ライアーゲーム2
唯お姉ちゃん視点
本編の「反省だけなら猿でもできる」から「傷口に塩」の間にあった、お話。
『貴方に会いたいのに、会えなくて寂しいわ』
嘘。ただの営業メール。いつものお誘いを米沢に。でも……最近は営業だけとも言えなくなりつつある。
『僕に会いたいんじゃなくて、狩野さんの事が気になるんじゃない? やけちゃうな』
そう返事が帰ってきてちょっと返事に困った。図星だったから。そう……狩野に頼り切った萌を見て、いつ既婚者に口説き落とされて、不倫の道に落ちるのか……と、気になってしかたがない。
萌を大切にする男と萌が付合うのは構わない。でも……萌を遊びで傷つけるなら許せない。だから気になる。
萌が狩野の家に行ったと聞いた時は、最初は本気でキレて、やっぱりあの男は信用できないって思った。でもまったく手を出さなかった事にびっくりもした。妻と3年別居中で一切会ってない、侘しい一人暮らし。そこに自分から萌を家に連れ込んだ。しかも天然な萌が、無自覚に誘ったりして……。魔がさして手出ししてもおかしくもないのに。1度会っただけだけど、狩野って何考えてるのかわからない男よね。
でも……今回何もしなかったからといって、今後も何もしないとも限らないわ。萌は何が問題なのか、全然わかってないし、またふらふらとお泊まりに行っちゃうんじゃないかって、気が気じゃない。
「同伴じゃなく、デートに誘ってもらえるなんて嬉しいね。僕、そんなに愛されてたなんて知らなかった」
米沢が揶揄うように軽口を叩く。日曜昼間の健全なデート。カフェに米沢を呼び出してお茶した。そういえば……米沢の私服って初めてみたわね。会う時はいつもスーツだったし。白いVネックTシャツにデニムシャツを重ねて、細身の黒いパンツ。爽やか系の服装のセンスも悪くないわね。やっぱり遊び慣れてるのかしら?
「あら……なかなか会いにきてくれないから、会いたくて誘ったの。私の気持ち信じられないの?」
嘘。狩野と萌の事が気になるから聞きたいだけ。そんなの米沢もわかってるけど、ちょっとしたリップサービスも必要よね。にっこり笑って見せたのに、米沢はなんだか落ち着かない表情。
ああ……そういえば、キャバ嬢じゃない、普段着の私を見るの初めてか。だから戸惑ってる?
「そんなに狩野さんが気になるの? 参ったな……。伊瀬谷君の為になるし、君の怒る顔がみたいなって、イタズラで、ちょっと狩野さんを悪者にしたてあげすぎたかな……」
バツが悪い……そんな表情で米沢が呟いて珈琲を一口。私と目線もあわさない。照れてるのかしら? そう思ったらおかしくて、つい揶揄いたくなった。
ピンクの上品なネイルで彩った指で、米沢の手をなぞった。夜のキャバクラならいくらでも触れてたはずなのに、米沢はびくりと身を震わせる。
「悪者にしたてあげた……ね。確かに、私が思う程悪い男でもないのかもしれないわ。家に萌を連れ込んでおきながら、一切手出ししなかったみたいだし」
探るようにじっと顔を見て言ったら、米沢は本気でびっくりしていた。驚く顔を見るのが好きって、米沢の言う気持ちわからなくもない。驚かせる側は、満更でもないわ。
「妹さん……狩野さんの家に行ったの?」
「ええ……酔って、終電無くして、怪我もして、仕方がなく……とは聞いてるけど、普通そんな事しないわよね。下心なしに」
「自分のテリトリーに、人を入れるの嫌いそうな人だと思ってたんだけどな……」
そう呟いて、米沢がカップを置き私から目をそらす。水が入ったグラスの縁をなぞる仕草は、何か考えてる時の、この男の癖だと最近気がついた。
「男が……そういう状況で手出ししないって、よっぽどその子に興味がないか……よっぽど大切なのか。狩野さんはどっちだろうね」
「大切って……本気で萌が好きだって言いたいの?」
米沢がグラスの縁を、とんとんと叩いて目を伏せる。何か迷うようなそぶりを見せてから、真剣な顔で私を見た。
「こういう事って、他人が勝手に口出しする事じゃないし、言わない方がいいと思ってたけど。狩野さんにはずいぶん悪い事しちゃったしね。まあ……君の心証を良くしてもらう事で勘弁してもらおうかな」
そう言って躊躇いがちに口を開いた。
「狩野さんの奥さん。2年前に亡くなってる。だから狩野さんは今、独身」
「……嘘」
「本当。ま、僕が君に信用されてないのはわかってるけど、僕だってこんなたちの悪い嘘はつかないよ」
そう……これが嘘ならたちが悪すぎる。でもますますもって、狩野がよくわからない。
既婚者の男が独身の振りをして女を口説く。それは良くある事。でもその逆ってありえない。何考えてるの?
米沢の言葉が本当なのか気になったから、無理矢理米沢から狩野の連絡先を聞き出した。私に押されて仕方なく……という感じの困り顔の米沢。これ……駆け引きじゃないわよね?
「これって君への貸しだからね」
「貸し……って、何をすればいいの?」
警戒心を高めて睨んで見せたら、米沢は嬉しそうに笑って、私のネイルの縁を指で撫でる。まるで宝物に触れる様な丁寧な仕草が、今までになくて戸惑った。
「また同伴じゃなくデートしたい。今度は僕にエスコートさせてね」
「……それって、泊まり?」
「ううん。健全な昼デート。言ったでしょう? 大切な相手に男は簡単に手出ししないって」
嘘。私を口説く為の軽口でしょ。でも……ちょっとだけ心が揺れた。遊びじゃなく真面目に付合う気あるのかしら?
だからって、この男と付合うなんて、ありえない。遊びで口説かれるのも嫌だけど、こんな変人に本気で愛されるなんて、まっぴらごめん。
突然の連絡に驚いてもしかたがないのに、狩野は私の呼び出しにあっさり応じた。日曜、渋谷。秋の小春日和。でも風は冷たい。そんな中途半端な気温。
狩野は紺地に白のドット柄シャツに、ざっくりカジュアルなブラウンのジャケットを重ね、綺麗めな細身のジーンズを着こなして。嫌みなくらいに隙の無い大人のおしゃれカジュアル。余裕の穏やかな笑みが癪に障る。
「突然呼び出してすみません」
「いえ……古谷さんにはいつもお世話になってますし、先日は妹さんに大変失礼な事を……」
駅前の人ごみの中、そう挨拶をしてて、歩く人にぶつかりそうになる。とっさに狩野が私に指一本触れずに庇った。間近で見た左手の薬指には指輪。 既婚者のふり? それとも米沢の嘘?
米沢の言葉が本当か嘘か、それを確かめたかった。本当に狩野の妻が亡くなってて、独身なら……萌に本気だというなら……私も安心できる。そんな事を考えながら渋谷を歩いて喫茶店へ向かった。
萌を一度連れてきた珈琲店。駅から離れている上に目立たない所にあるから、隠れ家的で知り合いと鉢合わせしないと思ったのよね。こんな目立つ男と一緒に歩いてるだけで噂されそう。
「先日は妹がご迷惑をおかけしました。ご自宅まで押し掛けちゃって」
「いえ……こちらこそ申し訳ありません。軽率な行為でご心配おかけしました」
狩野が焦ったように見えた。当然か。部下の女の子を家に連れ込んで、保護者と顔合わせてるんだもの。
「男性の一人暮らしの家に泊まりにいく、妹も軽卒ですけど……あの子もまだ若くて、世間の常識もわかってませんし……」
大人の対応しなさいよねって、嫌みも混めつつ笑顔を浮かべたら、狩野の笑顔が引きつってた。これなら私の方が優位よね。ちょっとくらい厚かましくてもいいかしら?
「失礼ですが……萌から聞いたんですけど、奥さんと別居されてるんですよね? でも離婚はされてない」
「ええ……そうですね。離婚はしていません」
嘘? 「離婚はしてないけど、死んでます」だったら……まったく嘘とも言い切れない、巧妙な言回し。ずいぶんプライベートに踏み込んだのに、全然動揺してない穏やかな笑み。隙がなくて怖い。
でも……なんとなくわかる。きっと狩野はこの話題、嫌がってる。それがわかってても聞く私って嫌な女。殊勝な顔を繕って、言葉を続ける。
「立ち入ってすみません。離婚……されるおつもりなんですか?」
「どうでしょう? 会う時間がとれないので」
嘘? 「生きて会う」とは言ってない。墓参りだって会いにいくとも言えるわよね。完全な嘘とは言えないギリギリの所でのらりくらりと躱すのが上手いわね。
遠回しに探りを入れようとしても躱されるだけで終わりそう。
「私……萌が狩野さんの事が好きで、狩野さんが独身なら、付合ってもかまわないって思ってるんですよ」
にっこり笑って、すぱっと切り込んでみたら、初めて狩野は余裕の笑みを崩して驚いてみせた。でも動揺からすぐに立て直す。
「……そういう懸念は不要かと思います。むしろ最近は伊瀬谷君と古谷さんの方が仲が良いですし」
「あら……そうなんですか? 二人は付合ってるのかしら?」
「さあ? 私も当人に聞いたわけではないので」
狩野が話題が変わったと油断して、珈琲に口をつける。その隙にさりげなく突っ込んだ。きっと……私、今悪女の顔してるんだろうな。
「米沢さんがこの前「狩野さんの奥さんはもう亡くなってる」だなんて言ってたんですけど……本当ですか?」
狩野が思わず珈琲を喉につまらせて咳き込んだ。その激しい動揺ぶりに、米沢の言葉が本当だとわかった。自分の知りたかった事がわかったのに、私はすぐ後悔する。狩野の震えた唇に、目に一瞬映った影に、深い悲しみの色を感じた。
狩野が気まずそうに目を伏せて、しばらく沈黙した。わずかに漂う重い空気。狩野はしばらく悩んで口を開いた。
「古谷さんから、お姉さんとの仲が上手く行ってないと、以前聞いた事がありまして……でも……」
そう言いよどんでから私をまっすぐに見て言った。
「私達みたいに、手遅れになる前に、2人が仲直りしてよかった。とても嬉しいです」
真剣な表情だから、その言葉は嘘には聞こえなくて、痛い程胸に突き刺さった。無神経にプライベートをずけずけ聞いたのに、こんなに真摯に喜んでもらえるとは思わなかった。
狩野は微笑を浮かべたけれど、そこに苦い物を感じて、申し訳ない気分になる。これ以上触れないでくれ……そういう悲鳴に聞こえた。2年たっても未だ立ち直れない、今でも痛む古傷に、土足で踏み込んだんだ。萌の為って言いながら、最低ね、私。
それで慌てて萌の仕事の話に話題を変えた。結局狩野は一言も「妻は死んだ」という事実を口にはしなかった。言えなかったのかもしれない。
珈琲店から出て歩く途中、立ち止まって狩野の背を見上げる。私が立ち止まったから、狩野が振り返って首を傾げた。待ち合わせした時と同じ穏やかな笑み。でも……今はとても寂し気に見えた。隙の無い男の寂し気な雰囲気って、女はこういうギャップに弱いわよね。萌も……きっとそう。あの子は放っておけない。
「萌は……姉の私がいうのも何ですが、人の心配ばかりする良い子すぎて」
「そうですね。古谷さんはとても優しい」
そう語る時、狩野はとても柔らかく愛おし気に微笑んだ。こんな優しい笑顔、今日初めてみた。本気で萌が好きなのかしら? その時、ふと……一つの推測が頭によぎる。
「萌はきっと狩野さんの事を心配して、同情して、油断して家に行った。指輪は歯止めですか?」
そう……たぶん。そういう事だ。萌を好きにならない為のストッパー。狩野が既婚者の振りを続ける限り、萌が狩野を男として好きになる事は無い。指輪を外さなければ、二人の恋は始まらない。
狩野は色気のある悩ましげな表情を浮かべ、指輪に触れて溜息をつく。
「これはただの結婚指輪で、歯止めじゃありません。私はただの上司です」
嘘。ただの上司が部下の事でこんなに思い悩むわけも無い。嘘ついて、誤摩化して、狡い男ね。そんなに本音を言いたくないの?
でも……この男ならきっと萌を大切にする。そう私の感が告げていた。私と萌の事、本気で心配してくれた。意外とお人よしなんじゃないかなって。
狩野と伊瀬谷。どちらを選ぶか萌次第。これ以上私が何も口出しする必要はないだろう。そう思ったら安心して自然と笑みがこぼれる。
私の笑顔に安心したのかしら? 狩野がシニカルな笑顔を浮かべた。
「米沢君とずいぶん仲が良いんですね。私の話をこんなにするなんて」
「ええ……付合ってるんで」
そう言ったら、狩野が驚いてぽかんと間の抜けた顔をした。それがおかしくて、くすくす笑ってしまう。
「嘘です。あんな変人。恋人なんてありえない」
そう……絶対苦労するのは目に見えてる。だから絶対好きになんてならない。狩野は私の嘘に笑った。その笑顔は楽し気で無邪気で。
警戒心の強い男の、こんな隙の無い笑顔を見られるなんて、米沢も案外役にたつじゃない。
恋人なんて死んでもごめんだけど……友達くらいなら、なってあげてもいいかしら?




