、全てがいやになり、宛もなく山奥まで来てしまいました。ちょうどその時、急に天候が荒れて道に迷った私はここで死ぬのかなって思ったんです。そんな時、目の前に光輝く1本の樹が私の視界に飛び込んで来たんです。その樹は暖かな光で私を包んでくれた‥そんな気がしたんです。そして主人はその時、山を歩いていたときに嵐に遇い、避難しようとしたけれど、誰かに呼ばれ引き寄せられる様に歩いていたらその樹を見つけ、樹の根元に横たわる私を発見してくれました。そして嵐が止んだ後、私を自分の病院まで運んで治療してくたんです。身寄りのない私を主人が看病してくれて、体が治った後は、住み込みで働かせてくれたんです。そして生活を共にするうちに主人の事を好きになり、この子が産まれました」
将太の母親は話を終えると、目を閉じて思い更けた。
「縁結びの樹って事ですね。差し障りなければ、今ご主人は?」
将太の母親は遠くを見つめ。
「主人は過労が祟って、他界しました」
志恩は申し訳無さそうな顔で謝る。
「すいません、辛いことを聞いてしまって」
将太の母親は優しい笑顔で、志恩に話し掛ける。
「いえいえ。私が重い病気にかかってしまい、それを治す方法を寝る暇を惜しんで研究していて、それが祟ったんです。私の病気のせいで主人をなくし、この子にも辛い思いをさせてしまってます」
「まだ、治療法は見つからないんですか?」
「はい…それにまた、いつ発作が起きて危なくなるか分からないそうです」
うつむく母親を見て、将太は母親の手を握る。
「お母さんはあの樹が治してくれるよ」
「はいはい、そうね。実はこの子を授かったのを知ったのも、あの樹の袂なんです。主人と毎年この時期にあの樹を訪れていたんですが、ある時あの樹の下に2人で訪れてた時、あの木が一瞬光ったように見えて、その日の夜にこの子がお腹に居ることが分かったんです。まあ、あの樹を訪れなくてもこの子は産まれたんでしょうけど、そんな風に思わせてくれたんです。あの樹が…」
志恩は目を閉じ、じんわりとした気持ちになった。
「なんか、ロマンチックなお話ですね」
「そうね、ありがとう。この診療所を建ててくれたのが主人で、あの樹の側で治療していれば、きっと奇跡が起きて病気を治してくれるって言ってたんです。ふふ、可笑しいでしょ?」
「素敵なお話です。でも、なんでこんな山奥で工事が?それに樹を倒そうって」
「それが私も詳しくは知らないんですが、あそこに処理場を作ろうとしているらしいんです。なんでも、あそこの一帯は汚染物なんかを浄化してくれる地質があるみたいで、それを偶然見つけた業者が土地を強引に買い取って工事をしようとしているみたいなんです」
志恩は少し考える。
「それはちょっと気になる話ですね」
「なんかごめんなさい、若い子にこんな重い話ばかりしちゃって」
「いえいえ、俺ってこう見えて30過ぎてますから」
志恩の言葉に、将太の母親は目を丸くした。
「えっ!随分お若く見えるのね」
「よく言われます」
その後、母親と将太に挨拶をして部屋を出た。
診療所を出ようとしていた志恩に白衣を着た男性が声を掛けてきた。
「君は安住さんのお知り合い?親戚か何かかな?」
「いえ、そう言う訳じゃないですが、何かあったんですか?」
「いや、親戚とかだったら、話しておかないといけないことがあってね」
志恩は立ち去ろうとする看護士の男性を引き留めた。
「あの。よかったら聞かせて貰えませんか?あの親子の力に成りたいと思ってるで」
看護士の男性は暫く考え。
「んん~ん、そうだね。実は将太くんなんだけど、彼にもお母さんと同じ病気の疑いがあってね」
「将太くんのお母さんの病気って、どうななんですか?」
「いつ発病するか分からない病気で、発病するといつ突然発作が起きて、命に関わるかわからないんだよ。まだ、治療法も分からない病気でね」
「そう言えば近くで工事してるみたいですが、こんな側で工事なんかしてて、治療とかには問題ないんですか?」
「あ~あれか、村のお偉いさんも絡んでる事業らしく、何を言っても話が通らないんだよ。下手をしたら、ここも閉鎖しなくちゃいけなくなるかもしれなくてね」
「そうなんですか、色々お話ありがとうございます」
志恩は違和感を話の中に感じ、もっと工事業者やその周辺を調べようと思い、町へとに向かうのであった。
悪の匂いがする!
そう自分の心に訴えかけるものがあった様に感じたからだった‥
志恩が将太と出会う前の日の夜‥
町の数少ない料亭の奥座敷…顔に贅肉を蓄えた太目の体格でダブルのスーツを着る中年男と、おでこを光らせて着なれぬスーツを纏う卑屈な顔の中年男が二人で会食をしていた。
上座に座る太っちょの男が苛立った口調で頭の禿げた男に怒鳴っていた。
「工事は順調なんだろうな!」
「はいそれはもう先生、取引先からもすでに廃棄処分の依頼が殺到しております」
「こんな何もない町の議員などしていても意味がない、早く資金を貯め、表舞台へ出ていかねば」
「勿論です。その際は、我ら矢駄工務店の事もお忘れなく」
矢駄工務店の事務所では、頭の禿げた男が作業現場で志恩が操り作業を止めさせた現場監督の男に、怒鳴り散らしていた。
「バカヤロー!なんで作業せずに戻ったんだ!先生から急ぎで進めろと言われてるのに。このままで、日程通りに終わらせられるのか?」
「いや~俺もなんで作業止めたのか、全然覚えてないですよアニキ」
「アニキと呼ぶな!社長と言え、社長と」
「すんません、アニ‥じゃなくて社長」
「もぉいい。明日は俺も行くから、早く作業進めるぞ」
「うぃっす」
その時、向かいのビルの屋上、1つの影。
ーーあの社長が何か詳しく知っていそうだな。社長とか言うのに洗いざらい喋ってもらおう…
志恩はその男が出てくるのを待ち構え、出てきたところを捕まえると、『チャーム』[魅了]の魔法で言うことを効かせ、全てを話させた。
そのあと記憶を改竄し、志恩に関する記憶を消し、その場を後にした。
志恩が調べたところ、悪徳代議士が地元の悪徳建築屋を使って強引に土地を買い違法廃棄物を処理し、金儲けをして政治資金にしようとしているようだ。真っ当な理由でないと分かった以上、もう遠慮することはないと、志恩は決意を新たにする。時間も遅くなってきたので、今日は急ぎ帰ることにして、家路に着いた。
勿論、遅くなってしまい愛莉に怒られたが、今日の事は内緒である。
明くる日は朝から雨が激しく、土木業者も動きはないだろうと思い、志恩は1日家で夏休みの宿題をしていた。
夕方頃、外を見てみると雨の勢いは更に増し、志恩は少し心配していた。
ーー河辺の工事してたけど、この雨で川の周辺は大丈夫かな…
ちょっとのことが気になり出すと止まらなくなり‥気が付けば志恩は将太の元へと向かっていた。
診療所が見えてくるにしたがい、志恩は自分の甘さを後悔することとなった。
なんとこの雨の中、工事は再開されていたのだ!
木や土砂を掻き分けて、作業が進む。すると将太が守りたい大樹の側まで重機が既に迫っていた。
志恩が大樹に近付くと樹の根元に青い雨ガッパを着た将太の姿が‥
志恩は今『フライ』の魔法で空を飛んでいる。志恩は将太の周りの重機のエンジン部分に指先を向け、魔法を放つ。
『ライトニングショット』
指先から一筋の閃光が走り、一直線に狙った重機の動力部へ…重機には稲妻の様な電気が走り、操縦席の男は感電したらしく項垂れ、重機は煙を吹いて動きを止めた。
1台また1台と動かなくなる重機を見て、作業をしていた男達がスコップやストックなど武器になりそうな物を手に持ち、辺りを警戒し始める。
志恩は将太が居る大樹の裏側へと周り込み、大樹の枝のいくつかに『ライト』[照明効果]の魔法をかけ、クリスマスツリーさながらの明かりで大樹を照らし出し、大樹の陰から作業員達の密集する足元に力を弱め『ファイアーボール』をいくつかおみまいする。
炸裂する爆発に作業員達は皆、怪我を負いながら散り散りに逃げ出す。
志恩は将太に声を掛ける。
「大丈夫か?何があったんだ?」
「お兄ちゃん凄いんだよ!この樹が悪い奴等をやっつけたんだ」
「そうか凄いな、でももう遅いし雨が降って危ないからお母さんの所に戻ろう」
「う、う~ん」
歯切れの悪い返事に志恩は気になって将太の顔を伺うと、顔が赤らめていて辛そうだ。
志恩は急ぎ将太を抱えて診療所へ向かう。そして診療所の医師に将太の事をお願いした。
医師が調べた結果、将太にも母親と同じ病気の発作が出てしまったそうだ。
そして母親の方も昨日の夜から発作が出ていて、危険な状態が続いているらしい。
将太は母親の病状悪化を見て、よけいあの大樹を守りに行きたかったんだろう。この状況で志恩に出来ることはなく、愛莉にも心配させているので、今日のところは大人しく帰ることにした。
志恩は勿論母親に1度治療魔法を試みている。しかし、先天性の病気は寿命と同じで魔法では治らないのだ。
次の日、志恩は朝から将太の元へ向かおうと用意していると、その隣で愛莉が出掛ける用意をしている。
「今日は部活ないの?」
「うん、だから付いてくの」
「へぇー、誰に付いてくの?」
「志恩にね」
「へぇー・・・えっ?」
「だ・か・ら、志恩にね」
愛莉は小悪魔的な笑みで答えた。
「いやいや、どうして?どこへ?なぜ?」
「あら、それは私の台詞よ。ついて来られると不味い事でもしてるのかしら?」
「いやいや、そうじゃないけど…」
「さっ出発準備しましょ!お弁当も作ってあげたからね」
「はははっ」
どうしよう‥
志恩は将太の元へと向かう最中、愛莉には将太との出会い、将太やお母さんの病気を知った事、大切な大樹がある事だけを軽く説明した。
「何か、大変なことになってるんだね」
「そうなんだよ、少しでも励ますことが出来たらなって思ってね」
「私も励ますくらい出来たらいいな」
事情を知った愛莉は、将太の為、母親の為、と真剣にどうすれば一番良いのかと考えていた。
愛莉を連れているので魔法が使えず、歩いて将太の元へと向かったが、やはり歩くと距離があり、息を切らせながら向かうのであった。
「結構山奥なんだね、よくこんな場所に毎日来れたわね」
「足腰の運動にもなるし、山は色々と勉強になるんだよ」
「ふぅ~ん、ちゃんと考えてるんだね」
「まっまぁね」
山道を愛莉と二人で黙々と歩いて向かい、やっと診療所が見えてきた。
到着し、すぐに将太の母親の病室へと向かう。部屋の前には将太が車イスでつまらなそうな顔をして座っていた。
「おっ将太、体は大丈夫か?」
「うん。元気なんだけど、今日はこの椅子で大人しくしてなさいって先生が。ねぇ、そっちのお姉ちゃんは?」
志恩は愛莉を将太に紹介しようとする。
「あー彼女は、俺のいも‥」
志恩が話始めた時、愛莉が俺と将太の間に割って入り、悪そうな顔つきでにんまりと笑い。
「お姉ちゃんは、このお兄さんの彼女であ・い・りって言うの。宜しくね」
志恩は一瞬、口をあけたまま固まってしまった。
そして愛莉に詰め寄り。
「こっこっこら!何を言い出すんだ」
「いいじゃない、別に知り合いなんて居ないんだし」
「そう言う問題じゃないだろ」
「えぇーだって、折角のお出掛けなんだから、そう言う設定の方がデート気分で楽しいでしょ?」
「でしょとかじゃなくて…ハァー」
志恩の苦悩を余所に、愛莉は将太と会話をしていた。
「それで、お母さんの様態は?」
「あんまり良くないって、やっぱり大切な樹が傷ついたから悪くなっちゃったのかな?」
「そんなことないよ、きっと良くなるわよ」
「うん…」
志恩は正直、将太の母親が少し危険な状況であることは知っていた。
病室を離れた後、この前出会った主治医の先生に聞いたが、やはり母親はかなり危険な状況にあると言うことだ。
そして、将太にも母親と同じ病魔が近付いてきていることも‥
刻は逆戻り前日の夜、矢駄工務店ではボロボロの姿で、社長や従業員が帰り着いていた。
社長は信じられないと言う顔で、周りに訴えた。
「あれは何だったんだ?」
社長の側で従業員が「あの、でっかい樹の祟りっすかね?」「馬鹿が」と社長は怒鳴った。
「まぁでも、爆発までしたからな、祟りであそこまで起きるか」
「もう、あそこに近付くの止めましょうよ~アニキ」
「バカ言うな!何としても工事を終わらせるんだよ。しょうがない、先生に1度相談してみよう」
直ぐ様、工務店社長は電話を掛け事情を説明した。
「ですから先生、是非お力を貸して頂ければと…」
「お前はいつも使えんな。まぁいいだろう、若い奴らを手配するよう手を回す。それと近くに邪魔な診療所があると言っていたな、そこもワシの方から、何とかしてやろう。その怪しいと言う樹の処理は、消防や警察にも協力してもらうように手筈を整えておく、お前は金の勘定をしっかりしておけよ」
「ありがとうございます。助かりました」
電話を切ると、禿げた社長は自分の椅子に深々と座り。「ふぅ~、これで何とかなりそうだ」と、安堵するのであった。
志恩と愛莉は将太を誘い3人で、愛莉の手作り弁当を食べ寛いでいた。
すると診療所内では、主治医の先生が看護士と何やら深刻に話をしているのが、志恩の目に止まる。気になって、どうしたのかと尋ねてみると、この診療所が不認可の疑いがあり、速やかに営業を停止しろと、市からの通達があったのだという。
志恩も流石にそれはどうしたものかと悩んでしまう。そんな最中、なにやら遠くで、大きな音が‥、確認してみると、川原の工事が再開されていた。
しかも今回は、工事の人間以外に消防や警察の人まで居る。流石に志恩もこれを追い払うには、不味さを感じ、どうしたものかと悩む。そして気が付くと志恩の横に居た筈の二人の姿が…
窓の外を見ると、愛莉が将太と手を繋ぎながら工事現場の大樹元へと走っていた。
その時既に工事は大樹の根元まで進んでいた。
このまま二人を危険な目に遇わせる訳にもいかず、志恩はなりふり構ってられないと諦め、行動に移ろうとする。
ーー極力、怪我人などを出したくはないが、そうも言ってられないだろう。
愛莉達を巻き添えにしないように、志恩は魔法を唱える準備に入った。
その時。
「撤収ー!」 「撤収ー!」
あちこちで、そんな声が叫ばれていく。それに伴い、直ぐ様撤収していく消防や警察。
結果、最後に残されたのは怪我をしたままの工務店従業員だけだった。
残された者は唖然としたまま、立ち尽くしていた。
そして愛莉と将太もどうしたものかと、突っ立ったままその状況を眺めていた。
工務店社長は慌てふためきながら、頻りに電話を掛けていた。
「せんせーいったいどうなっているんでしょうか?来ていた連中、全員引き揚げてしまったんですが。我々だけ残されて、どうすれば良いのか困り果てております」
電話の向こうでは、歯切れの悪い喋り口調で話してくる。
「ワシはこの件から手を引く。もう、ワシに連絡するな。お前の所に何が来ても、ワシとは一切関わりないからな。いいな」
「どうしたんですか?先生に見放されたら、私どもは、どうすよばよいのでしょう」
「ワシの事もお前らの事も、とんでもない方に全てバレてしまったんだ。なぜワシごときに直接連絡が来るのサッパリ分からないが、ワシもお前ももう終わりなんだ」
ガチャン プープープー
「せっ先生?先生。……くそっ、何がなんだかわからん。お前ら、取り敢えず引き揚げるぞ」
「へぇーい」
事の成り行きが分からず、残された志恩、愛莉、将太の3人はただ呆然とことの成り行きを見ていたが、辺りに誰も居なくなると、3人でただ喜び合った。
診療所に戻ると、医師が志恩達を見つけて声を掛けてくる。
「君達、さっき話した事だが、また急に連絡が入り、向こうの間違いで、このまま診療所を続けていいことになったんだよ。何がなんだかわからないが、よかったよ。じゃ、また」
そう言って立ち去る。
愛莉は涙目に成りながら喜ぶ。
「なにか、全てが上手くいって良かったわ」
「そうだね、なんか怖いくらいだよ」
将太は愛莉に向かって自信満々の顔で話をする。
「樹の妖精さんが、僕達を助けてくれたんだよ」
「樹の妖精さんか~何か素敵ね!」
「違うよお姉ちゃん!僕、妖精さんに会ったことあるんだから」
「へぇー、それなら、お姉ちゃんも会ってみたいな」
愛莉は将太の幸せそうな顔を見つめる。
「お姉ちゃんには僕が会わせてあげるよ」
「ありがとう」
ーー妖精さんね、俺の知ってる異世界の妖精はリアルで怖いけどな。ハハ
志恩は2人の会話を横で楽しそうに聞いていた。
その日の夕方頃、天気が急に崩れだし、雨が激しさを増して降ってきた。
天気が悪くなるにつれ、将太の母親の容態も悪化していく様に見える。志恩と愛莉は、診療所の先生に暗い雨の山道は危ないからと診療所の空いている部屋を使わせて貰える事となり、今日は1泊してから帰ることとなった。
父親には、友達の家に皆でお泊まり会と言うことで話を合わせ…
愛莉は志恩の横で鼻歌まじりに話をする。
「なんか、本当にお泊まり会っぽくて楽しいね」
「お泊まり会って…俺と2人なら家に居るのと同じじゃないか?」
「そうじゃなくって!もぉ~。いつもと違う場所でお泊まりするのって、ワクワクするでしょ」
「なっなるほど…」
志恩にとっては、こう言った行き当たりバッタリの宿泊は、冒険をしていた頃は当たり前の出来事であり、少し懐かしさを感じた。
「志恩、その補助用のベッド小さいでしょ?こっの大きいので寝たら、私そっちで寝るから」
「いいよ、別に床でだって俺は寝れるし」
「えっ、床で寝てるの?」
「例えばだよ、例えば」
「変なの。だったら一緒に寝ようよ。キャンプとかに来たみたいで、そっちの方が、楽しいし」
「なっなんで、寝るとこあるのに一緒に寝るんだよ」
「なんでって、そんなに嫌なの?私の近くで寝るのが」
「…嫌とかじゃないけど、変だろ?」
「ここでは恋人同士なんだから別に変じゃないって。嫌なのね」
「いや、そうじゃなくって」
コンコン
「はひぃ」
「ちゃんと喋って志恩。はーいどうぞ」
そこに現れたのは将太の母親の主治医、心配そうな面持ちで2人を尋ねてきた。
「すいませんね、遅くに」
「いえいえ、どうしたんですか?」
「それが、将太くんの検診をしようとしたら、姿が見えないんだよ。お母さんの容態も悪化してるし、母親の側にもいないから心配になって探しているんだ」
「将太のお母さんの容態って、そんなに悪いんですか?」
「正直、今夜が峠だと思う…」
医師は肩を落とし語る。
「じゃあ将太くん、側に居ないとだめじゃないですか。私達も探すの手伝います」
そう言って愛莉が立ち上がる。
「ありがとう、助かるよ。お母さんの容態も診ないといけないし、困ってたところなんだ」
そう告げた後、医者は将太の母親の元へと戻り、後の事を志恩達に託していった。
それから志恩と愛莉は施設内の散策を開始した。しかし、いくら探しても将太の姿は見つけられず、窓の外は一層雨風が強くなっていき不安を掻き立てていった。
志恩の嫌な予感が増すばかり。志恩は3階の窓から大樹の方を覗き、将太の姿を窓から探していた。窓の外を探していると大樹の根元に、今、微かに動く人影が……目を凝らし見てみると、やがてその姿は将太だと確認出来た。
昼の工事の影響で、大樹の根が剥き出しになっており、将太はそこにバケツで土を運んでいる。
既に川はこの雨で増水しており、いつまでもあんなところに居たら危険だ。
志恩は急いで魔法を使い将太の元に向かおうとしたそのとき、将太の側にもうひとつの人影が…。志恩はすぐに分かった、遠くにいても見間違うはずのない、愛莉の姿を‥
なんで?と考えるのが間違いか。愛莉なら、やりかねない行動である。
愛莉に気付かれないようにどうすれば、などと躊躇い考えていると、川の上流から大きな濁流の音が嵐の中からでも聞こえてきた。
ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ。
志恩は窓を開け川の上流に目を凝らすと、木々を巻き込んだ鉄砲水が視界に入る。こんな状況で躊躇ってなどいられない。愛莉には後で何とでも説明は出来る。志恩は魔法を唱え始めた。
その時…
大樹から大きな魔力が立ち昇るのを志恩は感じ取った。
その魔力が何なのか、志恩にはすぐ分かった。
窓を開け放ち、志恩は叫ぶ。
志恩が叫んだ不思議な言語は、発音するのも難しい言語である。
そう、それはこの世界では使える筈のない精霊語、そして精霊魔法『ドリアード召喚、近くの人間二人を助けろ』と…
将太の元へとたどり着いた愛莉は、将太を見つけ手を掴む。
「危ないよ、帰ろう」
しかし将太はその手を拒み。
「駄目だよ、お母さんが死にそうなんだ、きっとこの樹が傷ついているからなんだよ」
「今は将太くんの方が危ないから、ここから離れて」
愛莉が必死に叫ぶが、将太は言うことを聞いてくれない。そんなやり取りをしていると「でも、お母さんが‥あっあれ」将太が指差す川の上流を愛莉も振り向く。そこには物凄い勢いで土石流が、二人に向かって迫ってきていた。
「将太、お姉ちゃんに掴まって」
愛莉は将太を咄嗟に抱き抱え、大樹にしがみつく。
「もうダメ、ごめん志恩」
愛莉がそう叫びグッと覚悟を決めた時、不思議な事が愛莉の体に起きた。
大樹の根が伸びて地面から跳ね上がり、そして愛莉と将太の二人を巻き付け天高く持ち上げた。
二人の足の下では、大木や土砂が大量の川の水と共に大樹を襲っていく。
愛莉と将太は大樹の根に抱えられているが、二人の目には綺麗な大人の妖精に抱き抱えられているように映っていた。
「凄いよお姉ちゃん、妖精さんが助けてくれた」
「ほっ本当に妖精っているんだね」
二人は妖精に抱えられたまま、診療所の近くまで運ばれてる。
二人を降ろした木の精霊ドリアードは、志恩に近づき、まるでお辞儀をして微笑みかけた様に見えた。
そしてその姿は、志恩を通り過ぎ、病院の中へと消えてゆくのだった…
その後、無事に志恩の元へと戻った愛莉と将太は、診療所に入り着替えると、その日の疲れた体は直ぐ様、眠りの奥へと誘われた。
翌朝3人は、起床後すぐに将太のお母さんの容態を心配し、病室へと足を運んだ。
志恩は医師から母親が危険な状況と言うのは聞いていたので、少なからず覚悟はしていた。
そして、病室に入ると主治医がこちらを振り返り、震える声で口を開いた。
「奇跡が起きました」
医師の後ろから姿を見せた将太の母親は、元気な姿で将太を迎えた。
医者は嬉しそうに志恩達に語る。
「昨日の夜、君達が将太くんを見つけてくれた後、さっきまで病状が危なかった安住さんが、嘘の様に回復してゆき、朝には病状が安定したんだ。今では元気そのものだよ。栄養を取って体力を回復させれば、すぐにでも退院出来るよ」
将太は涙を流しながら母親の元へと行き、優しく抱き締めてもらった。
そのあと、将太と母親は志恩達二人に何度も何度もお礼を言って来たが「自分達は何もしてません」と対応に困ってしまった。
だが、母親が言うには、二人が来てから奇跡の様なことが起きたのは間違いないと、幸せそうな笑顔で言われた。
その後、志恩と愛莉は幸せそうな親子の笑顔に見送られながら、昨日の雨が嘘の様に晴れ渡った青空の下を、家へと足取りを向けるのだった。
二人が診療所の外に出たとき、川の反対側に葉を散らし根を地上に巻き上げ、横倒しになっている大樹の姿があった。
「きっと妖精さんが助けてくれたけど、力を使い過ぎちゃったんだね」愛莉は涙目に成りながら、倒れた大樹に手を合わせるのだった。
あれは間違いなく精霊ドリアードだった。
しかし命令に従い二人を助けたのは魔法の力だったとしても、そのあと、母親の病気を治したのは本当にドリアードだったのか?
それならドリアードは、自分の意思で力を使いきり少年の母親を助けたのだろうか?
だが、そんな奇跡があってもいいな‥と志恩は考え、倒れた大樹に語りかけた。
「ありがとう…」