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089割れた壷事件03

 しばし思索(しさく)にふけった。


「誰かが窓から入ろうとして途中でやめた――ってのは考えにくい。誰かが上履きか清潔な靴でもって廊下側から侵入し、壷を割った。そして廊下側からか窓側からか外に出た、と考えられる。この場合、犯人は校長室の合鍵を持っていることが前提条件となる。窓枠の足跡は捜査を撹乱する目的で犯人がつけたんだろう。となると、犯人は窓から立ち去ったと見なしてよい。足跡を残すための泥水は外にあるんだからね」


 俺は意見した。


「こういうのはどうだ? 犯人は校舎裏からやってきて、靴を脱いで裸足か靴下で室内に入った。そして壷を割り、窓から外へ出て、置き去りだった靴を再び履いたんだ。後は純架の見方同様、捜査を邪魔するために足跡をつけて窓を閉め、立ち去った――」


 純架はうなずいた。


「そうだね。校長室の合鍵なんてそう簡単には作れないし、楼路君の推理の方が的確かな。さすがだね」


 俺は思いがけなくほめられて、空に舞い上がる気分だった。純架は校長に問うた。


「それにしても、大きな壷が割られたというのに、この部屋の周囲にいた人たちは気がつかなかったんですか? それなりに音が響いたと思うのですが」


「ここだけの話、校長室は他の部屋より防音効果が高く造られているんだ。周りには聞こえなかったのだろう」


 純架は教卓の引き出しを一通り確かめた。全て鍵がかかっている。


「犯人の目的が『壷を割る』だったことから察するに、本棚や教卓は施錠されていることも考えて、事件とは無関係なんだろうね」


 純架は校長の椅子に座って教卓に手帳を広げた。


「さて、犯人の行動がある程度分かったところで、今度は容疑者を絞り込みましょう。校長、あなたに恨みを抱いているであろう人物を列挙してください。もちろんその人物は、最低限『校長が壷を大事にしている』ことを知っていなければなりませんが」


 校長は力なくソファに座り込んだ。


「そうだな。まずは教頭の田浦(たうら)君。わしは二日前、彼と教育方針を巡って議論し論破した。それを恨みに持ったかもしれん。次に藤松(ふじまつ)先生。わしは彼女がウィッグをつけていることを揶揄(やゆ)したことがある。彼女にはあるいは屈辱だったかもな。それから占部(うらべ)先生。わしは彼が病気療養中の際見舞いに行かなかった。それを怒っている可能性はある。最後に3年1組の校長室掃除当番の二人。前に手際の悪さを(しか)ったことがある。まずいことをしたな、と覚えている」


 俺は内心あきれていた。恨みを買った覚えがあるなら、謝罪なり何なりしてわだかまりを解消しておくべきなんじゃないか? その努力をしていれば、今頃大事な壷を割られたとか何とか騒ぐこともなかっただろうに。


 純架はどう思っているのか知らないが、表面上は何の(ほころ)びも示さない。


「以上の5人だけですか? もっと他に感情を害した人はいませんか?」


 校長は腕を組んで沈思(ちんし)の海を潜行する。やがて水面に顔を出した。


「いや、いない。その5人だけだ」


 そのときチャイムが鳴って昼休みの終わりを告げた。純架は立ち上がると出口へ向かう。


「行こう、楼路君。校長、壷はもう片付けてしまって問題ありません。僕らはとりあえず頑張って調査してみますよ」


「頼むぞ、『探偵同好会』。期待している」


 純架は俺を引き連れて校長室を出た。




「とにかく足を使おう」


 純架は空きっ腹が鳴くのを押しとどめようとはしなかった。五時間目終了後の休み時間のことである。


「壷が割られたのは昼休み開始前後だ。犯人は電光石火(でんこうせっか)の速さで校長室に侵入し、犯行を行なった後、すみやかに立ち去っている。となると、その時間のアリバイがあるかどうかで追い詰めることは可能なはずだ。先生方はそんなすぐには帰宅しないから、まずは3年1組の校長室清掃係を当たってみよう」


 掃除とホームルームが終わり、生徒たちの多くは今日のスケジュールから解放された。俺と純架は早足で1階3年1組に駆け込んだ。


「ああ、校長室の掃除ならうちのクラスが担当だよ」


 親切な先輩がそう教えてくれる。


「校長に怒られた? それなら大河原(おおがわら)有澤(ありさわ)の二人だな。あいつらずぼらで、滅多(めった)に怒らない校長がキレてたからな」


 純架は一瞬俺と目を合わせた。


「その大河原先輩と有澤先輩を呼んでいただけますか?」


 教室の戸口から、その先輩は大声で二人を呼びつけた。


「おおい大河原、有澤! 客人が来てるぞ!」


 やってきた大河原先輩は、取り立てて秀でた面もないが、劣った面もないという凡庸な女子だった。


 一方有澤先輩は、青白い肌で不健康な上、腕や足が細く、枯れ木に動力をつけたようだ。しかし黒髪は燃え上がる炎のようで、そこだけ自己主張が強い。目や口に生気はなかった。


「何か用か?」


 純架は単刀直入に言った。


「今日の昼休みの最初の頃、どこで何してましたか?」


 二人は目をしばたたいた。


「あたしは教室でお弁当食べてたわ」


「僕も同じ」


 純架は事務的な声で切り込んだ。


「それを証明できますか?」


 二人の顔がそろって(くも)る。


「何これ。尋問?」


「何だか知らないけど、僕や大河原を何かで疑ってんのか?」


 純架はすまし顔だ。


「形式的なことです」


 そこでさっきの親切な先輩が口を挟んだ。


「大河原はともかく、有澤なら俺の近くで弁当を広げてたぞ」


 別の女子が大河原先輩の背中に声をかけた。


「部活行こう、姫子(ひめこ)ちゃん。……あれ、どうしたの?」


「ああ、亜美(あみ)ちゃん。実はこの一年が、あたしの昼休みの行動を証明できるかって尋ねてきて……」


 亜美先輩は大河原先輩の腕にすがりついた。


「姫子ちゃんは私と一緒に教室でお弁当を食べていたわ。これでいい? 一年君」


「大変よろしいです」


 純架は微苦笑して頭を下げた。


「不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。失礼します」


 純架は戸口から廊下へきびすを返した。俺も後に続く。


「まずは3年の二人にアリバイあり、と。次は先生方だ」


 純架の腹が抗議の音を奏でる。そういえば純架は今日何も口にしていない。俺は朝食をとっており、まだましといえるが、空腹であることに変わりはない。


「その前にパン食って腹ごしらえしようぜ」


「そうだね。そうしよう」


 純架と俺は1年3組の教室で椅子に座り、手付かずの食糧にありついた。純架はコーヒー、俺は牛乳の紙パックで、ストロー越しに中身をすすりあげる。純架はよほど腹が減っていたらしく、三つのパンをものの三分で平らげた。


「早く食べたまえ、楼路君。田浦教頭や藤松先生、占部先生を(ただ)しに行かなきゃならないんだからね」


「分かってるよ」


 午後4時を回り日が陰り始めている。天蓋(てんがい)に巨大な雲がのたくって、その様はあたかも大蛇の頭部だった。俺は最後の一欠けらを牛乳で(のど)に流し込むと、げっぷして立ち上がった。


「よし、行こうぜ」


 俺と純架は職員室へ向かった。ドアが見えてきたところで担任の宮古先生と鉢合わせになる。


「何だお前ら、また『探偵同好会』の活動か?」


 純架はここぞとばかりに舌を回転させた。


「そんなところです。ついでといっては何ですが、田浦教頭と藤松先生、占部先生は今どこにいらっしゃいますか?」


「教頭なら花壇で水をやってると思うぞ。藤松先生はテニス部顧問、占部先生は野球部顧問だから、今頃グラウンドで指導してるんじゃないかな」


「ありがとうございました」


 純架は?マークを浮かべる宮古先生の疑問を解く労力を惜しみ、下駄箱へ俺を引き連れて行った。上履きから私物の靴に履き替える。無論、三人を追及しに行くのだ。


 まず早足で訪れたのは花壇だった。水に濡れたジョウロをしまおうとする後ろ姿は教頭のものだ。俺たちの足音に反応してこちらへ振り向く。

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