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傷口に塩

 告白の返事はしてないのに、何度もデートして、キスもしちゃって、いいのかな? 大人の恋愛だと、付合う前にキスとかする物なんだろうか?

 気持ちがふわふわしたまま、先輩も上機嫌……だったのだけど、ある日突然状況が一転した。

 先輩が打ち合わせで外出して帰ってきた。それはいつも通りのはずなのに……。


「ただいま」

「おかえりなさい、先輩……」


 返事をしたのに目もあわせなくて、表情も固くて、なんだか様子がおかしい。どうしたんだろう? 首を傾げたけどいつも通りに仕事した。

 よし、仕事が終わった。チェックしてもらおう。ちらっと先輩を見ると、集中してデザインを考えている。邪魔しちゃ悪いかな……と思って狩野さんに声をかけた。


「仕事終わりました。チェックをお願いします……」

「ちょっと待った。俺がチェックするから」


 狩野さんに渡そうとした原稿を、慌てて先輩が取り上げた。あれ? なんで? 不思議に思ったけど、チェックの指示は的確だったし、まあいいか……と、仕事に戻る。でもそんな事を何度も繰り返して、狩野さんと仕事の話もできない。先輩は何度も口出しするせいで、全然自分の仕事が進まなくて、一人残業する事に。

 そんな日が2〜3日続いて、さすがの狩野さんも怒ったようだ。


「伊勢崎君の仕事は私が変わるから、古谷さん、伊勢崎君から事情を聞いてくれない? プライベートに口出ししたくないけど、このままじゃ仕事にならないよ」


 狩野さんのお言葉はごもっとも。残業は8時で終了して夕食に向かった。お酒が入った方が多少は口が軽くなるかな……と思い、今日は駅前のビールメインの居酒屋へ。ビールに合うつまみも美味しい店だけど、食事を味わう余裕もない。


「先輩……何があったんですか」

「古谷……何か俺に隠してる事は無いか?」


 そう言われて考える。お姉ちゃんと6年会ってなかった事は言ってないけど、それとはニュアンスが違う気がする。狩野さんの家に泊まった件は流石に言えない。でも、その事は気づかれてないと思う。他に心当たりはない。


「隠してる事……なんてないですよ」


 そう言ったのに、先輩は信用してないって顔。しばらく沈黙した後、ビールを一気飲みして大きく溜息をつく。やっと重い口が開いた。


「この前門倉さんと打ち合わせした時に聞いたんだ。日曜日に狩野さんと古谷が渋谷にいた所を見たって」


 門倉さん? 原稿の受け渡しで何度か顔を合わせたくらい。見間違えじゃないだろうか?


「門倉さんの見間違えですよ。日曜日に狩野さんと渋谷に出かけた事はありません」

「本当か?」

「私が信用できないんですか?」

「……古谷を信用してないわけじゃないけど……俺は自分を信用してない……」


 狩野さんへの劣等感かと頭を抱えた。自信がないから、私を狩野さんに取られるんじゃないかって疑ってるの?


「門倉さんより、私を信用してください」


 イラッとしてついキツい事言ってしまったからか、先輩はかなり落ち込んでた。気まずい空気でビールを一口。やっぱりビールって苦いな。

 次の日、朝一で狩野さんに聞かれた。


「で……何があったのかな? 昨日は伊勢崎君の仕事代わったんだし、聞く権利があるよね」


 狩野さんの笑顔が怖い。いつもより言い方が嫌みだし。かなーり怒ってるのかな?


「日曜日に渋谷で? ああ……それか……」

「狩野さん心あたりあるんですか?」

「うん。古谷さんのお姉さんに会ったよ。古谷さんとお姉さんは似てるし、遠目だったら見間違えるんじゃない?」

「お姉ちゃんに? どうして……」

「古谷さんの仕事の事とか、伊勢崎君との事とか、どうなってるか気になる……とね」


 ただそれだけの理由で会うかな? 狩野さんもお姉ちゃんも忙しいのに。何か怪しい……。


「私が信用できないなら、お姉さんに聞いてみたら、伊勢崎君」


 狩野さんを信用できないなんて、そんな事ありえないと思ったけど、先輩はやっぱり無言で。

 結局お姉ちゃんに確認して、先輩もその件は納得し、会社の中で私と狩野さんが話す分には止める事はなくなったのだけど……。


「ここまで公私混同のワガママが通っていいのか……」


 狩野さんだけでなく、私まで怒りそう。先輩が打ち合わせで外出したくないって、言い初めたのだ。自分がいない間に、私と狩野さん2人だけになるのが怖いって。

 だからといって、元々篠原さんの所に行く約束だったのに、わざわざうちに来てもらう様に予定変更ってないでしょう。元彼女で友人とはいえ取引先で仕事をもらってる相手なのに。


 今日の篠原さんのコーデは、ブルージーンズシャツに、ブラウンのクロップドパンツ。カジュアルでナチュラルだけど大人っぽい。いつもどおり飾らないオシャレが綺麗だな。


「忙しかったんでしょう? 大丈夫よ。私はまだ今月余裕があるから」


 気さくに篠原さんが笑ってくれたので、私も愛想笑いは浮かべたけど、心情的にはささくれだってる。狩野さんも静かに怒ってるし。

 そういうピリピリとした職場の雰囲気を、篠原さんは敏感に察知した。


「古谷さんをちょっとお借りして良いかしら?」


 打ち合わせが終わった後、近所のコーヒーショップへ。カフェモカの甘くて苦い味を舌で感じて、やっとピリピリした気分が落ち着いた。


「やっぱり伊勢崎君と仲良くなって、伊勢崎君と狩野さんの仲がぎくしゃくしてるのね」

「すみません……せっかく忠告してくださったのに。なんで過去に1回女性に裏切られただけで、あそこまで人を信用できなくなったのか……」

「1回? そう言ったの? 狩野さんが? ……そう、知らなかったのね」


 篠原さんは「一回じゃないのよ」と苦笑して教えてくれた。彼女ができる度に狩野さんに紹介して、「狩野さんの方がかっこいい」という先輩の地雷台詞を言われて、喧嘩して別れるを何度も繰り返したらしい。


「なんで……自分から傷口に塩を塗りこむような事繰り返すんでしょうね。狩野さんに紹介しなければ良いのに」

「そこは……紹介しても「伊瀬谷君の方がかっこいい」って……言って欲しいんじゃない? 少なくとも私はそうだったから結構長続きしたし。皆が思う程、狩野さんって完璧人間でもないと思うの」

「狩野さんに欠点って何かあります? 酒癖が悪い……とかはありますけど」

「それ……伊瀬谷君の地雷を刺激しそうだから言わない方が良いわよ」


 地雷が多いな……面倒だ。


「狩野さんて、本当に何でもできて気も効く人だけど、何でもできすぎる分、ちょっと驕った所がある感じがするのよね……自分が情けなくて凹んじゃう……くらいの方が可愛げあるじゃない?」

「驕ってますか? そんな風には全然見えませんが。新入社員の私にもとても丁寧な対応だったし」


 個人的主観の問題なのかな……篠原さんからは、驕って見える……とか。篠原さん……狩野さんの事嫌いなのかな?


「笑顔でごまかして、本音を見せない、壁を作って深入りさせない。何考えてるかよくわからなくて、人として信用できないのよね。伊瀬谷君くらい素直で解りやすい方が、付合ってて楽しいわよ」


 篠原さんは、これは狩野さんに内緒ね、と言って苦笑した。いえ……口止めされなくても言えません。上司に向かって、驕ってるとか、人として信用できないとか……そんな恐ろしい悪口。

 狩野さんは本音を見せない人だけど、信用できる人だと思う。先輩も狩野さんを信頼してついて行き、四年も一緒に仕事してたのに、どうしてこんなにすれ違っちゃうのか。


「だから面倒だって言ったでしょう? 昔も結構大変だったのよ。今は……古谷さんが年下で後輩な分、これでも伊瀬谷君頑張ってる方だと思うけど」


 元彼女の苦労が滲む体験談ありがとうございます。とてもよく勉強になりました。

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