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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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架空の箱/ニワトリが鳴き始める瞬間のような顔

 

 ◼︎ 架空の箱 ◼︎



「はい、ここにカッターナイフがありまーす」


 およそ大人とは思えないような無邪気な声で彼は言った。


 高々と挙げた右手には架空のカッターナイフが握られているらしい。


「このナイフで炊飯器が入っていた箱の蓋の部分に握りこぶし大の丸い穴を開けまーす」


 はしゃぎっぷりが、いちいち腹立たしい。


 彼がクルクルと箱を切るジェスチャーをしている間、やることがないボクは窓枠に留まる老いた(脚が二本ほど取れてしまっている)蜘蛛を見ていた。

 蜘蛛は巣に獲物がかかるのをじっと待ちながら自らの人生を考えているような面構えをしていた。


 でも、実際はそんなはずはないのだろう。蜘蛛は私のように無知ではない。いつでも自分の行くべき道を知りつ「これで箱の準備は完了だ……なっ!」


 ボクの思考を容赦なく遮った彼はドヤ顔でボクの目の前に架空の箱をトンっと置いた。


 この穴の空いた架空の箱を作る為にどれだけ無駄な時間が過ぎただろうか。


 これが必要なら最初から「蓋の部分に握りこぶし大の丸い穴が空いているこのくらいの大きさの箱がある」と言ってくれれば一瞬で済んだ話である。


 だが、当の本人はボクの苛立ちを察する様子もなく箱の出来にご満悦の様子だ。


 彼はボクの煮え切らない顔と目の前に置かれた架空の箱を交互に見て、嬉しそうにニコニコとしている。


 正確に言うとボクの顔を見る時にはニコリと笑い、次に箱の穴のあたりを見て「オー!これは素晴らしい逸品です」とでも言い出しそうな驚いた顔をし、再びボクを見てニコリと笑うという工程を3度繰り返した。ボクは都合6度ほど彼に笑いかけられたわけだが、その度に意味もなくウンと頷くしか術はなく、一向に進まないこの会話が意味のある結末をむかえてくれることをただ祈り続けていた。




 ◼︎ ニワトリが鳴き始める瞬間のような顔 ◼︎




 所内のすべての人がボクの辞職に賛成しなかった。


 最も、すべてと言っても今日はこの職場の唯一の女性である辻本さん(三十八歳)がお休みしているので、早川のおじいさんと敏腕かもしれない所長の二人だけなのだが、まあ何人であれ、すべてには違いない。


 ボクは所内で一番若いとは言っても今年で三十二歳と中年に差し迫った年齢である。今ここを辞めて自分の好きなことをやって生きていくのは簡単なことではないだろう。

『自分にしかできない何か』を見つけるのは、この仕事をしながらでも出来るんじゃないのか?


 みんな(二人)の意見は概ねそんなところだった。


 最もな意見ではあるが、ボクも一応それらのことは考えた上で自らの欲求に従いたいのだと重ねて告げた。敏腕だったかもしれない所長は、再び強固な腕組みをして「うーん」と唸ったり、腹筋をする時のように頭の後ろで手を組んで「フーッ」とため息をついたりして何かを考えていたが、やがてボクの決意を変えられないことを悟ったようで、妥協案(折衷案)として「精神疾患による休職」という形で数ヶ月間の休みをとるという策を勧めてくれた。


 ボクのような何の取り柄もない人間に対しては勿体ないほどの温情だろう。


「その間に色々と考えて何か新しくやりたい事が見つかれば、その時、改めて辞めればいい」


 こうなると、もはや『かもしれない』は外れて、歴とした敏腕所長の所業である。


 所長の配慮に感動したボクは、少し後ろめたい気持ちがありながらも、厚意に甘えることにした。


「上の方には私が申請しておくから、今日はもう帰って明日から自分探しを頑張りなさい」


 敏腕所長は敏腕な台詞を敏腕な顔で言うと、隣にいた早川のじいさんの頭を意味もなくペチンと叩いた。


 早川のじいさんはニワトリが鳴き始める瞬間のような顔をして戯けてみせた後、「またね」と言って笑った。

 時計の針はまだ午後2時あたりをさしていて、初冬とはいえ陽射しは力強く、ボクを見送る二人の頭を神々しく照らしていた。



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