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093同好会脱退事件01

   (三)『同好会脱退』事件




「私、『探偵同好会』をやめるわ」


 その唐突な発表は、純架を初めとする同好会員全員が部室でくつろいでいたとき、唐突(とうとつ)に行なわれた。口にしたのは奈緒だ。


 いきなりのことに、彼女以外の人間――幽霊のまどかを含めて――は、目を丸くしてあっけに取られた。青天の霹靂(へきれき)とはこのことだ。


「どうしたんですか、奈緒さん」


 まぶたを開閉しながら尋ねたのは、黒縁眼鏡にショートカットの地味な女子、辰野日向(たつの・ひなた)だ。今日は兼務する新聞部の活動が早く終わったので、こうして部室にやってきていた。


「やめるって、嘘でしょう?」


 日向は冗談めかして気さくに問いかけた。だが奈緒は笑わない。その目は真剣だった。


「本当よ。『探偵同好会』から、今日付けで脱退するわ」


 俺はその言葉に本気を感じて、大いにあわてた。


「何でだよ。理由はなんだ? 飯田さん、『探偵同好会』に何か不満でもあるのか?」


 声が裏返りそうになる。奈緒は逃げずに応じた。


「最近小テストの調子が悪いのと、更なる学力アップを親に求められてね。塾に通うことになったの。それが理由よ」


 それまで深田恭子(ふかだ・きょうこ)の肩幅を論じていた純架が、真面目な顔で指摘する。


「それなら別に同好会をやめなくてもいいじゃないか。籍を置いたままにしてくれれば、塾を終えたとしてもすぐ復帰できるし」


 奈緒は(かたく)なに扉を閉ざす。それは分厚く、他人の侵入を容易に寄せ付けなかった。


「いいえ、やめたいの」


 きっぱり宣言する。純架は奥の手を出した。


「宮古先生に、チョーク折りについて話しちゃうよ」


 そう、奈緒は元はといえば、『折れたチョーク』事件で純架に軽く脅されたのである。その脅しとは、彼女が「チョークを折って交換していた」という事実を、恋愛対象である宮古先生にばらすぞ、というものだった。それは勘弁(かんべん)ということで、奈緒は『探偵同好会』に入会したのだ。


 しかし、今の奈緒は同好会の活動に積極的な愛着を示し、肩まで()かった、根っからの会員になっている。その彼女が、どうして……?


 奈緒は純架をにらみつけ、立腹(りっぷく)をあらわにした。


「束縛しないで」


 その様子を観察していた英二がシャーペンを振った。芯を交換する。


「やめたければやめればいい。誰も止めないぞ。結城、どう思う?」


 結城が水筒の紅茶をカップに注ぎ、英二に差し出した。


「私は少々残念です。飯田さんは友達ですから」


 奈緒は鞄を掴んで立ち上がった。突き放すように宣言する。


「誰が何と言っても私はやめる。桐木君、そういうことだから。それじゃ」


 毅然(きぜん)とした態度を最後まで崩さず、彼女は部室を出て行こうとする。純架が呼び止めようと大声を出した。


「待ちたまえミラ・ジョボヴィッチ君!」


 奈緒は当然のように無視してドアの向こうに消えていった。




 純架は顔をしかめた。


「皆、これは一大事だ。飯田さんがなぜ頑固に同好会をやめたがっているのか、至急調査する必要があるね。塾に行くだけなら同好会をやめる必要はないんだからね」


 俺はまどかを見た。彼女が俺の視線に気付き、目をしばたたく。俺はあごをつまんだ。


「やっぱり白石さんが怖いからじゃないのか? 飯田さんは幽霊に弱いからな」


「あれ、あたしのことなんか、もうとっくに慣れたのかと思うとった」


 英二が不機嫌の三文字を顔に浮かべた。


「慣れるわけがないだろ。ただ新鮮味が薄れたというだけだ」


「せやろか? 奈緒とは昨日も面白おかしく話したんやけどな。あたしに恐怖しているようには見えへんかったで。まあ初対面からしばらくはびびってたみたいやけど」


 純架の頬に窓からの西日が差し込んでいる。


「最近飯田さんに変わったところはなかったかい?」


 日向が左右の指を絡ませた。


「そういえば、前は放課後一緒にケーキやあんみつを食べに行ったりしてくれたのに、最近は全然。理由を聞いたら『数学の勉強で忙しいから』とおっしゃっていました」


「ほう。君たちはどうだい?」


 英二と結城は順番に回答した。


「そうだな、この前の放課後、飯田が担任の宮古先生と一緒に何やら話していたのを目撃したぞ。そのときお前らはいなかったな。飯田の奴、えらいしょげてたぞ」


「つい最近、飯田さんから数学のノートを貸してほしい、と頼まれました。学力の低下を気になさっていたようです」


 純架はしきりと首肯(しゅこう)した。


「なるほど。どうやら飯田さんは、数学の小テストで著しく低い点を取ってしまったようだね。それで塾に行こうと考えたわけだ。だから辰野さんの食事の誘いも断るし、数学教師の宮古先生に相談もするし、菅野さんからノートを借りたりもするわけだ」


 俺は首を(かし)げた。


「でもそれでどうして『探偵同好会』をやめる、って話になるんだ? 同好会の活動のせいで数学が苦手になったってのか? そんなことあるのか?」


 純架は快刀乱麻(かいとうらんま)を断った。


「鈍いね、楼路君。ここまで進めば、君にも推理できるはずなんだが」


 俺は(ちゅう)(ぱら)で返した。


「分かんねえよ。教えてくれ」


 純架は咳払いをした。


「いいかい、楼路君。飯田さんは君が好きになりつつあるんだ。恋愛感情を抱き始めているんだよ、君に対してね」


 俺は絶句した。奈緒が、俺のことを?


「まさか、そんな……」


「まさかも何もないよ。飯田さんは君のことばかり考えるあまり、勉強が手につかなくなった。特に数学においてね。だから宮古先生に注意されてしょげ返ったりしてたんだ」


 純架は含み笑いした。


「それゆえ、飯田さんは『探偵同好会』を脱退する決意を固めたんだろう。大好きな楼路君から距離を置き、恋心を静めて学問に精励(せいれい)するためにね。飯田さんはかつて言っていただろう? 『私は高校三年間、異性と付き合わず、勉強に邁進(まいしん)するつもり』とね。彼女はまさにそれを実行したというわけさ」


 日向が興奮に目を輝かせる。


「そっか、奈緒さんは朱雀さんが好きなんですね! 良かったじゃないですか、朱雀さん! 両想いですよ!」


 彼女ははしゃいで俺の肩を叩いた。俺はそれどころではなかった。


「飯田さんが……俺を……。はは、嘘だろ?」


「嘘なんかじゃないよ。だって他にいないじゃないか。飯田さんが好きになる『探偵同好会』の男子なんて。僕や英二君はどう考えても違うしね」


 俺は椅子に半ば沈み込んだ。奈緒が、俺を好き? 本当に?


 純架は長机に頬杖をついた。


「飯田さんに告白すべきかどうかは楼路君次第だよ。彼女が勉学に没頭するのを見守るか、それを阻害(そがい)してでも告白して付き合うか。君の心の(おもむ)くままに決めたらいい。まあ……」


 苦笑する。


「僕はとりあえず『探偵同好会』から離脱者を出したくないんだ。上手いこと立ち回ってくれたまえ、楼路君」



 その日の夜、俺は自宅でまんじりともせず寝返りを打った。奈緒が自分を好いてくれているなんて思いもよらなかった。しかしそれ以外に考えようはない。何せ純架の推理だ、間違っているとも思えない。


 まあ、最近はちょっと距離が狭まってきてるような感じだった。人工呼吸とはいえキスしたし。覚えてないけど。


 奈緒……


 俺はシーツを引きかぶり、身を縮めてため息を吐いた。一人の男としても、『探偵同好会』の一員としても、奈緒を手放したくはなかった。目を閉じて浮かぶのは奈緒の明朗快活(めいろうかいかつ)な笑顔だけだ。それを独り占めする喜びは、魂を奪われかねないほど魅力的で、俺は枕に顔をうずめて控えめに独語した。


「告白するか……」


 前回は恋心を打ち明ける前にかわされた。それは奈緒が俺の気持ちに薄々気づいていた証だ。今度こそ逃さない。彼女と相思相愛になるのだ。俺は真っ暗な部屋の中で、一人闘志を燃やしていた。

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