初出勤・昼
「さ……てと。入稿できたし、お昼行こっか」
軽い調子で狩野さんが微笑む。さっきまでの緊張の糸が緩む気がした。伊瀬谷さんも魂が抜けた様にぼーっとしながら、機械的にデスク周りを片付けている。
「古谷さん……何食べたい? 奢るよ」
「いいんですか?」
「経費で落とすから気にしないで」
昼飯代って経費で落ちるんだ……と妙に感心しながら、店選びに困った。この辺りに何の店があるかもわからない。伊瀬谷さんはぼーっとしたまま、心が帰って来ないので、結局狩野さんが店を選んだ。
狩野さんと伊瀬谷さんが並んで歩き、私はその後ろをついていく。並んで見ると、狩野さんの方が少しだけ背が高くてたくましい体型、伊瀬谷さんの方が華奢でほっそりしてる。本当に方向性の違うイケメン2人だな……と、眺めているだけで眼福だ。
連れて行ってもらったのは、内装が凝っててオシャレなカフェ風のパスタのお店で、さすが外れでも青山と思った。
ぼんやり店を眺めていたら、狩野さんにメニューを差し出される。
「私達は何度も来ててメニュー知ってるから。自由に選んで」
そう言って狩野さんは背もたれによりかかり肩を落とした。
伊瀬谷さんもまだ無表情でぼんやりしている。そうしているとクールビューティーという風情があって思わず見とれる。まつげ長いな……。切れ長の目が綺麗だな……。
「最後に食事したのいつだったっけ?」
「昨日の昼にコンビニおにぎり2つ……でしたよね? たぶん」
2人の乾いた笑いに焦ってメニューを選ぶ。24時間食事してない人を待たせるのは申し訳ない。店員を呼び止めて注文する。
「私はボロネーゼの大盛りとサラダセット。食後は珈琲で、古谷さんは?」
「あ……えっと、海老とアボカドのクリームパスタとサラダセット。食後は紅茶で」
伊瀬谷さんはそこでふいっと、私から視線をそらしてぼそぼそと注文した。
「俺は……春野菜とベーコンのペペロンチーノのサラダセット。食後は珈琲で。食前にパンナコッタとガトーショコラ。食後にバニラジェラードも」
ぶばっと思わず吹き出しそうになった。このクールな顔して相当の甘い物好き? 狩野さんがくっくと笑いながら私にもデザートを勧めたので、ティラミスを頼んだ。
「脳が疲れると、栄養補給に糖分が欲しくなるんだよ」
言い訳しつつ、ちょっと照れてる姿が可愛い。先に運ばれて来たデザートを見て、一瞬嬉しそうに微笑んだのに、すぐにつんと澄ます所もまた可愛い。
伊瀬谷さんがデザートを黙々と食べるので、狩野さんは私に気を使ってか色々話を振ってくれた。
「古谷さんは紅茶党?」
「珈琲も飲みます。徹夜の時とか特に。カフェオレですが」
「ああ……眠気覚ましにね。まあ、この年になるとブラック珈琲も効かなくなってきたよ」
苦笑して水を一口。私よりだいぶ年上だと思うけど、言う程オジさん臭さなんて感じないのにな……と思う。
「会社にインスタント珈琲と来客用のお茶はあるから自由に飲んで。冷蔵庫も自由だから、自分で買って来たもの入れておいてもいいよ。やかんと冷蔵庫しかないけど。うち貧乏だからね」
冗談めかして笑ってるが……あんまり笑えない。入社直後に倒産とかされたら困るな。そんな私の困惑に気づいたのか狩野さんは頬を緩める。
「ああ……心配しなくても、すぐ会社がどうこうなる事はないから。資金的に余力が無いと新人を雇えないでしょう」
そりゃそうだ。言われて納得。そんな話をしていたら料理が運ばれてきた。
「凄いボリューム!」
パスタは大きめなお皿に具沢山でたっぷり。予想以上の大きさに、スープも具沢山ミネストローネ。サラダも決して小さくない。
狩野さんの大盛りボロネーゼは皿の大きさからして違う。凄い量。
「ここ……値段の割にボリュームあって、美味しいんだよね。ああ……でも女の子にはちょっと量が多すぎかな?」
パスタとデザートで精一杯だと思う。正直に言ったらスープとサラダはもらうよと、狩野さんは2人分持って行った。
その大盛りパスタに2人分のスープとサラダなんて……すごい大食いだな。
「食べられる間に食い溜めしておかないと、体が持たないんだよね」
狩野さんはガツガツもりもり食べつつ、でもソースが服に飛び跳ねる事も、口元が汚れる事も無く、綺麗に食べて行く。器用な人だな……と思いつつ私も食べた。確かに美味しい。
2人の意外な一面を知って楽しくなって来た。
食後のティータイム。やっと生気が戻って来た伊瀬谷さんが真面目な顔をして言った。
「自己紹介がまだだったな。俺は伊瀬谷裕樹。よろしくな」
「あ……古谷萌です。よろしくお願いします。先輩」
挨拶したら、一瞬伊瀬谷さんの目が大きく開いた。どうかしたのかな……と思ったけど、なんでもないと返される。そうだ、これからは先輩って呼ばなきゃ。
「古谷さん。伊瀬谷君が教育係になるから、解らない事はできるだけ彼に聞いてね。伊瀬谷君がいない時は私でもいいけど」
「はい」
ちょっと残念。狩野さんは指示も的確で、わかりやすく、物腰柔らかで、すごく優しそうだからきっと教え上手だろうな……と思うんだけど、先輩はどうなんだろう?
「伊瀬谷君ちょっと人見知りで、仕事以外の話は苦手だから、最初は大目に見てあげてほしいな」
くすりと笑いつつ狩野さんが言うと、先輩は「そんな事ないです」と自信なさげに言う。何故だろう……教わる側の私が大目に見るってなんかおかしいな……と思いつつ、妙に納得してしまうのは。
楽しいランチタイムの後は、もちろん仕事です。
職場のあるマンションの1階についた所で「先行ってて」と狩野さんが立ち止まる。1階エントランス近くに灰皿が置かれ喫煙スペースになっていた。
狩野さんはそこに立ち寄ってポケットから煙草を1本取り出して、口にくわえて……ちょっとぼんやりしてから火をつけた。深く吸い込んで煙を吐き出す仕草が、大人の男……って感じですごいセクシーでかっこいい。思わず見とれてたら視線があった。
「煙草……吸われるんですね」
「古谷さんも?」
「いいえ! 私は吸わないです」
「そっか。職場では吸わないから安心して。その代わりに時々煙草休憩をもらってここでね」
そう言いつつ一服の煙草を楽しんでる。リラックスしてるのかあまり笑わない。不思議な感じがした。
「あ……煙草臭い? コロンでごまかしてるけど、どうしても匂いがつくからね」
「いいえ……そんな事ないです」
なるほど……最初に嗅いだコロンの香りは匂い消しなんだ……。リラックスタイムにお邪魔かな……と、そそくさと立ち去った。
職場に戻ったら先輩が立ったまま書類に目を落としていた。私の存在に気づいて目を上げる。ちょっと戸惑う様に視線をさまよわせた後、真面目な顔になった。
「最初に部屋の説明するな」
そう言って先輩は一つ一つ丁寧に教えてくれた。
キッチンの向かい側に狭い収納スペース。そこには掃除道具が入っていた。
「できれば朝、簡単に掃除してもらえると助かる。まあ……忙しい時は掃除してる余裕ないし、無理しなくていいけど」
職場の掃除は新人の仕事の基本。修羅場の鬼気迫る様子と、その後のぐったりした2人を見た後だと、少しでも2人の役に立てる事があるなら嬉しいな……と、自然と思える。
コピーとモノクロレーザーの前で、トナー交換の説明をしてもらう。
「トナーの予備こっちにあるから」
そういって空けたのはユニットバス。中を覗くとなぜか風呂桶の中に、大きめの収納ケースと共に、色々ごちゃごちゃつまってて、びっくりした。
「収納スペースがないから風呂場が物置。だから風呂は使えないんだ」
とても残念そうに言う。コピー用紙だけはさすがに湿気るから、プリンタの側にあったけど、他はなんでも風呂場にあるな……。収納ケースの中を空けてみたら服が入ってた。慌てて先輩が閉める。
「そ……それは俺達の着替え。泊まり込みも多いし。1階に共有のコインランドリーもあるから洗濯はそこで」
あ……気替えって事は下着も入ってる? それは見られたくないよね。私もいずれ泊まり込みが増えたら着替えを持ち込むのかな……嫌だ、下着とか見られたくない。
本棚に移動して説明が続く。本棚の半分くらいを旅行雑誌が占めていた。旅行と言っても海外向けしか無い。
「これ……うちで作った本ですか?」
「最近のだけな。多すぎて定期的に処分してる。旅行雑誌以外も少しだけ仕事はある」
そう言って取り出したのは中国語学習用の雑誌。
「これは月刊誌で、数ページだけうちが担当してる。旅行雑誌との共通点は何だと思う?」
しばらく考えてふと思いついた。
「外国語?」
「正解。英語ならアルファベットだけど、アルファベットじゃない文字の国もあるだろう。特殊文字はフォントも対応してなかったりするし、そういう特殊文字の仕事ができる……って事でうちに仕事が回ってきたりする」
なるほど……専門性のある強みだ。とはいっても本棚にある旅行雑誌の行き先は英語圏が多数。日本人がよく観光に行く場所は英語圏ばかりだからかな?
先輩の教え方は愛想はないけど、簡潔でわかりやすい。人見知りだ……と言ってたが、仕事上の付き合いなら問題ないのかも。
「あ……えーっと……。あれ、説明しないとな」
言いよどみながら視線をデスクの上に向けた。私が座ってたパソコンデスクは、上に収納スペースがあるタイプで、そこには異様にでかくて古くさい四角い機械があった。上下2つに別れている……けど、何の機械だろう?
「それ……スキャナー」
「え! こんなに大きいんですか? 業務用の特殊サイズとか?」
そこで後ろからくすくすと笑い声が聞こえて来た。狩野さんが帰ってきたのだ。
「業務用じゃないよ。ただ古いだけ。それはね……昔働いてた会社の倉庫に眠ってたから、もらってきたんだ。もはや化石だよね。昭和?」
「ギリギリ平成だったと思います」
私が産まれる前から存在してた……のか? 未だに使えるの?
「もう無理かな……と思いつつ、騙し騙し使ってたら以外に長持ちしてるんだよね。いつ寿命が来てもおかしくないけど」
「スキャンは古谷の担当になるから……まあ頑張れ。壊れたら買い替えるから」
蓋が分厚くて重いんですけど……。そういえば……パソコンも古い。本体だけでなく、中身のソフトのバージョンも。さっき少し見ただけだけど、私が学校や自宅で使ってたのよりかなり古い。いくつ前のバージョンだ?
貧乏だと言った狩野さんの冗談は、やっぱり笑えなかった。




