表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の放物線  作者: 加藤あまのすけ
16/82

止まれ、止まれ、止まれ!

 心臓の音が聞こえる。ボクの心臓の音だ。息苦しい。呼吸が荒くなって、もはや鼻呼吸だけでは足りず口を開けて必死で酸素を吸い込む。

 視界も霧がかかったようにぼやけてきている。


「お兄ちゃん、これくるんじゃない!」


 隣の台を打っているおばさんが話しかけてきたが、その声は水の中で聞いているようにくぐもっていて遥か遠くに感じる。


 ソフトボールほどの大きさになった視界にはハリセンボンが二匹、縦に並んで止まり、フワフワと浮かんでいる。その二匹の間をタコやウミガメ、サメ、エビ、アンコウ、ジュゴン、エンゼルフィッシュ、カニなどがゆっくりと進む。


 リーチである。


 別に初めてリーチになったわけではない。前回、五千円ほど打った時にリーチは何度かきている。

 でも、このリーチは違う。ハリセンボンが二匹、画面に並んだ瞬間、その後ろを華やかな魚の群れが通り過ぎたのだ。

 深夜のパチンコ番組で観た『魚群予告』と言われているものだ。

 その番組で、この予告が出た時は大当たりする確率がかなり高くなると言っていた。


 激熱


 そのせいだろう、画面の右から左へと流れゆく魚群を観た瞬間、ボクは恥ずかしいほどに取り乱した。まさか自分がパチンコのリーチがきただけで気絶しそうなほど興奮するとは思わなかった。


 落ち着け、そこまで興奮するようなことではない。自分に言い聞かせるが抑えようと思えば思うほど心臓の音は高鳴り、意識が遠のいていく。


 魚の行進はその終焉に近づいていくに従い速度を落とし、今にも止まらんとしている。

 視界はもはやゴルフボールほどしかなく、眼前の霧は魚の動きが辛うじてわかるくらいにまで濃くなっていた。

 ゆっくりとサメが通り過ぎ、タコが足をくねらせながら先を行き、ハリセンボンがやってくる。

 スローモーションで、永遠とも思えるほどゆっくりとハリセンボンとハリセンボンの間に三匹目のハリセンボンが近づいた。


『止まれ、止まれ、止まれ!』ボクは心の中で大声で叫んだ。


『止まれ!!』


 その声はボクの心を突き抜けて全身にこだまし、骨や血管を震わせ、やがて脳天に届いた。

 瞬間、ボクの視界は全宇宙を見渡せるほどに拡がり、世界中の光がボクの瞳孔に集まった。

 霧は晴れ、水中から飛び出したボクの鼓膜にけたたましい音たちが祝福するように突き刺さる。


 画面では一列に並んだハリセンボンがピョンピョンと笑顔で飛び跳ねている。

 ラッキーという天使の声がした後、台の液晶画面の下で固く閉ざされていた扉(WideOpenと書いてある)が開き、ボクの打った玉たちが我先にと雪崩れ込んでいく。


 上皿に、いや、下皿にもたくさんの玉が溢れ出てきてパニックになるものの隣のおばさんに玉を箱に移す方法を教わりボクは初めての大当たりを堪能した。


 長く越えられなかった、越えようとしなかった自分の中の何かの向こう側に到達した気持ちになった。


 たかがパチンコの大当たり一回である。


 でも、たった一回、池に取り残されただけでボクのその後の人生は大きく変わった。

 三十年もの間、ボクはその呪縛の中で生きてきたのだ。


 そんな些細なことで人の一生は大きく軌道を変える。



 ボクはパチンコの盤面を飛び交う銀色の玉を見る。


 自分の中の何かの向こう側。その何かはリスクを背負わない生き方だと思っていた。でもそうではなかった。リスクは挑戦をしない自分への言い訳に過ぎない。

 飛び立つ勇気を手に入れる前に飛び立つ為の力を得る努力をしなければならない。そんなことはスズメの雛だって知っていることだ。


 ボクは考えるのをやめてパチンコに集中した。


 銀色の玉になって美しい放物線を描く自分を想像した。

 たくさんの釘にぶつかり、時には跳ね、時には絡まり、ゆっくりと下に向かって進む。

 液晶画面の横を抜け、風車に誘導され、連なる釘の上を転がりスタートの穴の近くまで到達する。

 ボクはそのままその穴の上まで辿り着くと、穴めがけて一直線に飛び込む。


 しかし、玉は穴の上にある二本の釘の一本にぶつかり、弾き飛ばされて落下すると、閉ざされた大当たりの扉の前を通過し、やがて一番下にあるハズレの穴の奥へと余韻もなく消えていった。


 終焉だ。


 そう思った次の瞬間、また違う玉がスタート穴を目指して宙を舞っていた。次もその次も、止まることなく玉は放たれた。


 そして、そのすべてがボクだった。


  ボクは何も考えずに本のページをめくる様にそれを繰り返した。たくさんのボクが盤面に放たれ、去っていった。

 あるボクは道半ばで反対方向に飛んでゆき、あるボクは何かの穴に入って消えた。


 そんな無意味で生産性のないように思える時間が、何故か、ただ楽しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ