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面接

 春の始まる三月、青山一丁目駅の近くにある、大きなマンションの廊下で、リクルートスーツに身を包んだ私は、思わず首を傾げた。


「狩野デザイン事務所って、ここであってるよね?」


 何度も手元の紙を確認する。

 どう見てもマンションの一室。号室はあってるはずだけど、看板が無い。

 覚悟を決めて深呼吸。おそるおそるインターホンを鳴らした。

 少しして扉が開いた瞬間、私の頭から就活中だという事実がすっとんだ。


 扉を開けた長身の男性は、びっくりするほどイケメン。

 三十前後くらい? 癖のある髪を綺麗にセットし、男っぽくきりりと整っている。

 穏やかな微笑みを浮かべているので、印象がとてもソフトだ。

 そこはかとなく大人の男の色気がある。かすかに香るコロンの香りにドキドキ。


「面接の方かな?」


 柔らかなバリトンが私の耳をくすぐる。男性は困ったように微笑し首を傾げた。

 そこで気がついた。自分が挨拶もなしに無言で凝視していたことに。


「す、すみません。はい、面接に来た。古谷萌です。よろしくお願いします」


 深くお辞儀をしながら深呼吸。落ち着け……自分、思い出せ……今日は就活の面接だ。


「どうぞ、入ってください。靴は脱いでスリッパはそこに。ソファでおかけになってお待ちください」

「失礼します」


 室内は普通のワンルームマンション。入ってすぐ左手がミニキッチン。その奥の扉はユニットバス? その先は少し広めの部屋だった。

 正面の窓側にデスクが二つ並び、左側にデスクが一つ。右側にコピー機や本棚が並んでる。

 窓側の席にはこちらに背を向けて座る男性が一人いた。仕事中のようだ。

 大人しく小さなソファに座る。目の前には小さなテーブルと椅子、奥に窓際のデスクが見える。

 テーブルの上にお茶が入ったグラスが置かれた。


「どうぞこれ飲んで、リラックスして。うち堅苦しい会社じゃないからって、難しいか」


 そう言って男性がくすりと笑った。冗談めかした言い方に、少しだけ緊張が和らいだ。


「頂きます」


 少しだけ口をつけるだけのつもりが、ごくごく飲んでいた。緊張しすぎてだいぶ喉が渇いていたようだ。


「挨拶が遅れました。私が代表の狩野直之です」

「古谷萌です。よろしくお願いします」


 名刺を丁寧に受け取ってテーブルに置く。予想以上に若い社長さんで驚く。


「ポートフォリオを拝見できますか」

「は、はい」


 ポートフォリオはデザイン業界の面接では必須だ。履歴書よりずっと重要である。

 私は学校の課題作品が中心に纏めた。自分の得意なことが解りやすく伝わるよう、時間をかけて作り込んだ。最大の自己アピール手段だから。

 狩野さんはそれを丁寧に確認して柔らかく微笑んだ。


「Illustratorで作ったイラストがいいね」


 デザインの不勉強さは身にしみてわかってる。

 それでもイラストは多少のセンスと積み重ねた努力で、そこそこの物が描けるようになったと思う。そこを評価されたなら嬉しい。


 狩野さんはポートフォリオをテーブルに置き、穏やかな微笑のまま話を続ける。


「志望動機をお願いします」


 ここが一番重要だ。何度も繰り返し練習した台詞を、一生懸命思い出しながら、自分の夢を語った。

 装丁は物語の扉で案内人。それを作る仕事が夢だと。


「本の装丁の仕事がしてみたかったんだね。でもうちは雑誌メインだけどどうしてかな?」

「一番は読者の興味を引くデザインが作りたいんです。御社の旅行雑誌を何冊も拝見しました。御社の雑誌を見ていたら旅先がとても魅力的に見えて行きたくなりました。だから御社への入社を希望します」


 熱意は伝わっただろうかと緊張して返事を待つと、狩野さんは嬉しそうに笑った。


「良い志望動機だね。うちをそこまで評価してもらえて嬉しいな」


 よし、いけるそう思った瞬間、狩野さんの言葉が突き刺さる。


「でもデザインの仕事は見た目は華やかだけど、キツいよ。うちは特に。残業も休日出勤も当たり前。終電帰りも、持ち帰り仕事もある。時には泊まり込みも必要だ。ついて来られるかな?」

「覚悟してます。専門学校時代も、課題のために徹夜は多かったですし、休みもほとんど勉強に費やしました。体力には自信があります」


 デザイン業界のハードワークが、ブラック企業並みなのはOBに聞いて知ってる。それでもここに入りたいと思った。志望動機も嘘じゃない。


「良い覚悟だね。でもうち給料安いよ。初任給十五万。ボーナスは年に二回で給料一ヶ月分。年に一度一万円のベースアップ」


 それくらい今時普通だ。むしろ年一でベースアップがあるのは良心的かもしれない。


「それに福利厚生もないし、残業代も休日出勤手当もでないけど」


 にこりと笑いながら、あっけらかんと語る狩野さんを思わず凝視した。社会の常識なんて知らないけど、それって法律違反じゃ。ものすごくブラックだ。


「その条件でもうちに来る?」


 それはさすがに即答できない。氷がとけて水だけになったグラスを手にとり口に入れる。まだわずかに冷えた液体が、体に染みた。

 どうしよう。迷っていた時に電話が鳴った。デスクに座る男性が受話器を手に取る。


「はい。狩野デザイン事務所です」


 涼やかな美声が響いた。そういえばもう一人社員がいるんだ。この人も同じ条件で働いているんだろう。なぜここで働けいているのか興味がわいた。

 その人が立ち上がって振り向く。


「狩野さん。石崎さんからです」

「わかった。古谷さんごめんね。ちょっと席を外すよ」


 狩野さんの言葉は私の耳を右から左に通り過ぎて行った。デスクに座ってた男性に思わず見入ってしまったからだ。

 二十代半ばか後半? 背は高いけど少し細身。さらさらの髪。中性的な綺麗な顔立ちで、真面目そうな表情が、まるで彫刻みたいに作り物めいていた。

 ここにもイケメンがいた。社員二人ともハイスペックイケメンなんて、作り話じゃないのか? それともここの入社条件に顔面偏差値も含まれるのだろうか。


 冷静に考えろ……自分。

 狩野さんはとても人当たりが良く、デキル男という感じがする。

 ブラックな待遇を隠す事無く、初めから明かす所も好感がもてる。

 もう一人の人も、この待遇でもついていく根性があるなら、悪い人ではないだろう。


 待遇は超絶ブラックだ。でも職場の人間がすごく良い人なら、悪くないかもしれない。待遇がよくても人間関係最悪な会社の方が嫌だ。

 イケメン二人と職場恋愛、なんて浮ついた気持ちも少しだけあった。


「古谷さんおまたせ。中座してすみません」

「いえ……大丈夫です」


 考える時間ができてむしろありがたい。


「それでどうですか? この待遇でもうちに来たいですか?」

「働きたいです。よろしくお願いします」


 震える声でそう答えたら、狩野さんはまた笑った。

 第一印象からずっと笑顔ばかりで、逆に何を考えてるのかよくわからない感じ。はやまったと思ったがもう遅い。


「それでは面接は終わりにします。結果は今週中にお電話します」

「は、はい」


 その時何気なく、そっとポートフォリオを持つ、狩野さんの左手が目に入った。

 左手の薬指に指輪。既婚者だ。それはそうだ。三十前後のこのイケメンで、この感じの良さ。結婚してて当然。もしかしてもう一人も?

 職場恋愛なんて浮ついた気持ちが吹き飛んで、後に残ったのは超絶ブラックなお仕事への不安だけだ。


 後日採用の電話があった。

 古谷萌二十歳。顔面偏差値に釣られてブラック企業に入社しました。

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