我が社の懸念事項
「古谷さん、原稿2件届けてもらえる? その後そのままお昼にしていいから」
「はい。わかりました」
最初の1件は以前行った事がある編集プロダクション。2件目が……。
「篠原さんの所ですか? まだ次の仕事は先の話じゃ……」
「この前の仕事の時、預かってた資料返し忘れてね。早めに返してもらえたら助かるって言われてたんだ」
篠原さんと会ったのは初めの一度きり。先輩とその後どうなったのかな……と気になりつつ、聞けないままだ。複雑な気分。でも仕事だから仕方ないよね……と職場を後にした。
最初の1件はあっさり終わり、すぐに篠原さんの職場に着いた。篠原さんは個人でフリーランスらしく、自宅マンションが自宅兼職場だった。
「届けてくれてありがとう。助かるわ。今ちょっと忙しくてそちらに行かれなかったから」
「いえ……いつもお世話になってますし、私は時間ありますから」
篠原さんは今日も大人カジュアルファッションが素敵。麻の生成りのカットソーに、紺の綺麗なシルエットのパンツがとても涼しげ。襟足がすっきり見えるようにアップし、耳に光るピアスもシンプルでさりげなくおしゃれ。こんな大人の美女になりたい。
忙しいならすぐ帰った方がいいかな……と思ったんだけど、篠原さんがにっこり笑った。
「昼ご飯食べる時間ある? よかったら一緒にどう?」
篠原さんも取引先だし、断る理由も無いし、頷いた。
やってきたのは手頃な価格のパスタ屋さん。篠原さんは奢ってもいいと言ってくれたけど、さすがに取引先の人に奢らせるわけにも行かず、妥協点として私のお財布でも困らない店になった。
「私と伊勢崎君の事、気になってたんじゃない?」
席について開口一番フランクに笑いながらそう言われて、思わず固まる。否定できない。
「そうですね……」
「安心して。今後は取引先として、友人として、仲良くやってきましょうって話つけてあるから」
2人とも寄りを戻す気無いんだ。どんな形でも仲良く付合っていけるならよかった。ほっとした所でパスタがやってきて、さっそく口をつけようという所で、篠原さんがさらりと聞いてくる。
「伊勢崎君の事好きなの?」
思わず吹き出しかけて、無理矢理パスタを飲み込み喉につまって苦しい。好きって……男性としてって意味だよね。カッコいいな……と憧れはするけど、それがまだ恋かって言われると、恋愛偏差値の低い私には解らない。彼氏いない歴=年齢だし。
「先輩として尊敬してます」
「そう……よかった。彼、仕事なら大丈夫だけど、恋愛方面はね……結構面倒だから。束縛強いし」
ざっくばらんに語られて息を飲む。束縛強い先輩って想像できない。仕事一途で真面目な所しか知らないし。そこで篠原さんが少し目を伏せて、寂しい微笑を浮かべた。
「私達が別れた理由って……伊勢崎君が狩野さんについていくって言ったからなの。私が反対して喧嘩になっちゃって。彼、狩野さんと一緒なら絶対上手くいくって意地はっちゃって、認めてくれるまで会いたくないって」
篠原さんが苦笑いしてパスタを一口。篠原さんと会うのは二度目だけど、とても頭の良い人だし、気配りもできる、理由もなしに反対すると思えない。
「どうして……反対したんですか? 2人ともお互い気遣い合って、しっかり連携して、凄い上手く行ってる様に見えますよ」
「仕事だけなら最高の相性かもしれないけど……恋愛が絡むと面倒なのよ。狩野さんの方が詳しく知ってると思うから聞いてみたら?」
だから気をつけてね、とにこりと思わせぶりな事を言って昼食が終わった。そう言われると凄く気になる。
今日はそれほど忙しくもなく、先輩も私も8時にはあがれそうだった。
「私はもう少し事務仕事終わらせてから帰るよ」
「お先に失礼します」
「あ……私ちょっと自主的に勉強したくて、少しだけ残ります」
先輩が怪訝な顔をしたけど、何も聞かずに帰った。狩野さんは事務仕事をしながらこちらも見ずに言う。
「篠原さんに何か言われた?」
やっぱ気づかれてるな……。私は先輩の椅子に座って狩野さんの横顔を見ながら、篠原さんから聞いた話を語った。語り終わると狩野さんは仕事の手を止め、苦笑して振り向く。
「彼女やっぱりするどいね。心配する理由はわかるけど……」
そこでちょっと躊躇うように口ごもって、伊勢崎君には内緒だよと言って昔話をしてくれた。
先輩が前の会社に勤め始めたばかりで、狩野さんがまだ独身だった頃。狩野さんはある女性にデートの誘いを受けた。恋人はいないしデートくらい良いか……と気軽に食事してたんだけど、後からその女性が学生時代からの伊勢崎君の恋人だと知ったそうだ。
その人は狩野さんが伊勢崎先輩の先輩だと知ってて、狩野さんを口説こうとしてたらしい。
「最低な人ですね」
「そうだね。もちろん、その後私はきっぱり彼女と連絡を絶ったし、伊勢崎君も別れた。伊勢崎君は私は悪くないって言ってくれて、先輩と後輩として良い関係で仕事はできたんだ」
狩野さんは珍しく言いよどみ、歯切れが悪くなる。
「でもね……彼その一件がトラウマになっちゃったみたい。その後彼女ができる度に、一番に私に紹介してくれる様になったんだ。自分の彼女だから手をださないでください……って感じの牽制だよね」
うわ……それはキツい。彼女が狩野さんに乗り換えようとしたわけで、そんな事されたらショックは大きいだろう。しかもその後も牽制するくらい引きずるなんて……。
「そんな事があって……よく先輩は狩野さんと2人だけで仕事しようって思えましたね」
「私も最初びっくりしたよ。でも伊勢崎君が本気で一緒にやるって言ってくれて嬉しかった。まるで弟ができたみたいで、この4年とても楽しかったよ」
しんみりと語る狩野さんの表情がとても嬉しそうで、先輩の事を本当に可愛がってたんだって、とても伝わってきた。4年も一緒に頑張ってきて、実際上手く行ってたし、篠原さんも仕事ぶり認めてくれてないのかな?
「たぶん……篠原さんは古谷さんの事心配して忠告してくれたんだ」
「私……ですか?」
どうしてそこで私が関わるのかよくわからない。
「もしも……古谷さんと伊勢崎君が付合う事になったら、伊勢崎君はまた不安になると思う。私にとられるんじゃないかって。三人だけの職場で常に顔を合わせるからね。ぎくしゃくして仕事が上手く行かなくなるかもしれない」
「せ、先輩と付合うなんて……そんな事! だって私じゃ釣り合わないし」
私は本気でそう思ったのに、狩野さんは笑って「先の事はわからないよ」と言った。それ以上狩野さんはこの件について話すつもりがなくなったようで、仕事に戻る。
もしも……先輩と私が……って、そんなの想像できない。私は不安の海に放り込まれた様な気分になった。




