お詫びの魚群
お詫びの魚群。富美男はそう言った。
「なんですか、お詫びの魚群って」ボクは抗議の気持ちも忘れて率直に質問をぶつける。
「魚群がハズレたらすぐにお詫びの魚群がくるのよ。今お兄さんの台は良い状態だから」
そう言うと富美男は自分の台の下皿にある玉を一握り掴むとボクの台の上皿に入れた。
「幸運のお裾分け」富美男は混じり気のない真っさらな笑顔で言った。
行動は天使のようだが、顔はカツラを被った梅沢富美男のままだ。
ボクはそのギャップにめまいがして倒れそうになったが、今はそんなことをやっている場合ではない。
お詫びの魚群だ。
富美男によるとボクの台は良い状態にあって近いうちにお詫びの魚群がくると言う。
理屈はわからない。でもまあ富美男がそう言うのだからそれはやってくるのだろう。
今は信じて打つしかない。
再びにっちもさっちもいかないのリズムで玉を弾く。デジタルの回転数は200回を超えたあたりだ。まだ確率の内側である。
焦る必要はないが、ここでボクはふとある事を思い出した。
海物語は千円で二十一回まわってプラスマイナスゼロという背の高い若い男から聞いた事実をだ。
今現在、デジタルの回転数は202回となっている。投資金額はちょうど一万円なので千円あたりの回転数は20.2回だ。
つまりこの台は打てば打つほどマイナス収支になる台ということになる。
顔からすっと血の気が引いていくのを感じる。
この台は負けるべくして負ける九割のほうの台。今すぐに千円で二十一回以上回る台に移動しなければボクは負け組に入ってしまう。
でも、一方で(富美男によると)この台は、今、良い状態にあるらしい。
確率の理論か、台の状態か、どちらを取るのか迷いどころである。
それでもボクが今こうしてパチンコを打っているのは下駄さんが教えてくれたクジ箱の理論があってのことだ。
富美男の攻略法は魅力的ではあるけれど、初志を曲げてはいけない。
そう気持ちを決めて、上皿にある玉を打ち終えてから立ち上がり富美男に告げる。
「あまり回らないんで台を移動します」
ボクの言葉に富美男は思ったほど驚くこともなく「あらまあもったいない」とだけ言って鼻歌に戻った。
少し拍子抜けだったが、変に引き止められるよりは良い。そう思って席を離れかけた時、
「その台は昨日2000回転も嵌って閉店まで当たらなかったからもう当たるよ」
突然、富美男の向こう側に座っている鼻毛とヒゲが繋がった(六十代くらいの)おじさんが富美男越しにボクに話しかけてきた。
とんでもなく大きくて野太い声だったのでその言葉はすべて聞こえたのだが、突然のことだったのでボクは思わず「え?」と聞き返す。
「お兄ちゃんの台は昨日2000回転も嵌って今日もまだ当たってないからそろそろ当たるよ」
とにかく大きな声で鼻毛とヒゲが繋がったおじさんはもう一度同じことを言った。
間に富美男がいる距離にも関わらずコーヒー臭い息がボクのところまで届いてくる。
富美男は鼻毛とヒゲが繋がったおじさんと知り合いなのか特に表情を変えることもなく、鼻歌を続けたままだ。
ボクはどうしたものかと思案する。パチンコ屋というのはこうも次々と決断を迫られることが(いつだって突然に)やってくるものなのだろうか。
ボクの台は昨日二千回転あまり回しても一回も当たらずに閉店を迎えたらしい。今日もまだ一度も当たっていないので、そろそろ当たるはずだ。
鼻毛とヒゲが繋がったおじさんはコーヒー臭い口でそう言っているのだ。
「お兄ちゃん、パチンコは確率だから、収束するんだよ。ずっと当たってない台は狙い目だよ」
どこの地方の出身かはわからないが、標準語ではないイントネーションで鼻毛とヒゲが繋がったおじさんは自らの理論を語る。
確率……。鼻毛とヒゲが繋がったおじさんは確率と言った。
ボクにとっての最重要キーワードだ。
確率……収束……。
ちょっと待てよ……。考えてみれば確かにそうだ。
何故、ボクはこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
海物語は大当たり確率320分の1の機種である。一昨日がどうだったかはわからないが、昨日2000回転打って当たっていないのであれば、今日と合わせて都合2200回転回して当たっていないことになる。
2200回転割る確率320は約7である。この台は確率の7倍回しても一度も当たっていないのだ。
確率から言えばそろそろ当たるのが自然だし、もっと言えば確率が収束するものならば帳尻を合わせるためにも連続で早い当たりがくる可能性が高いと考えるのは間違いではないはずだ。
富美男が言う台の状態、鼻毛とヒゲが繋がったおじさんのいう確率の理屈。
いずれもこの台を今後も打ち続けるべき台だと示している。
ボクは鼻毛とヒゲが繋がったおじさんに会釈をして「ありがとう」と告げ、元の椅子に深く座りなおした。
玉貸し機に千円を滑り込ませ、玉貸しボタンを押し、ハンドルを握る。
富美男が鼻歌を歌ったままボクに(おかえりという風に)ウインクをした。
ボクは思わずうつむいた。照れたわけではない。
カツラを被った梅沢富美男の顔にウインクされて吹き出しそうになったからだ。
しばらくして(ウインクの残像を振り払い)顔をあげると、通路の向こうに窓が見えた。
風が強いのだろう、パチンコ屋ののぼり旗が激しく揺れている。
その上には電線にとまるカラスがいる。
首を上下に振ったり、傾げたりして、その姿は何かに嘆いているように見えた。
電線の止まり心地でも悪いのだろうか。或いは虫たちのいない季節に失望しているのだろうか。
いずれにしてもこの台での勝負は続行となり、必然、ボクはにっちもさっちもいかないリズムで再び大当たりへと向かって進み始めた。




