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銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
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藪で蛇に出くわした猫

 (例えるなら、草原を走るウサギの写真を撮っている時のようだ。疾走するウサギにフォーカスを合わせようとしても、手前の草花や奥の木々ばかりが鮮明に写し出されてしまう。肝心のウサギの姿はいつもボヤけていてタンポポの綿毛のようだったり白いマリモのようだ。必死でその姿を追ってもウサギは縦に跳んだかと思うと横にスピードを上げたりと縦横無尽で動きを掴ませてはくれない)


「おーい、リュック、リュック!」


 誰かが大きな声で叫んでいる。リュックという言葉はハッキリと聞こえるが、思考のフォーカスがその言葉に合うことはない。ボクはパチンコ中で魚たちの動向を追うことに夢中なのだ。


「リュック、リュック!」


 店内は数百ものパチンコ台が出す音とBGMで一分の隙もないほど埋まっているのだが、リュックと叫ぶあの声はそれらを切り裂くようにして大気を震わせている。


 そもそもリュックとはなんだ。何故、こんな場所でリュックなどという意味不明の言葉を叫んでいるのだ。

 それとも魚の台があるようにカバンをテーマにした機種があってランドセルやリュックサックやハンドバッグなどが三つ並ぶと大当たりになるとか…。


 いや、そんな事より大事なのは自分のパチンコである。


 最初の大当たりを得た後も順調に何度か大当たりを引いてボクの足元には玉の入った箱が二つほど積まれた。


 とても気分が良い。


 桃太郎が犬と猿を召しかかえた時の気持ちもこんな感じだったのだろう。ボクの後ろに従えし二箱の家来たち。こうなれば後一回は当ててキジも仲間に加え、鬼退治をしてたくさんの宝を持ち帰りたいところだ。


「おーい、リュック」


 まだ呼んでいる。リュックとは人の名前だろうか?ベンソン?いや、そんなはずはない。ここは日本である。


 (ウサギの動きに慣れてきたボクは先を読んでウサギが進む方向の前方に向けてカメラを構える)


 じゃあなんだ?リュック?新しいデザートの名前だろうか?


 (予測通りにウサギはボクのファインダーに向かって侵入してくる)


 リュック……リュック……あっ!


 (フォーカスが高く跳んだウサギと合致して、その姿はハッキリとフィルムに焼かれた)



 ボクだ!リュックとはボクのあだ名だ!ずっとボクが呼ばれていたのだ!



 慌てて声のする方を向くと通路を挟んだ反対側の端っこの台でパチンコを打ちながらこちらに手を振っている男を見つけた。


「おう、リュック、飯行くぞー」


 下駄さんと呼ばれている男が笑顔で叫んでいる。携帯の時計を確認するとまもなく午後二時になろうとしていた。パチンコを打ち始めてすでに三時間以上が経っている。

 確かにお腹も空いたのでボクは遠くの彼にもわかるように大きめに何度か頷きながら軽く手を挙げた。


 下駄さんと呼ばれる男はそれを確認するとスッと立ち上がり店の外へと出ていった。


 前回の時もそうだったが、あの人には『一緒に行く』という習性がないらしい。

 まあどうせこの前も行ったファミレスに向かったのだろう。

 ボクは急いで店員さんを呼び、食事に行くことを告げてから小走りで彼の後を追った。


 店の外はマラソン大会の朝くらいに寒く、すべての虫たちの気配は消えていた。

 電線の上では鳥たちが不満そうに空のさらに上の空を見上げている。


 ファミレスに入るとこの前と同じ席に下駄さんと呼ばれている男は座っていた。隣には同じ日に下駄さんと呼ばれている男を下駄さんと呼んでいた背の高い若い男が座っている。


 ボクは並んで座っている二人の対面に座ってから背の高い若い男に軽く会釈をした。

 下駄さんと呼ばれている男はボクには目もくれず窓枠にとまる愛ちゃん(前回来た時にいた老いた蜘蛛でボクは密かに愛ちゃんと名付けていた)をジッと見つめたまま動かない。何かに取り憑かれたように目をひん剥いて見ている。仕方がないので背の高い若い男に「もう注文は済みましたか?」と尋ねると背の高い若い男は「俺らはランチを頼みましたよ」と言ってボクにメニューを渡してくれた。


 ボクが注文を済ませた後も下駄さんと呼ばれる男は愛ちゃんを見たまま動かない。


「えーと、下駄…さん…。でいいんですかね?」ボクは沈黙に耐えられなくなり背の高い若い男に話を振る。


 背の高い若い男はチラリと隣の下駄さんと呼ばれる男を見てから「ああ、みんなそう呼んでいるので大丈夫ですよ」と爽やかな笑顔で言った。


「えーと、下駄さんたちはいつもこの店にいるんですか?」


 ボクが下駄さんという言葉を口にしても当の下駄さんは相変わらず愛ちゃんに夢中だ。


「うん、俺も下駄さんも毎日朝から晩までここにいますよ」


 下駄さんと違って背の高い若い男は見た目も話し方も爽やかでいかにも好青年といった感じだ。その笑顔もニッコリアワードで金賞を貰えそうなほど完璧なニッコリである。


「じゃあ夜のお仕事をされているんですか?」ボクが聞くと背の高い若い男は軽くフッと(自虐的に)笑うと「いや、俺らはパチンコが仕事ですから」と言って左手に持っていたスマホを右手に持ち替えた。


 ボクがいまいちその意味を理解できずに考え込んでいると、彼は「まあ世間でいうパチプロってやつですよ」と親切に補足してくれた。


 パチプロ……聞いたことはある。パチンコで勝ったお金で暮らしている人達のことだ。でもそれは漫画やドラマなどの架空の世界ことで、実際に存在しているとは思ってもみなかった。それはそうだ。ボクはほんの一週間前までパチンコを打ったことがないどころかパチンコ屋に近づいたことすらなかったのだから。


 ボクは次に発するべき言葉が見つからなかった。頭の中でこの事実を受け止める手段を必死で探した。ボクからしてみれば今の状況は、ある日突然目の前に宇宙人が現れたのと何ら変わらない。その現実を受け止めるのに多少の時間を要するのは致し方ないことだろう。


 それでも、そんな混乱の中にありながら一つの疑問だけは瞬時に湧き上がっていた。

 先週、下駄さんから聞いた現代パチンコのシステムの説明だとパチンコは確率のゲームだということだった。それが事実だとしたらパチンコで勝ち続けるのは不可能ということになる。いや、不可能というか勝ち負けは運でしかないということだ。


「でも、下駄さんから聞いたんですが、パチンコは確率で当たるということなのに何故パチプロとして勝ち続けることができるんですか?」


 ボクはパチンコが確率のゲームであることに魅力を感じていたので少し裏切られたような気持ちになっていた。もし、そのシステムに裏があるのならボクにとってパチンコは以前の恐ろしいだけのものに逆戻りしてしまう。


 背の高い若い男は口元に薄っすらとした笑みを浮かべながら右手に持っていたスマホを左手に持ち替えた。そして何かを言おうと軽く息を吸い込んだ瞬間、下駄さんが突然立ち上がり、愛ちゃんからボクに視線を移すと「いいか!」と、通りの良い低い声で言った。


 突然のことでボクは藪で蛇に出くわした猫のように両肩がビクッと恥ずかしいほどに上がった。


 下駄さんは両の手を肩幅ほどに広げ、そのままゆっくりとテーブルの高さまで下げると、改まった口調で言う。


「目の前に買ってきたばかりの炊飯器があるとすんだろ?ピッと四角に尖ったダンボール箱に入ってるピカピカの四合炊き炊飯器な」


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