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恐怖の一夜

 今日は薄手のタートルネック。そろそろ肌寒い季節だし、服の下にペンダント隠せるし。このペンダント、完全に「俺の物だから手を出すな」の印だよね。

 あの時先輩が喧嘩を売って、狩野さんが、ちょっと買いかけた……ように見えた。それが怖かった。


 今日は久しぶりの先輩と二人の夕食。今日は和風居酒屋だ。最近日本酒も飲めるようになってきた。酒盗クリームチーズに日本酒っていいな。


「なんで……それ服の下に隠すの?」

「なんでって……恥ずかしいですから。あんな目の前でいちゃいちゃした後だと、気まずいし……」

「わざとなんだけど」


 わかってる。わかってるけど、もうちょっと大人になろうよ。27歳。


「先輩……狩野さんは既婚者で、そんなに心配しなくても……」

「奥さんと離婚が秒読み……だからって、不倫はするなよ」

「まさか……」

「離婚してけじめもつけずに、古谷に手出しはさせない。不倫で古谷が不幸になるのは見過ごせない」


 狩野さんと二人だけでお酒を飲んだり、家に泊まったり、後ろめたいなと思った事はあるけど、不倫なんてするつもりはなかった。


「俺は古谷を守りたい」


 先輩の真剣な言葉が心に突き刺さる。私の心配してくれてたんですか? それで狩野さんに対してキツいのかな? 先輩の優しさが心に染みた。


「不倫はしません」

「じゃあ……狩野さんがもし、離婚して、古谷に好きって言ったら?」


 一瞬驚いて目眩がした。離婚するかもと聞いてたし、この前ももしかしてと思った。既婚者だから恋愛なんてありえない。そういう安心感に甘えていたかな? 手の届かないアイドルに憧れるみたいな。


「関係ないですよ。私は先輩の方が好きです」


 ニコリと笑って答えた。よし、いいぞ、優等生。上手く笑えたよね?


 そうやって先輩の顔色を伺ったり、狩野さんの不機嫌モードを見てたりしたせいか、ストレスで食欲がないし、なんとなく体調が悪い。やっぱ外食続きで野菜不足かな。健康だけが取り柄だったんだけどな。


 先輩が残業中のおやつを取りにキッチンに行ってて、たまたま離れてた……そんなタイミング。


「狩野さん、チェックをお願いします」


 そう言いながら原稿を手渡した。受け取ってさっと目を通してる狩野さんが揺れて見える。あれ……おかしい。

 がたん。


「古谷さん! 大丈夫?」

「古谷、大丈夫か!」


 2人の慌てる声が聞こえて目を開く。あれ……なんか倒れかかった? でも痛くない……と思ってぎょっとした。狩野さんが倒れかかった私を支えてくれてたみたい。でも慌てて先輩が私の体を掴んで引き寄せる。

 ちょ、ちょっと待って、今の不可抗力。狩野さんも緊急救助だし、それで怒ったりしないで。と、思うのだけど、まだ目眩が続いて気分が悪い。


「すぐに横にさせてあげた方がいい……」


 狩野さんの震える声に、一瞬先輩が息を飲む気配を感じた。すぐに先輩が私を抱えてソファに寝かせてくれる。ちょっと横になったら楽になった。


「す、すみませ……ご心配、おかけし……」

「無理しなくていいから休んでろ!」


 凄く心配してくれてるのはわかるのだけど、部屋の空気がびりびり怖い。先輩が凄く怒ってる。誰に怒ってるか……言うまでもないよね。


「伊勢崎君。私に怒るより、古谷さんの心配をしたら? 女の子が具合悪そうにしてるのに」


 苛立たしげな狩野さんの声。珍しくて怖い。今、目を空けられないから、かわからないけど、笑ってないかも。先輩も返事をしない。空気が痛い。

 深く深呼吸する音が聞こえてから、先輩が言った。


「救急車を呼ぶか……」

「ちょ、ちょっと待って、そこまでしなくても、たいした事無いです」


 慌てて声を出して息苦しい。私も深呼吸をして息を整える。


「たぶん……ちょっと貧血起こしただけです。少し休んで栄養補給すれば大丈夫ですよ」

「そうか……よかった」


 先輩のほっとしたような声。優しく頭を撫でられる。やっと目を開けられて見上げたら、なんだか先輩が泣きそうな顔をしてた。こっちが病人だっていうのに心配になるくらい。


「先輩……買い置きの野菜ジュースもらってもいいですか?」

「あ……ああ」


 少し起き上がってジュースを飲む。鉄分補給して少し休めば大丈夫。


「古谷さん、休んで落ち着いたら今日は帰っていいよ。明日は土曜だし休みだから」

「えっと……まだ仕事が残ってますし、あれ月曜までに終わらせないと……」

「俺がやっておくから気にせず休め。本当は家まで送りたいくらいだけど時間がないしな」


 もう遅いから、送りに行ったら今日中に帰れないし、私の分も二人でやるなら余裕は無い。

 しばらくソファで横になって、ぼーっと二人の背中を見てた。狩野さんが凄いイライラしてる。先輩への仕事の指示がいつもよりキツい。こんなに感情をむき出しにする狩野さん、初めてみたかも。

 どうしてそんなに怒るんだろう?


 しばらく休んで時計をちらり。この調子だといつものペースで歩けないし、早めに帰ろう。


「すみません。今日は失礼します」

「大丈夫か? 歩けるか?」

「少し休んだので大丈夫です」


 パーカーに袖を通して、鞄に荷物を詰めて……だるいから体が鈍いな。玄関に向かおうとして、ぽんと肩に手を置かれた。


「古谷さん。今日は泊まって行った方がいい」

「へ?」

「凄い足取りがおかしいよ。一人で帰ったら逆に危ない。お姉さんに連絡するから、明日向かえに来てもらおう」


 ちょっとおかしいかな? お姉ちゃん金曜の夜は仕事だし、一晩休んでからの方がいいか。ここは素直に甘えよう。


「すみません。ありがとうございます」


 見上げると狩野さんがとても不安そうな目をしてて、こんなに余裕無い顔は初めて見たかも。


「古谷……早く横になれ」


 先輩が乱暴に肩を抱いてソファまで連れて行く。先輩、もう少しお手やらかにお願いします。具合が悪いので。


「伊勢崎」


 また苛立たしげに狩野さんが名前を呼んだ。あ……これかなり怒ってるな。呼び捨てにしてるし。


「具合が悪いのに体をゆするな。危ないだろう」


 それに対する先輩の返事はなし。こわっ。上司が怒ってるのに無視するとか。もしかしてこの恐ろしい状態で三人でお泊まり?

 しばらく横になってうとうとするんだけど、眠いのに眠れない。空気が怖くて。二人とも事務的な用件を言う時もお互い不機嫌だ。

 明るくなり始めた頃、少しだけまどろんで起きた。狩野さんの柔らかい声が聞こえる。


「起きたんだね。具合はどうかな?」


 とても優しい表情でそう聞かれてほっとする。起き上がってみて確認。昨日のようなおかしなふらつきはない。


「ゆっくり寝てよくなったみたいです。ところで……先輩は?」

「古谷さんが起きたら何か食べさせた方がいいからって、買いに行ったよ」


 先輩の優しさにもほっとした。もしまだ嫉妬してたら、私達を残して買い物にいかれないだろう。


「すまない……」

「え……どうしたんですか?」

「古谷さんが具合が悪いのストレスじゃないのかな? 伊勢崎君の事もだけど……最近私も苛立ってたから、余計に気を使わせただろう」


 そう気遣われて、緊張の糸が緩んだら、ぽろりと一雫。狩野さんが慌てた様にそっと私の頬に手を当てた。


「どうして泣いているのかな? 悲しい? 苦しい?」

「たぶん……嬉しいんだと思います。昨日の夜、2人の空気が怖かったし、でも……もう大丈夫みたいだから、ほっとして」


 狩野さんはぎゅっと目をつぶって息を吐いた。その吐息が、伏し目がちの目が、とても色っぽくてどきっとする。

 狩野さんが目をあげて、まっすぐに私を見つめる。まるで心を射抜かれたように身動き一つできない。とても優しく綺麗な笑顔を間近で見て、思わず体温があがりそうだ。


「そうだね……昨日は私もかなり感情的になって大人げなかった。心配させてすまない。もう大丈夫だから」


 そう言って私をあやす様に抱きしめた。え……っちょっと、これ不味くないかな? 逞しい腕がそっと私を包んで、優しく背中を撫でてくれる。狩野さんの吐息が耳にかかって、ドキドキが止まらない。

 その時がちゃりと玄関が空く音がして、私はとっさに狩野さんを突き飛ばす。


「古谷。目が覚めたのか。よかった……」


 心配そうに私の顔を覗き込む先輩の目をまともに見られない。今の見られてたら……と思うとぞっとする。

 ちらりと横目で狩野さんを見ると、俯いて自分の手を見つめながらせつない笑みを浮かべていた。どうしていきなり私を抱きしめたのか、狩野さんの気持ちがよくわからない。

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