平日ランチ・色づく季節
「この謎の葉っぱ凄い美味しいです」
「謎の葉っぱ……ははは。それアイスプラントって言うんだよ」
初めて見るアイスプラントは前菜のサラダに乗っていた。見た目雫が一杯の葉に見えて、かじるとほのかな塩気と、ぷちっとした食感。このプチプチ感が楽しくて止まらない。
「これもっと食べたいです」
「よほどお気に入りなんだね。ランチセットだからおかわりはできないけど」
狩野さんとやってきたのは、オーガニックの野菜にこだわった野菜レストラン。珍しい野菜が多くて面白いし、素材を生かしたシンプルな料理が美味しい。ディナーだったらけっこうお高めだと思うけど、ランチだったからそこまで高くはないらしい。
「古谷さん、凄く生き生き、美味しそうに食べるよね」
「食い意地はってますかね……」
「いいんじゃない? 美味しそうに食べる女の子って魅力的だと思うよ」
にこっと狩野さんに微笑まれると、ちょっと顔がにやける。相手は既婚者だ……と、わかっていても、イケメンから魅力的だなんて言われると嬉しい。
「狩野さんには物足りないボリュームじゃないですか?」
「そうだね……帰りがけにコンビニで何か買って帰ろうかな……古谷さんもデザート買う? それも奢るよ」
「いいんですか? なににしようかな……贅沢にダッツとか……」
「今日は贅沢していいよ。たまにしか奢ってあげられないし、今日くらいね」
表参道の野菜レストランの締めにハーゲンダッツ……贅沢だ。狩野さんに甘やかされてるな。大人の男の人っていいな。こう……頼りがいがあって、包容力があるというか。先輩も大人なはずなんだけど、ちょっと子供っぽい所あるし。
これで既婚者じゃなければな……と思うけど、例え結婚してなくても、私なんか相手にされないだろう。部下として可愛がってもらえるだけで満足しないと。
料理は美味しいし、狩野さんはおしゃべり上手で楽しいし、この後仕事だって事を忘れそうだ。ちょっとだけデート気分で浮かれてたかもしれない。うっかりいつもより気安く踏み込んでしまった。
「狩野さん詳しいですね。デートでこういう所よく来るんですか?」
「昔はね」
「昔ですか。奥さんと行ったりとかしないんですか?」
「最近行ってないね」
「あ……お子さんがいるとか」
「子供はいないよ。妻も仕事で忙しいし、なかなか時間を取れないんだ」
狩野さんの忙しさは毎日実感してるし、そのうえ奥さんも仕事してるとなると、なかなか時間合わせるの難しいだろうな。
ふっと狩野さんが困った様な微笑を浮かべた。
「そういえば……古谷さん実家暮らしだったよね? ご両親と……ご兄弟とかいるのかな?」
うっかりフォークを取り落としそうになるほど、どきっとした。狩野さんは世間話のつもりで言ったのだろうけど、それは私の中で蓋をしてしまいたい記憶だった。
目を伏せて、狩野さんの方を見ないようにして素っ気なく言う。
「……姉がいます。家をでてるので、最近は会ってませんが」
自分でも動揺が声に出ていたと思う。私と狩野さんの間に、張りつめた空気ができた。私の中に入って来ないで……という精神的バリケード。大丈夫、気遣いのできる大人な狩野さんだったら、きっと気づいて話題を変えてくれるはず。
「ああ……そうなんだ。遠方に勤めてるとか?」
話題を辞めてくれない。どうして? なんで? 狩野さんの声はいつもと変わらず優しいのに、私はその声に怯えた。目を落としたまま動揺しつつ答える。
「いえ……勤めは都内ですが、お互い忙しくて時間がないし」
「ごめんね。うちが忙しくて、たまにはお姉さんに会いたいでしょう」
それ以上姉の話はしたくない。どうにか話題をそらせないかと考えながら、顔を上げる。いつもと変わらない笑顔の狩野さんがなんだか怖かった。私は慌てて強引に話題を変える。
「そういえば……先輩と篠原さん、付き合い長いって……昔も仕事付き合いあったんですか?」
「前の職場でも篠原さんと取引があったんだよ。仕事で知り合ったのがきっかけで付合ったんだろうね」
よかった……話題を変えてくれたとほっとした。自分でも緊張の糸が緩むのを感じる。それで先輩をネタに話題を続けた。
元々狩野さんと先輩は同じ会社の先輩と後輩で、狩野さんが独立するって話をしたら、先輩が一緒についていくって言った……とか、そんな会社設立裏話。上司と部下らしい話題に戻ってよかった。
食事が終わって帰りがけ……ふと気がついた。もしかして狩野さん、奥さんの話をしたくなかったのかな? それで私の家族の話題を持ってきてそらした?
いつも優しく見える狩野さんの奥底に横たわる、茨のような警戒心を今日初めて感じた。私は今まで狩野さんに手加減されてただけで、誰かのプライベートに踏み込むって事は、自分も踏み込まれる覚悟が必要なんだ。……今後気をつけよう。
先輩の元彼女篠原さんとか、狩野さんの奥さんの話とか、今日は2人のプライベートに関わる話題が続いた。今まで仕事の話しかしてなかったけど、これからもっと長く働くうちに色々知るんだろうか?
表参道のおしゃれなショウウィンドウに映る、私と狩野さん。まったく釣り合ってない。きっと先輩とも。
2人がとても遠くに行った様な気分になって、背伸びして大人になってみたくて、休日は久しぶりに服でも買いに行こうかと思ったけど、給料出るまで財布が厳しいし、急にオシャレしても変に思われるだけだよね。
だから……週末帰りがけに、色付きリップクリームを1本買った。月曜日につけて行ったら、先輩はまったく気がつかなくて、狩野さんは気づいて笑顔でさりげなく褒めてくれた。
でも……それだけ。狩野さんのお世辞が上手いのはわかってるし、2人とも何も変わらない。急に大人になんてなれないな。それがちょっと悔しい。




