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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
19/82

狩る側の役割

「最後が千円で十一回引ける箱だ……なっ!」

 コーヒーの湯気を突風となった『なっ!』が激しく揺らす。


 さすがにボクもそろそろ理解が出来てきた。

 この場合、一万円使った時点で引いた回数は百十回、十分の一の確率は同じなので当たりは十一回となり一万一千円の払い戻しでプラス千円となる。


「つまり、パチンコ屋には同じ確率と払い戻しでありながら、千円で回せる回転数が異なる台が並んでいるということですね」


 ボクが言うと下駄さんはその回答に満足したのか再び席にどっかと座ると、日々の大半の時間をチェスをして過ごす退役軍人のようなやさしい顔で再び愛ちゃんを観察し始めた。


 窓の外の歩道脇に植えられているツツジの葉が寒そうに揺れる。


「リュックさんだったらどの箱のクジを引きますか?」


 隠居生活に入った下駄さんに代わって背の高い若い男が言った。

 なかなかの愚問である。誰に聞いたって考えるまでもなく十一回引ける箱を選ぶに決まっている。

 損をするとわかっているクジをわざわざ引く者などいるはずがない。

 ボクがそう答えると背の高い若い男は「そうですよね。うん、そうなんです」と、爽やか選手権で世界記録を狙えそうなほどの笑顔で言ったかと思うと、次の瞬間、急に真顔になって言葉を続ける。


「でも、パチンコ屋に来ている99%の人が千円で九回以下しか引けないクジを引き続けているんです」


「あっ」


 思わず声が出た。


 そうか、いや、そうなのだ。ボクがまだパチンコというものを知らない頃に聞いていた『パチンコは店が勝つように出来ている』という噂の真相はそれだったのだ。

 人々はココナツの香るあの場所で一列に並んで座り、引けば引くほどに負けが増えていく千円で九回しか引けないクジを延々と引く作業に勤しんでいるのだ。


 意気揚々と、さも楽しげに。


 ボクがさっきまで打っていたあの台もまさか……不意に不安になった。


「ボクの台も……ですよね?」恐る恐る聞いた言葉に今度は下駄さんが反応した。


「あの台はそれほど悪くない。リュックが打てば千円九回のクジだけど俺らが打てば千円十一回のクジになる……なっ!」


 それだけ言うと自分のカップ(元々はボクのだが)を持ってコーヒーのおかわりを注ぎに行ってしまった。


 ボクが打つと九回で下駄さん達が打つと十一回?


 もはや禅問答のようだ。

 ボクは救いを求めるように背の高い若い男をチラリと見たがそれに関しては何も言うつもりがないようで目を合わせてくれなかった。


 千円九回のクジは誰が引いても千円九回のはずだ。次々と突きつけられる難題に頭がパンクしそうになる。


 いちいち行くのが面倒になったのか、戻ってきた下駄さんの手にはたっぷりのコーヒーが入ったサーバーが握られていた。


「人間にはそれぞれ役割ってもんがあんだ」席に座るよりも先に下駄さんは喋り始めた。


「平等っていうのは不平等の上で成り立っているってわけだな」


 パチンコのことを教えてくれるのは有り難いのだが、話の半分が意味不明なのは困る。


「俺たちは狩る側の人間だってことだ、それが役割ってことだ……なっ!」


 そう言って椅子に座るとサーバーからカップにコーヒーを注いだ。

 ボクと下駄さんの間に濃い湯気が立ちのぼり下駄さんと下駄さんの言葉がぼんやりとして見える。


 狩る側の役割?狩る??


 何本かの足を失っている愛ちゃんはそれでも器用に糸を伝って移動をすると、窓枠の隙間に身を隠した。 

 その姿は語る。私は隠れているのではない。獲物がかかるのを待って潜んでいるのだと。


 なるほど。


 いやいや、危うく納得しかけたが、よくよく考えてみたら意味がまったくわからない。


「まあその話はリュックにはまだ早い。今は千円で引ける回数の違う台が並んでいるという事実だけわかればいい」


 下駄さんはそう言って笑う。それに同意するように背の高い若い男も爽やかに笑う。

 仕方なくボクも苦笑いを浮かべて、この昼食会は(ボクにとっては)不完全燃焼なまま幕を閉じた。


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