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反省だけなら猿でもできる

 日曜日。お姉ちゃんに連絡して、家を教えてもらって遊びに行った。昨日の夢のような狩野さんとの出来事を話したら、お姉ちゃんは顔を真っ赤にして怒りだす。


「あんたバカ! いくら信用できる上司だっていっても、一人暮らしの男の家に、ほいほい泊まりに行くなんてありえないでしょう!」


 散々お説教された後、合鍵を渡されて、以後終電を逃したらお姉ちゃんがいなくても、一人で泊まりに来るようにとキツく言われた。

 私が項垂れて、大人しく聞いてたら、最後には盛大に溜息をつく。


「狩野さんの忍耐力には脱帽するわ。ここまで鈍い子相手でそれは……いっそ哀れね」

「忍耐力? ああ……奥さんの事、随分突っ込んで聞きすぎて、失礼だったよね……」


 昨日の狩野さん、奥さんの話をする時、とても辛そうだったな。あんな風に家を出て行かれたら辛いよね。奥さんと何があったのか、わかりもしないのに、わかった気になって色々言いすぎた。馬鹿だったなって、今更ながら後悔する。


「違う、そこじゃない。隣の部屋で若い女の子が寝てるって言うのに、随分と大人な対応でしょう。しかも抱き付くなんて……信じられない」

「え……と、職場の泊まり込みで、よく寝てるし、寝顔は見慣れてると思う……」

「本当にバカ。職場と家とじゃ全然違うわよ。しかも自分の服を着て寝ぼけながらうろうろされたら、たまらないわよ。だから着替えろって言って、家をでたんでしょう」


 たまらないって……私を女として見てたって事? 狩野さんが? イマイチピンと来ない。だって……今でも狩野さんは奥さんを愛している気がするんだもん。私なんて眼中に無いよ。


「わざわざ調味料買ってきてまで、何で料理したと思う? コンビニで買ってきたご飯食べればいいじゃない」

「そうだね……なんでだろう? おもてなし?」

「風呂上がりの良い香りの女子と同じ部屋とか、耐えきれないから、料理の匂いでごまかしたんじゃない?」

「お姉ちゃんって、エスパー? 狩野さんの思考がどうしてそこまでわかるの?」


 お姉ちゃんが怒って、私の頭にチョップした。地味に痛い。


「しかも……そこまでごまかして耐えたのに、また家に来る……なんて能天気な事言って……本当に天然って恐ろしいわ」

「図々しい発言だったよね……」


 また来て欲しいと思われてる……なんて、身勝手な妄想かもしれない。ただ……私がまたあそこに行きたかっただけかも。昨日の私はどうかしてた。狩野さんとの心の壁が一気になくなって、それが嬉しくて浮れてたのかもしれない。

 私は深く深く反省したつもりだったのだけど、お姉ちゃんは「まったくわかってない」と、納得いかない顔だ。


「明日狩野さんに会ったら、よくよくお詫びしなさいね」

「はい」


 月曜日。定時の30分前に着いたら、狩野さん1人が先に来てて仕事を始めていた。


「おはようございます。週末はご迷惑をおかけして、すみませんでした」

「おはよう、古谷さん。いや……あの時は私も軽率だったよ。すまなかった。言い訳をするなら疲れてて判断力が鈍ってたかもしれない。他にもっと良い方法があったはずなのに」


 深く項垂れる狩野さんに申し訳なくなった。やっぱり……私を家に入れたくなかったかな。奥さんとの想い出の場所だもんね。


「そうですね……お姉ちゃんにも怒られました。次からはお姉ちゃんの家に行くように……と」


 そこまで言ったら、狩野さんががたっと音を立てて椅子から滑り落ちそうになってた。どうしたんだろう? 珍しく笑顔の仮面もなく、顔が蒼白だ。


「お、お姉さんに話したの?」

「はい。とても怒られました」

「それはそうだよね……お姉さんの連絡先教えてもらえる? 私から直接お詫びしないと……」

「いえ……怒られたのは私だけで、むしろ狩野さんの事は、忍耐力に脱帽するとか、哀れだとか、よくよく謝りなさいとか、言われました」


 狩野さんは目をつぶって、深く長く溜息をついて、眉間を指でつまんだ。


「古谷さんのお姉さんって、本当に凄いね。初対面でだいぶ嫌われてたと思ったんだけど、そこまで気がついてくれるとは……ありがたい」

「本当に凄いですよね。狩野さんの心境がなんでもわかってるみたいで。さすが夜の仕事で鍛えた感でしょうか?」


 くくくと狩野さんが笑った。呆れを通り越して笑いがこみ上げてきた……そんな感じがした。


「とにかく……お姉さんにも言われた通り、もう誘われても簡単に男性の家に行かないように。私の家もダメだよ」

「はい、もう行きません」


「おはようございます」


 気がつくと先輩が出勤していた。今の話聞かれた? とぎょっとしたら、先輩が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。


「古谷……大丈夫か?」

「だ、大丈夫って……」

「接待。狩野さんに飲まされすぎて二日酔い……とかならなかったか……と心配でな」


 そ、それか……そんな事あったのすっかり忘れてた。


「大丈夫です。先輩に色々教わったので、上手く切り抜けられました」

「そうか……ならよかった」


 先輩はほっとした顔で、私の動揺なんてまるで気づいてないみたいだった。それから普段通りに先輩と狩野さんが打ち合わせを始めたので、私は自分のデスクに戻って深呼吸。先輩に聞かれてなかった……よね?



「そろそろ2人ともお昼にしたら? 食べに行ってきていいよ。私の分は帰りに買ってきてくれれば良いから」

「わかりました。何を買ってきたらいいですか?」

「そうだね……おにぎり3個と大きめなサラダ……かな?」

「へ?……サラダ、ですか? アメリカンドックじゃなくて」


 私が間抜けな声をあげると、狩野さんはくすりと笑った。


「野菜を食べないと、古谷さんに怒られそうだからね」


 なんだか気になる言い方。まあ……いっか。狩野さんが健康的な食生活になるのは嬉しい。

 その後、私は先輩と近所の定食屋に行った。甘い物は帰りのコンビニでいいから、たまには和食が食べたいと先輩が言ったのだ。今日は私もサバ味噌定食にしよう。


「古谷……狩野さんと何かあった?」

「へ?」

「野菜を食べないと怒られる……とか言ってただろう? 俺も散々今まで言ってきたのに、全然聞いてくれなくて。それなのに、急にどうしてかな……と思って」

「え……まあ、そうですね。アメリカンドックばかりじゃなく、野菜も食べてくださいとは……言いましたね」


 狩野さんの家にお泊まりしたとか、恥ずかしくて言えない。先輩は私の焦った様子に気づいてないかのように、ぼんやりしていた。全然食事の箸が進んでない。

 サバ味噌は脂が乗ってて、甘辛い味付けを、生姜がぴりっと引き締めて美味しい。ご飯によく合う。値段もリーズナブルだしまた来よう。サバ味噌が美味しいから、上機嫌で食べていたら、先輩がぽつりぽつりと話し始める。


「……前にさ、何でアメリカンドックばかり食べるんですか? って聞いた事あるんだよ。だってあれ甘いだろう」

「そういえば……そうですね。甘いもの苦手なのに。肉ならフランクフルトとかもあるし」

「奥さんの好物なんだって。一緒に食べてたら食べ慣れたって言ってた」


 その言葉がぐさりと胸に突き刺さった。奥さんと過ごしたあの家で、想い出の食べ物を、食べるなと言った私の無神経さに腹が立つ。今度こそ深く反省した。


「先輩は……狩野さんの奥さんと会った事あるんですか?」

「あるよ。結婚式にも呼ばれたし、一度家で手料理ごちそうしてもらったな。美味かった」

「お料理上手なんですか……。きっと狩野さんとお似合いの美人なんでしょうね」

「そうだな……綺麗な人だった。優しそうで、お淑やかそうで……でも、芯が通った強い人だなって印象がある。大人しく見えてもやる時はやる……そんな感じ」


 自分の痕跡を無くす程に、きっぱりと捨て去って出て行ったのだ。どれだけ強い決意があったのか……と思うと納得。

 今、どこで何をしているんだろう。狩野さんの事、まだ好きなのかな? あの……寂しそうな狩野さんの姿を見せてあげたい。そうしたらきっと、奥さんだって帰らずにはいられないと思う。

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