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ファジーなお砂糖系男子の日常・前編

思いのほか長くなったので前後編。

伊瀬谷君視点は、本当に書くのが難しい。

 がたんがたん、つり革につかまって、電車に揺られて、体は右へ左へ。ヘッドフォンからはドラムの激しい前奏が聞こえてきて、その音に乗りながら、俺は思考の海へと落ちていった。


 今、進行中の仕事は、シンガポール編だっけ。アジアだけどちょっと都会的だし、特集記事のデザインはすっきり綺麗な方がいいかな……フォントはどんなのがいいか。ああ……この前買った雑誌に参考になりそうなのあったな。

 買った。昨日買った新作のCD。まだ音楽プレイヤーにいれてなかったっけ。帰ったら入れよう。

 新作。ああ、会社に行く前に新作のチョコをチェックするか。


 俺の思考は体と同じように、右へ左へふらふらと。同時に複数の事を考えながら、どんどん飛んで行く。仕事の時は集中して目の前の仕事だけを追いかけるけど、今は……こうしてリラックスして思考の海を漂いたい。

 ヘッドフォンから流れる音が、ギターソロに切り替わる。ああ……やっぱこの人の演奏上手いな。俺好きだ。フェスとかライブとか行きたいけどそんな暇ないし。

 基本デザインにちょっとしたイラストが欲しいな。綺麗な花とか……。古谷にイラスト頼もう。古谷が来てくれたおかげで、イラストを使った新しいデザインにチャレンジできるようになったから、助かる。

 古谷の顔がぱっと浮んで、思わずくすりと笑ってしまう。饅頭みたいに白くて丸い顔に、くりっと黒めがちな目が、まるでチワワだよな。表情がくるくる変わって、一生懸命で「先輩、先輩」って慕って懐いてくれる感じが。

 でも……もう古谷は可愛い子犬じゃないな。唇に触れて、抱きしめた感触が、今も俺の体に残ってる。


 耳に聞こえるボーカルのシャウトが、俺の思考をぶったぎった。


 いけない。余計な事は考えるな。今は……古谷と一緒に仕事する時間を楽しもう。最近休みが来るのが憂鬱だ。昨日の休みもつまらなかった。古谷が側にいないと居心地が悪い。仕事中の方が落ち着いてリラックスできる気がする。仕事に集中してても、背中に古谷の気配を感じて、振り向けばアイツがいて。それだけで落ち着く。

 ベースの重低音が曲のラストに鳴り響く。次の曲がもうじき始まるんだ。

 ああ……コンビニ行くの忘れないようにしないと。




「おはようございます。先輩」


 今日も笑って古谷が挨拶する。デスクを拭いた雑巾を持って、まっすぐに俺を見る目が輝いてる。朝から元気だな。やっぱり忠犬っぽい。耳がぴんで、しっぽふりふりってしてるの、見える気がする。


「おはよう。いつも掃除ありがとな」


 ただ礼を言っただけなのに、頬を赤くして笑う古谷。気づいたら、ぽんっと古谷の頭に手を置いていた。たまに無性にこうやって、触れたくなるんだよな。なんでだろう? ちょうど手を置くのに良い高さに頭があるからかな?

 デスクの上は綺麗に拭かれてる。デスクに置かれた物の位置は極力変えずに、でもちょっとだけすっきり整理されて、仕事がやりやすい。こういう細やかな気遣いができるのが古谷の凄い所だ。俺なんて大雑把だし。

 コンビニで買った新作チョコを取り出して眺める。

 大人向けの高級嗜好なタイプは、金箔っぽくきらめいて、綺麗で上品なデザインだな。ヨーロッパのホテルとか、ゴージャスなデザインなら使えるか。

 パクチー入りチョコの爽やかなパッケージは、ちょっと海を連想して、ビーチリゾートとかに向いてそう。

 そういえば……ロゴに惹かれて買った新作のミックスジュース。店のPOPに「美容にいい」とか女向けなアピールが書いてあったな。

 買ってきた商品のパッケージのデザインを、アイディアメモ帳に素早く書き写して終了。


「古谷。これ飲んでいいぞ」


 ミックスジュースは美味しそうではあるが、女向けっぽいし、あげたら喜ぶか?


「いいんですか? これ飲んでみたかったけど高くて。でも……甘くて美味しそうだし、先輩飲まないんですか?」


 躊躇いがちに、おずおずと、申し訳なさそうな顔をする。気を使わせてしまったのか? 困らせたいんじゃなくて、喜ばせたいんだが、なんて言えばいいんだ?


「パッケージがデザインの参考になるかと思って買っただけだから。もう観察したしいいよ」

「流石先輩。どんな事でも仕事ですね。えっと……ありがとうございます」


 古谷のはにかむ笑顔を見て思わずほっとした。困った顔をされるより、笑顔の方がずっといい。こういう事、言葉にして伝えられたらいいのだけど、なんて言えばいいのかわからない。


「おはよう。古谷さん、いつも掃除ありがとう。キッチンの水回り、結構汚れたまってて気になってたからありがたいよ」


 狩野さんが出勤した。いつもと変わらない穏やかな笑顔。細かい所にすぐ気づいて褒める姿。こういう所、敵わないな。キッチンが掃除されてた事もさっぱり気づいてなかった。褒めてもらえて古谷もとても嬉しそう。


「ああ……そうだ。昨日買い物に行ったら、店で配ってたんだ。古谷さんにあげる」

「わあ……可愛いマスコット。嬉しいな」


 直感で嘘だなって思った。店でもらったんじゃなくて、買ったんじゃないかって。わざわざ買ったって言うと、古谷が遠慮するから。……そういう細かい計算まで頭が回る所敵わない。

 溜息を零しつつ、さっき電車の中で聞いた音楽を脳内再生する。ベースの安定した音に、ギターの派手な音が重なって、ドラムの奏でるリズムと響き合う。そこにボーカルの叫び声が乗った。余計な事は音楽の波に洗い流され消えて行く。

 せっかく買ったチョコ食べたい。砂糖中毒って聞いた事あるけど、絶対俺チョコ中毒だよな。食べないと落ち着かない。古谷が笑ってないと落ち着かないみたいに。

 チョコを口に放り込んで、仕事へと脳内を切り替える。



「先輩、すみません……相談に乗って頂けませんか?」


 振り返ると古谷が申し訳なさそうな顔でおずおずと原稿を差し出している。


「先輩の仕事、邪魔してすみません。デザイン案、どうもしっくりこなくて……」

「仕事の質問ならいいよ。遠慮するな」


 そう言って俺は古谷の頭に手を置いた。こんな風に古谷が遠慮するの、初めの頃に俺が怒ったからかな……って思うと、今更ながら後悔で心が暗くなる。俺って本当に馬鹿だったな。


「昨日、デザイン作ってたんですが……一人でやってたから、煮詰まってしまって……」

「昨日って……休みの日に仕事持ち帰ってたのか」

「はい。いけませんでしたか?」

「いや……悪い事じゃないけど」


 頼まれた訳でもないのに、自主的に仕事持ち帰りって……古谷も社畜に染まったな。俺も人の事言えないけど。

 あんまり無理しすぎない様に、止めないと。いつか古谷が潰れてしまいそうで怖い。無理するなって言って、慰めたい。護ってやりたい……。

 思わず古谷に触れたくなる手をぐっとこらえ、一瞬きゅっと目を閉じ、メタルのベース音を脳内再生して思考をぶった切る。小さく溜息を吐き出してから原稿を受け取って目を通した。

 まだ入社して一年たってないのに、ここまでデザインできるようになったの凄いな。古谷が本当に頑張ってるのが伝わってきて、一生懸命な古谷の健気さがいいよな……後輩としてだけじゃなく……そう、一瞬心理の扉を開きかけて、即座に強制的に閉じて鍵をかけた。

 不味い……これは仕事だ。仕事に集中しろ。鼓膜が破けそうな大音量のヘビーメタルを思い出し、一度脳をリセット。冷静に、勤めて冷静にデザインの問題点を分析する。


「デザインは悪くないけど、ちょっと情報量詰め込みすぎて見づらくなってるかな。このあたりのイラストをとったらすっきりする……」


 そう説明してて、古谷が凹んでる事に気づいた。まるで犬の耳が垂れた様にしょんぼりして。ああ……きっとこのイラスト作る為に、昨日時間かけて頑張ったんだろうな。せっかく作ったイラストとりたくないよな。

 古谷もデザイン的に、イラストが無い方がいいのわかってるけど、時間をかけて作った物だから、もったいなくて外せないんだ。古谷が頑張った事、気づいて褒めてあげられたなら……少しは慰められるだろうか? どうやって伝えたらいいか、悩んで、慎重に言葉を探して……。


「せっかくよくできてるイラスト外すのは惜しいよな。これは次回のデザインにとっておかないか? 古谷の仕事は無駄にはならないよ」

「次回にとっておく……そうですね。そうします。ありがとうございます。先輩」


 古谷がぱーっと明るい笑顔に変わってほっとした。やっぱり古谷が笑ってる方が嬉しい。わかりやすく落ち込んだり笑ったり、くるくる回る表情が可愛くて。俺を頼ってくれるのが嬉しくて仕方が無い。こんな素直な後輩に恵まれて俺は幸運だな。

 不器用な俺の言葉で古谷を笑顔にできるのか。機嫌良くチョコを一つ口に放り込んで仕事に戻る。脳内再生のつもりが、思わず口から漏れて歌ってしまいそうになって、俺は慌ててきゅっと唇を引き締めた。

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