感謝の気持ち
伯母さんと一緒に表参道までランチにいった。奢ってくれるっていうし。狩野さんに「ゆっくりしておいで」とにこやかに送り出されたので、遠慮せずのんびりする事に。
歩く途中のショーウィンドウを見て、ついでにお洋服も買ってあげようか? とまで言われたけど、それは流石に断った。確かに……表参道を歩いても恥ずかしくない服は欲しいんだけどね。
久しぶりに伯母さんと会ったので、近況とか、親戚の話とか、結構色々話した。伯母さんの顔が明るくて、楽しそうなので、私もちょっと甘えてしまいたくなる。お母さんより断然好きだな。本当に伯母さんの娘だったらよかったのに。
話してる時、ふと気がついた。伯母さんは私の仕事知ってるし、お姉ちゃんとも仲がよかった。もしかして伯母さんとお姉ちゃん連絡取ってて、それでお姉ちゃんは私の仕事の事知ったのかな?
それで気楽な気分でお姉ちゃんの話をしてしまった。
「志津子伯母さん、お姉ちゃんと連絡取ってるんですか?」
それまでにこやかだった伯母さんの顔が、様変わりした。時が止まった様に表情がこわばった後、少し青ざめて俯く。
「家出した後は……何も連絡は無いわ。無事なのかどうかもわからなくて、本当に心配なの」
これ伯母さんの地雷だった? と内心焦る。うちの両親よりショックが大きいんだけど。
「本当にあの子には申し訳ない事をしたから。もし会えるなら謝りたいの……」
今にも泣き出しそうな、そんなせつない表情でぽつりと呟く。申し訳ない事って何だろう? 伯母さんとお姉ちゃん、何かあったのかな?
何かあったの? と聞いても言いにくそうに口をつぐんでしまう。
両親にお姉ちゃんと会いたいか? と聞いた時、沈黙して会いたいとも言わなかったけど、伯母さんはとても会いたがってるんだな……というのはわかった。
この前のメールの件で、お姉ちゃんが怖くなったけど、伯母さんには仕事の面でもお世話になってるし、こんなに落ち込んでる伯母さんの事どうにかしてあげたい。
「あの……実は、お姉ちゃんからたまにメールが来るんです」
伯母さんは慌てて顔を上げて、私の目をまっすぐ見た。それから目を潤ませて微笑む。
「無事なのね……よかった。そうね……貴方達は仲がよかったし、唯は萌の事、とても可愛がってたから心配してるわよね」
嬉しそうに頷く伯母さんを見てると申し訳なくなる。お姉ちゃんのメールを無視せずに、もっと早く伯母さんに教えてあげればよかった。
「私……あまり返事しないんで、確実じゃないけど、伯母さんの話、お姉ちゃんにメールしてみます」
伯母さんは本当に喜んで、私の手を握って、ありがとうって何度も言ってくれた。それがせつなく私の胸をうつ。伯母さんがこんなに気にしてるのに、お姉ちゃんを避ける私って冷たい人間なのかな。
その日の夜お姉ちゃんにメールした。伯母さんが会いたがってる。謝りたいって言ってたよ、連絡してあげてって。数日待ってみたけど何も返事は無かった。伯母さんに期待はずれさせちゃったら可哀想だな……。しばらくメールの返事をしなかった私が悪いんだけど。
パンフレットの仕事自体は、それほど難しい物ではない。でも次の仕事に繋がる重要な仕事だったし、2人のやる気溢れる雰囲気が眩しかった。
まあ……いつもの仕事は、酷い無理ばかり言われる割に、どんどん値段は下げられるし、モチベーション保てないもんね。私も2人の仕事に混じってみたかったけど、手伝える事はなくて、私にできる事はいつもの仕事を自分のできる範囲で頑張るだけだ。
いつかは2人と一緒に、デザインの相談ができるようになったらいいな。今は目の前の仕事を頑張ろう。
「そろそろ締め切りの時間だな。入稿準備は間に合いそうか?」
「全部チェックしました。大丈夫です」
今日も平常運転で徹夜明け。よれっとしつつ封筒の中身を確認し、時計を見る。今日は余裕で間に合うかな? とほっとする。
「あ……データ1個入れ忘れてる。古谷、USBメモリ貸して。今からデータ入れ直すから」
「はい。わかりました」
危なかった……徹夜明けって集中力切れてミスしがちだよね。その時玄関のチャイムが鳴った。あれ? 予定よりちょっと早いな……と思いつつ玄関に出る。
「日鈴印刷の営業の米沢です。原稿を受け取りにきました」
「お疲れさまです。早いですね。急ぎの原稿ですか?」
「お疲れさまです。いえ、余裕はあるんですけど、近くでもう1件寄ってきたばかりで時間が空いてたので、早めに来てしまいました。早すぎてすみません」
にこっといつもの営業スマイル。今まで切羽詰まった状況で会う事が多かったから、この笑顔にいらっとする事もあったけど、今日は余裕があるので大丈夫。
「今日はもう原稿できてますよ」
「早いのはありがたいですね、伊勢崎君、調子はどう?」
原稿を取りに行ってちらりと先輩を見る。米沢さんと顔会わせたくない……という感じで、デスクに向かって仕事してて米沢さんの声を無視してる。
私が原稿を渡したら、米沢さんは苦笑してる。
「伊勢崎君に嫌われちゃってるな」
「それはそうですよ。あんまり揶揄うから」
「僕なりの愛情表現なんですけどね。確かに受け取りました。お疲れさまです」
かなり嫌な愛され方だな……。いつもの如く、米沢さんは軽い調子で帰って行く。締め切りが終わってほっと一息。
徹夜慣れしたのかな……疲れてるけど仮眠しなくても仕事できそう。とりあえず珈琲を飲もう。三人分の珈琲を入れて渡し、自分のデスクに戻ろうとした時、視界の隅にテーブルが映った。
あれ……こんな所にUSBメモリ。なんだろう……? そう一瞬思ってから気づいて青ざめた。
「か、狩野さん、これ」
「さっきの原稿に入れ忘れ?」
「最後にデータ入れ直した後封筒に入れてなかったか……俺のミスだ、すみません」
私も原稿渡す前に確認漏れだ。ど、どうしよう。狩野さんがすっと名刺入れから米沢さんの名刺を差し出して。
「古谷さん、これで、日鈴印刷さんの住所わかるよね? 追いかけて届けてくれる?」
その名刺を受け取って私は慌てて会社を飛び出した。スマホで地図を確認しつつ向かったが、初めての所だし慌ててたしで少し道に迷って、到着が遅れた。
日鈴印刷について、米沢さんのいる部署まで来て、突然怒鳴り声が聞こえてびっくりする。
「米沢! データが足りないぞ! 何やってんだよ。こっちは印刷機止めて待ってたんだからな」
「申し訳ありません。すぐに取りに戻ります」
怒鳴られながら、何度も頭を下げてる米沢さん。とても申し訳ない。
「す、すみません! 狩野デザイン事務所の古谷です」
「あ、古谷さん。もしかしてデータ届けてくれたの?」
米沢さんが私の顔を見てほっとしたように溜息をもらす。私からUSBメモリを受け取ってすぐに担当の人に渡して謝罪してた。私達のせいであんなに怒鳴られて、申し訳なさで一杯で謝らないと帰れない。
「米沢さん、本当にすみませんでした。うちのミスなのに米沢さんがあんなに怒られて……」
「大丈夫。怒鳴られるなんていつもの事ですから。気にしないでください。今日は余裕があったし、届けてもらえて助かりました」
私に怒ってもしょうがない状況なのに、いつもと変わらずけろっと笑ってる。懐が深いのか、神経が図太いのか、ある種尊敬する。
「それよりも……また目が赤い。寝不足ですか? 大丈夫かな。早く帰って休んだ方がいいんじゃ」
「だ、大丈夫です。徹夜はなれましたから」
「慣れますよね……この業界にいると。あ……そういえば、前に表参道で狩野さんと一緒にランチしてませんでしたか? 野菜レストランで見かけたんですけど」
「へ?……ええ……行きましたね。外食ばかりで栄養が偏るから、たまには野菜をって……あの時店にいたんですか?」
「はい、いました。凄い偶然ですね。僕もたまに野菜食べたくなって、ああいう店行くんですよ。珍しい野菜が面白いですよね。アイスプラントとか好きだな」
「ああ……あのぷちぷち食感がたまりませんよね」
米沢さんが財布からショップカードを取り出した。
「これ、新宿の店ですけど。オーガニック野菜のレストラン。ここはコースだとサラダバー食べ放題なんです。アイスプラントもありますよ。よかったら今度行ってみたらどうですか?」
「あ、ありがとうございます」
にこにこと人好きのする笑顔で見送られて会社に戻った。
謝罪するつもりが、気遣われた上に、いつの間にか世間話で盛り上がって……凄いコミュ力だ。流石営業。先輩がいないせいか、意地悪に揶揄われる事も無く、楽しくおしゃべりが弾んだし。そんなに悪い人でもないのかな……?




