ミラクル・グッバイ その10
昼過ぎの晴海埠頭。
トラックやワゴン車などが道を行き交い、作業着の人間がちらほら見えている。
佳澄は歩きながら辺りを見回し、ビルの物影を見付けると、素早くその陰に隠れる。数分後、作業着に着替えた佳澄が姿を現し港へと歩き始める。前方に大型客船オーシャンマリーナ号が見えてくる。総トン数約7万トン、最大2500名の乗客を乗せられる大型客船である。
佳澄は、首からスタッフカードをぶら下げると、大きな荷物と一緒にオーシャンマリーナ号へと乗り込んで行った。
佳澄の任務は、今夜、取引の為に現れる悪徳組組長を暗殺するのこと。今回の任務では失敗が許されない為、後詰めでドクロが配置されている。もし佳澄が失敗した際は、ドクロがどんな手を使っても対象を暗殺するため、何が起きても佳澄の身の保証はしない。と言うものであった。
事故で両親を失い、生き残った妹と二人だけになった佳澄をスカーが拐い、妹の生活の保証をする代わりに佳澄に暗殺術を叩き込み、言うことを聞かせてきた。その際、佳澄に暗殺術を教えたのがドクロである。佳澄にとって、ドクロは過去の過酷な訓練を思い出させるだけの厭う相手でしかなかった。
船内へと潜入した佳澄は、まず船内の通路を確認し、見取図を頭に叩き込み、暗殺がしやすい場所や逃走経路など、細かい構造をチェックしていた。
その際、あるものを見付けてしまい、ドクロの恐ろしさとともに、焦りを感じるのだった。
佳澄が全ての下調べを終え準備を整えた頃には、乗客達の乗船が始まっていた。
空き部屋へと身を隠した佳澄は、じっと時が経つのを待ち、タイミングを見計らう。船が沖へと進むと、船内ではアナウンスが流れ、エントランスホールでのパーティーが始まったようだ。
佳澄はドレスへと着替え、乗客に紛れ込み行動を開始した。
パーティーに向かう乗客の中、標的を探し回る。しかし、標的を見付けられずパーティー会場であるエントランスホールへと到着した佳澄は、階段を登り、上から辺りの様子を伺い、暫く探していると、下のホール奥から顔つきの悪い男が数名現れ、その中心に標的を捉える事が出来た。
佳澄は標的との距離を詰める為、ゆっくりと様子を伺いながら、階段を降り始めた…
その時‥
佳澄の目に飛び込んで来たのは、階下の人混みの中に車椅子で少しお洒落な服に着替えた妹の姿。その傍らには、志恩と愛莉の姿も確認出来る。
「なぜ‥」
佳澄は、口から漏れる言葉に動揺を隠しきれなかった…
志恩の視線が佳澄を捉え、佳澄もまた、志恩の視線に気が付いた。
その一瞬の張り詰めた空気を、シェリーだけは気付き志恩の視線を追い、佳澄の姿を捉えるのだった。
佳澄は階段を降りるのを止め、2階から標的を監視することにした。
シェリーは志恩の側へと近付き、魔法による会話を行使する。
「何、あの女。放つ殺気で、一般人じゃないのは直ぐ分かるけど」
「ああ、彼女は殺し屋だ。そして、この車椅子の少女、由依の実の姉でもある」
「えっ?どう言うこと」
シェリーの驚きも当然である。今日は本当に、只のプライベートパーティーだったのだから…
シェリーには大まかな説明をして、標的がこの船に居る事を伝えた。
「本当、あなたって、運が良いのか悪いのか‥まぁね、乗り掛かった船なら、最後まで面倒見なさいって事なんじゃないの?我らが勇者様」
志恩は、そんなシェリーの皮肉に、ホールに大きくぶら下がるシャンデリアを仰ぎ観ていた…
その直後‥
カシャーン
パリーン
バタンッ
「ちょっと~、えっなにっ、気持ち悪ぅ~」
志恩が振り向くと、そこにはドレスに着飾った3人の貴婦人が立っており、その目の前に倒れた車椅子と側に帽子とマスクが外れてしまった由依の姿があった。
倒れた由依を庇うように政夫と柚木が駆け寄り、由依を助け起こす。
「全く、こんな気味の悪い子供がなんで乗ってるのかしら」
「本当、こっちのドレスが汚れてしまいますわ」
女性の言い草に、政夫は顔を赤くしながら反論した。
「あなた達がぶつかって来て、なんでそんな酷い言い方をするんだ」
「そうよ、謝りなさい」
柚木も頑張って訴える。
しかし女性達は、
「まぁあ、言い掛かりも甚だしいわ」
「本当よ。被害に遇ったのはこっちの方ですわ」
そこへ、航海士の着るスーツ姿にキャップを被り、金と黒の腕章を付けている中高年の人物が、騒ぎに近付き声を掛けてきた。
「どうなさいましたか?淑女の皆さん」
すると女性達は、その乗組員の傍へと身を寄せるように近付き、不満を口にする。
「このガキ…んんぅ。この子供達が私達にぶつかって来て、服を汚そうとするので注意していたところなんですのよ。オホホホホ」
「違います。そちらから‥
政夫が反論しようとすると、言葉を遮り。
「全く、最近の子供は、すぐに口答えばかりして、反省しないんですから嫌になってしまいますわ」
「そっそんな、私達は‥」と柚木が声を出し始めた時、志恩とシェリーが間に入り女性達と乗組員に、謝った。
「失礼しました、申し訳ございません。お怪我などがなければ、こちらはこれ以上は何もありません」
「ふんっもっと早く謝りなさい。さっ行きましょう」
女性達はそう言って、スーツの乗組員と一緒にその場を放れていく。
その時、その乗組員と目が合い会釈されたような気がしたが、乗組員としての挨拶だったのだろう。
丁度、志恩とシェリーが間に飛び込んだ時、愛莉と貴司がドリンクを持って戻り、何事かと驚いている。
志恩は目線だけで佳澄の姿を確認すると、上のフロアーの手摺から身を乗り出してこちらを見ていたが、騒ぎが治まるとサッと身を翻しどこかへ消えてしまった。
「ねぇ志恩、聞いてる?」
愛莉が志恩の傍で声を荒げていた。
「んっごめん、どうした?」
「どうしたじゃないわよ、何があったの?」
すると政夫も志恩に詰め寄り、
「志恩くん、どうして謝っちゃうんだよ。向こうが悪いのに」
志恩は静かに由依を優しく車椅子乗せると帽子とマスクを渡し、そっと車椅子を押しながら政夫達に語った。
「なあ政夫。あのまま、いつまでも言い合って由依ちゃんを周りの目に晒して置くつもりか?」
「いや‥」
「怪我がないなら、素早く事を治めれば、何事もなく終われるだろう。由依ちゃんだって、勝ち負けなんて関係ないと思うぞ」
「うっうん…」
「政夫が由依ちゃんの為に怒ってくれた気持ちは分かるけど、その時、何が最善かは違ってくるんだ。取り敢えず、今は由依ちゃんの事は俺が見るから、みんなはパーティーを楽しんでいてくれ」
志恩は車椅子を押しながらホールを後にし、シェリーだけ後に付いていった。
愛莉も付いて行こうとしたが、シェリーに止められ、ホールに残る。
その後、ホールで志恩とシェリーを抜いた全員が集まったが、お通夜の様な静かな雰囲気で時間が過ぎていった。
志恩達は部屋へと戻ると、由依に向かい合った。
「由依ちゃん、実はこの船に佳澄さんが居るみたいなんだ」
「えっお姉ちゃんが!」
「うん。それで、これから探して来ようと思っているんだ。だから、見付けてくるまで待っててくれるかい」
「勿論です」
「じゃあ行ってくる。あとを頼むよ」
シェリーは何も言わず、志恩と目だけ合わせ頷いた。
それから志恩は、船内を探し回った。人気の無さそうな場所や客室を歩き『センスオーラ』【生物反応】の魔法で佳澄らしい人影を探して…
暫く探し回り、志恩が客室の通路を歩いていると、前方から白人の男性が歩いて来た。体格が良く、乗組員とも乗客とも違う出で立ちで… それ以上に、志恩の神経を逆撫でする空気を漂わせていた。
お互い、無言ですれ違う。しかし、そのすれ違うまでのお互いの距離に、志恩は汗を握っていた。
そして、すれ違った直後、志恩は無詠唱で姿隠しの魔法を唱え振り返る。
白人の男は、何事もなかったかのように歩き続けたが、数メートル進んだ所で突然振り返り、振り向き様、初期動作もなくノーモーションでナイフを志恩へ向け放った。
志恩は咄嗟に、紙一重でナイフを避け、ナイフは通路の鉄壁に弾かれどこかへ飛んでいった。
白人の男は、ニヤリと口元を上げ、また通路を何事もなかったかの様に歩き去った。
志恩はナイフを拾い上げ、その場を後にした。
甲板に上がると、冬の風が体を芯まで冷す程冷たく体を刺す。
甲板には人気はなく、ただ、風の音だけが波の音と混ざり合い耳に語りかける。
そこには薄いドレスを風に靡かせながら佇む佳澄の姿があった。
「こんなところに居たら、風邪を引いちゃうよ」
「これくらい寒くないと、悲しみと怒りが冷えないのよね」
「さっきの事かい」
「ええ。由依は私のせいで、あんな体になってしまった。だからこそ、彼女の一生を守っていかなきゃいけないのよ」
「彼女、由依ちゃんはそんな事を望んではいないはずだよ。彼女はただ、佳澄さんと平和に暮らしていければそれだけで良いと望んでいる」
「わかってる、でも、由依がこの先も辛い思いをすることを私は耐えられない。だから、少しでも良くなって貰うためには、沢山のお金が必要なの」
佳澄の悲痛な叫びが、風に乗って空へと舞い上がった。
「違うよ、お姉ちゃん」
佳澄の言葉に、静かに応える声が返ってきた。
佳澄は振り返ると、シェリーに押され車椅子の由依の姿がそこにはあった。
「確かに、この姿を非難されるのは辛いけど、お姉ちゃんにもしもの事があって、失う事はもっと辛いよ。この姿でいることと、お姉ちゃんを失うことを比べたら、私、お姉ちゃんと居ることを迷わず選ぶよ。だから、私の為にこれ以上危ないことはしないで!」
涙を流しながら訴える由依の姿に、佳澄は、ただ涙を流しながら立ち尽くすだけだった。
「佳澄さん、もし、由依ちゃんの体が元に戻るなら、今すぐに危ないことから手を引いてくれるって約束出来るかい?」
志恩の言葉に、佳澄は涙ながらに答える。
「ええ、そんな奇跡が起きるなら、なんだって約束してあげるわ」
光輝く月の元、志恩は大きく叫んだ。
「よし、約束だ」
次回、奇跡の元で…そして‥




