表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/72

幸せになりましょう

篠原さん視点の本編全体の裏話

 狩野さんから連絡があって驚いて……でもほっとした。やっと彼も会う気になったのね。4年の間に他に好きな男もできたし、今更よりを戻す気もないけど。……でも嫌いで別れたわけじゃなくて、ずっと心配はしていたから。

 4年……直接は会わなかったけど、狩野さんから話は聞いていたし、彼のデザインはずっと見てた。年々成長していくデザインを見て頼もしく感じたし、私も負けずに原稿作らなきゃって思えた。


「初めまして、古谷萌です。よろしくお願いします」


 あら……ずいぶん可愛い子が入ったのね……と、びっくりした。

 小柄で華奢で、でも顔だけふっくらした丸い頬。黒めがちな瞳は小動物っぽく輝いてる。色白な肌と黒くて綺麗な長い髪。こんな仕事をしてるから、髪も整ってないし、すっぴんで、でも若いから着飾らない方が、かえって可愛く見える。

 オーバーサイズの首元が大きく空いたルーズなTシャツから華奢な鎖骨が見えて、Tシャツの色やロゴもオシャレで可愛い。シンプルだけど形にこだわりのあるジーンズ。若い人のおしゃれって感じでよく似合ってる。くるくる変わる豊かな表情も素直で可愛い。

 何より……私に会いたかったって言葉が、お世辞じゃなくとてもストレートに素直に響いて。ああ……性格もとても良い子だなって思えた。

 だからちょっと不安になった。狩野さん、大丈夫? 伊瀬谷君が好きになったら面倒な事になるんじゃないかしら?




 久しぶりに伊瀬谷君とランチをした。最初は固かったけど、揶揄っているうちに緊張がほぐれたようだ。


「4年……俺の仕事を見てきただろう。まだ……狩野さんと仕事をするの。反対するのか?」

「良いデザインだと思ったわ。毎回届く度に、前よりさらに良くなってると思ってた」


 素直に褒めたらとても嬉しそうで。デザートに夢中になる姿が何も変わらなくて。可愛いわね……と思わず微笑ましくなる。


「私の原稿はどうだった?」

「凄くやりやすいよ。他の編集さんより、一番に」

「あら……嬉しいわね。そこまでハードルを上げられると、燃えるわ」


 くすりと笑うと、彼も笑う。少しづつブランクが消えて、昔みたいに仲良く穏やかに話せてよかった。


「私ね。今好きな人がいるの」

「そうか……おめでとう」


 とても素直に祝福してくれるから。ああ……彼も私に未練はないんだなって安心した。


「じゃあ……これからは、お互い、良き仕事相手として、良き友人として、仲良くしていきましょう」


 そう言って差し出した手を、彼は握りしめた。4年ぶりの和解。私達の間は上手くいくだろう。でも……狩野デザイン事務所は大丈夫かしら? そんなお節介が心の隅に残った。




 狩野デザイン事務所に出向いての打ち合わせ。打ち合わせもスムーズに進むし、着実に仕事ができる男になっていくわね。伊勢崎君。

 伊勢崎君の表情が、柔らかくなったわ。それに……あの頭に手を置く仕草。まだ……彼は無意識だと思うけど、確実に古谷さんを意識し始めてる。どうなるのかしら、この2人。


『すまない加奈子。急に予定が入ったんだ。今日の予定はキャンセルにしてくれないか』


 恋人からのメール。いつもの事ね……と諦めつつ、大事にされてないな……と、軽く傷つく。仕方がない。そんな男を好きになった私が悪い。

 ぽっかり空いた予定が寂しくて、つい伊勢崎君にメールした。


『今日忙しい? 良かったら飲みに行かない?』


 ちょっと待ったけどなかなか返信はない。1時間くらいしてやっと届いたメール。


『悪い。今日は泊まりで仕事なんだ。でも……珍しいな篠崎からそんな誘い。何かあったのか? 大丈夫か?』


 ああ……本当に。普段は鈍い癖に、こういう時だけ勘が鋭くて優しい。こういうギャップに弱いのよね。


『大丈夫。ちょっと暇だったから連絡しただけ。仕事の邪魔しちゃってごめんなさい。頑張ってね』


 伊勢崎君のメールを見てたら、ささくれ立った心が癒された。今日は一人で飲みにでも行くか。




 伊勢崎君が幸せな恋をするなら祝福したいけど、狩野さんとのトラウマが気になって。何も知らない古谷さんが可哀想で。ついつい余計な事を言ってしまった。好きな子にしか触れない……なんて、言われたら、意識しちゃうわよね。

 余計な事を言ってしまったと後から後悔しても遅い。

 夏も終わりが近づく頃、様子が気になってメールした。


『古谷さんとはどう?』

『どうって……別に。変わらない。何も。……自分でもよくわからないんだ。ただ……今のままじゃダメな気がする』


 伊勢崎君らしい、よくわからない返事。よくわからない……と迷うのは、好きって気持ちに気づき始めてるのかしらね。自分の気持ちにさえ鈍い伊勢崎君らしいけど。




 伊瀬谷君が古谷さんと付合い始めたと、メールで報告してきた時、素直に祝福できずに不安になった。私が余計な事言ってしまったせいかしらと責任を感じる。このまま二人が順調に幸せな恋人になる気がしないのよね。どうしても狩野さんとの過去のトラブルが頭にちらつく。


『古谷さんとはどう? うんと年下なんだから、甘えちゃダメよ』

『甘えてない……と、思う』


 素直すぎるくらい情けないメールに、思わずクスクス笑ってしまう。7歳も下の女の子に、甘えるなんて情けないわね。そういえば……伊瀬谷君が年下の子と付合うのって初めてかしら。自分から告白するなんて、今までなかったと思う。

 不器用な彼が、精一杯大人になろうと背伸びしている。そう想うと微笑ましい。


『もうちょっとしっかりしなさいよね。大人げない』


 返信はなかった。たぶんこっそり凹んでるんだろうな。と想像したらまた笑えた。




 予定を変更して打ち合わせに来てくれないか。そう言われて嫌な予感がした。表情が固い伊瀬谷君と、イライラした古谷さんと狩野さん。何があったか……すぐにわかった。伊勢崎君は狩野さんと揉めているのね。

 古谷さんから話を聞いてみれば、狩野さんが過去のトラブルに気づいてなかった事に驚く。抜け目ない人だと思ってたんだけど、案外抜けてるのかしら? 伊瀬谷君の過去の嫉妬の事甘く見てたのね。呆れるわ。

 私、狩野さんの事が嫌い。あれだけ伊瀬谷君が慕っているっていうのに、まだ本音を見せない。伊瀬谷君は「隠してるのはわかってるけど、いいんだ。何か知られたくない事があるんだろう?」そんな風に言う。それが彼の不器用な優しさ。それに甘えて驕ってるんじゃない?




 相談に乗ってくれないか……と、弱気な声で伊勢崎君に甘えられ、久しぶりに二人で飲みに行く。

 やっぱり劣等感は克服できてないようで、でもそんな自分のみっともなさも自覚してて。不器用だけど一生懸命な姿を見て、改めて伊瀬谷君って可愛くて良い男よねって思う。


「この前……古谷が倒れた時、狩野さん今まで見た事ないくらい余裕が無い感じで。ああ……本気で古谷の事好きなんだなって、改めて思って、焦った」

「狩野さんが……古谷さんをね……」

「俺も……最初信じられなかった。狩野さんはとても奥さんの事愛してるように見えたから。奥さんと上手く行ってないからって、浮気するような人だったのか?」


 ちょっと信じられない話。狩野さんって自分のテリトリーに人を入れるの嫌いそうな人だし、そんな簡単に好きになるかしら? って。でも……伊瀬谷君の勘って結構鋭いから、そうなのかもしれない。


「俺は……狩野さんが許せないんだ。奥さんがいるのに、古谷を好きになって。古谷に手を出すなら、離婚してからにしろっていうんだ」

「それで? 狩野さんが離婚したら、古谷さんを口説いてもいいの?」

「……」


 そこで黙っちゃう所が、まだ子供っぽいわね。好きな子の為に熱くなっちゃうのに、やっぱり自分の物を取られたくないの?

 散々愚痴った後に、気まずそうに口を開く。


「篠原……俺と2人で飲んでて、大丈夫か? 好きな男がいるんだろ?」

「大丈夫。彼、大人で理解があるから」


 私は笑顔で嘘をついた。私の恋人は妻子持ちで不倫だから、文句なんて言うわけがない。そんな事言ったら、真面目で優しい伊勢崎君は、怒って心配しちゃう。伊瀬谷君はそんな私の嘘に全然気づかない。そんな鈍さも好きだけど。

 その後まさか古谷さんと狩野さんと、ばったり会うとも思わなかった。彼女がいる男と、元彼女が飲みに行くって、やっぱり不味かったわよね。大丈夫かしら……と不安になったけど、古谷さんは意外としっかりしてた。私を信頼してると言ってもらえたのは嬉しい。

 会社まで彼女の肩を抱いて歩く。今日はシルエットがぴたっとしたTシャツ。小柄だけど華奢な彼女の魅力がぐっと引き立つ。明るい色が色白の古谷さんの肌に映える。こういう細身の服って若いからこそできる特権よね。ちょっとお腹回りが気になる私には、怖くて絶対着られない。彼女の若さに少しだけ嫉妬した。

 そんな事よりも……彼女の立場がとても不安だ。伊瀬谷君と狩野さんに挟まれて、とても苦しそう。こんな若い子に耐えきれるのかしら?




 休み明け、予定もないのに、古谷さんがやってきて、原稿とお詫びの品を渡された。狩野さんらしいわね。私なら多少は大目に見てくれるって、面倒事を押し付けて。あの人は狡い男だから。

 キスマークの話を聞いて、心の中で溜息をついた。本当に……伊瀬谷君も困った子ね。古谷さんよりよっぽど子供だわ。狩野さんもかなり怒ったでしょう。あんまりあの人を怒らせるのは逆効果よ、伊瀬谷君。

 古谷さんがやっぱり心配で、余計なお世話を言ってしまった。

 彼女は優しすぎる。他人を優先しすぎて、自分の事を考えてない。そこが魅力で欠点で……そんな彼女に2人のモテ男が夢中なのね。散々女性にモテ続けた男達が、20歳の女の子に振り回されてるのが、ちょっとおかしくて笑ってしまう。


『キスマーク……見ちゃった。伊瀬谷君……古谷さんを大事にしなさいね』


 古谷さんが帰ってすぐにそうメールを送ったのに、返事が来たのは翌朝だった


『……もうしない。今は後悔してる。俺って馬鹿だ。狩野さんに悪い事をした』


 昨日はキスマークをつける程、独占欲丸出しだった癖に、一晩で何があったのかしら?


『どうしたの? 何かあった?』

『ちょっとごたついてるから。落ち着いたら連絡するよ』


 とても気になったけど……忙しいなら連絡できないわね。しばらく待つしかないか。




 しばらく連絡はないかと思ってたのに、翌週の夜、携帯に突然伊勢崎君から電話があった。メールの予告もなしに珍しいわね。


『悪い、篠原。打ち合わせ来週にしてもらえないか?』

『私は大丈夫だけど……何かあった?』


 彼の声に元気がない。それに仕事の話をプライベートの時間にしてくるのもおかしい。


『狩野さんが急病で、仕事が忙しくてな』

『あら……それは大変ね。狩野さん大丈夫?』

『……たぶん』


 不安そうな歯切れの悪い答え。伊瀬谷君はずっと狩野さんによりかかって仕事してきた。その支えがなくなって不安なのかしら? 上司って言っても恋のライバルにいつまで甘えているつもり?


『貴方がそんな調子でどうするの? 狩野さんがいないなら、貴方が古谷さんを支えて頑張らないと』


 私がそう言ったら、電話の向こうの彼の声が、急に優しくなった。


『ありがとう。励ましてくれて。元気をもらったよ。流石、篠崎だな』

『どういたしまして』




 その後色々あったから、報告したいと言われ、久しぶりに伊勢崎君と飲みに行った。少し見ないうちに、凄く大人びていて驚く。男って急に成長するわね。

 伊瀬谷君は全部話してくれた。ずいぶん色々あってびっくりして、狩野さんの事情に少し同情して、狩野さんとの男の約束を聞いて笑ってしまった。


「よくそんな約束できたわね」

「選ぶのは古谷だから、狩野さんと喧嘩したって意味が無いんだ。それに……狩野さんが独身で、不倫じゃないなら……俺と狩野さんは対等だ」


 驚いた……。昔の伊瀬谷君は、狩野さんを信頼しすぎてて、依存してる。美化しすぎてて、比較して自分を卑下してるようにも見えた。そんな危なっかしさが心配で、二人だけで働く事を反対した。

 そんな伊瀬谷君が「対等だ」と言える日が来るとは思わなかったわ。


「よくよく考えて、俺は気がついたんだ。初めから諦めて、狩野さんに素直に譲る気はないけど、古谷が俺の物になるより、古谷が幸せな方がいい。例え狩野さんを選んだとしても、古谷が笑顔ならそれでいい」


 その素直な告白が私の胸をついた。眩しい程に真摯で、そこまで愛される古谷さんが羨ましい。不倫なんてつまらない恋愛をしてる自分が嫌になる。


「大人になったわね。すごくかっこいいわ」

「ありがとう。あのさ……篠原……今幸せな恋愛してないだろう……よくわからないけど、そんな気がしたんだ。幸せになれよ」


 そう言って私を気遣う姿を見て感動した。ああ……本当に大人になった。とても良い男に成長したわね。古谷さんが彼を変えたんでしょう。絶対無理とわかっていても、古谷さんに振られて傷ついたら、慰めてまたよりを戻したくなるくらい。

 でも……いつ振られるかもわからない、振られても振り向くかもわからない男を待って、婚期を逃すなんてもったいないわよね。


「幸せになるわ」


 そう……伊勢崎君と約束したから。すぐに不倫男と別れた。今度は……私だけを真摯に想ってくれる男を捜そう。幸せな恋愛をしなきゃ。

伊勢崎視点の小説というのは、私には難しくて、代わりに篠原さんの目線で語っていただきました。

たぶん……伊勢崎君は、本人無自覚な部分がありすぎるので、他者の目線で見た方がわかりやすいし、魅力的だと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ