3日目。鍛えられた社畜
しっかり眠れたし、今日も一日頑張るぞ、と張り切って定時の30分前に出社。まさか今日も泊まり込みって事ないよね……と恐る恐るドアを開けたら一番乗りだった。2人とも昨日は帰れたんだな……と思うとほっとする。
よし、掃除するぞと気合いを入れる。時間がないのでとりあえず2人のデスク周辺だけ掃除しよう。他の所は手があいたら掃除できるもんね。よく見るとかなり埃がたまってる。掃除する余裕ないくらい忙しかったんだな……。掃除機かけて、デスクを吹いて、ちょっとマシになったかな……という頃玄関が開いた。
「おはよう……掃除してくれたのか?」
振り向くと驚いた先輩と目が合った。大きめのヘッドフォンを首にかけて、シンプルなグレーのTシャツとブルージーンズ姿が今日もカッコいい。通勤電車でこのヘッドフォンつけて音楽聞いてるのかな? 想像したら萌えた。私が掃除してるのに気づいたのか、くしゃっと笑う。
「ありがたいけど、あんまり無理するなよ」
たまにしか見せない笑顔って、威力高い。朝から良いものみたな……一日頑張るエネルギーもらった。
掃除道具を片付けていると狩野さんもやってくる。ブルーに白のピンストライプの爽やかなシャツが、今日も良くお似合いですね。ちょっと袖捲りして、たくましい腕にごつめの腕時計が萌えポイントです。
「古谷さん掃除してくれたの? ありがとう。やっぱり女の子がいると違うね。ああ……これってセクハラかな?」
冗談めかして優しい微笑の狩野さん。うん、今日も素敵。
「今日は私がメインで仕事するから、伊瀬谷君は古谷さんの指導優先ね」
「え……いいんですか? 仕事忙しいんじゃ……」
「指導時間作る為に、昨日巻きで働いたから大丈夫だ」
昨日の泊まり込みってそういう事だったんだ。先輩の貴重な時間を貰うんだから、頑張らなきゃ。
「今日はInDesignをある程度できるようになってもらう。勉強してたんだよな? どこまで進んでる?」
先輩に聞かれてどきっとした。ほとんど勉強進んでない。恐る恐る入門書の最初の数ページだけを示した。すると先輩が本を手に取ってどんどん付箋を貼って行く。
「とりあえず付箋を貼った所の機能だけ覚えればいいから。後はそのうちで間に合う」
なるほど……最初から全部覚えなきゃ……と思ってたけど、絞ってもらえると勉強しやすい。その後先輩が横について一つ一つ丁寧に教えてくれる。
たまに「そうじゃな……」とか「ちが……」とか、キツく言いかけて口ごもる。昨日の事があるから、怒らない様に……って気をつけてくれてるんだな。いきなり性格を治すのも無理だもんね。それでも努力しようとしてもらえるのが嬉しい。
早口にならないようにして、私がメモを取る時間もとってくれて、それだけでも昨日と全然違う。
あっという間に午前中が過ぎて行く。
「古谷さんお弁当買ってきてくれる? 駅前のラーメン屋・直良の餃子弁当がいいな」
「あ……俺も同じの」
さすが狩野さん昼からがっつりですね。先輩もですか。なんとな……く流れで私も同じに。すると狩野さんがお金を差し出した。
「これで三人分買って来て。領収書お願い」
奢りなんだ。助かる。私の気持ちが表情にでたのかもしれない。狩野さんが頭をかきながら苦笑した。
「給料日まで厳しいよね? いつもは無理だけどたまには奢るから」
優しい……私の懐事情まで考慮してもらえるなんて有り難い。ほくほくと私は弁当を買いに行った。直良の餃子弁当は注文してから作るらしく、ちょっと時間がかかった。でもその代わりぱりぱりの餃子と、ぱらぱらの炒飯のセットが凄い美味しかった。
でも……この餃子がっつりニンニク効いてるな。昼からニンニク臭いの恥ずかしいな……。三人とも同じ物食べてるんだから気にしてもしかたないか。今日は来客予定ないみたいだし。
イケメン2人とニンニク臭漂う職場。……ロマンスは産まれないな。うん。
昼ご飯でエネルギーチャージして午後も勉強。なんとか入門書とメモを見ながらだけど、最低限の機能はわかるようになった。
「じゃあ、次は実際の仕事をやりながら説明するな。これが原稿」
渡された原稿の写真に見覚えがあった。あ……これ初日に私がスキャンした篠原さんのだ。綺麗にファイリングされてたから覚えてる。
「篠原さんのが一番わかりやすいし、締め切りまで余裕があるから、これで練習だな」
写真の時と同じで、やっぱり編集さん次第で難易度変わるんだな。先輩がバックナンバーの本を持って来てパラパラめくってみせる。結構分厚い旅行雑誌だ。
「この本、同じ様なデザインがずっと続くだろう?」
確かに地域別の紹介、観光名所、ホテルやレストラン情報。同じデザインで大量にページが続いている。
「俺が基本のデザインを作ってあるから、そこに文字や写真データを入れこんで欲しいんだ。材料入れるだけでいい。調整してレイアウトは俺達がするから」
先輩が作ったデザインをカラーで印刷したのが数枚。文字原稿の束と写真。カラー印刷の所に、「タイトル」とか「大見出し」「中見出し」「小見出し」と文字が入り、それぞれフォントの種類、色、サイズが異なっていて、そこに蛍光ペンでマークがついている。原稿の束を見ると、同じ蛍光ペンで見出しに色がついている。
「もしかして……この蛍光ペンの色と同じ様に、見出しの設定していくんですか?」
「正解。文字のスタイル設定してあるから、ワンクリックで変えられて……」
具体的に操作しながら教わる。テキストデータからコピペして設定。
「写真はページの横に適当に置くだけでいい。レイアウトする時にこっちで調整するから。じゃあ実際にやってみて」
先輩が横について見ててくれるので、自分でもやってみる。解らない所は聞いたらすぐ教えてもらえたし、何より原稿がわかりやすくてスムーズだった。
「一人で練習できそうか?」
心配そうに先輩に覗き込まれてちょっとひるむ。できる……と、思う。解らなければ今度はちゃんと質問しよう。どうしようもなかったら、今日は狩野さんもいるし……。
「大丈夫です。頑張ります」
「じゃあゆっくりでいいから頼んだ。今度こそ解らなかったらすぐ聞いてくれな。できたら俺がチェックするから」
先輩がデスクに戻って行くので、私も気合いを入れ直す。この入れ込みという作業と写真のスキャンが、しばらくの間私のメインの作業になるらしい。これができなきゃ仕事にならない。早く覚えなきゃ。
「古谷。たまには休憩しろよ。根詰めすぎると後が続かないぞ」
先輩に言われてはっと気づくと、もう日暮れだ。集中しすぎて頭が痛くなりそう。
「冷蔵庫に入ってる野菜ジュース、俺の買い置きだから一つ飲んで良いぞ」
「ありがとうございます」
喜んで小さい紙パックの野菜ジュースをもらう。冷蔵庫の中には、野菜ジュースの他に来客用のお茶のペットボトルと、プリン。うん、確実にこのプリンは先輩の夜食だな。
「外食続きだと栄養偏るよね」
「そう言う割に狩野さん肉とかジャンキーな物ばっかりですよね。せめて野菜ジュース飲んだらどうですか?」
「ははは……甘いものあんまり好きじゃないんだよね……」
珍しく狩野さんが先輩にやりこめられてて、くすりと笑ってしまう。
休憩後に入門書とメモと原稿を見比べつつ慎重に作業。ある程度できたら先輩にチェックしてもらって、アドバイスを貰い、やり直したりしながらなんとか渡された原稿が終わった。
時間もだいぶ遅くなって終電まであまり時間がない。
「古谷さん、一番終電早いよね。もう帰って良いよ」
帰れるのは有り難いが、せっかく今日覚えた事が明日には忘れていそうで怖い。明日以降も先輩がつきっきりで教えてもらえると思えない。
「あ……あの。この原稿のデータと紙原稿のコピー持って帰ってもいいですか? 家で勉強したくて」
自分から持ち帰り仕事を願い出るなんて、入社3日目にしてすでに社畜魂が目覚めたな……私。
「持って帰るのはかまわないけど、無理しないでね。明日以降も仕事はあるし、体調管理も仕事のうちだよ」
狩野さんはしっかり釘を刺す事も忘れない。さすがだ。明日支障が出ない程度の勉強に留めよう。
家に帰るとすでに両親共に寝ていた。でもリビングに夕食を残しておいてくれたので、ありがたく夜食代わりにいただく。職場までちょっと遠いけど、実家暮らしは楽でいいな。
ふと気がついた。2人はどうしてるんだろう。狩野さんは奥さんが料理用意しておいてくれたりするのかな……。でも急な泊まり込みとかも多そうだし、作ってても無駄になりそうだよね。
先輩は……聞いてないけど指輪はしてないから結婚はしてないんだろう。一人暮らしかな? 恋人がいても、デートする余裕もなさそう。
まだ3日だけど、2人の私生活って想像できないな……。
そんな事を考えつつ食事を終え、軽く1時間くらい勉強してから寝た。まだ水曜日。週の半ばでまだまだ仕事は続く。
翌日疲れが溜まってたのか、いつもより遅く目が覚めた。ヤバい。早く行くつもりが遅刻しそう。慌てて朝食抜きで電車に乗って、走ったらなんとか定時の5分前にはつきそうだった。今日は掃除できないな。無理しなくてい良いって言われたし今はその言葉に甘えよう。
マンションの入口で喫煙する狩野さんを発見。相変わらず煙草を吸う時はクールだ。かっこいいな。私に気がついて微笑む。
「すぐ行くから先に行ってて。悪いね」
どうぞごゆっくり……と心の中で言いつつ職場に向かう。今日も2人泊まり込み……だったりしないよね? シャツはきちっとしてたし、髪もセットされてた。よれっとしてないから、大丈夫かな?
職場につくと先輩はもう来てて、鞄をデスクに置いた所だ。今来たばかりかな?
「おはようございます。昨日は泊まり込みじゃなかったんですね」
「おはよう。今はまだそこまで忙しい時期じゃないからな。少し余裕がある」
こ、これで余裕があるんだ。余裕がある時期だから、私に教えてる時間があるとか?
「4月末くらいから忙しくなるから、それまでにある程度仕事覚えてもらえたら助かる」
「頑張ります」
ぐっと握りこぶしを作って気合いを入れる。先輩が無理するなよ。と優しい声で言ってくれたので心がほっこりした。
木曜日、金曜日……と、入れ込みの練習が続く。習うより慣れろ。実際に作業してると段々頭じゃなく体でわかってくる。イレギュラーなケースだけ質問して、後は基本自分でできるようになっていた。
「お疲れさま。良いペースだね。古谷さんは飲み込みが早くて助かるよ」
狩野さんに褒められて嬉しくてにやける。今日は金曜日。やっと休める。
「明日は11時出勤で良いからね」
狩野さんは当たり前の様ににこっと笑った。土曜出勤は当たり前ですか……。そうですか……。一応土日休み……なはずなんだけどな。まだ今週も仕事は終わらない。