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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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一攫千金の夢などどこにもない

 

 あの日から一週間が経った。


 下駄さん達と回転寿司に行ってから今日まで、ボクは取り憑かれたようにパチンコを打った。

 何回転で当たったなどということには目もくれず、玉を一個でも多く獲得することに集中して毎日を過ごした。


 その間、二度ほど下駄さん達と一緒にご飯を食べにいったが、話すことは野球のことだったり、映画のことだったりで、この前のように真面目にパチンコの話をすることはなかった。


 最も、ボクがパチンコを打つ上でのやるべき事は全て教わっていたし、それを遂行することに手一杯で、特に改めて聞きたいこともない。


 この一週間(一日休んだので六日)の収支はプラス七万円ほどだ。


 その間の自分が打った台のデータを(記録するようにゴン太さんに言われていた)計算してもらうと、現在、理論上の収支と実際の収支がほぼ同じになっていると言われた。

 細かい計算方法はボクにはわからないが、とりあえず一日一万円ちょっとの稼ぎが出る台を打てていたということのようだ。


 もちろん、たかだか一週間のデータの期待収支と実際の収支が同じになるというのは出来過ぎであり、たまたまの域を出ないということだが、それも一ヶ月も続けてデータ量(回転数)が確率の100倍を超えれば、実際の収支とほぼ同じラインに居続けるようになるということらしい。


 こうして理論的にパチンコを打ってみて感じるのは、パチンコはギャンブルではないということだ。

 自分がやった分だけの結果が必ず出てくる。しかも、数字としてわかりやすくだ。


 ボクはパチンコを一か八かの丁半博打のようなものだと思っていた。よく言えば一攫千金の夢がある。

 でも、実際は一攫千金の夢など、どこにもない。その代わり全て失うようなリスクもない。

 ただやった分だけが手に入る堅実な作業だったのだ。


 リスクを恐れない人生を送るためにリスクだらけのパチンコ屋に飛び込んだつもりが、蓋を開けてみれば数円をコツコツと積み上げていく地味な世界だった。


 でも、ボクにはそれが魅力的に思えた。


 確かにボクが欲していたリスクを抱えながらも果敢にチャレンジしていく世界ではなかったが、自分の努力がダイレクトに結果に出る作業には充実感を得られた。


 ボクは生きている。他人からみれば朝から晩までパチンコを打っているだけのダメ人間かもしれない。

 いや、ダメ人間そのものなのだろう。


 でも、ボクには、パチンコ玉が打ち出される音が、心が生き返っていく音に聞こえた。


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