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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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侵食していく闇

 気がつくとボクは、生温かく湿った空気が高密度で充満する井戸の底にいた。

 見上げると遠くの空にあるお月様のようなまん丸な(井戸の入り口だろう)光が見えるが、僕のいる場所とは別世界としか思えないほど遥かに上空だ。

 自分の手のひらを顔のすぐ前に持ってきてもそれが本当にそこにあるのかさえわからないほどの闇にボクは包まれていた。いや、正確には捕らえられていた。

 前方の頭の高さあたりに小さな灯りのようなものが薄っすらと見える。デジタル時計の数字だろうか?目を凝らして見てみると薄緑色の数字が並んでいるのがわかる。


『1321』


 四桁の数字。何だろう?と少し近づいて見ていると数字は音もなく『1322』に変わった。

 午後一時二十二分?いや、そんなはずはない。時刻はとうに夕方を過ぎているはずだ。

 何か考えようと思っても頭の中がモヤモヤとしていて思考がまとまらない。

 誰もいないはずの真っ暗な井戸の底なのに、時折、後ろからの視線を感じる。

 好意でも悪意でもなく、嫉妬でも同情でもない、特殊な視線だ。言葉にするならば……好奇だろうか。

 本当の孤独とは一人でいることではなく、大勢の中で一人にされている時に感じるものなのだろう。

 好奇の視線はボクのメンタルを激しく斬りつける。



 富美男と鼻毛とヒゲが繋がったおじさんの薦めにより元の台で再始動してから僅か20回転ほどで再び魚群予告がやってきた。

 驚いて隣を見ると富美男は渾身のドヤ顔で「ほらね」と声に出さずに口パクで言った。

 そうか、これがお詫びの魚群か……。正直、普通の魚群と何が違うのかわからないが、富美男の口ぶりからこの魚群予告は来るべくして来たものなのだろう。

 鼻毛とヒゲが繋がったおじさんもボクのお詫びのリーチに気づいたようで、少し腰を浮かせてボクの台の画面を富美男越しにじっと見守っている。


 リーチ図柄はサメ(番号は4)だ。

 魚群占いで早い当たりが来るようになっている上に確率の収束により当たりが近いと予想される状態で、尚且つ、このリーチがお詫びの魚群リーチであることを考え合わせれば当たらないはずがない。


 だが、その確信を打ち砕くようにリーチはあっさりと外れた。


 最初に魚群リーチが外れ、お詫びの魚群リーチも外れたのだ。話が違う。

 当然、ボクは混乱する。意気揚々と冒険に出た矢先に毒の沼に嵌り、ようやく抜け出したところで梅沢富美男の顔をした魔女にメダパニの呪文をかけられたような心境だ。


 鼻毛とヒゲが繋がったおじさんが「まあまあ、魚群来てるうちは大丈夫だよ」と言い、それに対して富美男が「ダメな時は魚群すらこないもんね」と同調した。

 ボクは少し不安になったが、現に事実としてお詫びの魚群はきたのだし、二人の言うことは間違ってはいないのだろうと気を取り直して再び玉を打ち出した。



 最初は些細な変化だった。台の回転数が500回を超えたあたりだ。少し僕の周りの空気中の酸素が足りていないような息苦しい感覚があった。


 それでも気にするほどではない。


 700回転を過ぎた頃に胃の裏側に元気な若い鯉がスパスパと勢いよく吸い付いているような嫌な圧迫感を感じた。


 ここまでの投資金額は三万円を超えている。パチンコでこれほどの金額を使うのは初めてだし、パチンコ以外でも滅多に使うことがない大金だ。ハンドルを持つ手が自分の手ではないような感じがする。ボクの意思に関係なく、静かに震えているのだ。


 900回転を超えた頃には午後三時を過ぎていた。胃の腑に吸い付いていた鯉は三匹に増えて勢いを増している。

 太陽はほぼ真上にあり、窓の外も店内も十分に明るいはずだが、ボクの周りにはどんよりと闇が広がり始めていた。最初は後ろから、次第に横に侵食していく闇は、すぐ隣にいるはずの富美男の存在すら消し去ろうとしていた。パチンコに集中しているわけではない。それ以外のことを考える余裕がないのだ。


 やがて闇は目の前にある液晶画面だけを残して、その他の全てを飲み込んだ。回転数が1100回を超えた頃だ。


 大きく息を吸い込んでも息苦しさは増すばかりで額から脂汗が滲み出る。投資金額は六万円を超えた。


「にっちさっちもいかない~♪にっちさっちもいかない~♪」


 ずっと遠くの方から歌声が聞こえる。

 ボクは一人、深い井戸の底でその歌を聴きながら玉を打ち続ける。何人もの人がボクの後ろを通り過ぎながら「いつになったら当たるんだろう」と噂し合っている。


回転数はついに1300回転を超えた。


 なにもかも捨てて逃げ出したい衝動に襲われるが、それすらできないほどにボクは深い穴の中にいて、最後には液晶画面の灯も消え、井戸の底は完全な闇となった。


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