異次元の社員旅行
そして土曜日がやってきた。初めての社員旅行なのだけど、結局まだどこに行くか決めてない。三人で電車に乗って神奈川方面に向かいながら、どこに行こうか話した。
今日の狩野さんの服は黒のタートルネックに黒のシングルライダースジャケットに黒の細身のブラックジーンズ。全身黒コーデですらっと見える。プライベートだからかだいぶカジュアルだ。大人の色気って感じでカッコいい……。
先輩は白のシンプルなカットソーに、ブルーの厚手のカーディガンを羽織って。それにいつものブルージーンズ。それだけじゃ寒いのか、グレーのストールぐるぐる巻き。口元がちょっと隠れるその巻き方、萌えです。今からマフラーの時期が楽しみだ。
「ここのお店、絶品スイーツと、地ビールと、手作りソーセージが自慢らしいんです。それとこっちの温泉は……」
ネットで調べてプリントアウトした紙を見ながら説明していたら、先輩に紙を取り上げられた。
「今日は俺達の行きたい所……じゃなくて、古谷の行きたい所な。だからこれ、没収」
「古谷さんは、何が好き? 何したい?」
言われて見ると……普段から店選びも2人に任せっきりで、自分から希望を言う事はあまりない。たまに野菜が食べたいとワガママを言うけど、それも結局、不健康な狩野さんの為だったりする。改めて言われると、自分が行きたい所、好きな物が思いつかない。
一生懸命考えて、なんとか「海に行きたいです」とだけ答えた。
海に着いてから、もはや秋の終わりのこの季節、海なんて寒すぎると気づいたけど、そんな事さえ楽しかった。仕事抜きに三人で会うなんて初めてだったから。
人のいない海は、静かで、潮騒が響く中、のんびり三人で砂浜を歩いた。私達がつけた足跡は、波に攫われて消えて行く。あまりに儚い想い出。それさえも愛おしい。
「私、海に来たの、高校の遠足以来です」
「俺は……前の職場に居た時に、遊びで行ったかな?」
狩野さんは? と問いかけようとして辞めた。もし……最後の海の想い出が、奥さんとだったら……そう思うと聞けなくて。
そんな私の躊躇いは簡単に見抜かれる。狩野さんはくすりと微笑んで、ゆっくり私の隣に来て頭を撫でた。大きな手で優しく撫でられると嬉しいけどくすぐったい。
「本当に……古谷さんは良い子だよね。自分の事より人の事ばっかり考えて」
「それ……狩野さんも同じだと思いますけど……」
「少なくとも……自分が好きな物は優先してるよ。肉食べたいとか酒飲みたいとか」
「俺も菓子ばっかり食べてるしな。で? 古谷の好きな物は?」
そう言われると……2人程強いこだわりが、自分にない事に気がつく。好きな物ってなんだったけ? と困りながら見上げると、2人が穏やかで優しい目で私を見つめてた。
「古谷さんは……もし付合うとしたら、私と伊瀬谷君、どっちがいい?」
「へ?」
突然聞かれてきょどる。どう返事しよう。2人の事は好きだけど、2択どっちか……と言われると困る。
もし狩野さんを選んだら、先輩はまた劣等感に苦しむかな?
もし先輩を選んだら、社内でイチャイチャするカップルに、奥さんの事を思い出して狩野さんがせつなくなるのかな?
波の音も、潮の匂いも、忘れるくらいに、ぐるぐる考えてると先輩がぽんっと頭に手を置いた。
「今……どっちを選んだ方が、俺達が傷つかないか……って、考えてただろう。俺達の都合じゃなくて、古谷の希望を聞いてるんだけど」
「本当に筋金入りの天然だよね。そこが古谷さんらしくて、そういう所を私達は好きになったんだけど」
私の希望と言われると……困っちゃうな。その時、狩野さんと先輩がちらっと目を合わせて合図した。なんだろう……2人で何か企んでる?
「古谷さん、昨日伊瀬谷君と相談して決めたんだ。今後私達からは古谷さんを口説かない、2人で喧嘩もしない。だから古谷さんは好きなだけ悩んでいいよ。古谷さんがどっちが好きか決めたら、私達に教えてくれる?」
「で……古谷が選んだなら、選ばれなかった方は素直に祝福するって約束した。だから……俺達に遠慮せずに古谷の都合で考えろよ」
え! それってこのハイスペックイケメン2人の、どっちと付合うか……って、その選択権が私にあるの? そんな事が私に許されるの?
「あ、あの……それって、締め切りは……」
「古谷さんが会社を辞めるまで?」
「それはありえません。私この会社が好きですし」
「じゃあ……古谷が他に好きな男ができるまで……かな」
「それもありえません。仕事が忙しすぎて、社内恋愛以外に出会いがありませんから」
「じゃあ……定年退職までじっくり悩んでいいんじゃないかな」
「そ、そんなのダメです。2人も恋人を作ったら……」
「仕事は辞められないね。私の会社だし」
「忙しすぎて出会いがないってのは俺達も同じ」
なんだろう……この外堀を埋められた感。どう言い返しても反論される。昨日の2人の飲みって、この相談? 2人の企みが悔しくて、なんとか言い返せないかと悩んでいたら閃いた。
「そうだ! 3人で仕事を頑張って、会社が大きくなって、新入社員を雇えるようになったら、きっと可愛い女子社員が入社して、2人に出会いが……」
本気でそう言ったのに、2人に爆笑された。
「古谷の天然、凄すぎ、手強すぎ」
「これは……本気で定年退職まで覚悟……かな?」
そう言って私を置き去りにして、ずっと2人で笑ってた。良くわからないけど、段々私も釣られて笑ってしまって、誰もいない海に三人の笑い声が響いた。
そんな楽しい社員旅行が終わったら、地獄の年末進行が始まりました。
「印刷所は正月休みに入る前に、全部印刷を終えるからな。12月中旬まで締め切りが重なるんだ。一年で一番の繁忙期だぞ」
「その締め切りが終わっても、今度は年始の締め切りの為に、前倒しで休み前にできる所までやってしまいたいね」
「うちに正月休みってあるんですか?」
「一応……12月31日から1月3日までだね」
うわお。奇跡の4連休。そんなの実在したんだ。
「月末まで頑張ったら……忘年会やるくらいの余裕はできるかな?」
「そうですね。今から予約すれば12月24日でも、店とれますよね」
「え? 24日ですか?」
それってクリスマスイブだよね? イヴに忘年会?
「予定があるのか? ちなみに俺はない」
「あ……ありません」
「私もないね……残念ながら。いっそ誰かに恋人ができるまで、毎年24日を忘年会にしちゃうのも面白いかもね」
うわお……このハイスペックイケメン2人と、イヴに毎年過ごせるなんて、凄い役得。例え忘年会であっても。
「イヴに忘年会」という魔法の呪文を唱えながら、地獄の年末進行を乗り切った。狩野さんと先輩は2週間連続で家に帰らなかったし、私も合計10日くらい泊まり込んだ。短時間の仮眠と、少しの食事、そして徹夜の連続で、ゴールデンウィーク以上の厳しさだ。ついに私は自分用にドライヤーを会社に持ち込んだ。
締めきり空け、あまりに私達が酷い有様で、原稿を受け取りに来た米原さんが引いちゃって、揶揄う事を忘れて慌てて原稿を持って退散する程。
全ての締め切りが終わった時、三人とも力つきて寝落ちた。まだ営業時間内だったのに、皆で電話を無視して眠り続けた。
「電話しても繋がらないし、行き倒れてるんじゃないかと思ったわ。コンビニで悪いけど差し入れ」
「流石、篠原さん! 大好きすぎます」
「流石、篠原。弁当とプリンとフランクフルトか……すげー、肉の差し入れが実現するなんて」
「篠原さん、いつもすみません。今度うちの経費で飲みをごちそうします」
「あら……この4人で飲み会? それは魅力的ね。仕事張り切っちゃおうかしら」
4人で笑いながら、ありがたく篠原さんの差し入れを食べた。その後また寝て、起きて仕事して……たまに家に帰って……もうすぐ、イヴに忘年会♪ と浮かれ気分で今日も仕事をする。
二人のハイスペックイケメンが、私を好きだなんて信じられないけど、とっても嬉しい。でもどっちかなんてまだ選べない。どっちも好きって……ワガママかな?
もう少しだけ、この奇妙な三角関係のまま仕事を続けたいな。いつかこの三角関係が終わりを告げるとしても。今は狩野デザイン事務所で、平和に三人で仕事ができる喜びに浸りたい。
勤務時間は超絶ブラック、給与面では違法行為。それでも……やりがいのある仕事と、理解のある上司と、頼りになる先輩。こんな職場環境なら、ブラック企業も悪くない……よね。
でも……せめて福利厚生だけはどうにかしてほしい……と、切実に願う。
終わり




