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シニカルな気分

「あれ……古谷さん? 今帰り?」

「あ……狩野さんも、ですか? お疲れさまです」


 帰ると言っても家じゃなくて会社だよ。絶賛仕事中だよ。

 私は原稿を届けた帰り、狩野さんは打ち合わせ帰りで、偶然同じ電車に居合わせた。そういえば……職場の外で顔をあわせるの凄い久しぶりかも。最近は三人でランチをする事もなくなったし。先輩に気を使って仕方なくだけど。

 今日の狩野さんは黒シャツの上に明るいブラウンのジャケットを羽織ってる。そろそろシャツだけだと肌寒い季節だしね。スーツよりもずっとカジュアルな素材のジャケットだけど、大人のオシャレな雰囲気がカッコいい。ノーネクタイなのが残念だ。

 電車内はかなり混んでて、揺れる度に人にぶつかる。隣に立つ狩野さんがさりげなく支えてくれるからよかった。私は背が低いから埋もれて、つり革にも手が届かないんだよね。


「一緒に帰るとまた伊勢崎君が怒りそうだね……。私は駅前の本屋で資料を探してから帰るから先に行ってて」

「すいません……」

「古谷さんが謝る事じゃないよ。むしろこっちの過去のトラブルのせいで迷惑かけてごめんね」


 やっぱり先輩より狩野さんの方が大人の余裕があるな……。「狩野さんの方がかっこいい」なんて言ってしまった、歴代の先輩の彼女さん達の気持ちが、ちょっとだけわかってしまう。自分を信用してくれない彼氏より、気遣いのある大人の方が惹かれるよね。

 いけない……こういう比較をするから、先輩が不安になるんだ。先輩には先輩の魅力がある。嘘をつけないまっすぐさとか、可愛いさとか、不器用な優しさとか。


「伊勢崎君も最近機嫌よかったし、2人の仲も順調そうだな……と、思ってたんだけど」

「仕事面では色々ご迷惑おかけしました……」


 私も浮かれてケアレスミスが増えたし、確実に私の落ち度だもんね。落ち込んで俯くとくすりという笑い声が聞こえた。


「古谷さん、恋愛経験少ないでしょう? 浮かれてうっかり……なんて可愛いものだと思うよ。すぐにミスもなくなったし、最近は新しい仕事も頑張って、恋愛に浮ついて仕事を疎かにしないし」

「それ……当然じゃないですか?」

「当然じゃない人がいるね……うちにも」


 先輩の事だ。狩野さんが怒るのも無理はないけど、本人がいない所でも手厳しいな。


「前の会社では……こういう問題なかったんですか?」

「伊瀬谷君の彼女が仕事と関係なかったり、取引先っていっても毎日顔を合わせなかったり……それに職場の人数も規模も大きかったから。三人だけで狭い部屋で常に……という環境だとこういう時は逃げ場がないね」


 それはそうだよね。恋愛に浮かれた2人と常に一緒の部屋、先輩が焼きもちを焼くから、私に気を使って接して……とか狩野さんはさぞ居心地が悪いだろうな……。


「古谷さん……大丈夫?」

「え……えっと……何がですか?」

「伊瀬谷君、恋愛面はかなり扱い面倒だから。困ってないかな……とね」


 まあ……確かに、狩野さんに劣等感ありすぎて面倒だな……と思う事もある。7歳も上なのに、私にこんなに気を使わせて……と腹も立つ。


「私を信用してよって……って、イラっとします。でも……可哀想な人だな……とも思います。先輩、十分魅力的なのに、自分に自信が持てないなんて」

「古谷さんは優しいね」


 狩野さんがそう言って穏やかに微笑むので、イラっとした気持ちが収まって、私まで穏やかな気持ちになれた。そっと私の頭に触れて優しく撫でられる。くすぐったいけど嬉しい。


「……伊瀬谷君にはもったいないな」


 狩野さんがぽつりと呟く。もったいない……なんて言われる程、私に価値ってあるのかな? と首を傾げる。その時電車が急ブレーキで停車した。考え事をしていた私は油断して、大きく態勢を崩す。すぐに狩野さんの大きな左手が私の肩を抱き支えてくれた。

 肩を抱かれて、どくんどくんと鼓動が鳴る。ふいに狩野さんの家に泊まった日を思い出し、また甘えてみたくなる。でも……現実は目の前にある。私の肩に置かれた左手の薬指には指輪。高鳴る想いは急速に冷えて行く。

 冷静になるとおかしい。電車が止まってもう支える必要も無いのに、しばらく肩を抱かれたままだ。あ、あれ? なんで? 見上げたら、真顔の狩野さんと目があう。狩野さんが笑ってない? なんだか違和感を感じる。


「あ、ありがとうございます……その…えっと……」


 私の戸惑いが伝わったらしい。狩野さんの手が離れて行った。まるで……名残惜しいみたいに。なんだか狩野さんがおかしい。

 そうしているうちに会社の最寄り駅についた。ホームに降りて階段を登ろうとして、不意に袖を引かれる。よろめいて狩野さんによりかかった。

 見上げるとせつない笑みを浮かべた狩野さんと目があう。


「もし……困ったら私に相談してくれる?」

「……えっと……それ、ますますややこしい事態になりませんか?」

「伊瀬谷君より古谷さんの方が大事だから。いざとなったら伊瀬谷君クビにしちゃおうか」


 冗談めかして笑ってたけど、冗談キツいな。思わず笑いが引きつる。確実にうちは先輩がいないと仕事は回らないし、この待遇でも仕事をする奇特な人間は他にいないのに。

 私の方が大事って……気遣いで言ってる……だけだよね? 4年も2人だけでやってきた先輩の方がずっと大事だと思うし。

 狩野さんの冗談が怖くて、心がざわめいた。なんだか……少しづつ、狩野さんが変わって行ってるような気がした。


「ただいま戻りました」

「お疲れさま」

「あ、先輩。チョコ買ってきましたよ。コンビニで新作出てて。秋になるとチョコの季節が始まりますね」


 私は先輩のデスクにチョコを置く。そのまま自分のデスクに戻ろうとしたんだけど、先輩に服の裾を掴まれて引き止められた。先輩が立ち上がってちょっと不機嫌な顔。

 どきりとして目をつぶったら。ぎゅっと抱きしめられ凄い怖い声が聞こえてきた。


「狩野さんの使ってるコロンの匂いがする」


 ぎょっとしてこわばった。まさかさっきの電車の中で? なんとか平常心を保って声を出す。


「電車が満員でギュウギュウで、隣に立ってる人のコロンがキツかったから、匂いが移ったかな……」

「そうか……大変だったな」


 一応……納得してくれたのかな? 怖い雰囲気がなくなって仕事に戻って行ったけど。まだ……やっぱり引きずってるな。



 今日も当然残業です。このペースだと皆で終電かな? というわけで夕食の買い出し。久しぶりの直良の餃子弁当。ニンニク臭いのなんてもう慣れた。それより美味しいのが嬉しい。

 買い物が終わってエントランスまで来たら、喫煙スペースに狩野さんがいた。先輩と良い感じなのについ見蕩れちゃうのは浮気かな?

 ふと煙草を持つ左手に目がいって驚いた。


「狩野さん。指輪してないですね」


 指摘されてはっと驚いた顔をして、慌てて取り繕う様に笑った。胸ポケットから指輪を取りだす。


「最近痩せたのか指輪が外れやすくて、落としそうで怖いんだよね」


 外してただけか……一瞬もう離婚したのかと思って心臓に悪い。


「指輪ってサイズ直し……できるんでしたっけ?」

「う……ん。これ、いつまで使うかわからないし、わざわざサイズ直しするのもね」


 うわ微妙な事言ってるよ。反応に困る。やっぱり奥さんと離婚するつもりなのかな。その時エレベーターが開いたので振りかえる。


「先輩……」

「……戻りが遅いなって……気になってきたんだが……」


 先輩は私と狩野さんがいると思ってなかった様で、不機嫌そうだ。三人の間で微妙な沈黙が訪れる。ヤバい。何か言わなきゃ。


「今、狩野さんの指輪の話をしてたんですけど……」

「欲しいの?」


 先輩に真顔で言われて返答に困った。先輩と2人だけならいいけれど、狩野さんの前で恋人っぽい事をやるのは気まずい。


「欲しいかな……」

「指輪じゃないけど……あげる」


 ジーンズのポケットから無造作に取り出したのは、ペンダント付きのネックレス。誕生日の時といい、本当に唐突すぎて心臓に悪い。


「え……あ、あの……どうしてですか?」

「いつ渡そうか迷ってて、ずっとポケットに入れっぱなしだった」

「そ、そうなんですか。ありがとうございます」

「つけて見る?」


 だからそういう事は二人だけの時にしてよ。狩野さん見てるし、恥ずかしい。

 煙草を消した狩野さんが冷たい目で先輩を見て笑う。その笑顔が怖くてぞくりとした。


「自分の物っていう独占欲? そんなのなくても2人は仲が良いと思うんだけどね」


 ひらひらと手を振って狩野さんはエレベーターに乗って行った。独占欲かなり重たいな、このペンダント。

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