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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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架空の球/冬の蝶

 

 ◼︎ 架空の球 ◼︎




「卓球、したことある?」


 慣れとは恐ろしいもので、もはや彼の唐突に変化する会話にもさして驚かなくなっていた。


 ボクがほとんどした事がないと告げると、彼は「少しはあんだな」と言って卓球のサーブをする真似をして架空の球をこちらに向かって打ち込み始めた。


 慣れたとは言っても、さすがにこの状況ですぐに気の利いたレスポンスを出来るはずもなく、ボクは見えない卓球の球を黙って三球ほど見送った。


 一球はボクの左頬をかすめ、一球は右肩の遥か上を通過し、最後の一球は胸の真ん中あたりに当たってテーブルの上に落ち、コツコツと音を立てて転がる。


 彼は左手に持った架空の球を天高く放り投げてから四球目のサーブを打つと同時に斜め下を向いてラケットで口を隠すと、小声で「取って、手で取って」と早口に言った。


 誰に対して何の為に何を隠す必要があってその茶番をやっているのかわからないが、そんなことを言い始めたらすべてがわからなくなる相手であるとわかってきていたのでボクは何も言わずに左手で架空の球をキャッチする振りをした。


 彼はそれを確認すると、うんと一つ頷いて「箱に入れて」と目で促し、ボクがそれに従って箱に球を入れたと同時に再び球を打つ動作に戻った。



 その後、打ち込まれた球をキャッチしては箱に入れるという作業を何度か繰り返し、ボクの虚無感もそれに比例して膨らんでいき、いよいよキャッチするのを止めて帰ってしまおうかと思い始めた時、彼が突然「ストップ!」と叫んだ。


 球を打っているのは彼なので、誰に対して何をストップと言ったのかわからないが、これまた追求するのは無意味なのでひとまず瞬きをするのを止めて(ボクがストップ出来るものなどそれくらいしか思いつかない)彼の様子を伺う。


 彼は時までもが止まったかのようにサーブを打つポーズで固まったまま「卓球の球、いま箱に何球入ってる?」と、初めて見せる真剣な顔でボクに聞いてきた。当然、ボクは数など数えているはずもなく、わからないと言うと、彼は

「六球だよ、そして、今まさに箱に入れようとしているその球が七球目だ…なっ」と空高く弾むように一段と大きな『なっ』を解き放った。


 その発声による大気の振動に驚いたのだろうか、窓枠の蜘蛛のお尻がフルッと震え、ボクは眼球の渇きに耐えきれず、ゆっくりと瞬きを再開した。




 ◼︎ 冬の蝶 ◼︎




 出張所を出たボクは、商店街の路地裏に捨てられた子猫のような心境だった。もちろん、本当に商店街の路地裏に捨てられた子猫の気持ちがわかるわけではない。

 それはちょうど音もなく地面に落ちた桜の花びらが、音を立てないように落ちたのか、或いは音を立てることすら出来ずに落ちたのか誰にもわからないのと同じだった。ボクや子猫は場合によってはポジティブにもなれるしネガティブにもなれる。

 つまりボクは一人見知らぬ場所に置かれた不安と淋しさがある反面、どこにも閉じ込められず縛られない自由を手にしたということだ。


 自由の翼。


 ボクの頭の中ではスタンドバイミーのベース音が流れ出していた。さすがに線路を歩くわけにはいかないので近くの川まで行って河川敷を歩いた。

 時々、周りに人がいないことを確認してからカカシみたいに両手を横に広げて飛ぶように歩いたり、走ったりした。ボクに生えた翼を祝福するかのように、すぐ横を冬の蝶がユラユラと飛んでいた。白い美しい蝶だ。

 冷たい風に肌が削られてピリピリとしていたけれど、今のボクには心地よい寒さと痛みでしかなかった。


 しばらく進むと国道に出た。たくさんの車が行き来していて冒険の世界から急に現実に戻されたような気がした。国道沿いには色々な商店が並び平日の昼間だというのに人の数も多い。


 すれ違う人たちに平日の昼間からフラフラしているダメな大人だと思われないように、ボクは少し緩めていたネクタイを固く締め直してから駅に向かって足早に歩き出した。



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