休日出勤という名のデート
約束は日曜午前11時、上野の公園口改札。15分前についたのに、先輩は先に来てた。流石だ先輩。
先輩の服装はいつも通り。普段から割とシンプルで、Vネックカットソーにジーンズにスニーカー。シンプルでカジュアルなんだけど、素材が良すぎて凄くおしゃれに見えるマジック。今日はヘッドフォンつけてないな。休日だからかな? 今の時期だと首回りが暑いしね。
私に気がついて目があった瞬間、先輩が固まった。
「お待たせしてすみません」
待ち合わせ時間の15分前だけど、こう言うのが礼儀だよね。先輩だし。固まったままの先輩は、まるで彫刻みたいに綺麗だった。30秒くらい沈黙が続いて気まずいな……と思い始めた頃ふいと目をそらされる。
「いや……待ってない。行くか」
シンプルにそう言って、すたすたと歩き始める。ちょっと早足だったから慌ててついて行った。コンパスが違うんだから考慮してください……。今日はいつもと違ってスニーカーじゃなくてヒールのある靴だし。
広い上野公園内をしばらく歩いてようやく先輩も気づいたようだ。
「悪い」
一言言って、ぽふっと頭に手を置いた。その後はゆっくり歩いてくれたのでほっとする。
今日も日差しが殺人的だ。ねっとりと絡み付く様な不快に湿った夏の空気が苦しくて、公園の緑が作る木陰がわずかな救い。
この暑さの中、早歩きで歩いて汗だくだ。美術館は上野公園の敷地内にあって、そこまでたどり着くのが長く感じた。冷房の効いた美術館についてやっと一呼吸できた感じ。先輩がチケット持ってるってココだよね?
先輩が美術館に入ってすぐ、立ち止まって、顔に手を当てて恥ずかしそうに言った。
「俺……いつもの仕事の延長のつもりで……だから古谷もいつもと同じような格好かと思ってたけど……よくよく考えたら、日曜日に誘うってデートみたいだな」
ぶっと吹いた。やっぱり先輩は仕事のつもりで無自覚だったんですね。うう……いつもと同じ服装でくればよかった。自分だけ張り切って恥ずかしい。
「いえ……あの、休日で時間もあるし、『仕事』でもおしゃれしたらって、お姉ちゃんが……」
わざと「仕事」を強調して言った。嘘じゃないよ。お姉ちゃんの選んだ服と、教えてもらったメイクだし。
「仕事が忙しいからって、女の子の気持ち忘れちゃダメだって……言うので……へん……ですか?」
おしゃれなお姉ちゃんが選んでくれた洋服で、今日は髪を下ろしてきちんととかした。寝癖だってないはず。おかしくないはずだけど……メイク失敗してたかな? おそるおそる見上げると先輩の顔が赤くなってた。
「いや、変じゃない。似合ってる。新鮮で、とても良いと思う」
ストレートな褒め言葉に私も赤くなりそうだ。なんだこの中学生のデートみたいな恥ずかしいむずむず感。
その後美術館の作品を色々見たはずなんだけど、正直全然勉強にならない。先輩の事が気になって集中して見られないし、先輩もなんだか落ち着きがなく口数が少ない。
恥ずかしすぎて死にそうだから、美術館を見終わったらそのまま帰ってもいいですか?
「飯に行くか。何がいい?」
やっぱり続きもあるんですね。これは仕事の延長ですか? それともデートの続きですか? 聞きたいけど聞けない。
「暑いし……冷たくてさっぱりしたもの……ですかね」
「わかった」
やっぱりいつも以上に口数が少ない。先輩……今まで私を女として意識してなかったけど、この服のせいで意識しちゃって戸惑ってる? ううん……困った。どう接していいのかわからない。
デート……かな? と思ったのに連れられて行ったのがおしゃれ感のない蕎麦屋。うん、全然デート感ないチョイス。冷たくてさっぱりしてるし落ち着きそう。
席についてお冷やを一気飲みしたら、少しだけ落ち着いた。
「すみません。お冷やおかわりください、2つ分」
あ……先輩も速攻、お冷やが空になってる。夏だから汗だく……だけじゃないと思う。冷たい蕎麦を2人前頼んで一呼吸。目線を合わせない先輩との空気が気まずい。
「で……この後どうする?」
「この後って……?」
「今日の目的は終わったわけだし、飯食べたら帰ってもいいけど……」
そこでちらっと先輩が私を見た。つまり……ここで帰れば仕事、ここから先はデート……という事ですね。うわ……どうしよう。どう答えたらいいんだろう。
迷ってメニューをもう一度見返しちゃったりして……ふと思いついた。
「先輩。この店に甘いものはないですよ」
「そ、そうだったな」
先輩がスイーツなしの店を選ぶなんて重症だな。
「じゃあ……とりあえず、お蕎麦を食べたら、スイーツ食べに行きませんか? 私も甘いもの食べたいですし。ほら……頭が疲れると糖分補給したくなりますから。美術館で頭使いすぎて疲れちゃって……明日の仕事に支障がでるといけないですし」
先輩がほっと息を吐くのが聞こえた。ぎこちなく笑ってる。とりあえず仕事と言い訳して、仕事の延長戦を繰り返して、デートっぽいイベントを避けよう。
「そうだな。何か甘いもの食べるか。何がいいか……」
「上野だし、和風の甘味ですかね」
「ああ……そうだな。確か……有名なあんみつ屋があったな」
甘い物に思考がそれたせいか、先輩の口数が増えてきた。よかった……やっぱり甘い物の力は偉大だ。
お蕎麦をつるっと食べつつ、仕事の話にするっとミスリード。あ……わさび入れすぎた。ツンとする。
「今日は日曜だからやってないんだよな……紙の問屋。あそこ面白いし勉強になるんだけど」
「紙の問屋ですか? どこにあるんですか?」
「神保町と青山」
「青山なら近いですね。仕事帰りでもよれそう」
「神保町の方が本店で広いし、2階の展示も面白いから、時間があったらそっちの方がいいぞ」
「平日遅くまで開いてないですよね?」
「19時までだな」
「平日のその時間じゃ……無理ですよ」
そんな感じに仕事関連の話をしてたら、先輩の思考が仕事モードに切り替わったらしい。よかった……ぎこちないまんま1日過ごすとかある種、苦行だし。
蕎麦を食べつつ、今進行中の仕事の話をして、甘いものを食べたら本屋によって資料を探そうとか、そんな話ばかり。まるでデートらしくないけど、その方がほっとする。
先輩があんみつ屋で、トッピングを増やしすぎて凄いサイズになって笑って、先輩が笑うなってむくれながら、でも嬉しそうに食べてたり。
本屋を巡って、あれこれ話しながら、どのデザインがいいか……と2人で考えて、真面目に悩む先輩の横顔がカッコいいなって思ったり。
いつもと変わらないけど……いつもと変わらない先輩が好きだなって思った。恋人になる事が、さっきみたいに、恥ずかしすぎていたたまれない……という事だったら、やっぱり先輩と後輩のままの方がいいな。
本屋でたくさん雑誌を買い込んで、自分の分を持とうとしたら、ひょいと取り上げられた。
「重いだろう……明日会社に持っていくから」
女の子扱いだ……優しい。スキャナーをお持ち帰りさせた時と大違い。気づくと人ごみにぶつからない様に、さりげなく庇ってくれたり、勝手に歩いて行かずにちゃんと私にあわせてくれたり。
そういう気遣いが嬉しくて頬が緩む。
「古谷……それ!」
「へ?」
先輩が私の足下を見るので下を向く。足首のかかと近くが真っ赤になってて、自分でもぎょっとした。
「靴擦れしてるじゃないか」
慣れないヒールで足痛いな……とは思ってたけど、ここまで派手に流血してたとは。見た目は派手だけどそんなに痛くないんだよね。
「ちょっと待ってろ」
そう言って私を道路脇のガードレールに腰かけさせ、慌ててどこかに行って来た。どうやら絆創膏を買ってきてくれたらしい。優しい。まあ……これだけ見た目痛々しいと慌てるよね。
「靴を買いに行こう。これ以上その靴を履かせられない」
「あ……そうですね。でも……靴買う程お金持ってたかな?」
「それくらい俺が払う。ヒールの靴で歩き回らせた詫びに。……配慮が足りなかった」
靴を買ってもらうって……まるでプレゼントみたい。一気にデート感がアップした。恥ずかしくて俯いたら、ぽふっと頭に手を置かれた。
「嫌だっていうなら、このまま抱えて家まで送るけど」
それは絶対嫌だ。断りきれずに靴屋に向かう。すごくゆっくりに歩き「大丈夫か?」って心配そうな顔をする先輩が優しくてきゅんとする。
これが……恋なのか? 不味い……中1の初恋以来、恋愛らしい事してこなかったから、よくわからない。でも……さっきの気まずいのとは違って、とても大切に扱われるのは嬉しい。
アメ横近くの安い靴屋に着いてどれにしようか選ぶ。足首にあたらない、ミュールタイプがいいんじゃないか、ちょうど夏だしって……所まではあっさり決まったのに。
「先輩。私はどれでも良いですから」
「ちょっと待て。今考えてるから」
じろじろ足を見られる方が恥ずかしいんだけど、とても真剣なのでこっちの言う事聞いてくれないし。
「古谷って肌白いな……と思ってたけど、よく見ると肌が少し赤みがかってるな。珍しい。日本人って黄色系だろ?」
「そう……ですかね?」
「それなら赤みがかった色の方が、肌と靴の色の相性がいいんじゃないか?」
真剣な表情で靴の色選び始めちゃったよ。デザイン無視して「この色だと薄すぎる」とか「ちょっと鮮やかすぎ」とか……ぶつぶつ。靴選びも仕事のうちですか?
結局先輩が選んだのは、紺に近い紫。デザインはシンプルだけど、紫って派手じゃないかな? ミュールだけ見たら微妙って気分だったけど、実際はいてみたらびっくり。確かに私の肌色にとても映える。シンプルなデザインだから、色が少し派手でもシックで大人っぽい。
結局そのミュールをお買い上げして一日が終わった。靴擦れを心配して、家まで送ろうか? という申し出を丁重に断って駅で別れる。一人になって今日一日を思い出すと、恥ずかしくて、楽しくて、嬉しくて……。ちょっと浮かれた。
先輩が買ってくれたミュール。しまい込むのももったいないし、職場にも履いて行こうかな……。他に使い道ないし。先輩がどんな反応をするのか……想像したら顔が火照った。




