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我が社のリアルな経済事情

 あっという間に5月が終わって6月。そろそろ梅雨だな……って頃に、狩野さんがちょっと申し訳なさそうに茶封筒をくれた。


「ボーナスっていうには少なすぎるから、ほんの気持ちだけど」

「あ、ありがとうございます!」


 完全な不意打ちだ。入社2ヶ月の最初のボーナスはないと思ってた。初給料と同じくらい嬉しい。先輩にも渡した後、打ち合わせと言って外出して行った。

 茶封筒の中身を確認すると3万円。確かにボーナスっていうには少ない。でも気持ちが嬉しいよね。


「大切に使えよ。それ狩野さんのポケットマネーからだしたんだから」

「狩野さんのポケットマネーって……そんなにうち、お金ないんですか?」


 3万円のボーナスさえ捻出できない程、うちって厳しいのかな?


「金がないわけじゃないけど……」


 そう言いつつ説明してくれた。会社を起こす時銀行の融資を受けて、その返済に追われて初めの頃は大変だったらしい。でも今はだいぶ返済が終わってそれは楽になったそうだ。


「でもな……俺達の仕事は1Pいくらっていう契約だ。それでうちで一番大口の旅行雑誌、それのページ単価が年々下がってるんだ。出版不況だしな。今までの売り上げを維持する為には、仕事量増やさないといけない。でも仕事量増やすにも限界あるし、このままじゃジリ貧だって……事で新人を雇ったんだよ」

「えっと……私に給料払う分、人件費増えると思いますけど……」


「初めは経済的にキツいよ。でも古谷がもっと仕事できるようになって、俺と古谷だけで今の仕事をある程度こなせる様になったら、空いた時間で狩野さんが営業に行かれる。今よりマシな契約の新しい仕事とってこられたら会社ももっとよくなるよ、きっと」


 それは私も責任重大だ。早く仕事できるようにならないと、経済的にいつまでもお荷物を抱えていられない。


「私頑張って、早く仕事できる様になります。だって新しい仕事が増えたら、給料あがりますよね」

「そうだな……せめて福利厚生が欲しいよな」

「失業保険だけでも欲しいです……。失業したら路頭に迷う……」


 2人とも凄く切実な嘆きだ。世知辛い。

 残業代とか休日出勤手当とか、そんな発想は私達にはない。そんなの真面目に払ってたら、半年も持たずに会社が潰れるというのは、新人の私でもわかる。


「先輩は……貯金とかしてます?」

「まあ……ある程度は貯めてるよ。失業保険もないんだし。一人暮らしって言っても、寝に帰るだけだからぼろアパートでいいし、ほとんど家にいないから光熱費かからないし、遊びに行く時間もないから金使わないし……だから貯金できる」


 一人暮らしいいな……。実家にいれば家事は何でもしてくれて楽だけど、通勤時間が長いのは辛い。終電気にして2人より早く帰らなきゃいけないし。もっと近い所で一人暮らししたいな。ぼろアパートだったら、私の給料でも一人暮らしできないかな?


「バカな事考えるなよ。女がセキュリティー甘い物件なんて危険だし、仕事で夜遅いんだから何かあったらどうする」


 叱られてるのに嬉しい。先輩が心配してくれてるのがわかるから。今は実家暮らしのままできるだけ貯金する様にしよう。失業保険ないしね。




「萌! 話聞いてる?」

「あ……ごめん、聞いてなかった」


 母と2人で食事中。仕事の事ばかり考えて、母の話は右から左……というのはいつもの事だったから。


「志津子に萌がデザイン事務所で働き始めたって話したのよ」

「志津子伯母さんに?」


 志津子伯母さんは母の妹で、子供の頃からとても仲が良かった。美人で若々しくて優しくて、子供に恵まれなかった分、姪の私達を実の娘みたいに可愛がってくれた。親と喧嘩して泣きついた時に冗談で「うちの子になる?」って言われて、伯母さんみたいな素敵なお母さんの子になるのもいいかもしれない……と思った事もある。


「そう、そうしたら、志津子が萌の会社に仕事を頼んでみたいって言うのよ」

「仕事? どんな?」

「う……ん。よくわからないけど、確かパンフレットか何かを作るとか。一度志津子に連絡とって直接聞いてみなさい」


 どんな仕事かわからないけど、仕事が増えるのは良い事なのかな? 親戚価格で安くしてくれって言われたら困るけど。私一人じゃ決められないし、伯母さんに連絡して具体的な話を聞いてから、狩野さんに報告した。


「それは良い話だね。ありがたいよ」

「そうなんですか? 会社紹介のパンフレット……らしいですけど、うち雑誌デザインの仕事がメインですよね」

「今はそういう仕事しか回って来ないだけで、本の仕事以外でも受けるよ。以前パンフレットの仕事をやった事もある」


 そう言って過去の制作物を見せてもらった。いつもの賑やかなデザインと違って、ちょっと固いデザインの会社パンフレット。こういう仕事もするんだ……と驚く。


「私がその伯母さんの会社に伺った方がいいかな?」

「いえ……伯母が私の会社も見てみたいから、打ち合わせするならここに来るって言ってました」


 気分は授業参観だ。ちょっとこそばゆい。

 伯母さんの連絡先を狩野さんに教えたら、電話で連絡して打ち合わせの段取りをつけてくれた。意外と早く伯母さんがやってくる事になってちょっと緊張する。最近忙しくてお正月にも顔合わせてなかったし、何年ぶりだっけ?


 駅まで伯母さんを向かえに行き、久しぶりに会ったがだいぶ印象が違った。スーツを着こなす、キャリアウーマンという感じでとてもカッコいい。私と会う時はプライベートだし、もっと優しい雰囲気だったけど、仕事の時はこんな感じだったんだ。


「萌、久しぶりね。なかなか顔見られないし、心配してたのよ」

「ご無沙汰しててごめんなさい」

「ちょっと痩せた? でも大人になったわね。良い顔してるわ」


 大人になったと言われると嬉しい。痩せたのは……やつれたかな?


「お電話しただけだけど……狩野さんって随分感じの良い方ね。頭が良い印象がしたわ」

「狩野さんは凄いできる上司だよ。優しいし、頼もしいし、気遣いもできる大人で、尊敬してる」

「そう……良い上司に恵まれてよかったわね。そういえば……もう一人社員がいるんだったかしら?」

「うん。男の先輩が一人。ちょっと厳しいけど、真面目で、私の面倒もしっかり見てくれて、先輩の事も尊敬してる」

「良い職場なのね。萌がとても楽しそうに見えるわ」


 伯母さんが嬉しそうに話を聞いてくれて、私も嬉しい。お母さんやお父さんは、仕事が忙しすぎるって……嫌な顔するし。実は給料についても一切言ってない。聞いたら全力で反対されそうで。

 そんな感じにしゃべっていたらあっという間に会社に着いた。


「姪がいつもお世話になっております」

「こちらこそ大変お世話になっています。とても優秀な方で色々助けていただいて」


 うわ……こそばゆい。礼儀として褒めてるだけだと思うんだけど、伯母さんが嬉しそうにニコニコしてるのを見ると恥ずかしい。そんなに褒められる程、私優秀じゃないよ。

 世間話は手短に、すぐに仕事の打ち合わせに入った。予想以上にビジネスライクな話で、伯母さんもきりりとしてるし、狩野さんもちょっと緊張してる様な気がした。


「では……お話を伺った内容に合わせて、2案作成致しますので、そちらを見ていただいてご検討いただけますか」

「はい。それでお願いします」


 打ち合わせが終わったのか……とほっとして緊張が緩む。その直後まるで世間話という雰囲気で伯母さんがさらりと言った。


「うちの取引先で、ビジネス関係の業界紙を制作している出版社があって、新しくデザインを頼める先を探しているそうなの。もし今回のパンフレットがよければ、紹介しておきますね」


 伯母さんはニコリと笑っていたが、狩野さんが息を飲む音が聞こえた。でもそれは一瞬。すぐに穏やかなバリトンで鮮やかに切り返した。


「それは……とても有り難いお話です。ご期待に添える様、パンフレットも力を込めて制作させていただきます」


 狩野さんが頭をさげている。凄く良い話なんだ。だってパンフレットの出来がよければ更に仕事紹介してもらえるんだもん。


「ちょっと昼に姪をお借りしていいかしら?」

「もちろんです」


 伯母さんはちらりと腕時計で時間を確認して、少し会社に連絡してくるから待っててねと言った。

 伯母さんが部屋を出て行った時、狩野さんが盛大に溜息をして脱力するのがわかった。


「だ、大丈夫ですか?」

「いや……すごいね。古谷さんの伯母さん。こちらの気持ちが緩んだ瞬間に、わざと新しい仕事の話を持ち出して、私を試したんだろう。凄い仕事ができる人だ。緊張したよ」

「私も伯母の仕事姿を初めて見たのでびっくりしました」


「業界紙って事は1度きりじゃなくて定期の仕事ですよね。まだ内容もギャラもわからないけど、もし仕事が決まればでかいな」

「そんなに凄いんですか?」

「うちは旅行雑誌がメインで、ビジネス関係の仕事の実績が無い。実績の無い仕事が回ってくる事はなかなかないよ。例え小さな仕事だったとしても、新しいジャンルの仕事の実績ができたら、さらに仕事がもらいやすくなる」


 先輩の話を聞いて感心した。そんなに重大な事なんだ。コネだけど私の身内の仕事が、うちの会社の業績をあげるきっかけになったら嬉しい。


「伊瀬谷君と私でそれぞれ2案パンフレットをデザインしよう。これはチャンスで試験だ。絶対に物にする」


 狩野さんの気合いを入れた凛々しい顔、初めて見たな……。かっこいい。

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