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業務後のサプライズ

 デスクを拭き拭き、溜息一つ。今更ながら昨日の事を後悔していた。


 狩野さんのプライベートに踏み込んだのは、失礼だったかもしれないけど、お姉ちゃんの話を聞いてもらって、理解してもらって、それはとても嬉しかった。狩野さんの手の感触を思い出すだけでドキドキする。随分大胆な事しちゃったよね。

 でも……嬉しくて、悲しみに酔って、勢いでお姉ちゃんにメールをした。その事を今、後悔している。6年ぶりの返事が『元気だよ』って何? って思うよね。お姉ちゃんそれ見てどう思うかな? 返事来るのかな? 返事来たらどう返せば良いんだろう。昨日は勢いでメールを送ったけど、まだお姉ちゃんと向き合う覚悟がなかった。


「古谷?」


 突然後ろから声をかけられて、びっくり飛び上がった。振り返るとブルーのポロシャツ姿の先輩がいた。襟付きの服って珍しいな。爽やかでとても似合ってるけど。


「どうしたんだ? 挨拶したのに返事ないし」

「すみません、い、いえ……つい掃除に気合い入っちゃって」


「掃除に熱心なのは、嬉しいけど、無理するなよ」


 そのまま何事も無く先輩は仕事を始めた。私の挙動不審に気がつかなかったかな? 大丈夫だよね? 狩野さんだったらすぐに見抜かれそうだ。今日一緒にいるのが先輩でよかった……と思うのはちょっと失礼かな?

 今日も一日のんびり仕事、お姉ちゃんの事が気になって上の空でも特に問題無し。先輩は原稿が届かない事にちょっとイライラしてたけど、結局定時になっても届かなくて諦めたようだ。


「古谷。今日は時間ある?」

「は、はい……」


「ちょっと付合ってくれないか?」


 思わずしまいかけた鞄をとりおとした。まるでデートの誘いみたい。なんでいきなり? 凄いドキドキ緊張してしまう。先輩は何も言わずにどんどん歩くので、私もそのままついて行った。


 着いた場所は表参道近くの展示場。紙をモチーフにした色々なデザインを紹介する企画みたいだ。


「デザインってデスクの前に座ってうんうん悩んでもでてこない。自分にインプットしないと、アウトプットできないんだよ。かといって仕事が回ってきてから、慌てて資料を探しても間に合わない。だから日頃から時間ができたら、色んな情報をインプットしていった方がいい」


 な、なんだ、仕事の話か……とがっかりしつつ、でも先輩らしいなとくすりと微笑む。仕事の事だとしても、美術館デートみたいでちょっと嬉しい。


「先輩、この椅子すごい頑丈で、座っても全然平気ですよ」

「紙の折り方や構造の工夫なんだろうな……元がこんなに平らなのに」


 紙を複雑に折畳んで、平らになった白い紙。それを広げると椅子に早変わり。とても面白い。

 他にもひときわ鮮やかな透ける紙を使った、ステンドグラス風の演出も。


「これはクロマティコっていう紙。普通のトレーシングペーパーは色が薄いけど、これは凄い発色がよく鮮やかで厚みがある。でも値段が高い」


 先輩が丁寧に説明してくれるのを、興味深く聞いて頷く。とても面白いしワクワクする。全部を見終わる頃には名残惜しい気分なぐらいだ。


「面白かったですね」

「こういうデザインはうちの仕事とは直接関係ないけど、何かヒントになるかもしれないしな」

「はい。今度から私も色々見に行きます」

「じゃあ……次行くか」


 次って……夕食かな? と思ったけど着いたのは本屋。先輩は迷い無く女性向けの雑誌コーナーに向かう。少し眺めてから可愛らしいインテリア小物雑誌を手に取った。

 思わず吹きそうになる。先輩……甘いもの好きだけじゃなくて、こんなファンシーな雑貨も好きなんですか? 女子力高いですね。


「古谷。こっちとこっち、どちらのフォントがいい?」


 雑誌を見せられ慌てて確認。


「えっと……こっちの方がすっきり大人っぽくて綺麗ですけど、私はこっちの丸っこい可愛い方が好きです」

「そうか……なるほどな。この配色もいいよな」


 ふむふむと一人で納得する先輩。


「もしかして……この雑誌も仕事ですか?」

「そう。この前女性的なデザインを頼まれたんだけど、なかなかアイディアがでてこなくて苦戦したから。今のうちに勉強しておこうと思って」

「これもインプット?」

「正解。古谷も本屋で資料探しするなら、領収書ちゃんともらっておけよ。経費で落ちるから」


 どこまで行っても仕事人間だ。でもとても勉強になるし、頼もしい先輩って感じでかっこいい。


「先輩、うちアメリカ編も作ってましたよね。こんな感じどうですか?」


 バイク雑誌を手に取って見せる。


「アメリカって言っても広いからな。サンフランシスコとかだともっと陽気で明るい感じだし」

「アメリカ大陸横断! とか、ちょっとワイルドな感じだったらこういうデザインもいいですよね」

「面白いかもな。南部のジャズの町とかもあるし、そういうイメージの特集記事があったら資料にいいかも」


 2人で色々雑誌を見比べて話をするのがとても楽しい。結局何冊も雑誌をお買い上げして、一部を私の資料用にとくれた。


「先輩、色々ありがとうございます。とても勉強になりました。今度から一人でも本屋による事にします」


 凄い楽しくて、嬉しくて、はしゃいでしまった。その時ふっと先輩が笑った。


「元気になったみたいだな。よかった」


 ぽんっと私の頭に大きな手を置いて、先輩は目をそらす。


「え……?」

「なんか……今日元気が無い気がしたけど、理由がわからないし、狩野さんみたいに上手く聞き出せないし。なにか元気になる事できないかな……と思ったけど、やっぱ俺は仕事の話しかできないな」


 顔が真っ赤に火照る。まさか先輩が私に気をつかって、こんな風に連れ回してくれただなんて、思いもよらなかった。こんなサプライズ、反則だ。


「あ、ありがとうございます。とても……とても、嬉しいです」


 本当に嬉しかったから、先輩の目をまっすぐ見てお礼を言った。先輩は「あ…ああ」と間の抜けた声を出して私に背を向ける。後ろ姿でも先輩の耳が赤いのがわかって、照れてるんだ……と思うと可愛い。不器用だけど、優しくて可愛い先輩が好きだな。


「じゃあ……飯行くか。何が良い?」

「先輩にお任せします」

「俺に任せるとたいしたとこ行かないぞ。俺は狩野さん程センスないし」


 結局着いたのは大戸屋。先輩渋いな。いつも頼む料理も割とヘルシーな感じで、健康志向? 私も和食好きだし嬉しいけれど。


「昨日……狩野さんと何かあったのか?」


 先輩に聞かれて溜息をつく。そうだよね。今日いきなり変になるんだもん、昨日何かあったと思うよね。でも……お姉ちゃんの事を話すのは気がひける。狩野さんが聞き上手だったから勢いに乗って話せたけど、先輩に上手く説明できないし、理解してもらえなかったら怖い。


「えっと……狩野さんが、奥さんと、上手く行ってない……みたいな事聞いて、気になっちゃって」

「ああ……それか。古谷に話したんだ。信頼されてるな」


「先輩は知ってたんですか?」


 先輩が語ってくれた話は会社設立当時に遡る。今よりもっと忙しくて、2ヶ月休みなしとかそんな状態で、独り身の先輩はともかく、結婚してる狩野さんが大丈夫なのか……と、心配になったと。


「何度聞いても、大丈夫って笑顔で言われるんだけど……だんだんその話題を避ける様になって、ついに飲みの席でもうダメかもしれないって……弱音を聞いて……それっきり突っ込んで聞けなくなった」


 先輩は4年も2人で仕事してきて、一番狩野さんを見てきたから、きっととても心配してたんだろう。それでもプライベートな事では何もできない。私も何も……それが歯がゆい。


「私がもっと仕事できるようになって、時間ができたら……狩野さんも奥さんとの時間、作れる様になりますかね……」

「そうだといいな。俺達ができる事って、仕事頑張るしか無いしな」

「私もっと頑張ります。だから先輩。これからも色々と教えてください」

「やる気があるのは良い事だけど、あまり無理しすぎるなよ」


 くしゃっと笑った先輩の笑顔が可愛い。先輩の優しさがとても心に染みて暖かい気持ち。帰りがけにお姉ちゃんからメールが届いていた事に気づく。


『よかった』


 たった一言。朝はモヤモヤしてたけど、先輩のおかげで優しい気持ちになれたから、素直にそのメールが嬉しいと思う。それからたまにお姉ちゃんからメールが届いて、2回に1回くらい返事をするようになった。

 とはいっても、元気とか、仕事忙しいとか、たいした事言ってないけど、それでもメールのお姉ちゃんがとても嬉しそうに見えた。

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