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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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たいした台じゃない

「だったらあそこの439番の台を打ってみな」

 下駄さんからそう言われて打ち始めてから、ちょうど一万円を使い切ったとろこだ。

 ここまでの回転数は213回。千円あたりの回転数は21、3回ということになり、千円21回以上という目標を上回っている。


 ボクのように遊びでパチンコを打っている人間ならばともかく、これで生計を立てている下駄さんが『勝つべくして勝てる台』を他人であるボクに教えてくれるというのは普通なら有り得ないことだろう。


 心から感謝せねばならない。


 いや、感謝をするだけでは到底足りない。ボクはこの気持ちを伝えるべく、缶コーヒーを手土産に下駄さんにお礼を言いに行くことにした。


 下駄さんは隣の隣の列で朝打っていた台を水辺の仏陀スタイル(背筋を伸ばして左足だけ座禅を組むように椅子の上に乗せている)で同じように打っていた。

 台の左下に取り付けられているドリンクホルダーにはドリンクではなく、じゃがりこの容器が刺さっている。


「あの台1万円で213回まわりました。良い台を教えてくれてありがとうございました」


 ボクがそう言いながらブラック微糖の缶コーヒーを渡すと、下駄さんは骨董品の鑑定でもするかのように(眉間に皺を寄せつつ)缶をしばらく眺めてから


「たいした台じゃないし、こういう他人行儀なことはもうすんな」と少し怒ったように言った。


 自分ではわからないが下駄さんを怒らせてしまったことできっとボクは悲しい顔をしていたのだろう。

 下駄さんは少し慌てて気まずそうに「ま、今回はありがと……なっ」と言ってボクの右肩をじゃがりこの油まみれの左手でポンと叩いた。

 いつもの逞しい感触の手だ。


「リュック、今晩、飯食いにいかねーか」下駄さんは唐突に言った。


 下駄さんの台は大当たり中のようで頭の上のランプが赤や黄色や青に激しく点滅している。

 ボクはパチンコのことについて色々と聞いてみたいことがあったので、また一緒に話ができるチャンスを待ちわびていたところだった。


「はい、大丈夫です」ボクが答えると、白や緑のランプをおでこに反射させながら下駄さんは頷いた。

 ボクの心の尻尾は左右に激しく振られている。


 午後七時くらいに店を出るのでその頃にはパチンコを終わらせるように言われてボクは自分の台に戻り、打ち始める前に魚群占いの画面で魚群が出るまでボタンを連打する。

 昨日、富美男から教わったこの攻略法を実践したにも関わらず1400回転も当たりが来なかった。

 とはいえ、一度成功しなかったくらいで効果がないという結論を出すのは早計だろう。

 それにこれをやることでプラスにならなかったとしても特にマイナスになるようなこともないはずだ。


 ボクは黙々とボタンを押す作業を続ける。


 やがて画面に魚群が現れるとボクは素早くハンドルを握り、スーッと大きく息を吸って肺一杯に空気を押し込む。

 初めてパチンコ屋に入った時にはとてつもなく邪悪で重く感じたこの空気も、今となっては母の乳房が作るベッドのように心地よく、甘い綿あめを水に浸すが如く身体中の細胞に溶け広がっていくのがわかる。

 銀色の玉が打ち出されると同時にボクの鼓動は高鳴り、逆に思考は風のない日の湖の水面のように緩やかで微細な波動へと変わってゆく。

 たくさんの記憶が頭の中に浮かび上がり、それについて考える前に消え去る。


 自分が眠っているのではないかと錯覚するほどにボクはパチンコを打つことに集中していた。


 気がつくと時刻は午後六時を過ぎていた。最後に下駄さんと話をしてから五時間は経っているはずだが感覚的には三十分ほどにしか感じられない。


 戦果はまずまずで、初当たりを三回引いてそのうちの二回が確変で三連チャンと五連チャンだった。

 足元にはドル箱が六箱置かれていて、交換すれば三万円にはなるはずだ。

 ここまで使った金額は一万六千円程なので収支はプラス一万四千円といったところだろう。


 下駄さんと約束した七時までには少し時間があるがそれを気にしながら打つのも嫌なので今日はここで終わりにすることにしてボクは立ち上がり、店員さんを呼ぶボタンを力強く押した。



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