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独白

 当たり前の様な土曜日出勤。朝、仕事始めに狩野さんが告げた。


「今日はランチの前に寄りたい所があるんだ」


 それを聞いてすぐに理解した。ああ……全て話してくれるんだなって。だから昼ご飯までの間、仕事をしながらどんな話も受け止める覚悟を作る。

 どんな事情があったとしても、狩野さんは帰ってきたし、話をするって事は、もう狩野さんの中で決着がついたんだろう。

 そしてランチの時間。狩野さんの後ろを、先輩と並んで歩いた。歩きながら狩野さんはゆっくり話し始めたけど、背中しか見えないから表情はわからない。ただ……声はとてもせつなげに響いた。


「前に古谷さんには話したよね。妻に独立を反対されて、すれ違って、三年前に家を出ていかれたって。メールの返事は来るのに、電話にもでてくれないし、住んでる場所も教えてもらえなかった。そこまでは本当の話」


 先輩は初めて聞く話だったけど、口を挟まず黙って聞いた。私達が相づちをうたなくても、狩野さんはゆっくり語る事を辞めない。私達が存在しないかのような振る舞いで、まるで独り言だ。

 私達は青山墓地にたどり着いた。今日はどんよりとした曇り空で、いつ涙の様な雨が振ってもおかしくない雲行き。今日の狩野さんには、この天気がよく似合う。

 狩野さんの話はまだ終わらない。一歩、一歩、踏みしめるように歩いて行く。


「最初は……よくある話だなって思った。仕事が忙しすぎて妻に見捨てられるのなんて。仕事は忙しいし、メールの返事は来るし、メールで説得しながら、仕事が落ち着いたらゆっくり話し合えばいい。そう思ってた」


 「自分の馬鹿さ加減にうんざりする」という言葉を、苛立たしげに吐き捨てた。私もお姉ちゃんに対して、同じ様な事考えてたから、狩野さんの気持ちは解った。メールで連絡があるんだから、無事なんだしいいや……って、多分油断してた。


「仕事も辞めたみたいで、妻の両親に連絡しても口止めされてるみたいで、メール以外一切連絡手段がなくて。1年立つうちに、これはもう離婚かな……と諦めかけた頃、メールが途絶えた。数日に1回は来ていたのに1ヶ月も。さすがに不安になって、妻の両親に土下座する勢いで頼み込んで聞いたんだ。そうしたら……妻はもう死んでいた」


 やっと狩野さんは足を止め、一つの墓をせつなく苦しそうに見つめる。睫毛が細かく震え、瞳に湿り気を漂わせ、「ここに私の妻が眠っている」と言う狩野さんの言葉の響きに、私まで悲しくて泣きそうだ。

 私は墓をじっと見つめて、狩野さんの奥さんはどんな人なのか、何を思って死ぬ間際まで過ごしたのだろうか……と想像してみたけど、解るわけもない。


「私を葬式に呼ぶな、死んだ事を知らせるな。それが妻の遺言だった……そうだ。家を出た時、すでに余命1年と宣告されていた……らしい。1年の闘病生活中、何も変わらずにメールだけは送ってきてた。最後には自力でメールを打てずに、口頭で頼んで。そこまでしてメールを続けたかった、妻の気持ちが未だによくわからない」


 会った事もないけど、たぶん最後まで狩野さんの事好きだったんじゃないかな……って思った。嫌いならそこまで必死にメールせずにいなくなればいいんだもん。


「妻が死んだという事実を受け入れたくなくて、仕事にのめり込んで、たまに過去のメールを見ては、まだメールの向こうで生きている様な気分になって……。そうして2年。こんなに近くにいるのに、会いに来なくて本当にすまなかった……愛」


 奥さんの名前を呟いた後、墓に向かって目を閉じて手を合わせた。私と先輩も同じく拝む。奥さんがもう狩野さんを心配しなくても良いように、私達が側にいますって、願いをこめて。

 どれくらいそうしていたかわからない。「ランチに行こうか」って狩野さんが笑う。それが独り言の終わりの合図だった。



 その後行ったのは、三人で初めてランチを食べたパスタの店。あの時と同じように狩野さんはボロネーゼの大盛りで、先輩はケーキとジェラートを頼んでて、狩野さんがガツガツ食べる姿を見ていたらほっとした。


「古谷さんのお姉さんの話を聞いた時、2人が早く仲直りできたらいいな……とは思った。私達のように手遅れにならないうちに。だから……仲直りできたって聞いた時はとても嬉しかったよ」

「ありがとうございます。6年ぶりの再会は最悪で……狩野さんがいなかったらこんなに早く、仲直りできなかったと思います」

「古谷さんが勇気をだして、お姉さんと向き合ってるのを見て、私も逃げたままじゃいけないなと思った。次の命日には……と思いつつ、なかなか思い切れなくて悩んで……」


 先輩がケーキを食べる手を止めて、深く頭をさげた。項垂れた肩が、申し訳なさそうに揺れる。


「そんな大変な時期に、見苦しい嫉妬で困らせてすみませんでした」

「ははは。本当にね。伊勢崎君がいないと、会社やってけないのわかってて、それでも『クビにするぞ』って何度も脅したくなったな」


 冗談みたいに明るく言うけど、冗談に聞こえなくて先輩の顔が引きつっている。


「まあ……私の事はね、いくらでも我慢はできる。でも……古谷さんも困ってたから。こんなに年下の女の子を困らせて何やってるんだって思って、苛立って……それで気づいた。私も……古谷さんの事が……」


 その先の言葉を狩野さんは飲み込んだ。いくら恋愛音痴の私でもその言葉が何かわかるけど、今は何も聞かない方が良い。


「妻が亡くなってた事、黙ってて申し訳なかった。特に伊瀬谷君には。ずっと一緒に仕事してたのにね」

「大丈夫です。俺……知ってても何もできなかったと思うし。古谷が居てくれてよかった。俺だけだったら受け止めきれなかった」


 それは多分、私も同じだ。狩野さんの奥さんが亡くなってたのに、凄い無神経に今まで色々言ってて。そんな自分が嫌になって自棄を起こしそうだったから。先輩が冷静に帰って来る所を守ろうって言ってくれて助かった。


「狩野さんが、古谷を……って、なんとなく気づいてて、でも……離婚もしないでどうして古谷にって、狩野さんの事誤解してて。不倫をする古谷も狩野さんも見たくなかったから」

「そうだね……そう誤解されて怒られてもしかたがなかったよね。本当にすまなかった」


 先輩が狩野さんにキツかったの、劣等感じゃなくて、不倫をする狩野さんに怒ってたんだ。たぶん……とても憧れている分、そういう卑怯な事が許せなかったんだ。そうじゃないってわかったから、こんなに優しくなれたのかもしれない。

 それにしても……先輩、いつから狩野さんの気持ちに気づいてたんだろう。先輩って鈍そうに見えて、たまに勘がするどいんだよね。


「先輩、いつから……気づいてたんですか?」

「狩野さんがアメリカンドックを食べるの辞めたとき?」

「「え?」」


 私と狩野さんの声がはもった。私だけじゃなく、狩野さんにとっても意外だったらしい。苦笑いを浮かべて「まいったな」と呟いた。

 先輩にやりこめられて困ってる狩野さんがおかしくて、くすくす笑ってしまって、二人も釣られて笑って。そんな優しい時間がとても楽しい。


「私……こうしてまた三人でランチして、仕事できて、嬉しいです」

「そうだね」

「そうだな」


 そう……三人で食事なんてどれくらい久しぶりだろう。色々揉めて、遠回りして、やっと狩野デザイン事務所は前の様に穏やかな人間関係に戻れた。その喜びを三人共噛み締めていたのだと思う。

 そんな風にしんみりランチして、その後仕事して、夕方過ぎに皆あがって、日曜日は休み。

 狩野さんは嘘じゃなく、本当に体調不良で月曜・火曜と寝込んでたらしいから、日曜日はゆっくり休んでくださいねと、先輩と2人で念を押した。

 私が入社直後も風邪を引いて、奥さんが亡くなった後にも倒れて……。狩野さんって、ストレスを溜め込みすぎて病気になるタイプなんだな……。私達が気をつけてよく見てないと、心配だ。


 狩野さんは嘘が上手すぎる。

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