2日目・気まずい2人
修正はなんとか間に合ったらしい。2人の緊張の糸が緩むのがわかった。
「古谷さん、ちょっといいかな?」
狩野さんがそう言って、ソファ席へと勧める。狩野さんの表情が真剣だから、お説教……? とビクビクした。
「社会人の基本、ほう・れん・そうって、聞いた事ない? 報告・連絡・相談。これ守ってね。ミスしたらすぐ報告、解らなかったら相談。自己判断でどうにかしようとすれば、時間がかかってミスを繰り返すだけだから」
返す言葉もございません。凹んだ所で狩野さんはふっと笑った。
「まあ……伊瀬谷君が怖いのが悪いし、言いにくいと思うけど、そこは勇気出してね」
狩野さんのちゃめっ気溢れる笑顔の後ろで、先輩ががくっと肩を落としたのがわかった。それから「伊瀬谷君ちょっと……」と声をかけて2人が部屋を出て行った。
わざわざ私がいない所で話って、これは先輩もお説教なのかな? さっき狩野さんが帰ってきた時、先輩の事呼び捨てしてたな……。見た事ないくらい怖い顔だったし。不安になったけど、気持ちを切り替えて仕事しなきゃ。
それほど時間がかからず2人は帰ってきた。何事も無かった様に普通に仕事を再開。私は何度か先輩に仕事の指示をもらったけど、昨日より表情が硬い。……気まずい。怒鳴られた事思い出すと怖いし、仕事やりにくいな。
テーブルの隅におかれたままの、サンドイッチと眠眠打破。昼ご飯食べる余裕無かったんだな。
「そろそろ夕飯にしよっか。伊瀬谷君、古谷さん。2人で外に食べに行ったら? 私の分は帰りに買ってきてもらえればいいから」
ぎょっとした。仕事中も気まずいっていうのに、さらに2人だけで食事とかハードル高すぎ。嫌だ。
「古谷。行くぞ」
先輩がそう言ってさっと立ち上がるので、反論もできずについていく。2人で無言で歩く。
「何食べたい?」
「先輩にお任せします」
デニーズに着くまでに話した言葉はそれだけだった。気が重いまま席に着いたら、いきなり先輩が頭を下げた。
「さっきは怒鳴って悪かった」
一瞬何が起こったのか理解できずに頭が真っ白になる。数秒、先輩が頭をあげない事に気がついて慌てる。
「あ、頭を上げてください。私は大丈夫ですから」
頭をあげた先輩の顔はとても申し訳なさそうな顔をしている。
「焦って俺の指示だしが悪かったのに、イライラして当たった。全面的に俺が悪かった。すまん」
すごくストレートな謝罪は、とても気持ちがこもってて嬉しかった。
「私も質問しなかったのが悪かったですし、先輩だけが悪いわけじゃないです」
そう言ったら、先輩は目を見開いて一瞬言葉を失ってから口を開いた。
「古谷って凄いな。大人だな」
「そ、そんな事ないです」
「いや……怒鳴られて怖かっただろう。嫌な先輩だって思って当然なのに、そうやって俺のフォローまでできるなんて……俺情けないな」
自嘲の笑みを浮かべる先輩がなんだか可愛くて、くすっと笑ってしまう。このままお互い謝ってばかりのまま夕食の時間が終わりそうだ。
「先輩。まずは食事にしませんか? 先輩、昼食べてないですよね?」
「……あ、ああ……ありがとう。7つも年の差があるのに、俺が気遣われてて……悪いな。俺が自腹で奢るから遠慮するなよ。詫びだ」
そう言われたので、素直に海老グラタンとデザートにチーズケーキを頼んだ。先輩は和風雑炊に苺のミニパフェと苺のパンケーキ。相変わらず甘いもの。しかも苺づくしとか可愛すぎる。
「先輩は27なんですね……狩野さんっていくつなんですか?」
「あの人は……32だな」
一回り年上か……。あれだけ落ち着いてて、仕事ができるともっと上でも驚かないけどな。
「狩野さん凄いですよね……。私パニックになってたのに、狩野さんの指示、落ち着いて聞けました」
「ほんと……凄い。俺今年で28で、狩野さんが会社立ち上げたのと同じ年だけど、あの頃の狩野さんにまったく敵う気がしないよ」
そ……それは比較対象が悪すぎるんじゃ。その年であれだけできる人の方が稀だと思う。でもそんな事言っても気休めにもならないか。
「デザインの一部と、打ち合わせ全部に、スケジュール管理。全ての仕事の最終チェック。経理とかの事務仕事もほとんど狩野さんだし。それで俺達のフォローもだろ……明らかにハードワークだし。少しでも手伝えたら……と思うんだがまだまだだな」
「わ、私も、早く仕事覚えて、2人の仕事手伝えるようになりたいです」
「古谷なら即戦力になりそうだよな。まだ二日目なのに随分ついて来てるよ」
褒められて嬉しい。そういえば……まだ二日なんだ。濃すぎてもっと時間たってるような錯覚をしていた。
「俺……後輩って初めてなんだ。前の会社でも一番下っ端だったし。古谷に先輩って言われて嬉しかった。先輩としてしっかりしなきゃって気負いすぎてたかも。それで焦って怒鳴ってちゃ……先輩失格だが」
今まで狩野さんがいると、無口な印象だったけど、こんな風に本音で話してくれたりするんだな。もっと先輩の話を聞いてみたい。仲良くなってみたい。凄く真面目で真摯で、まっすぐな先輩が好きだな。
「厳しくてもいいです。その方が私も早く仕事覚えられますから。優しすぎたら、きっと甘えてなかなか成長できないと思うので」
「ほんと……古谷って大人だな。しっかりしてるよ」
その後は和やかに食事できた。気が緩んだのか、デザートを食べる時に嬉しそうな顔をするのを隠そうともしない。早めに和解できて良かった。あのまま気まずい気持ち引きずってたら仕事にならない。
会社に戻ったら狩野さんがにこっと笑って「仲直りできたみたいだね」と言ってくれた。やっぱり狩野さんがわざと2人きりにしてくれたんだ。もしかしたら先輩に謝れって言ってくれたのかな?
「伊瀬谷君、古谷さんが大人でよかったね」
笑顔でぐさっと釘をさして、先輩に止めをさす所が怖いけど。
「古谷さん、どこまで仕事、終わったかな?」
狩野さんに聞かれて状況報告。今やってる仕事は明日でも間に合うから今日は帰って良いよと言われた。時間は10時前。終電帰りは免れたか。
「今日は家で勉強とかしなくていいからゆっくり休んでね」
やったー。休めると心の中でガッツポーズを決めた所で、
「明日から終電帰りが続くから、頑張ってね」
さらりと笑顔で爆弾投下するな……この人。本当にこの会社ブラックだ。人間関係が良い事だけは救いだけど。