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大喧嘩

 狩野さんが連れて行ってくれたのは、個室席のある和風居酒屋。たぶんまた私が泣くと思ったから、他人に見られないよう気遣ってくれたのだろう。

 ぽつりぽつりと、お姉ちゃんやお父さんのを話した。狩野さんの相づちが上手いから、どんどん言葉が溢れて行く。


「私に家を出て行かれたくないから、仕事を反対しない癖に、文句ばっかり言って。しかも結局私に謝りもしないで、凄いワガママで身勝手で……許せない」

「今はご両親と顔を合わせるのも辛いだろう。お姉さんの所に行くのかな?」

「そのつもりです。でも……今日はお姉ちゃん仕事で遅いし……」

「会社で待ってる? 仮眠もできるし、泊まり込んでも問題ないから」

「ありがとうございます。今日はお言葉に甘えます」


 狩野さんが、そっと手を伸ばして私の頭を撫でる。それが嬉しくて子供の様にぐずぐずと言葉を続けて、次第にどんどん落ち込んで行く。


「お姉ちゃんが出て行ってから、お父さんとお母さんとぎくしゃくして……ずっと嫌だった」

「辛かったんだね……よく我慢した」

「バイトが忙しい、課題が忙しい、仕事が忙しいって……お父さん達と顔あわせるの逃げてたのかな……」

「夢中になれる事があるのは良い事だし。気分が落ち着くまで距離を取る事も大切だ」

「結局……私も家出して……お父さん達をもっと傷つけたのかな……」

「それは今、考えない方が良い。そうやって自分を責めるより、今は自分を労って」


 狩野さんの言葉が、一つ一つ心に染みて、ぽろぽろと涙がこぼれる。それをもらったハンカチで拭い、からからになった喉に、ビールを一気に注ぎ込む。


「やけ酒……かな? 付合おうか?」

「狩野さんが、熱燗を頼まないなら」


 狩野さんは苦笑して頷いた。それから結構お酒を飲んで、酔った勢いで日頃溜め込んた愚痴を零す。


「先輩……私を好きだっていう癖に、全然私の事信用してくれなくて、めんどくさい、です。何で7つの年下の私が、こんなに気を使わないといけないのか」

「そうだね。伊瀬谷君は子供っぽいよね」

「大人なんだから、もうちょっと、甘えられる頼りがいがある人ならいいのにな……」

「古谷さんの年頃だと、大人の包容力とかに憧れちゃうのかな?」

「憧れます。狩野さんみたいに、頼りになる大人の方がいいな」


 狩野さんがすっと目を細めて一瞬止まった気がした。中ジョッキをテーブルに置いて、狩野さんが冗談っぽく笑う。


「じゃあ……伊瀬谷君の事振っちゃって、私と付合う? ……なんてね、冗談だけど」

「冗談デスヨネー。残念」


 狩野さんの茶目っ気溢れる笑顔に釣られて、私も笑った。狩野さんもお酒で酔ってるのか、いつもより軽いな。冗談で口説くなんて。

 お酒に酔ってしゃべって、今日あった嫌な事とか、一瞬でも忘れられてよかった。一時しのぎでも、一人で辛い気持ち抱えるよりずっと苦しくない。


「狩野さん奥さんいるし、私なんて子供だし。狩野さんに釣り合うくらい、大人で綺麗な女性だったらよかったな」

「古谷さんは今でも十分魅力的だと思うけど」


 ああ……狩野さんって、本当におしゃべり上手で、褒め上手だな……。お世辞だとわかってても気分が良い。

 そんな風に気持ちよくお酒に酔って、途中でトイレに行きたくなって席をたった。飲み過ぎたかな……少し足がふらつく。


「古谷! どうしたんだ。こんな所に」


 声をかけられて振り向く。先輩どうしてここに? 私の顔を見て先輩は顔色を変えた。俯いて隠そうとしたけど、両頬を掴まれて無理矢理上に向かされる。

 楽しく酔ってたテンションが急降下した。声だけでも凄い心配されてるの伝わってくる。


「顔が赤い。だいぶ飲んでるな。それに涙の跡がこんなに。何があったんだ」

「メール……見てないんですか?」


 先輩ははっと気がついたみたいで、慌てて携帯を取り出す。確認して大きく肩を落とした。


「悪い……メールに気づいてなかった。こんなに泣く程辛い事があったのに、側にいてやれなくて……悪かった」


 ぎゅっと抱きしめられて、その優しい声の響きに、甘えて泣きそうだ。

 そう……辛かった。先輩に側にいてほしかった。でも……メールの返事はなかった。だから……狩野さんに甘えたんだ。仕方が無いはずなんだけど、こんなに先輩に心配されると罪悪感を感じる。


「伊瀬谷君……って古谷さんも? どうしたの?」


 突然篠原さんがやってきて驚いた。どうしてここに篠原さんも……って答えは一つしかない。


「先輩……篠原さんと会ってたんですか?」

「あ……ああ……ちょっと久しぶりに飲んでて」

「2人で?」


 先輩は気まずそうに目をそらす。いくら今は友人だっていっても、元彼女と2人きりで酒を飲むなんて浮気みたいだ。

 申し訳なさそうに、先輩が謝罪の言葉を口にしかけて固まった。狩野さんもやってきたのだ。


「なんで……狩野さんがここに?」

「遅いから……具合が悪くなったかと思ったけど……まさかここで伊瀬谷君と会うとはね」


 不味い。狩野さんと二人で飲んでたなんて、先輩また怒りだす。でもイライラして冷静でいられない。


「何で狩野さんなんだよ。こんなに泣いて、だいぶ酔っぱらってるだろう」

「先輩……メールの返事ないし、上司と部下だし、悩み事の相談くらい問題ないですよね。そっちの方が何かあるんじゃないですか?」


 いつもよりキツく口答えしたら、先輩が凄い怖い顔をしたので、びくりと震える。怖くて突き飛ばそうとして、さらに強く抱きしめられた。


「離して」

「離さない。何で飲んでたのか、何で泣いてるのか、理由を教えろ」

「ちょっと伊瀬谷君、落ち着きなさい。古谷さんが怖がってるでしょ。ほら……離す」


 篠原さんが止めに入ってくれたおかげで、先輩は離れてくれた。怯えて後ろに後ずさりしたら、狩野さんが両肩に手を置いて支えてくれる。


「大丈夫? 古谷さん」

「あ、ありがとうございます」


 狩野さんが私を気遣ってくれて、怯えた気持ちが緩んで安心する。そんなやりとりさえ、先輩には腹立たしいみたい。


「伊瀬谷君。今日は古谷さんも精神的に辛いし追いつめない方がいい。事情は私が話すから。篠原さん。申し訳ないけれど古谷さんを頼めるかな? 会社まで送ってもらえたら大丈夫なので」


 狩野さんのフォローがありがたい。お姉ちゃんの話、お父さんとの喧嘩、それだけでもいっぱいいっぱいなのに、さらにここで先輩と喧嘩を続けるのは耐えられない。


「古谷さん、さあ、行きましょう」


 先輩達がこの後どうなるのか気になったけど、篠原さんに肩を抱かれて店を出た。


「ごめんなさい。古谷さんの事も考えずに伊瀬谷君と飲みに行ったりして」

「いえ……篠原さんの事は信用してます。ただ……ちょっと今日は機嫌が悪かったので、あんな風に言っちゃっただけで」

「事情はわからないけど……何か辛い事があったのね。そういう時にやけ酒くらいしたくなるわよね」


 できるだけ明るく話しかけてくれる篠原さんの声に救われる。2人で先輩の悪口を言ってみたりして、会社まで歩く。酔ってたのと疲れてたので、会社のソファに座ったら眠くなってすぐ寝てしまった。


 気がついた時にはもう明るくて、キーボードを打つ音、マウスをクリックする音が聞こえて。ああ……泊まり込みでの仕事かと妙に落ち着く。

 どっちが今仕事してるのかな? あの後二人は喧嘩しなかったのかな。

 勇気を出して目を開ける。二人がデスクに向かって仕事をしていた。


「おはよう。古谷さん」

「おはよう。もう大丈夫か?」


 狩野さんはいつもと変わらない笑顔だけど、先輩の表情は硬い。


「大丈夫……です。寝たら少し落ち着きました」

「お姉さんには連絡してあるから、もうじき向かえに来てもらえるよ」

「ありがとうございます」

「食欲が無いかもしれないけど……何か食べた方が良いだろう」


 先輩が野菜ジュースとチョコを持って来てくれた。それを口にしつつぼーっと2人が仕事する背中を見ていた。今日は日曜日なのに、普通に2人とも仕事してるな……。

 観察してると、2人とも一言も会話せず、何か指示がある時は、わざわざメモに書いて渡しているようだ。やっぱり昨日の事があるから仲良く……とはいかないようだ。

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