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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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ドリンクバーのゴミ箱/ボクにしか出来ない何か

 

 ■ ドリンクバーのゴミ箱 ■




「それで……炊飯器の話はどうなったんですか?」


 さっきからコーヒーを口に入れてはグチュグチュとうがいをする作業を繰り返している彼に業を煮やしてボクは聞いた。

 彼はこちらをチラリと見てからうがいをしていたコーヒーをゴクンと飲み込んだ後、何故か囁くように小さな声で言った。


「コーヒーを飲むと風邪が早く治るらしい」


 多分だが、小声で言う必要はない話だ。


「風邪……ひいてるんですか?」


「いや、ひいてないよ」


 おかしな会話である。まるで噛み合わない。それでも彼はテーブルに覆いかぶさるだけでは物足らないのか、そのテーブルを手前にグッと引き寄せてから熱く語り出した。


「いいか、人生ってのは確率な。この大いなる世界に打ち出された玉はやがて一本の釘にぶち当たる。釘に当たった玉は、ある時は右に転がるし、ある時は左に転がる。どっちに飛ぶかは五分五分なっ。俺たちがそれを選ぶ事はできない」


 右の時は右に、左の時は左に大袈裟なジェスチャーを加えながら彼は話した。


 聞いてもいないことを喋るにしては雄弁である。


「俺たちがやれんのは、必死でその釘を毎日毎日ちょっとずつ叩いてな、ちょっとずつ動かして、動かして、五分五分の確率を四分六分、三分七分にしてやることだ……な!」


 何を言っているのかわからないから、どう答えて良いのかもわからない。


「つまり俺は風邪をひいてないけどコーヒーでうがいをして、それを飲んで、事前に風邪を引く確率を下げたんだ……な!それが精一杯生きるってことだ……な!」


 なるほど、まったく関係ない話でもなかったようだ。でも、そもそもボクが聞いたのはコーヒーの話ではなく炊飯器の話である。そして、口癖なのか知らないが、話の最後に「な」と勢いよく言うのが凄く気になる。もっと言えば気に触る。


「炊飯器は……」もう1度ボクは聞いた。諸々含めてよくわからない話をする人だし、もう会話をするのを諦めようとも思ったが、炊飯器のことはどうにも気になって聞かずにはいられなかった。


「んん?ああ……炊飯器?炊飯器は、捨ててきたよ、ドリンクバーのゴミ箱に捨ててやった」彼は笑顔で嬉しそうに言い放った。それを聞いて、当然ながら、ボクは頭にきていた。


 捨てた!?わざわざ架空の炊飯器を細かく想像させておいて、さも何かありそうだと思わせた矢先に……捨てた!?本当に意味がわからなかった。


 さすがにボクの静かながらも確かな怒りに気がついたのか、彼はテーブルに被さるようになっていた体を元に戻してから背筋を伸ばし、再びジェスチャーで架空の箱をテーブルの上に作りながら言った。


「勘違いしちゃダメだな。最初から炊飯器なんかいらないんだ。大事なのはこの炊飯器の入ってた箱、この箱が大事なんだ……なっ!」


 ひと際大きな「な」を出した彼は、残りのコーヒーをすべて飲み干してから、もう一度、「なっ!」と何かを確かめるように言い放った。




 ■ ボクにしか出来ない何か ■



 所長は今年で五十二歳になる。日本人にしては濃い顔をしていてなかなかの男前だ。

 でも、今は頭がすっかり禿げ上がってしまっていてロシアの男版マトリョシカのような佇まいになっている。仕事に関しては、普通のことを普通の速度で普通にこなす程度で、敏腕所長とはお世辞にも呼べない。


 最もここは町外れにある小さな出張所。ボクを含めて四人しか所員がいない本当に小さな町役場なのだ。もし仮に彼が敏腕と呼ぶにふさわしい実力を持っていたとしても、それを発揮できるような仕事はここには存在しない。まあそういう意味では彼の凡庸にも凡庸たる理由があるわけで、敏腕ではないが、敏腕だったかもしれない所長といったところで手を打つのが無難だろう。いや、だったかもと言うと、さも彼が終わってしまった人に聞こえてしまう。敏腕かもしれない所長としておこう。


 あの日、ボクはその敏腕かもしれない所長に辞表を叩きつけた。

 過去のトラウマから失敗を恐れて挑戦をしない自分の人生に疑問を持ち始めたボクは、この世の中に自分が必要とされていないのではないかというありふれた悩みを持ち始めていた。

 世の中という大きな話はともかくとしても、少なくともこの仕事場はボクがいなくても何の問題もなく極めて滑らかに日々の仕事は進んでいくだろう。そう思うと自分の生きている意味すら何だか希薄に感じて始めていた。


 ボクにしか出来ない何かを見つけたい。それはボクがずっと避けてきた冒険そのものだったが、長年動かなかった反動が一気にここで爆発してしまったのか、自分の衝動を抑える気持ちにはなれなかった。



 ただ、実際は辞表を叩きつけていない。叩きつけてはいないけど、辞表をそっと出した。いや、本当は出してもいない。それどころか書いてもいない。とりあえず、敏腕かもしれない所長に正直な気持ちを話して相談に乗ってもらったのだ。ボクの話を聞き終わった敏腕かもしれない所長は、いつもより強固に手が引きちぎれんばかりの腕組みをしてしばらく何かを考えていたが、やがて腕組みを解き、血が通い始めて真っ赤になった手でボクの肩をポンと叩いた。


「話はわかったよ、でも、今仕事を辞めてしまうのは賢くないよ」


 所長はそう言ってから斜め前のデスクにいる早川さんに「なぁ」と同意を求めた。

 ボクは所長に個人的に相談していたのだが、所内は狭いので話は他の所員にすべて筒抜状態だった。

 早川さんは定年を間近に控えたベテラン所員だ。最近の六十歳前後の人達は見た目も随分と若々しくて人生これからだ!といった感じだが、早川さんの見た目は完全におじいちゃんだった。

 でもやはり早川さんだって然るべき職場に配属されていたら敏腕だった可能性もある。早川さんの場合はもはや完全に終わってしまっている感があるので、敏腕だったという過去形でも問題ない。


 すなわち早川さんの称号は、敏腕だったかもしれない早川さんだ。


 その敏腕だったかもしれないおじいちゃんは所長の考えにしわがれた声で「ああ、ああ、賢くない」と同意した。でも、敏腕だったかもしれないおじいちゃんの同意は「どうでもいい」の略でしかないような印象だった。


「ボクはもう後戻りしたくないんです」自分らしくない言葉が自然と出てくる自分に少し驚いて密かに耳が熱くなるのを感じた。おじいちゃんは、これはお手上げだ、といった感じで自らの禿げた頭をポンと叩いた。



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