ため息の月曜日
日曜は短かったとはいえ、休めなかったのはしんどいな。朝仕事行きたくない……と切実に思いつつ、いつも通りの電車に乗った。
定時の30分前に来たはずなのに、狩野さんは既に来ていた。
「おはよう。金曜日は本当にごめんね」
「おはようございます。大丈夫です。勉強になりました」
いまだに申し訳なさそうな狩野さんを見て、怒る事もできない。
「お詫びに今度もう少し良い店のランチ奢るよ。私の自腹で」
ランチでよかった。熱燗がない店だとしても、しばらく一緒に飲みに行きたくない。思いっきり贅沢なランチを強請ろう。
先輩もすぐに出勤して仕事が始まる。
「古谷さん。新しい仕事頼めるかな?」
狩野さんがそう言ってソファ席を勧める。いつもなら先輩が仕事の説明をするのにな……どうしてだろう?
「Illustratorで、地図を作って欲しいんだ。簡単なイラスト付きでね。伊瀬谷君イラストって苦手で、私も多少できるけど時間がかかるから、古谷さんにやってもらえたら助かるんだ」
なるほど……先輩の苦手な仕事だから、説明が狩野さんなんだ。面接の時イラストが良いって褒められたけど、それも採用されたポイントだったのだろうか。
狩野さんがサンプルとして、他の雑誌の地図を見せてくれた。地図自体は単純で、全体の雰囲気はちょっとポップで明るい。
「こんな感じで、地図はシンプルに、味のある感じ。空きスペースにイラストを入れる。ハワイ編だからハワイっぽい何かが欲しいな」
「ハワイっぽいもの……ヤシの木とかハイビスカスとか……?」
「そうそうそんな感じ。サイズが小さいからイラストもシンプルでいいよ。とりあえず手書きでラフを作ってもらって、私に見せてもらえるかな? 解らない所があったら私に質問してね」
初めてのデザインらしい仕事だ。今までは雑用や下準備ばかりだったからとても嬉しい。週末休みが貰えなかった事も忘れて夢中になってとりかかった。
地図も味のある感じなら、道の線は手書きっぽくして……カラフルで賑やかなハワイっぽい感じ。イラストも色々思いついて楽しくラフを書いてしまう。
「古谷さん。お昼行ってきたら?」
はっと気づけば既に2時だった。
「集中してたから声かけづらかったけど、適度に休みをとらないと能率悪いしね」
狩野さんの気遣いに感謝しつつお昼にでかける。お昼休み中もずっとどうしようかな……と頭の中は地図の事でいっぱい。そうだ。資料調べにネットを見よう。ハワイのイメージももっと色々あるかもしれないし。
仕事に戻ったらネットでハワイ関連の画像検索。資料探しも楽しいな。色々見ながらラフを書いてできたと思った頃には日が暮れていた。
「できました。ラフのチェックお願いします」
上機嫌で見せたら、狩野さんが穏やかな微笑を浮かべながらラフをチェックしてくれた。
「イラストは……これと、これがいいかな。賑やかな方がいいけど、あくまで地図がメインだからね。ランドマークの場所は少し大きめに目立たせて……」
細かな指示を一つ一つメモしていく。よし、次はデータ作成だ。ラフを元に作業を開始。夜は静かで仕事に集中できていいな。先輩が休みの日にデザイン作業する気持ちがわかる。私はあまり電話をとらないけど、それでもコール音がなるだけで、気になって集中が途切れる。
「古谷さん。そろそろ終電だよ」
狩野さんに声をかけられて気がついた。もうそんな時間だったか。夢中になって作業してて時間を忘れてた。でもまだ出来上がってない。
「それは明日でも間に合うから」
にっこり微笑まれてありがたく帰宅した。
翌日。いつも通り30分前に来たらすでに2人が仕事してた。
「おはようございます。えっと……泊まり込みですか?」
「おはよう。2人とも帰ったよ。ちょっと早く来て仕事してるだけで」
そんなに忙しかったのかな? 先週は余裕があるって言ってたのに。ちょっと引っかかったけど、すぐに地図データの作成を開始する。
データができあがったのは昼。狩野さんがデータを見たらまた困ったように微笑んだ。
「これ、印刷してみて」
実際に印刷してみて唖然とした。イラストはシンプルに……と言われてたのについつい凝りすぎて、細かい所は縮小され潰れて見えない。イラストに力をいれすぎて、地図とのバランスも悪い。
「パソコン画面では拡大して見ちゃうから、わかりづらいよね。印刷はいつでもしていいから、できたら印刷して自分でもチェックしてみてね」
そういいつつ、細かく修正指示をもらう。修正は昼飯を食べてからでいいと言われたので、食事をしてから作業再開。今度はバランスを考えながら、何度も印刷して確認。狩野さんにアドバイスも貰って8時頃にやっと完成した。
「お疲れさま。良い地図になったね」
狩野さんに褒められて嬉しい。これ……本に載るんだよね。自分がデザインした作品が出版されて色んな人の目に触れる。そう考えただけでとても嬉しい。いつ頃これ発売するんだろう。
ちょっと浮かれすぎてて、狩野さんが苦笑してる事に気づいてなかった。
「嬉しいのはわかるけど……次はもう少し早くできるかな? いつもこれだけ時間があるとは限らないし、限られた時間で作るのも仕事だからね」
冷水をかけられたように一気に興奮が冷めた。地図を頼まれたのは昨日の午前中。丸二日かかってその間他の仕事は何もしていない。学校の課題だって提出期限があって、期限内に終わらせるように急いで作業した。期限を言われなかったからって、地図一つに時間をかけ過ぎだ。
「す、すみません」
「初めてだったし、凄いやる気だしてたし、今回は期限を設けずに任せたけど、今度から期限を言うからその時間内で終わるように能率よく作業できるように工夫して。作業中に他の仕事が入る事もあるから、それも考慮して余裕を持って」
その時気づいた。この2日間、私が地図作成だけできるように、2人とも私の分の仕事をやっててくれた? だから今日2人とも朝早かったのかな?
「すみません。今度から時間も考えて作ります」
「初めてだからね。仕方がないよ。でもやる気だして頑張ってくれたから、とても良い地図になった」
優しく慰められ褒められても喜べない。先輩が狩野さんの言葉を信じられなくて不安になる気持ちがわかる。狩野さんはいつだって優しくて笑顔で、でもその影で無理してるなっていうのはわかるから。
その優しさが、本心なのか気遣いなのかわからない。
申し訳なかったから、私が溜め込んでた仕事を片付けるため、火曜、水曜と終電帰りで仕事した。本当はそこまでしなくていいって言われてたけど、それぐらいしないと自分の気が収まらない。
水曜日、私が帰宅の準備を始めた頃。2人も今日はもう帰るようだ。明日の事を打ち合わせていた時、先輩が小さく驚きの声をあげるのがわかった。
「もう一度言うね。明日昼前に篠原さんが原稿を受け取りにくるから」
「どうして……ですか? 原稿ならバイク便で送ればいいし、打ち合わせだっていつも狩野さんが出かけていって……」
「次の仕事から篠原さんとの打ち合わせは、伊勢崎君に任せようと思うから顔合わせ。そろそろ伊勢崎君も取引先との打ち合わせができるようになった方が良いと思うんだ。篠原さんは仕事ができるし、付合い長いから伊勢崎君の事よく知ってる。一番仕事はやりやすいと思うんだ」
先輩の顔が真っ青だ。どうしたんだろう? 篠原さんは写真の整理も原稿も、一番綺麗な人だ。新人の私が原稿を見ただけでも凄い仕事ができそうな人だな……という印象はある。それなのにどうして先輩はこんなにうろたえてるんだろう?
やっぱり人見知りだから、打ち合わせとか対人関係の仕事が苦手なのかな?
「仕事だからプライベートの事は忘れて、そろそろ逃げるの辞めて欲しいんだ」
「すみません……わかりました。頑張ります」
プライベート……? 何かあるのかな? 私が気になって凝視してた事に、先輩が気づいたらしい。とても気まずそうにぼそり。
「篠原さんと……昔付合ってた」
それだけ言って先輩は帰って行った。会社入って一番の爆弾投下だ。




